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賢者の石を手に入れた在宅ワーカーだけど、神様って呼ばれてるっぽい  作者: パラレル・ゲーマー


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第89話

 その日、スイス・ジュネーブ、パレ・デ・ナシオンの一室は、人類の未来を設計するという傲慢な試みのための、第二の神殿と化していた。

『ダンジョン法整備に関する超国家合同準備委員会』。

 その、あまりにも官僚的で、そして現実味のない名前を持つ委員会には、日米中露四カ国の最高レベルの専門家たちが、再び集結していた。


 巨大な円卓を囲む彼らの顔には、初回の会議にあった“手探り”のような緊張感はない。代わりにそこにあるのは、自らがこの一ヶ月、国家の叡智を結集させて練り上げてきたロジックへの絶対的な自信と、他国の提案を容赦なく論破してでも自国の利益を最大化しようという、剥き出しの闘争心だった。


 円卓の隅、オブザーバー席には、やはり彼女がいた。ゴシック・ロリタのドレスに身を包んだKAMI。今日の彼女は、日本の最新型VRヘッドセットを装着し、バーチャル空間で壮大な城を建築しているようだった。時折、設計図通りにいかないのか、「あーもう!」という苛立った声が、VRの向こう側から微かに漏れてくる。彼女は、この人間たちの泥臭い議論には、もはや一片の興味も示していなかった。


「――では、第二回会合を始める」


 議長である日本の九条官房長官が、氷を思わせる平坦な声で、開会を宣言した。


「本日の議題は、前回積み残した最重要課題、『ギルド』の構造と役割について。国家と探索者の間に立つ、この新しい巨大組織の権限と責任範囲を明確にする。まずは、その頂点に立つ『国際公式ギルド』の権限について、皆様のご意見を伺いたい。意思決定機関は誰によって運営されるべきか。現状の四カ国による寡占体制とするか、国連のように他国の参加も認めるか」


 九条は、議論の火蓋を切るための最初の薪として、最も燃えやすい議題を投じた。彼は、四カ国の総意として、まずは寡占体制で進めたいという意向を、事務的に述べた。


 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、待ってましたとばかりに、オブザーバー席から鋭い声が飛んだ。欧州連合から派遣された、フランス人の専門家だった。


「お待ちいただきたい、九条長官! ダンジョンが四カ国にしか出現しないという現状は理解するが、だからといって、その運営の全てを四カ国だけで決定するなどという暴挙、国際社会が許容すると本気でお思いか! 国連もG7も、この不透明な決定プロセスに強い懸念を表明している! そもそも探索者になろうとする我が国の若者は、わざわざ貴国らのいずれかに出向いてライセンスを取得し、そして貴国らのルールに従わねばならんというのか! あまりにも不公平だ!」


 その、あまりにも正論な、そして感情的な抗議。

 それに、アメリカのリード次官が、やれやれといった表情で肩をすくめた。


「ムッシュ。あなたの言うことも分かります。ですが、これは四カ国の総意として言わせていただく。今はまだ、その段階ではない」


 中国のチェン副主任も、冷ややかに続けた。


「そうですな。まずはこの前代未聞のシステムを、安定稼働させることが最優先。プレイヤーを増やしすぎて、船頭多くして船山に登るという愚は避けたい」


 議論は再び、不毛な平行線を辿り始めようとしていた。

 その時だった。


「あーもう、うるさいわね! 今、内装工事のデリケートなところなんだけど!」


 VRの世界から帰還したKAMIが、心底うんざりしたという顔で、ヘッドセットを外した。全ての視線が、絶対的な権力を持つその幼い少女に注がれる。


「とりあえず四カ国。それで決まりよ」


 彼女は、こともなげに、そして絶対的な神託として告げた。


「だって、収集がつく範囲でやらないと、絶対にまずいことになるもの。あなたたち人間を見てると、よく分かるわ。……そうねえ、気が向いたら四カ国以外にも広めるかもしれないけど。でも最低でも四年くらいは、この体制で運用してみないとデータが取れないし、何も分からないわね。悪いけど、資源が欲しかったら当面は四カ国に人を派遣してダンジョンに潜る。それでよろしく」


 その、あまりにも無慈悲な、しかし反論の余地のない決定。フランス人の専門家は、顔を真っ赤にして唇を噛んだが、もはや何も言うことはできなかった。


「……はい。KAMI様、ありがとうございます」


 九条は深々と頭を下げると、何事もなかったかのように議事を進行させた。


「えー、では国際ギルドは当面、四カ国による寡占体制ということで合意形成がなされました。次に、その役割について。魔石やアイテムの国際的な買取価格の決定についてですが、これについては市場原理に委ねるべきという意見が大勢を占めております。並行世界の事例でも、武器や装備品はオークション形式で取引されているというデータもありますが、皆様いかがですかな?」


 その提案に異論は出なかった。金銭が絡む問題は、イデオロギーよりも市場という、より無慈悲で公平な神に委ねるのが最も角が立たない。


「よろしい。では価格は市場原理に。各国ギルドの運営方針は、基本として“探索者の保護と繁栄”を目的とし、国家間のトラブルの仲裁機能を持つことで合意。福利厚生については、各国ギルドの裁量に任せる。……以上で第一議題は終了とします」


 神の鶴の一声もあって、最初の議題は驚くほどの速さで片付いた。だが、本当の地獄はここからだった。


「では次の議題に入ります。『ダンジョン』の管理と法的位置づけについて。まず、その出現場所についてですが――」


 九条がそう切り出した瞬間、KAMIが再び口を挟んだ。どうやら城の建築に、少し飽きたらしい。


「あ、それ私が説明するわ」


 彼女は指先で空中に、あの並行世界の勢力図を再び投影した。


「ダンジョンの出現はランダムに近いの。でも、厳密に言うと、私が参考にした“あの現代ダンジョン世界”と、ほぼ同じ場所に、同じように出現するわ。だから日本は東京近辺に様々なランクのダンジョンが集中して、もちろん地方にも各級のダンジョンが点在する形式ね。アメリカはワシントン周辺がハブになるけど、それ以上に全米各地にダンジョンが星のように散らばってる感じ。参考にした世界では、快適なキャンピングカーで全米を旅しながら各地のダンジョンに挑むっていうライフスタイルが流行ってたわよ。ロシアと中国も、だいたい似たようなものね。だから、ゲートができるまでは移動が少し不便かもしれないけど。これは私のせいじゃないから。世界のことわりが、そうなってるの」


 そして彼女は、最も重要な情報を付け加えた。


「それと、ダンジョンの出現は拒否できません。でも心配しないで。ダンジョンはあなたたちの世界の土地を侵食するわけじゃないわ。ゲートを通って入る別の位相空間だから。実質的に物理的なスペースを取るわけじゃないの」


 その、あまりにも詳細で、そして有無を言わせぬ仕様説明。専門家たちは、ただ呆然と、その神のプレゼンテーションを聞いていた。


「……とのことです」


 九条は、その神託を事務的な言葉に翻訳した。


「では、ダンジョンは位相空間であり、出現は不可避であると。次に、その内部における法的位置づけ、治外法権について。我が国としては、ダンジョンが出現した国の法律がそのまま適用されるのが、最も混乱が少ないと考えます。将来的に皆様の国にダンジョンが出現した際のことを考えても、それが最も都合が良いかと存じますが」


 その、あまりにも現実的で、そして自国の主権を尊重する提案に、反対する国はなかった。


「では、最後の議題です。ダンジョン内の違法行為への罰則について」


 九条の声が、一段と低くなった。


「カメラによる監視で、探索者同士の戦闘や窃盗といった違法行為が発覚した場合、誰がそれを裁くのか。ギルド内の懲罰委員会か、それとも出現国の司法機関か。我が国としては、これも前項に倣い“出現国の司法機関”が管轄し、その国の法律に基づいて裁くのが筋であると考えますが」


 その提案に、初めて明確な異論が唱えられた。ロシアのコズロフだった。


「お待ちいただきたい、長官。それは、あまりにも悠長な話だ。ダンジョン内で起きた犯罪の証拠を確保し、容疑者を逮捕し、そして法廷で裁く。そのプロセスには数ヶ月、あるいは数年かかる。その間、無法者たちは野放しになる。私は、ギルドが独自の懲罰委員会を持ち、ライセンス剥奪といった、より迅速な行政処分を下す権限を持つべきだと考えます」


「ですが、それは司法権の侵害にあたりませんか?」


 アメリカのリードが懸念を示した。


「ならば、こうするのはどうだ」


 中国のチェンが折衷案を出した。


「刑事罰は出現国の司法に委ねる。だがそれとは別に、ギルドは独自のルールに基づき、ライセンスの一時停止や剥奪といった『ギルド内の処分』を下すことができる。二重の罰則体制です」


「なるほど……」


 議論がようやく、専門家会議らしくなってきた。

 その時、それまで黙っていたアメリカのリードが、最も本質的な問題を指摘した。


「ですが皆さん。その罰則規定そのものに大きなばらつきがあればどうなりますか? 例えばA国では、探索者同士の傷害事件はライセンス剥奪と懲役五年。しかしB国では、罰金と一ヶ月のライセンス停止で済む。そうなれば、犯罪傾向のある探索者たちは、こぞってB国に集まることになる。ダンジョンが“犯罪者の聖域サンクチュアリ”になってしまう」


「確かにそうだ……」


 と、コズロフも頷いた。


「ある程度の罰則の統一化は、国際的に必要不可欠ですな。特に、殺人・傷害・窃盗といった基本的な犯罪類型については、最低限の量刑基準を設けるべきだ」


「……ええ。確かにそうですね」


 九条は、そのあまりにも正しく、そしてあまりにも困難な問題提起に、深く深く頷いた。


「罰則は統一しておく。これは最重要事項として再度検討いたしましょう。詳細は、また別途、法務専門の分科会で――」


「――はい、時間切れ」


 九条の言葉を遮ったのは、VRの世界から三度帰還したKAMIだった。彼女は建築に満足したのか、ご機嫌な様子でヘッドセットを外した。


「あなたたち、話が長いのよ。もう会議の時間、終わり。お疲れ様」


 その、あまりにも一方的な閉会宣言。


 九条は立ち上がった。その顔には何の達成感もなかった。ただ、巨大な宿題のほんの数ページを、ようやくめくり終えただけの、深い深い徒労感だけがあった。


「本日決定した内容は、あくまで暫定的な合意事項です」


 彼は、この地獄の会議のお決まりの締め文句を、感情を込めずに繰り返した。


「この後、本日皆様からいただいた意見を元に、我々事務方が詳細な条文案を作成し、それを元に再び、各国の専門家を交えた分科会で再度調整を行うことになります。本日、何一つ最終決定したわけではないので、その点はご配慮をお願いします。では、解散」

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>内装工事のデリケートなところ eスポーツの左官部門……
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