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あの日から、七年。
誰もいなくなった教室で、俺は一時間近く加島を待っていたけれど、結局、彼女は現れなかった。
写真撮影が終わると、ホテルのスタッフがすばやくひな壇を撤去し、閉会の挨拶へと進む。
終了はほぼ時間通りだった。肩の荷が下りたのか、健吾がいっそう晴れやかな顔をして恩師の一行にあいさつをしに行き、ついでに二次会へ行くメンバーを集めている。
加島は松川や国枝たちと一緒にいた。俺は先に会場を出た。
「あ、市之瀬」
喫煙室に向かおうとして、富坂に呼び止められる。
「おまえ、いつ東京にもどるんだ?」
二次会はクラス単位で行うことになっていた。富坂と同じ三組の連中が、すぐそこにかたまって雑談をしている。その中には汐崎もいた。
「明後日」
そう答えると、富坂は「じゃあ、おまえがこっちにいる間に、また連絡するわ」と言った。富坂も、有村と同じく上滝市内の会社で働いている。
「結婚式のことも相談したいし。日取り、決まったんだっけ?」
「六月十四日」
早々と二次会会場へ移動しようとしている三組の連中に呼ばれて、富坂はあわてた様子で「じゃあ」と言い、彼らの後を追った。
俺たち一組は、まだしばらく移動する気配はなさそうだった。俺は喫煙室で一本だけ煙草を吸い、ロビーにもどった。ロビーに一組の連中が集まっていた。そろそろ二次会会場の居酒屋に移動するらしい。
ふと、加島がいないことに気づいた。
「移動するぞお」
玉利がその場にいた全員に声をかける。
ホテルの外に出ると、すでに夕暮れが迫っていた。
風が凍りつくような冷たさで、みんな口々に「寒い」を連発する。昼間はそうでもなかったのに、気温が急激に下がったように感じる。
俺はもう一度加島の姿を探したが、やはり見あたらない。
健吾と一緒にいた松川に、「加島は?」と聞いてみた。
「帰ったよ」
松川があっさり答えた。
「……え? でも、二次会に行くって……」
松川が顔をしかめて、「そうなんだけどさ」と言う。
「なんか、急に。やっぱり帰るって。様子が変だったから、引き留めなかったんだけど……二次会で私たちのこと報告しようと思ってたのに、言いそびれちゃった」
残念そうに、松川が健吾をふり返る。
帰った? 嘘だろ。
「ねえ」
松川はじっと俺の顔を見て言った。
「あんたと紗月って、本当にただの幼なじみなの? とてもそうは思えないんだけど」
混乱していて、松川の言葉が頭に入ってこない。
松川の隣にいる健吾が、心底呆れ果てたような顔で俺を見た。
「おまえ……何やってんの?」
俺は言葉をなくしたまま、棒立ちになる。
俺たちの様子を見ていた松川が、「紗月に電話する」と言って、カバンの中から携帯電話を取りだした。
「いや……いいよ」
俺は茫然としたまま言った。
あのときと同じだった。
やっぱり、これが加島の答えなんだと思った。
俺たちは、ずっと幼なじみのまま。これからも、ずっと。
「何がいいの? よくないよ。そんなんだから、あんたたち、いつまでも──」
松川が最後まで言い切る前に、俺は思いきり背中を突き飛ばされた。前のめりに転びそうになるのを、踏みとどまる。ふり向くと、健吾がぬりかべみたいに胸を反らして立っていた。
「な……なんだよ」
「走れ!」
俺に向かって怒鳴った。
「そうだよ。まだ電車には乗ってないかもしれない」
松川は白い息を吐いてそう言いながら、携帯電話を操作している。
「だめだ、出ない。電源切ってる」
俺は駅の方角へ視線を向けた。駅まで、徒歩十分。大通りをまっすぐ。
「行けよ! おまえの足なら追いつく!」
健吾が叫ぶ。
その声の迫力に押されて、俺は一歩、足を踏み出した。
このまま別れたら、次はいつ会えるかわからない。
三年後? 十年後?
また今度、同窓会が開かれるまで──。
冗談じゃない。
もうこれ以上、一年だって、待ってられるか。
俺は走り出した。暗くなり始めた大通りは、年明け二日の日暮れどきということもあって、車の数も、行き交う人も少ない。
あっという間に駅が近づいてきた。加島の後ろ姿を見過ごすはずはないから、もう駅の構内に入ってしまっているのかもしれない。
バスのロータリーを突っ切り、券売機で急いで切符を買って、改札をくぐった。
雛条へ向かう電車が、ホームに入ってくる。
二段飛ばしに階段を駆け上る。降車した人々が、ホームから階段を降りてくる。ぶつかりそうになりながら階段を上りきってホームに出ると、ちょうど電車のドアが閉まるところだった。
ゆっくりと動き出した電車が、ホームを後にする。
息をきらせて立ちつくす俺の横を、ホームに残っていた最後の乗客が通り過ぎ、階段を下りていった。
誰もいなくなった。
日が暮れて冷たさを増した風が、ホームの上を薙ぎ払うように吹き過ぎる。
なんでだよ。
小さくなる電車の向こうに目をこらしてみたけれど、ただ黒い夜の闇が広がっているだけだった。雛条の町も、澪入山も、神尾山地も、何も見えない。
激しい痛みを伴う後悔が、胸を押し潰そうとする。コートの胸のあたりを、右手でぎゅっとつかむ。
何やってんだ、俺。
情けない。
何のために、同窓会に出たんだ。
もう二度と、すれ違いたくなかったから。
何も伝えられないまま、離ればなれになって、また何年も会えずにいるなんて、耐えられそうになかったから。
なのに、また、何も言えないまま。
十六年も待ったのに──。
顔に、冷たいものが落ちてきた。
白い小さな粒が、空から降っていた。まばらだった粉雪は、やがてあっというまに景色を塗りこめる。
降り続く雪の中に白い息を吐いて、俺はホームを後にした。




