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合唱コンクールまで、あと三日だった。
雛条西小学校五年の冬、二月。
「加島さんって、音痴だよね」
教室の掃除をしていた女子の何人かが、窓際にかたまってこそこそ話しているのを偶然聞いた。
「ちょっと、ひどくない?」
「あれ、練習してもなおらないよね」
「当日、口パクしてもらおうか?」
「あ、それがいい」
「クラスのためだもんね」
陰口に夢中になっている彼女たちは気づいていなかったが、すぐそばに加島がいて、まちがいなくその会話は加島の耳に入っていたはずだった。
だけど、加島は聞こえなかったふりをして、雑巾を手にしたまま教室を出ていった。
「ひどいこと言うよね」
見るとすぐ後ろに諸見里がいて、顔をしかめていた。
「加島さん、かわいそう。コンクールの日、休んじゃうかもしれないね」
諸見里の表情と言葉は同情にあふれていたけれど、心からそう思っているわけではなさそうだった。
「市之瀬くんって、好きな子いるの?」
ちょっとうつむき加減に、そんなことを聞いてくる。俺は「いないけど」とだけ答えて、教室を出た。
加島は廊下のつきあたりの手洗い場で、雑巾をしぼっていた。真っ赤になった横顔を見ただけで、必死にこらえていることがわかった。
ぎゅっと唇を結んで、泣くのをがまんしている。
「加島」
声をかけると、びくっと体をふるわせて、加島がこっちを向いた。何度もまばたきする目に、涙が浮いている。
「おまえ、休むなよ」
そういうと、加島は雑巾をにぎりしめたまま、ぽかんとした顔で俺を見た。
「コンクール。絶対、休むなよ」
そのまま、俺はその場を動かずに返事を待った。加島はしばらくぼんやりしていたけれど、ようやく意味が飲みこめたのか、ゆっくりうなずいた。
満足して教室にもどろうとしたとき、廊下の壁際に諸見里が立っていることに気づいた。諸見里は、こっちをじっと見ている。
心の中が、キイキイと嫌な音をたてた。金属がこすれ合うような、気持ちの悪い音。
それが罪悪感だと気づいたのは、ずっと後だったけれど。




