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* * *
バスはもう二時間近く走り続けていた。
窓の外は、どんどん知らない風景へと変わっていく。
雛条西小学校六年の、五月。
「あれ? 諸見里さんは?」
修学旅行のバスの中は騒がしくて、私は隣の席の諸見里さんがいなくなったことに気づかなかった。かわりに、私の隣に座ったのはりっちゃんだった。
「んー、席替わってって言われたんだ。ほら、諸見里さんって、ねえ」
りっちゃんがにやにやしながら、バスの後方の席をふり返る。諸見里さんは、市之瀬くんの隣の席に座っていた。
「あの子、市之瀬のこと、好きじゃん」
「えっ。そうなんだ」
「知らなかったの? みんな知ってるよー」
「ふーん」
「どこがいいのかねー、あんなチビの」
りっちゃんはおもしろくなさそうに言い、スナック菓子の袋を豪快に開けた。
私は座席のすきまからのぞくように、市之瀬くんの隣にいる諸見里さんを見た。市之瀬くんに話しかけている諸見里さんは、すごくうれしそうだった。
何を、しゃべってるんだろう。
そう思ったとたん、ぎゅっと心臓が苦しくなった。
気をそらそうとして、窓の向こうに流れる景色を見た。でも、私の耳は、時どき後ろから聞こえてくる諸見里さんの笑い声ばかり拾ってしまう。
どうしてこんな気持ちになるんだろう、と思った。
諸見里さんのことが嫌いなわけじゃない。いつも明るくて元気で、先生にも気に入られていて。市之瀬くんだって、きっと、諸見里さんと一緒にいると楽しいに決まっている。
なのに、どうして、私は楽しくないんだろう。
目的地にバスが到着すると、りっちゃんはリュックを背負って軽やかにバスを降りていった。私が荷物をまとめるのにもたもたしている間に、みんなつぎつぎとバスを降りてしまう。
最後になっちゃったな、と思って後部座席をふり返ると、市之瀬くんがひとりだけ残っていた。私が席から立ち上がるのと同時に市之瀬くんも立ったので、目が合った。
一瞬、何か言いたそうに市之瀬くんの口が動いたように見えたけれど、何も言わずに通路に出て、私が先に降りるのを待っている。
私は急いでバスを降りて、はしゃいでいるりっちゃんのそばにかけよった。
それからそっとふり返ると、市之瀬くんがバスのステップを降りたところで、また目が合った。私はあわてて目をそらす。
市之瀬くんとは、よく目が合うような気がする。
教室にいるときもそうだけど、体育のときとか、休み時間とか、掃除の時間とか。でも、話しかけられることは、ほとんどない。私から話しかけることも。
その夜、消灯時間が過ぎた後も、私たちは旅館の布団の中でおしゃべりをしていた。
こういうときは、決まって“好きな人”の話になる。
諸見里さんが「私が好きなのは市之瀬くんだけど」と堂々と打ち明けた後で、「加島さんは誰が好き?」と私に向かって言ったのだった。
「私は……えーっと」
近所に住んでるお兄さん、と私は答えた。諸見里さんは「ふーん。そうなんだ。ふーん」とつまらなそうにつぶやいて、「もう寝よ」と布団をかぶりなおした。
みんなの寝息が聞こえてきても、私は眠れなくて、ずっと起きていた。頭の中に、帰りのバスの座席表が浮かんでくる。
前もってくじ引きで決めた座席は、行きと帰りが違っている。その帰りの自分の座席は、通路を挟んで、市之瀬くんの隣だった。
もやもやした思いが胸の奥にたまっていく。気持ち悪くて、吐き出してしまいたかった。全部吐き出して、すっきりさせたい。こんな自分は嫌いだった。
私は帰りのバスに乗る直前、諸見里さんに声をかけた。
「ねえ、席替わってあげよっか」
「いいの?」
ぱっと輝いた諸見里さんの顔を見て、私はほっとする。
「いいよ」
「やった、ありがと!」
諸見里さんはきゅっと目を細めてうれしそうにいうと、私を追い越してバスのステップを上がっていった。
気持ち悪い胸のもやもやが、少しおさまったような気がした。だけど、それは一瞬だけだった。
帰りのバスの中で、行きにもまして高い声で笑ったりはしゃいだりしている諸見里さんと市之瀬くんたちを見ていると、どうしようもなく嫌な気分になってきた。
なぜそんなことをしたのか、自分でも全然わからなかった。市之瀬くんの隣の席になれたのはすごくうれしかったし、ずっと楽しみにしていたのに。
学校の校門の前にバスが着き、私たちは順番にバスから降りた。疲れた足を引きずるようにして歩いていたとき、後ろから歩いてきた市之瀬くんが私の横で立ち止まった。
目が合った。
市之瀬くんは唇を固く結んだまま、何も言わずに目をそらした。そのまま私を追い越して、前のほうに歩いていってしまう。
いつのまにか私の身長を追い越した市之瀬くんの後ろ姿が、私を責めている気がした。
市之瀬くんなら怒らないって、思ってた?
私は自分がしたことを後悔した。恥ずかしくて、市之瀬くんのほうを見ることができない。
私は諸見里さんに嫌われることが怖かった。自分の本当の気持ちを知られることが怖かった。そして何より、私自身が、諸見里さんを嫌いになることが怖かった。
だけど、本当は。
私は心の底で、諸見里さんを見下していたんだ。
私は、すごく嫌な女の子だ。




