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賢者の石を手に入れた在宅ワーカーだけど、神様って呼ばれてるっぽい  作者: パラレル・ゲーマー


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第90話

 その日、スイス・ジュネーブ、パレ・デ・ナシオンの一室は、もはや神殿ではなく、終わりの見えない巨大なプロジェクトの進捗会議が行われる、ありふれた、しかし極度に疲弊した会議室と化していた。

『ダンジョン法整備に関する超国家合同準備委員会』第三回会合。


 巨大な円卓を囲む日米中露四カ国の最高レベルの専門家たちの顔には、初回の会議にあった“手探り”の緊張感も、第二回の会議にあった剥き出しのイデオロギー闘争の熱も、もはやなかった。代わりにそこにあるのは、自分たちが向き合っている問題の、そのあまりにも巨大で、そして底なしの深淵さを前にした一種の学者的な畏怖と、官僚としての深い深い徒労感だけだった。


 部屋には、数日間にわたる事前折衝で消費されたであろう大量のコーヒーの香りと、眠らない頭脳が発する熱気だけが淀んでいた。彼らはこの数週間で理解してしまったのだ。自分たちが作ろうとしているのは、単なる法律ではなく、全く新しい世界の“創世記”なのだと。


 円卓の隅、オブザーバー席には、やはり彼女がいた。ゴシック・ロリタのドレスに身を包んだKAMI。今日の彼女はVRヘッドセットではなく、手の中に収まるほどの大きさの、黒曜石でできた滑らかな球体を、ただ静かに見つめていた。


 その球体の内部では、微細な光の粒子が生まれ、渦を巻き、小さな銀河を形成しては、また静かに消えていく。彼女は、まるで子供がスノードームを眺めるかのように、そのミニチュアの宇宙の生と死を、何の感情も見せずに、ただ弄んでいた。この人間たちの泥臭い議論に、彼女がもはや一片の興味も示していないことは、誰の目にも明らかだった。


「――では、第三回会合を始める」


 議長である日本の九条官房長官が、氷を思わせる平坦な声で開会を宣言した。彼の四つの身体(本体と分身)は、この会議を効率的に運営するため、完璧な役割分担をこなしている。


「前回までの議論で、探索者の資格要件およびギルドの基本的な枠組みについては、暫定的ながらも一定の方向性が見えました。本日はさらに踏み込み、ダンジョンが生み出す新たな『生命』と『富』――すなわち『モンスター』および『資源』の取り扱いについて、議論を深めていきたい。極めて重要かつデリケートな議題です」


 彼は、まず最も哲学的で、そして最も厄介な問いをテーブルに投じた。


「モンスターの定義について。彼らは単なる『討伐対象』か、それとも何らかの権利(動物愛護など)を認めるべき『生物』か。特に、知性を持つモンスターが出現した場合の対応は、初期段階でその基本理念を定めておく必要があります」


 その問いに、オブザーバーとして参加していた国際動物愛護連盟の代表が、待ってましたとばかりに分厚い資料を手に口を開こうとした――まさにその瞬間だった。


「あー、はいはい、それね」


 手の中の宇宙から顔を上げたKAMIが、心底面倒くさそうに言った。全ての視線が、絶対的な権力を持つその幼い少女に注がれる。


「初めに言っておくけど、モンスターは生命じゃないわ」


 彼女はこともなげに、そして世界の真理を告げるかのように言った。


「あれは、この世界にバックアップされた『残響』のようなもの。世界のことわりに刻まれた、異世界だったり、未来だったり、過去だったりのデータの残滓ざんしなのよね。だから基本的に言葉は話せないし、知的生物みたいに見えても、ただの“プログラムされた行動パターン”を繰り返しているだけ。だから『気にするな』が正解なんだけど……」


 彼女はそこで一度言葉を切ると、少しだけ意地悪そうに微笑んだ。


「まあ、そんな単純な割り切り方は、あなたたち人間にはできないわよね。例えば、そのモンスターが亡命を求めてきたら? 保護を訴えかけてきたら? 高位のモンスターの中には、永遠に“世界の残響”としてコピーされ続ける運命を厭い、『このループから解放してほしい』なんて協力を求めてくる者もいるかもしれないわね。彼らは世界のシステムに組み込まれた、まあ一種の苦労人みたいなものだから。そういうイレギュラーは、実はありえるわ」


 その、あまりにもSF的で、そしてあまりにも具体的な可能性の指摘。会議室は、水を打ったように静まり返った。動物愛護団体の代表は、開いた口が塞がらないという顔で、ただ呆然とKAMIを見つめている。


「えー……では、その時になったらどうすれば……」


 九条が、かろうじて声を絞り出す。


「うーん、その時になったら考えましょう」


 と、KAMIはあっさりと答えた。


「高位モンスターがいる階層まで、あなたたちがたどり着くのは、早くても二年くらい先じゃない? まあ、それまでは不要な問題ね。これは“議論を進める”という方向で行きましょうか……」


 あまりにも無責任な、しかし反論の余地のない神託。九条は深々と頷くと、何事もなかったかのように議事を進行させた。


「……はい。では、長期的な検討課題といたします。次に、討伐後に残るモンスター素材の利用についてですが――」


「ああ、それも言っておくわ」


 とKAMIが再び口を挟んだ。


「基本的に、死体は残らないわよ。光の粒子となって消えるから。そして、その討伐に貢献した探索者の前に、ドロップ品として“モンスター素材”だったり“魔石”だったり、あるいは“オーブや装備品そのもの”が現れるの。ただし、例外はあるわ。もし探索者が、例えば『ゾンビ作成スキル』とか『モンスターを使役する亡霊スキル』みたいな、死体を利用するタイプの“因果律改変能力”を使った場合は、その術が有効な間だけ、死体は物理的に残るわね」


「なるほど……。仕様のご解説、ありがとうございます」


 九条は、もはや驚きもせずに、その神の仕様解説を事務的に記録した。


「では、本日の中心議題に移ります。戦略物資としての『魔石』の取り扱いについて。ギルドが優先的に買い取った魔石は、その後、誰にどのような基準で販売されるのか。軍事利用か、民生利用か。国家管理か、自由市場か。これは各国のエネルギー政策、そして安全保障の根幹を左右します」


 地獄の釜の蓋が、再び開かれた。


「――断固として、“国家による厳格な管理”を主張する!」


 最初に声を上げたのは、ロシアのコズロフだった。彼の氷のような瞳が、テーブルの向かいのアメリカ代表、リード次官を射抜いた。


「魔石は、石油以上の戦略物資だ。それがもし、テロリストや反体制勢力の手に渡ればどうなる? 我々は彼らに、無限のエネルギーと治癒の力と、そして新たな兵器開発の可能性を与えることになる。そんなリスクを許容できるはずがない! 全ての魔石は国家が管理し、その使用用途を厳格に制限すべきだ!」


「コズロフ氏の意見に、我が国も基本的には賛同する」


 と中国のチェンも続いた。


「市場原理に委ねるなど、あまりにも危険な発想です。もし反体制勢力に魔石が渡った時、リード次官、あなたは責任を取れるのですかな?」


 二つの全体主義国家からの、鉄壁のロジック。

 それに、リードは、まるで嵐の中の灯台のように動じなかった。


「お待ちいただきたい。あなた方の懸念は理解します。ですが、それはあまりにも近視眼的だ」


 彼女の声は、どこまでも冷静だった。


「魔石がもたらすのは“軍事的な脅威”だけではない。それは“イノベーションの種”です。もし国家がその流通を完全に管理すれば、自由な発想を持つ民間企業や大学の研究機関は、この新しいエネルギーに触れることさえできなくなる。それは、人類全体の技術的進歩を著しく阻害することに他ならない。魔石の管理は、市場原理に任せるのが正解です。もちろん、テロ組織のような明確な脅威に渡らぬよう、厳格な輸出入管理や購入者の身元調査といった配慮は必要ですがね」


「その配慮が“ザル”になるから問題だと言っているのだ!」


「いや、“国家の過剰な介入”こそが、腐敗と非効率の温床となる!」


「断固として“国家として管理”することを推す!」


「反体制勢力に渡った時は、責任取ってくれるんですか?」


「魔石の管理は“市場原理”に任せるのが正解だと思います!」


 議論は完全に白熱した。互いのイデオロギーの根幹をかけた、決して交わることのない主張のぶつかり合い。


「落ち着きましょう」


 その不毛な応酬を、九条はまるで他人事のように眺めていた。そして、潮時と判断した。


「――皆様。ご議論ありがとうございます。どうやらこの議題については、各国の基本政策に関わるため、統一見解を出すのは困難なようですな」


 彼は、まるで予定調和であったかのように、あっさりとその議論を打ち切った。


「これは一旦、各国に持ち帰り、それぞれの探索者公式ギルドと政府内で調整していただく、ということでよろしいですかな?」


 あまりにも官僚的な先送り。だが、これ以上続けても結論が出ないことを悟った三国の代表たちは、渋々といった体で、しかし安堵の色も浮かべながら、それに同意した。


「では次に、“魔石を利用した新技術の特許”について。これは先日までの事務レベル協議で、四カ国でその技術情報を共有し『特殊国際特許』として共同管理することで、基本的な合意が形成されております。異論はございませんかな?」


 これについては異論は出なかった。誰もが、この“金のなる木”を独占しようとすれば、他の三国から袋叩きに遭うことを理解していたからだ。


「よろしい。では最後の議題に移ります。“社会・倫理的側面”について」


 九条の声が、さらに低くなった。


「まず、情報公開の範囲。探索者の活動を記録した監視映像の“プライバシー”について。これはどうします? 個人的には、プライベートとして扱わず、共通資料として残したいですが……」


「まず、ダンジョンはプライベートな空間ではありません」


 とリードが言った。


「公務、あるいは業務の遂行の場です。なので、そこで撮られた映像の権利は、業務の監督者である“探索者公式ギルド”が所有するのが筋でしょう。これはハッキリさせたいですね」


「待って下さい」


 とチェンが口を挟んだ。


「“配信者”が出てきたらどうするんです?」


「配信者ですか?」


 リードは怪訝な顔をした。


「モンスター討伐を配信するのですか? 少し理解出来ないですね」


「ですが、“配信者”が出ることは予期した方が良いでしょう」


 と九条が補足した。


「並行世界のデータにも、そういった活動で生計を立てる者が存在したという記録があります。視聴者からの『投げ銭』で、莫大な富を築く者もいるとか」


「……なるほど。ならば探索者にも“著作隣接権”のような形で、映像に対する一定の権利を保持させる、ということで良いですか?」


 リードは、新たなビジネスの可能性に、わずかに目を輝かせた。


「はい。では次に移ります。ダンジョン内部の情報――構造や未発見の資源に関する情報は“国家機密”として扱うべきか、探索者の安全のためにギルドを通じて広く共有すべきか」


「これは、ギルドを通じて広く共有するべきだと思われます」


 コズロフが即答した。その意見に全員が異議なく頷いた。探索者の安全は、全ての利益の前提だった。


「では次。“探索者と一般市民”との間に、新たな社会的な断絶や格差が生まれる危険性はないか。えー、これはどうでしょうか?」


「資本主義ですから、当たり前では?」


 とリードが肩をすくめた。


「危険を犯してモンスター討伐をするのですから、その対価として富が集まるのは当然です。それが新たなフロンティアへの挑戦を促す、インセンティブとなる」


「しかしですね、リード次官」


 と九条は静かに言った。


「“新たな特権階級”が生まれるとなると、これは社会の安定を揺るがす問題ですよ? 我が国では既に、その兆候が見られます」


「いやしかし、資本主義を鑑みるとですねぇ――」


「はい、議論が進まないので、これは棚上げします」


 九条は議論を断ち切った。


「では次です。“ダンジョン出現国”と“非出現国”との格差問題。もしダンジョンが四カ国にしか出現しないのであれば、それ以外の国々との経済的・技術的格差は、絶望的なまでに開くことになる。その“不平等”をどう是正していくのか」


「うーん、これは……」


 その、あまりにも重い問いに、誰もが言葉を失った。


 その時、オブザーバー席に座っていたEUの代表が、満を持して手を挙げた。


「これが要ります! 格差が開くのは、国際社会の安定にとって大問題です!」


「ですが、“支援したい国”と“したくない国”というのは、どうしても出てくるのでは?」


 とコズロフが冷ややかに言った。


「我が国と友好的な国と、そうでない国。その扱いに差が出るのは、当然の外交ではないですかな?」


「いや、それはおかしい!」


「しかし、主権国家の判断に介入はできんだろう!」


 議論は再び、混沌の様相を呈し始めた。


「――では、とりあえず、これは各国に任せるということで……」


 九条は、もはやこの議題をこれ以上続けるのは不可能と判断し、強引に幕引きを図った。


「えー、今日で一通り、全ての議題に触れ、話し合うことができました。今後も引き続き分科会で議論を続けていきますが、おおよその問題点の把握は、各国でできたかと存じます」


 彼は立ち上がった。その顔には、何の達成感もなかった。ただ、巨大な宿題のほんの数ページを、ようやくめくり終えただけの、深い深い徒労感だけがあった。


「では、いつもの通り“何も決まっていません”からね。本日合意した事項も、今後の議論で変更される可能性は十分にあるという点をご留意ください。では、解散」

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