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16年目の片想い  作者: 雪本はすみ
第8章 ただの友達
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 * * *



 雛高祭初日、俺たちのクラスの和装カフェはけっこう繁盛した。


「あのー。すみません」


 廊下で突っ立っていると、三人連れの女子に声をかけられる。おどおどした感じから、下級生だとわかる。


「写真、一緒にいいですか?」


「……はあ」と、しぶしぶうなずく。

 廊下の先では、宣伝用の看板を手にした紋付き袴姿の健吾がこっちを向いてピースサインを送ってくる。


 午前中の接客で、俺と健吾が女子にウケがいいとわかり、宣伝係を命じられ、ずっとこうして客引きをしている。

 と言っても、俺はただ着流し姿で廊下に突っ立っているだけ。さすがに三時間もぶっ続けでやっていると、アホらしくなってきた。見せ物じゃあるまいし。

 写真を撮り終えると、下級生の女子三人はきゃあきゃあ騒ぎながら店の中に入っていった。


「市之瀬くん」


 無意識に体が反応してふり返ると、住友が立っていた。同じクラスの友達らしい女子二人が、遠慮がちに少し離れたところで見ている。


「その着物、すごく似合ってる」

「……どうも」


 住友と話すのは、あの日以来だった。彼女が俺を避けていることはわかっていたし、そうするのも当然だと思っていた。だから逆に、普通に話しかけられると、戸惑う。


「さっきから、ずーっと女の子に声かけられてるでしょ」

「それは……」

「わかるよ。市之瀬くん、カッコいいもん。やっぱり、簡単に手放すんじゃなかったかなあ」


 俺が黙りこむのを見て、「冗談だって」と笑う。


「私、今日はお客さんだから。入ってもいい?」

「あ、どうぞ」


 離れて見ていた友達ふたりを呼んで、住友は教室の中に入っていく。

 接客係は数人ずつ交代制なのだが、この時間は加島も担当しているはずだった。なんとなく気になって、中の様子をうかがってしまう。


 案の定、住友が座ったテーブルに、加島が注文を聞きにいっている。加島は矢絣の着物を着て、髪を結い上げていた。黒髪と着物が絶妙に似合う。今日はずっと、まともに加島を見ることができない。

 住友が加島に気づき、何か話しかけているのが見えた。何を話しているのか気になったが、確かめにいくわけにもいかない。


 あの停電の日から、俺と加島の間には説明しにくい違和感が生まれている。

 加島は何もなかったようにふるまおうとしてよけいにぎくしゃくしているし、俺は俺でひたすら自己嫌悪に陥り、なかなか浮上できなかった。


 あのとき、あと一秒明かりがつくのが遅かったら、加島にキスしていた。

 何やってんだ、俺は。そういうことする前に、言うことあるだろ。

 思い出すと、自分への悪態しか出てこない。もう一度、加島とふたりきりになる機会を探っているのだが、加島が異常に敏感になっていて、なかなかふたりきりになれなかった。


 あのときは、加島も嫌がってなかった……と思うのだが、今となっては自信がない。加島のことだから、ひょっとしたら怖くて拒めなかったのかもしれない。

 なんにしても、ちゃんと確かめないとと思う。そして、言うべきことを言わないと。


 しばらくすると、住友たちが出てきた。廊下にいる俺を見て、にっこり笑いかける。


「見て。これ、もらっちゃった」


 住友が手にしているのは、コースターだった。クスノキのシルエットに鳥が重なったイラストが描かれている。描いたのは加島だ。


「私、これから美術室に加島さんの絵を見に行ってくる」


 住友はそう言って、俺に手を振った。それから十分後に、加島が当番を終えて教室を出てきた。着物から制服に着替えているが、髪はアップのままだ。

 どうしても白いうなじに目がいってしまう。なんとなく見てはいけないような気がして、目をそらす。


「市之瀬くん、お疲れ。まだ終わらないの?」


 そう言われても、交代要員がいないのだからどうしようもない。国枝のお許しも出ないし。


「私、ちょっと美術室のほう見てくる。もどったら、宣伝係交代するよ」


 言ってから、苦笑する。


「私じゃ、市之瀬くんの代わりはつとまらないか」


 本人は気づいていないが、そんなことは絶対にない。すれ違う男どもの視線になぜ気づかないのか不思議だ。

 髪型のせいでいつもの雰囲気とは違う加島を正視できず、俺は適当に返事をしてごまかした。


 加島は美術室に行ってしまった。なぜか嫌な予感がする。いてもたってもいられなくなって、階段口で通りすがりの女子に手当たり次第声をかけている健吾を呼び止める。


「ちょっと外す。国枝がなんか聞いてきたら、適当にごまかせ」

「はあ? おまえがいねえと客引きになんねえだろ。どこ行くんだよ」

「すぐもどる」


 廊下を走ろうとして、着物だと気づいた。下は短パンなので見られてもかまわないのだが、走りづらいことこの上ない。しかも足もとは下駄。

 もうどうでもよくなって、下駄を脱いだ。裸足のまま急ぎ足で廊下を歩いていると、すれ違う人間にじろじろ見られたが、気にしていられない。


 美術室のある一号館三階の突き当たりに近づくと、急に人気が絶える。静まりかえった廊下に、音がやけに響く。なんとなく、物音をたてないようそっと近づいた。下駄を脱いでいてよかったと思った。

 美術室の前で立ち止まる。教室の扉は開いていて、中に住友がいた。誰かとしゃべっている。


「本当に?」


 住友の声が、誰かに聞いている。


「本当に、なんとも思ってないの?」


 しばらく沈黙が続いた。やがて押し黙っていた人物が、口を開いた。聞き覚えのある声が、はっきりと告げる。


「市之瀬くんとは、ただの友達だよ。昔から」


 迷いのない声だった。加島の言葉を聞いたとたん、なぜ自分がここにいるのかわからなくなった。何もかも、全部、意味がなくなった。

 廊下を引き返して、教室にもどった。国枝が俺に向かって小言を言っていたが、何を言っているのかさっぱりわからない。


 ただの友達だったのか、最初から。

 受け入れようとしない心が、言葉の別の意味を探る。だが別の意味などなかった。最初から何もなかったのに、俺が期待していただけだ。加島の気持ちを、自分の都合のいいように考えていただけ。


 何もかも幻想だった。そしてひとりよがりな幻想は、「友達」というたったひと言で消えた。

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