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16年目の片想い  作者: 雪本はすみ
第9章 卒業するまで
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 * * *



 雛高祭の役割を決める、ロングホームルームの時間。


「まだ決まっていないのは、ポスター係だけですね」


 学級委員長の国枝さんが黒板に視線を移し、名前の書かれていない項目をチェックした。


「どなたか、やっていただける方はいませんか?」


 しーんとする教室内。校内に貼り出す宣伝用のポスターを作成するのだけれど、センスを問われるうえに失敗したら大恥をかくので、誰も手をあげない。

 それに、文化部に所属していない人は、もうほとんど何らかの仕事を割り振られている。文化部のメンバーは、先に国枝さんからお役御免を言い渡されていて、部活の方を優先できることになっていた。

 なので、残っているのは……この場にいない人物、ひとりだけ。


「わかりました。それでは、ポスター係は市之瀬さんにやっていただくことにしましょう」


 さくっと、国枝さんは独り決めしてしまう。私が教室の隅でひとり蒼白になっていることに気づくはずもなく、彼女はチョークで黒板に市之瀬くんの名前を書き殴る。

 待って待って。それはダメだってば。


「これですべて決まりましたね。では、近いうちに工程表とスケジュールをお配りしますので、各自責任を持って遂行してください」


 ええっ。ちょっと、ウソ。決めちゃうの?


「くれぐれも遅れのないように。玉利さんは、随時進行具合を確認して私に報告してください。あと、文化部に所属されている方、余裕があればクラスの手伝いをしていただけると助かります。よろしくお願いします」


 じゃなくてっ。それだけはダメなんだって。そんなの頼んだら、市之瀬くん、絶対困る。ものすっごく、困ると思う!


「ほかに何か、質問はありますか?」


 誰も何も言わない。もうみんな帰り支度を始めてそわそわしている。

 私は助けを求めるように、斜め後方の席の有村くんをふりかえる。有村くんはだらっとした姿勢で頬杖をついて、半開きの目をうとうとさせている。何度視線を送っても、私の救難信号に気づかない。

 どうする? どうすんの?


「では、これで終わ……」

「あっ、あのっ!」


 私は反射的に手を挙げていた。挙げてしまってから、どうしようと焦る。


「はい。なんでしょう、加島さん」

「えっと、えーと」


 言うべき言葉を何も考えていなかった。

 なんて言う? 市之瀬くんにポスター係は無理です、ほかの人にしてあげてくださいって? そんなこと言えない……。


「私もポスター係をやりたいんですけど!」


 思わず、いつもより大きな声で叫んでしまい、ざわつき始めていた教室の中がふたたびしんとなる。

 国枝さんが、何を言っているのかしらこの子は、みたいな目をして私を見る。


「ポスター係は、市之瀬さんおひとりでいいように思いますが」


 よくないんです、それが。


「それに加島さんは、確か美術部でしたよね?」

「そうなんだけど……でも、あの、クラスのほうも、何か参加したいなと思って」

「そうですか」


 不思議そうに首を傾げながらも、国枝さんは「では、お願いします」と言った。

 ほっとして息をつく。とたんに教室中の視線が自分に集まっていることに気づいて、うろたえる。こういう場で発言なんかしたのは、初めてだ。緊張して汗が滲んでくる。

 でも、よかった。なんとかできて。

 ホームルームが終わると、亜衣が心配そうに声をかけてくれる。


「いいの? 美術部で展示する作品、まだ決まってないって言ってなかった?」

「あー、うん。でも大丈夫」


 私は急いで教科書とノートをカバンの中に放りこむ。たった今、とてもいいことを思いついたのだ。

「じゃあね」と亜衣に手を振って、早足で教室を出る。


 今の今まで、雛高祭に出す作品を何にするか決めていなかったけれど、今、クスノキを描こうと決めた。もうこれしかないという感じ。

 そうすれば堂々とあの秘密の場所に通えるし、市之瀬くんとふたりきりになっても気詰まりじゃない。だって私は作品を描くためにあの場所へ行くんだから。


 廊下を急ぎ足で歩きながら、まだ秘密の場所にいるかもしれないと考えて、どきどきする。美術室にスケッチブックを取りに行き、後輩に行き先を告げて教室を出る。

 ところが、クスノキのところに市之瀬くんはいなかった。もう教室にもどってしまったらしい。

 勢いづいた上昇気分が一気に下降し、私は溜息をついた。


 あらためて、クスノキの幹の周りを歩いてみる。

 現実離れした大きさに、何度見ても溜息が出る。ここだけ古代の森のようだ。枝のすきまから細い筋のような光が射しこむ様子は、神々しいとさえ思う。


 あたりを見渡してみたけれど、どこにも案内板のようなものは見当たらない。いつ来ても人はいないし、わかりやすい道案内がないのかもしれない。

 整備して観光地にしてしまわないところが、商魂とは無縁の雛条らしいと言えば雛条らしい。


 スケッチブックを開いて、私は目の前のクスノキを見つめた。

 息を吐く。

 耳をすます。

 葉擦れの音だけが聞こえてくる。

 遠いところから誰かが語りかけてくるような、静かな、やさしい音。


「加島」


 背中に声がかかって、私はふりむいた。市之瀬くんの声を聞き間違うはずもなく、こちらに歩いてくる彼の姿を目に収めると心が跳ねた。

 市之瀬くんは、私が手にしていたスケッチブックを隠す間もなくのぞき見る。それから感心したように「すごいな」といって、複雑そうな顔をした。それから言いにくそうに、雛高祭のことを聞く。


 ポスター係の仕事を説明すると、どんどん、市之瀬くんの表情が硬くなっていく。

 日頃から表情ないけど、今回はさらにひどい。よっぽど嫌なんだろうなあ。それなのに私がひとりでやるからと言っても、なかなかうんと言わない。

 市之瀬くんが、自分が頼まれた仕事を他人に押しつけるようなことはしないって、わかっているけれど。こんなことくらいしか、私が力になれることなんてないのに。


「こんなときくらい、私に頼ってよ」


 思わず、言ってしまった。市之瀬くんはしぶしぶ了解してくれたけれど、生意気だって思われたかもしれない。

 その後も調子に乗って、聞かれもしないことをべらべらしゃべってしまうし。市之瀬くんは、なんかちょっと呆れてたっぽい。途中から全然しゃべらなくなった。


 もう確実に変なヤツだと思われてる。大反省。私は絵のことになると夢中になってしまうところがあるから、気をつけよう。

 途中で教室にもどる市之瀬くんと別れて、私は美術室に向かった。


「あ、先輩。さっき、市之瀬先輩が探してましたよ。会えました?」


 美術室でおしゃべりしていた一年生が、私がもどってきたのを見ていった。


「うん、会った。ありがと」

「市之瀬先輩って、やっぱりかっこいいですよねー」


 素直な目を向けられて、どう反応していいかわからず、私は笑ってごまかす。


「五組の住友先輩と付き合ってるんですよね。お似合いだなーうらやましいなー」


 そう……お似合い。

 誰が見ても、お似合いなんだよね……。


 私は窓際のイスに腰掛けて、スケッチブックを開いた。

 さっき描いたばかりのクスノキのスケッチは、どこから見ても普通のクスノキの絵だった。これでは、小学生の写生画と変わらない。


 もっと何か……。

 もやもやした影のような漠然としたイメージが、頭の中で遠くなったり近くなったりしている。つかめそうで、つかめない。こういうときは、いろいろな方向から、ひたすら探るしかない。もどかしい。


 あのクスノキには、クスノキの精と村の娘の、ふたりの霊が宿っているのだろうか。結局、ふたりは再会できたことになるのかな。それとも……。

 イメージが遠ざかる。

 頭で考えると、いつもうまくいかない。

 私は目を閉じて、胸の中心に意識を集中する。全身で心臓の音だけを聞く。

 あのクスノキは、私に、ひとりのイメージしかよこさない。


 描けるだろうか。私に。

 私はもう一度スケッチブックを見つめる。

 描いてみたい。

 膜を切り裂くように、イメージが鮮明な姿で浮かび上がった。

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