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賢者の石を手に入れた在宅ワーカーだけど、神様って呼ばれてるっぽい  作者: パラレル・ゲーマー


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第81話

 その日、リリアン王国の王都ライゼンは、建国以来の、あるいは歴史上いかなる書物にも記されていないほどの、熱狂的な好景気の只中にあった。

 街を歩けば、その変化は五感の全てで感じ取ることができた。


 石畳の道の両脇には、これまで見たこともないような活気に満ちた露店が、所狭しと軒を連ねる。

 鼻腔をくすぐるのは、もはやこの街の新たな名物となった醤油の香ばしい匂い、カレーと呼ばれる万能香辛料の複雑で食欲をそそる香り、そして子供たちの心を鷲掴みにして離さないチョコレートの、悪魔的なまでの甘い香り。

 それらが古き良き王都の土と石の匂いと混じり合い、不思議な、しかし抗いがたい魅力を持つ、新しい時代の空気を醸成していた。


 耳に届くのは、様々な種族の言葉が入り混じった陽気な喧騒だ。

 ドワーフの商人たちが、地球から仕入れたという鋼鉄製のナイフの切れ味を、豪快な声で自慢している。

 猫のような耳を持つ獣人の行商人たちが、地球からもたらされたという『インスタントラーメン』なる保存食を、故郷の村への最高の土産物だと、仲間たちと笑い合っている。


「――おい、見たかよ、ギルドの掲示板! 『月光草採取』の依頼、また報酬が上がってるぞ!」

「マジかよ! これで今月は三回目の値上がりだぜ! ちょっと前まで銅貨数枚のしょっぱい仕事だったのによ!」


 王都の中央広場に面した冒険者ギルドの巨大な依頼掲示板の前では、革鎧に身を包んだ若い冒険者たちが、信じられないという顔で、羊皮紙の依頼書を食い入るように見つめていた。

 その一角で、レオと名乗る、まだ十代半ばの若い剣士もまた、自らの目を疑っていた。


 彼は三ヶ月前、一攫千金を夢見て故郷の寂れた村を飛び出してきたばかりだった。

 だが現実は甘くなく、ゴブリン退治のような日銭稼ぎの仕事で、その日の宿代を稼ぐのがやっとの日々。

 そんな彼にとって、薬草採取など、戦闘技能のない子供や老人がやる仕事だと、心のどこかで侮っていた。


 だが今は違う。

『急募! 陽だまりの苔、籠一杯につき金貨一枚!』

『高額報酬! 竜の涙と呼ばれる希少鉱石のサンプル採取、成功報酬金貨五十枚!』

 掲示板は、薬草や鉱石といった、これまで見向きもされなかった採取依頼で埋め尽くされ、そのどれもが、危険な魔物討伐に匹敵する、あるいはそれを上回る、破格の報酬を約束していた。


「……信じられねえ。薬草摘んでるだけで、騎士様より稼げる時代が来ちまうなんてよ…」

 レオの隣で、歴戦の古兵といった風情の斧使いが、呆れたように、しかしその目はどこか楽しそうに笑っていた。

「これも全部、森の奥に現れたっていう『天上の人』様のおかげってわけだ。奴ら、石ころや草っ葉を、金や宝石みてえな値段で買い取ってくれるからな。おかげで俺たちみたいな荒くれ稼業も、血生臭い仕事だけじゃなく、平和な宝探しで食っていけるようになった。…まあ、良い時代になったもんだ」


 レオはごくりと喉を鳴らした。

 そして意を決したように、掲示板に張り出された一枚の依頼書を、力強く引き剥がした。


『初心者歓迎! ベースキャンプ・フロンティア周辺での安全な薬草採取。護衛付き。日当銀貨五枚』


 銀貨五枚。

 それは三ヶ月前の彼にとっては、一週間分の生活費に相当する大金だった。

(よし、俺も行くぞ! 天上の人がいるっていう、あの森へ!)

 彼の瞳には、この黄金の時代に乗り遅れまいとする、若者らしい野心と希望の炎が、力強く燃え上がっていた。


 王都の喧騒とは隔絶されたシルヴァリオン宮殿の最奥。

 王の私的な執務室は、暖炉で静かにはぜる炎の音だけが響く、濃密な沈黙に支配されていた。


 部屋の主である老王、セリオン四世は、重厚な革張りの椅子に深く身を沈め、目の前に立つ三人の重鎮からの報告に、静かに耳を傾けていた。

 王国騎士団総長ヴァレリウス公爵。

 王国の財政を司るギデオン侯爵。

 そして、数週間前に天上の人の国への歴史的な旅から帰還した、大魔導師エルドラ。

 彼らが今議論しているのは、この国を、いやこの大陸全土を根底から揺るがしつつある、あの異質な来訪者たちのことであった。


「――では、地球からの食料を販売する計画ですが、順調です」

 最初に報告を始めたのは、財務を司るギデオン侯爵だった。

 彼の怜悧な顔には、これ以上ないほどの成功を前にした、満足の色が浮かんでいた。


「天上の人の国から輸入される、穀物、塩、砂糖、そしてチョコレートといった品々は、我が国の食文化に革命をもたらしました。当初は王都の富裕層向けの高額な嗜好品として販売しておりましたが、あまりの需要の高さと、彼らが提示する驚くほどの安価な卸値のおかげで、今や一般市民にまで広く流通し始めております。飢えに苦しむ者が減り、民の満足度は、ここ数十年で最も高い水準に達しております」


 彼は手元の羊皮紙に目を落とした。

「さらに、この食料は、我が国にとって新たな、そして極めて強力な外交カードとなりつつあります。高値で買い取りされています。今や『美味い飯を食べたいならリリアン王国に行くといい』と、大陸中に広まっております。各国の商人たちが、これらの食料を求めて王都に殺到しており、関税収入だけでも国庫は前年比で20パーセント以上の増加を見せております。全て順調です」


「うむうむ、それならよい」

 セリオン王は満足げに深く頷いた。

 民が満たされ、国が富む。為政者として、これに勝る喜びはない。

「天上の人たちが買い上げる薬草や鉱石の方も、同様か?」


「はい」

 とギデオンは答えた。

「冒険者ギルドでは相場が上がり、薬草採取の依頼が増えていたことで、これまで日の目を見なかった採取専門の冒険者たちが、にわかに活気づいております。彼らがもたらす富は、ギルドを通じて酒場や武具屋へと流れ、王都全体の経済を、力強く押し上げております。まさに黄金の循環です」


 その、あまりにも完璧な報告。

 だが、ギデオンはそこで一度言葉を切った。

 その顔に、初めてかすかな懸念の色が浮かんだ。


「…ただし?」

 王が鋭く、その変化を捉えた。


「はい。ただし、他国も天上の人々に接触しようとする動きがあります」

 今度は、騎士団総長のヴァレリウスが、重々しい声で報告を引き継いだ。

「我が国の密偵が掴んだ情報によりますと、北のガルニア帝国、西の商業都市連合、いずれも我が国と同様に、天上の人がいるという森へ、密かに調査隊を派遣している模様。彼らもまた、天上の人がもたらす富と力を、喉から手が出るほど欲しているのです」


 その報告に、セリオン王は眉をひそめた。

「…して、その成果は?」


「今のところ、いずれも失敗に終わっております」

 とヴァレリウスは、どこか安堵したように答えた。

「まあ、他国は交渉材料がないから、そこまで大きな動きになると思えませんが…。彼らは、天上の人が築いたという鉄の砦の見えざる魔法の壁に阻まれ、近づくことさえできずに追い返されているようです。天上の人たちは、どうやら我らリリアン王国以外の者とは、今のところ対話するつもりはないらしく…」


 その言葉にギデオンが補足した。

「おそらくは、我らが提示した『若返りのポーション』という、彼らにとっても抗いがたい魅力を持つ交渉材料があったからでしょうな。他の国々には、それほどの切り札はありますまい。しばらくは、我が国の独占的な地位は揺るがぬかと」


 その楽観的な見通し。

 それに、静かに、しかし決定的な釘を刺したのは、大魔導師エルドラだった。

 彼女は、それまで黙って議論を聞いていたが、ゆっくりとその翠色の瞳を上げた。


「……いえ。一つだけ例外がおりますぞ」


 その一言に、部屋の空気が再び緊張を取り戻した。

「あと、私エルドラの故郷、エルフの森も興味を示していますね」


 エルドラは懐から、一枚の、木の葉を漉いて作られたかのような美しい便箋を取り出した。

 そこには、流れるような優雅な文字が、古代エルフ語で記されている。


「先日、わらわの同胞よりこれが届きました。彼らもまた、天上の人の出現を、その超感覚的な知覚で察知しておるようです」


「目的は?」

 王が短く問うた。


「私にも、探るような文が来てますが…」

 とエルドラは便箋に目を落とした。

「『古き森は、その根を通して、世界の理に生じた微かなる揺らぎを観測している。東の森に現れしは、星の海より来たりし客人か、あるいは世界の調和を乱す不協和音か。賢者エルドラよ、汝がその目で見た真実を我らに語れ』と」


 その、あまりにも詩的で、そしてあまりにも傲慢な物言い。

 ヴァレリウスが、思わず苦々しげに呟いた。

「…相変わらず、持って回った言い方をする連中だ。要は、天上の人が自分たちエルフに脅威か、見極めたいのではということだろう」


「おそらくは」

 とエルドラは静かに頷いた。

「彼らは、この星の誰よりも古く、そして、誰よりも自然との調和を重んじる種族。マナの流れを乱し、森を傷つける存在を、何よりも憎む。天上の人の『科学』が、彼らの目にどう映るか…」


「天上の人は、エルフに害するとは思えませんが…」

 とエルドラは続けた。

「わらわが見た限り、彼らは自然を破壊するのではなく、むしろその理を解き明かし、共存しようとしているように見えました。じゃが、エルフたちは頑固で、そして疑り深い。彼らが一度『敵』と見なせば、その力は我が国の騎士団をもってしても、容易には止められませぬ」


 その言葉が意味する最悪のシナリオ。

 リリアン王国と天上の人の同盟。

 そしてそれに敵対するエルフの森。

 この大陸のパワーバランスを根底から覆す、三つ巴の戦争の可能性。

 執務室は、重い沈黙に包まれた。


「……後々問題になると困るぞ」

 長い沈黙の後、セリオン王が、まるで自分自身に言い聞かせるように呟いた。

「エルフたちと天上の人が、我らの知らぬところで接触し、万が一にも敵対関係になることだけは避けねばならん。あるいはもっと悪い。彼らが我らを抜きにして、独自の同盟を結んでしまう可能性さえある。そうなれば、我が国は完全に孤立する」


 彼は、玉座の王としての冷徹な決断を下した。

「一度、エルフの森と会談するべきか?」

 彼はエルドラに、そして二人の側近に問いかけた。

「我らが仲介役となり、天上の人とエルフの賢者たちとの三者会談の場を設ける。それしか道はあるまい。皆の意見はどうじゃ?」


「そうですね。その方がよろしいかと…」

 ギデオンが即座に同意した。

「彼らが敵になるのも、我らを出し抜く競争相手になるのも、どちらも避けたい。ならば、我々の管理下で、友好的な対話のテーブルに着かせるのが、最も賢明な策です」


 ヴァレリウスもまた、渋々といった体だったが頷いた。

「…致し方ありますまい。敵の正体を知るには、懐に引き入れるのが一番。監視下に置けるという点では、その策に賛成いたします」


「よし。決まりだ」

 セリオン王は立ち上がった。

 その老いた身体には、再び一国の命運を背負う王としての、不屈の闘志が漲っていた。

「エルドラよ。お主の肩には、またしても重い荷を背負わせることになるが、頼めるか。お主の同胞たちに、そして天上の人の代表である九条殿に、この三者会談の開催を正式に申し入れてくれ」


 彼は窓の外に広がる、自らが愛する王都の夜景を見つめた。

「場所は、もちろんこの王都ライゼン。我らが二つの偉大なる文明の架け橋となるのだ。これ以上の名誉があろうか」


 その言葉に、エルドラは深く、そして優雅に頭を下げた。

「――陛下の御心のままに」


 その日、リリアン王国は、歴史の操り人形であることをやめ、自らの意思で歴史を操るプレイヤーとなることを決意した。

 科学と魔法、そして自然。

 三つの、全く異なることわりが、今、一つのテーブルを囲もうとしている。


 その会談が、この世界に、そして地球という星に、何をもたらすのか。

 それはもはや、神でさえも予測のできない、新しい物語の始まりだった。


 老王セリオンは、その混沌の始まりを、静かな、しかし確かな興奮と共に見つめていた。

 彼の、王として、そして一人の男としての人生最大の賭けが、今まさに始まろうとしていた。

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