第80話
「――では、定刻となりましたので、第六回・四カ国定例首脳会議を始めます」
議長役である日本の九条官房長官が、感情の温度を一切感じさせない声で、開会を宣言した。
今日の彼は、本体と分身、二つの身体でこの会議に臨んでいる。一つは議長として会議を進行させ、もう一つは書記として、全てのやり取りを完璧に記録・分析するために。
「本日の議題は、各国における『ゲート構想』の進捗状況の共有、及び、それによって生じている諸問題への対策についてです。…では、まず、先日の歴史的な公開実証実験を成功させた、我が国・日本より現状を報告いたします」
九条の隣に座る沢村総理が、深く、深いため息をつきながら、マイクのスイッチを入れた。
彼の顔には、実験成功の昂揚感など微塵もなかった。あるのは、成功したが故にその身に降りかかっている、地獄のような苦悩の色だけだった。
「えー、皆様ご存知の通り、我が国でのゲート実証実験は、幸いにも大成功に終わりました。国民は熱狂し、ゲートがもたらす輝かしい未来への期待は、今や沸点に達しております。…ですが」
沢村の声が、急に弱々しくなった。
「ですが、正直に申し上げて、その後が地獄です。えー、ゲート実証実験成功で、日本ではゲート構想の議論が、文字通り爆発しておりまして…」
彼は、まるでカウンセラーに悩みを打ち明けるかのように、その惨状を語り始めた。
「『我が町にゲートを!』という陳情書が、一日数万件のペースで官邸に殺到しております。先日などは、二つの隣接する市が、互いに『我が市の駅こそが新ゲートの玄関口にふさわしい!』と主張しあい、市議会レベルで互いを非難する決議案を可決する始末。もはや、国民総出の椅子取りゲーム。調整役の我々は、正直もう胃がいくつあっても足りません…」
その、あまりにも人間臭く、そして情けない日本のトップの告白。
それに、モニターの向こうのアメリカのトンプソン大統領が、深く、深く頷いた。
『……総理。お気持ちは痛いほど分かる。アメリカも同じく、議論が爆発してる…』
彼は頭を抱えた。
『我が国では州同士の誘致合戦が、もはや内戦前夜の様相を呈している。先日などは、テキサス州知事が『もし我が州の要求が通らないのであれば、連邦政府からの独立も辞さない』などとテレビで公言する始末だ。冗談であってほしいが、彼の目は本気だった。ゲート一つで、合衆国が分裂しかねんのだ。全く笑い事ではない』
その、民主主義国家のリーダーたちの、あまりにも似通った苦悩。
それをどこか冷めた目で見つめていた北京の王将軍が、静かに、しかし明確な侮蔑の色を声に滲ませて言った。
「……ふん。ロシアと中国も同じく…いや、うちはまだまだ先なのに、議論が爆発しちゃってるのがなぁ。嘆かわしいことですな。民衆というものは、少しばかり甘い夢を見せると、すぐにこうも理性を失い、際限なく要求を始める」
彼は隣のモニターに映るモスクワのヴォルコフ将軍と視線を交わした。
「我が国でも同様の兆候は見られます。インターネット上の一部で、『なぜ我が省にはゲートが来ないのか』といった不満の声が上がり始めている。もちろん、そのような不穏な言論は、国家の安定を揺るがす害虫として、即座に『清掃』しておりますがね。国内統制を強めたいですね、」
ヴォルコフ将軍も、重々しく頷いた。
「大統領と主席は議論するくらいなら良いでしょ、と放置気味ですが、日本の狂騒が伝播してるのは、なんとかして欲しいですなぁ。我が国の民が、西側の無秩序な『自由』に毒されるのは、看過できん」
その、独裁国家と民主主義国家の根本的な価値観の違い。
だが、彼らが共有している一つの苛立ちがあった。
「それに」
と王将軍が続けた。
「すでに4カ国以外にも、ゲートを設置するべきじゃないか? と議論されてるぐらいですし、収集がつかなくなるのではと注視してますね。特にヨーロッパの連中がうるさい。『EUの結束のため、ブリュッセルとベルリン、パリを結ぶ基幹ゲートを優先すべきだ』などと勝手なことを。収集がつかなくなる」
その言葉に、四人の男たちは、初めて一つの共通の溜息をついた。
そうだ。自分たちの足元が燃えているというのに、外野はどこまでも無責任で、そして要求がましい。
その、あまりにも不毛で、そして人間臭い議論の真っ只中に。
それは、いつものように唐突に割り込んできた。
円卓の中央、ホログラムの地球儀が静かに回転するそのすぐ隣に、ゴシック・ロリタ姿の少女が、退屈そうな顔でポップアップした。
手には、日本の最新アニメのキャラクターが描かれた、可愛らしいクッションを抱えている。
「なあに? また面倒なことで揉めてるの?」
その声に、四カ国の支店長たちは、一斉に背筋を伸ばした。
オーナーの抜き打ち査察だ。
「KAMI様…」
沢村が代表して、おずおずと口を開いた。
「いえ、これはその…」
「はいはい、分かってるわよ」
KAMIは、その説明を手のひらで制した。
「4カ国以外ねぇ。治安問題もあるし、早すぎですよねー」
彼女は、こともなげに、そして絶対的な決定権を持つ者の口調で言った。
「そんなの却下よ、却下。あなたたち四カ国でさえ、まだルール作りでこんなに揉めてるのに。これ以上プレイヤーを増やしたら、ゲームが成り立たないじゃない。それに、セキュリティの問題がクリアできるまで、ゲートを無制限に広げるつもりはないわ。テロリストが、ぽんぽんワープできるようになったら、面倒でしょ?」
その、あまりにも明快な、そして彼らが心の底から望んでいた神託。
四人の男たちの顔に、安堵の色が浮かんだ。
「おお…!」
と沢村が思わず声を上げた。
「KAMIのお言葉、ぜひ他の国に伝えておきます! これで少しは彼らも黙るでしょう!」
彼は、神の威を借りて、面倒な外交問題を一刀両断できるという事実に、純粋な喜びを感じていた。中間管理職の、ささやかな処世術だった。
「まあ、そんなことはどうでもいいのよ」
KAMIは、もうその話題に興味を失ったとばかりに、抱えていたクッションを、ぽいとホログラムの地球儀の上に放り投げた。
クッションは地球儀を静かにすり抜けて、床に落ちた。
「それより、あなたたちにもっと大事な話があって来たの」
彼女の赤い瞳が、初めて真剣な光を宿した。
「あなたたち、最近、因果律改変能力者の育成を始めたでしょ? アメリカも、中国も、ロシアも、そして日本も。でも、その力の評価基準がバラバラじゃない。これじゃ、後々、絶対に面倒なことになるわ」
彼女は、まるで新しい社内規定でも発表するかのように言った。
「だから、因果律改変能力者の分類をしたいわね」
そして彼女は、まるでどこかの大学教授が最新の研究成果を披露するかのように、少しだけ楽しそうに、そしてどこまでも傲慢に語り始めた。
「実はこの前、並行世界の現代に行ってきたのよ。そこはこの世界と違って、もっと早くから因果律改変能力が広まってる世界だったわ。でね、そこで使われてた能力測定の基準が、すごく分かりやすくて合理的だったから。ちょっと丸写しだけど、この世界でも導入することにしたわ」
彼女は指を、ぱちんと鳴らした。
円卓の中央に、荘厳なゴシック体の文字で書かれた一枚の巨大なリストが、ホログラムとなって浮かび上がる。
そのタイトルは、この世界の全ての力関係を永遠に定義づける、絶対的なものだった。
【公式・因果律改変能力者・脅威レベル分類】
「これからは、全ての能力者をこの7段階の『ティアー』で分類し、管理するわ。良いこと? よく聞きなさい。これがあなたたちの世界の新しい物差しよ」
Tier 0:『規格外』
定義:この世界の「物理法則」や「因果律」そのものを、自らの「意志」の下に書き換える、あるいは無効化することのできる「概念干渉型」の能力者。彼らは、もはや個人ではなく、「歩く自然災害」あるいは「神」として分類される。
Tier 1:『国家戦略級』
定義:『理』を書き換えることはできないが、その理の中で許された全ての力と技とを極め尽くした、究極の「武人」あるいは「達人」。一個人の戦闘能力は一つの軍隊に匹敵し、国家間のパワーバランスを単独で左右しうる存在。
Tier 2:『特殊作戦級』
定義:Tier1ほどの圧倒的な単独での戦闘能力は持たないが、極めて専門的で少しトリッキーな能力をもって、戦局を限定的な範囲において支配することのできるエリート兵士。彼らは、チームとして機能した時に真価を発揮する。
Tier 3:『戦術級』
定義:一般兵士やエージェントとして採用される、標準的で最も数の多い能力者たち。彼らの能力は、小規模な戦闘の勝敗を左右することはできるが、それ以上の戦略的な影響を及ぼすことはない。
Tier 4:『潜在的脅威』
定義:自らの力に目覚めてしまった無数の「素人」能力者たち。彼らの力は実に微弱で、少し不安定である。だが、その数と予測不可能性とにおいて、組織にとっては最も頭の痛い管理対象。
該当者:スプーンを曲げるだけの少年、自分の髪の色を変えることのできる少女、天気をほんの少しだけ晴れに傾けることのできる主婦、など。
Tier 5:『原石』
定義:まだ能力が覚醒してはいないが、内に因果律への適性を秘めているとセンサーによって判定された一般市民。彼らは全ての組織にとって最も貴重な資源であり、スカウトの対象である。
該当者:全世界の人口のおよそ0.01パーセント。
Tier 6:『可能性』
対象:Tier5以上のいかなる力の兆候も見られない、全ての“普通”の人間たち。
定義:彼らは因果律を直接操作する力は持たないが、彼らこそがこの世界そのものを形作り、物語を紡ぎ出す本当の主役である。
彼らの「信仰」が聖女を生み出す。
彼らの「願い」が英雄を支える。
彼らの「日常」が神々をこの大地に繋ぎ止める。
彼らの「声援」が観客として、神々の戦いを意味のあるショーへと昇華させる。
そして彼らの中には、明日、新たなるTier5として覚醒する“原石”が眠っている。
そう、彼らこそがこの星の全ての奇跡の源泉であり、無限の可能性そのものなのである。
その、あまりにも壮大で、そしてどこまでも冷徹な分類表。
四カ国の指導者たちは、声も出せずに、ただそのホログラムの文字を、食い入るように見つめていた。
それは単なる脅威レベルの分類ではなかった。
神が人間という種そのものに与えた、新しいカースト制度。
そのものだった。
そして、その最後の『Tier 6』の、あまりにも詩的で、そしてあまりにも残酷な定義。
それは、彼ら権力者でさえ、結局はその他大勢の「観客」の存在なくしては成り立たないのだという、神からの静かな、しかし絶対的な警告のようにも聞こえた。
「これを、この世界でも導入したわ。分かりやすいしね」
KAMIは説明を終えると、満足げに言った。
そして、まるで成績発表でもするかのように、現在の主要人物たちのランク付けを、あっさりと口にした。
「うーん、教皇とロシア大統領はTier3って所かしら。イスラム指導者達は、みんなで力を合わせたから、ちょっと割り引いて3.5って所ね。その他、今教育中の子達はTier4ね。まあ、補助輪ありだけど」
Tier 3。
あの世界を震撼させた奇跡を起こした教皇が。
神を目指すと豪語する、不死身の皇帝が。
この定義によれば、ただの「戦術級」の兵士に過ぎない。
その、あまりにも厳しい、しかし絶対的な評価。
モニターの向こうで、ヴォルコフ将軍の顔が、屈辱に歪むのが見えた。
「あっ、私はTier0よ」
KAMIは当然でしょ、とばかりに付け加えた。
そして彼女は、まるで新しいゲームの目標でも設定するかのように、にこりと無邪気に、そして最高に不吉な言葉を口にした。
「Tier0が増えると良いわね」
その一言が、この会議の、そして世界の全ての意味を決定づけた。
軍拡競争ではない。
経済戦争でもない。
この星で今まさに始まったゲームの本当の名前。
それは『神』を創造するためのレース。
誰が最初にTier 0へと至るのか。
その、あまりにも傲慢で、そしてあまりにも魅力的な競争のゴングが、今まさに鳴らされたのだ。
四カ国の指導者たちは、もはや何も言うことができなかった。
ただ、自らの国の運命と、そして人類の未来が、この、あまりにもシンプルで、そしてあまりにも残酷な七段階の階梯によって、完全に支配されてしまったという、その事実の重みを噛み締めることしかできなかった。
彼らの眠らない戦いは、またしても新たな、そしてより明確なゴール(あるいは地獄)へと向かって、その駒を進めることになったのだった。




