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16年目の片想い  作者: 雪本はすみ
第4章 もう二度と会えない
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 * * *



 グラウンドから聞こえてくるかけ声が、遠くなったり近くなったりする。

 ふわふわと、体が浮いたり、沈んだり。

 誰かのやわらかい手が、俺の髪にふれている。


 ……加島?

 顔を上げると、目の前にいたのは住友だった。


「あー、ごめん。起こしちゃった?」


 俺は落胆を顔に出さないようにして、教室の中を見る。

 俺たちふたりのほかには、誰もいない。窓の外のグラウンドでは、運動部の連中が威勢のいい声をかけ合って、練習している。

 住友は、カバンを抱えて俺の前の席に座っていた。


「俺、寝てた?」

「すごく気持ちよさそうだったよ」


 陽射しが傾き、涼しい風が窓から入ってくる。かすかに緑の匂いがする。


「あ、なんか手をふってるよ」


 窓の外を見て、住友がいう。バックネットのすぐそばで、野球部のユニフォームを着たでかい男が、こちらに向かって大きく手をふっている。


「有村くんって、いつも元気だよねー」


 住友が笑いながら手をふり返した。俺は無視。健吾は住友に手をふってもらえたことに満足したらしく、大はりきりで練習にもどる。

 もうすぐ、健吾たちにとって最後の夏がくる。中学三年の、夏。


「市之瀬くん、この前も野球部の紅白戦に出てたよね。どうして入部しないの?」


 あらためて不思議そうに、住友が聞く。


「めんどくさいから」

「そんなこと言って、いつも試合に出る前、すっごく練習してるじゃん」

「興味ないから」

「野球に? でも、ほかのクラブの誘いも断ってるよね」

「……勝つことに」


 住友が意味がわからない、という顔をする。


「俺、試合に出ても、勝ちたいって本気で思ったことないんだよ。ただ頼まれたことを全力でやってるだけ。そういうの、悪いだろ。ちゃんとやってるやつに。ずっと一緒にやってく仲間が、そういう気持ちでやってたら、嫌だと思う」


 机の上に頬杖をついて窓の外を見ながら、なんでこんなことを話しているんだろうと思った。どうせ、誰にもわかってもらえないのに。

 加島にしか、わかってもらえない。

 なのに。

 どうして、加島はここにいないんだろう。


「市之瀬くんて、変わってるね」


 笑われるかと思った。だけど、住友は笑わなかった。


「そういうこと、普通、考えないと思う。だけど、私は好きだよ」


 そう言うと同時に、住友が身を乗り出した。あ、と思った瞬間に、とんでもなくやわらかいものが、唇にふれた。

 何が起こったのかわからず、しばらく動けなかった。

 離れたあとも、住友はほほえんだまま俺を見ていて、ちょっと照れくさそうに「帰ろっか」と言った。

 立ち上がって、住友と一緒に教室を出る。廊下を歩いていても、心と足が浮遊している。


「あっというまに追い越されちゃったねー」


 並んで歩いていると、住友が隣で俺を見上げていった。

 春の身体測定のとき、俺の身長は百七十センチを超えた。それでもまだ、健吾に追いつかないのだが。


「市之瀬くん、雛高ひなこうだよね? 第一志望」


 雛条高校──通称“雛高”は、雛条市内にある唯一の高校で、たぶんこの中学の生徒はほとんどが雛高を受験する。


「私もそうしよ。第一志望、女子校にしてたんだけど、やめる」


 うれしそうに笑って、住友は俺を見上げる。

 また嫌な音が響いている。俺の心の中で、きしみ合う音。


 住友にキスされたとき、頭に浮かんだのは加島の顔だった。

 加島が突然転校して、俺の前からいなくなって、もう三年たった。


 熊井には、たまに廊下ですれ違うときに声をかけられる。だが、もう加島の話は出てこない。熊井は本気で陸上選手を目指していて、陸上が強い私立校を受けると言っていたから、今はそれどころじゃないんだろう。

 あるいは、もう、加島から手紙が来なくなったのかもしれない。


 自分でもおかしいと思うけれど、俺はこの三年間、ずっと、いつかまた加島に会えると思っていた。

 どうしようもないバカだ。

 会えるわけがない。

 たぶん、もう、二度と会えない。一生。死ぬまで。


「今週の土曜日、ひま?」


 校門を出たところで、帰る方向が違う住友と別れる直前、俺から声をかけた。

 住友はうれしそうに顔を輝かせて、「うん、ひま!」と答える。

 今でも鮮明に浮かんでくる加島の顔を、俺は心の中で握りつぶした。

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