表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
賢者の石を手に入れた在宅ワーカーだけど、神様って呼ばれてるっぽい  作者: パラレル・ゲーマー


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

69/194

第66話

 奇跡の三分間が過ぎ去った後も、世界はまだその静かなる衝撃の余韻に浸っていた。

 世界中のSNSは、#MiracleOfManna のハッシュタグと共に投稿された何億もの「聖なる食事」の写真で埋め尽くされ、そのサーバーは、人類の歴史上最も幸福な、そして最も負荷の高い悲鳴を上げていた。

 人々は、まだ夢見心地だった。自分たちの身に起きた、あまりにも個人的で、そしてあまりにも普遍的な奇跡の意味を、完全には理解できずにいた。

 その答えが、全ての始まりの地、ジュネーブから全世界に向けて発信されたのは、奇跡の顕現からちょうど三十分後のことだった。

 場所は、国連欧州本部プレスの間。

 数時間前、指導者たちが歴史的な合意形成を行ったあの円卓の会議室とは比べ物にならないほど巨大なホール。そこには、この歴史的瞬間を一秒でも早く世界に伝えようと、数千人のジャーナリストたちがもはや飽和状態となって犇めき合っていた。

 彼らの誰もが、同じ疑問を抱いていた。

 一体何が起きたのか。

 そして、これから世界はどうなるのか。


 やがて、壇上の重い扉が静かに開かれた。

 そして、そこに姿を現した指導者たちの姿を見て、会場に集った百戦錬磨の記者たちは、一斉に息を呑んだ。

 彼らが違った。

 数時間前、この同じジュネーブの地で、互いに不信と敵意のオーラを剥き出しにしていたあの政治家たちの姿は、そこにはなかった。

 壇上に並び立つサルマン国王、ハーメネイー師、アズハル総長、そしてトルコ、インドネシア、パキスタンの指導者たち。その顔には、もはや政治家としての険しさはない。 長年の宿敵同士であるはずのサルマン国王とハーメネイー師は、互いに視線を交わし、穏やかに、そして深く頷き合っていた。

 彼らの全身から放たれているのは、ただ神の御業を間近に目撃した者だけが持つ、穏やかで揺るぎない確信と、そして全てを赦し、全てを包み込むかのような慈愛に満ちた輝きだった。まるで、千年の長きにわたる宗派間の対立が、たったこの一時間で完全に雪解けしてしまったかのようだった。

 彼らは、もはや単なる国家の指導者ではない。同じ奇跡を共有し、同じ使命感をその身に宿した「聖人」たちの集団だった。


 そのあまりにも神々しい光景に、会場は水を打ったように静まり返った。

 壇上の中央、マイクの前に立ったのは、スンニ派の最高学術権威、アズハル・グランドイマームだった。彼はまず、この奇跡の神学的な意味合いを、全世界に向けて厳粛に、そして感動的に語り始めた。

「全世界の兄弟姉妹よ。そして、我らの声に耳を傾けてくださる全ての人々よ」

 その老いた、しかしどこまでも澄み切った声が、ホールと、そして全世界に響き渡った。

「本日、我々は歴史の目撃者となりました。いや違う。我々は、歴史の参加者となったのです。我らが信じる唯一なる神が、その大いなる慈悲の御業を、全世界の信徒の上にもたらされた、その奇跡の」

 彼はそこで一度、天を仰いだ。その瞳には、深い感動の涙が浮かんでいる。

「だが、誤解してはならない。この奇跡は、天から一方的に与えられたものではない。我々を哀れんで施されたものでもない。これは、我々自身の力で勝ち取ったものなのです」

 その言葉に、会場がわずかにどよめいた。

「我々は本日、日本の友と、その背後にいる『天使』KAMIの導きによって、一つの大いなる真理にたどり着きました。それは、我らイスラムの民が、宗派や国家や民族の違いを超え、ただ一つの『ウンマ(共同体)』として心を一つにして祈る時、その集合的な祈りの力そのものが、この世界のことわりさえも動かす巨大な力となるという真理です」

 彼は、きっぱりと宣言した。

「本日起きた奇跡は、KAMIという『天使』の導きによって、我々イスラム教徒自身の集合的な祈りの力が引き起こしたものなのです! 我々自身の信仰が、この世界の飢餓を終わらせたのです!」


 そのあまりにも力強く、そして人々を熱狂させるに十分な革命的な宣言。

 奇跡は、誰かから与えられたものではない。我々自身が起こしたのだ。

 その一言が、全世界二十億のイスラム教徒の心に、これ以上ないほどの誇りと、そして一体感を植え付けた。

 我々は選ばれた。そして、我々には世界を変える力があるのだと。


 アズハル総長が奇跡の「正当性」を神学的に定義した後。

 次にマイクの前に立ったのは、スンニ派の政治的盟主、サウジアラビアのサルマン国王だった。彼は、この奇跡が具体的に人々の生活を、そして世界のあり方をどう変えるのか。そのルールを、国王としての絶対的な威厳をもって、全世界に向けて力強く布告した。

「聞け、全世界の民よ! 我が同胞、アズハル総長が述べた通り、神は我々の祈りに応えられた! 本日より、飢餓は我らの世界から完全に撲滅された!」

 そのあまりにも壮大な宣言に、プレスの間は熱狂の渦に包まれた。

「これより、神は汝らの敬虔なる祈りに応え、日々の糧『マーンナ』をお与えになるであろう! それは、汝らがこれまで口にしたいかなるご馳走にも勝る、最高の味と完璧な栄養を持つ、天からの食事である!」

 彼はそこで一度、会場を睥睨した。そして、最も重要な、この奇跡の「制約」を世界に叩きつけた。

「ただし、心して聞くが良い! この聖なる糧は、神から汝一人一人の魂に直接与えられる賜物である。 それは、汝の生命を繋ぎ、その信仰を深めるための聖なる糧だ。故に、これを己の富を増やすための道具として蓄え、あるいは市場で売りさばこうとする一切の不敬なる行いは、神によって固く、固く禁じられている! もし、そのようなよこしまな心を抱く者がいれば、その者の前には二度と奇跡は現れぬであろう!」

 その厳しい、しかしどこまでも公平なルール。

「マーンナは、売ることも蓄えることもできぬ。ただ、汝自身が神への感謝と共にその日のうちに食し、あるいは汝の隣にいる飢えたる者と無償で分かち合うことのみが許されるのだ!」

 その一言は、この奇跡が資本主義の論理とは全く異なる、愛と共有の精神に基づいたものであることを、全世界に知らしめた。それは、あまりにも美しく、そしてあまりにも巧みなメッセージ戦略だった。


 そして最後に壇上に立ったのは、イランの最高指導者、ハーメネイー師だった。彼はこれまで、西側諸国と、そしてスンニ派世界と常に対立の最前線に立ってきた革命の指導者。その彼が、この奇跡の持つ革命的な政治的意味を、その鋭い瞳で全世界に叩きつけるように語り始めた。

「聞け、世界の同胞よ! そして、これまで我々を力で、経済で支配してきた者たちよ!」

 その声は静かだったが、地鳴りのような凄まじい圧力を秘めていた。

「この奇跡が何を意味するか、理解できるか? 我々はもはや、食糧を武器としたいかなる国の、いかなる圧力にも屈しない! これまで、世界の穀物市場を牛耳り、その価格操作によって我々の兄弟姉妹を飢えさせてきた者たちの、その支配の時代は終わったのだ!」

 彼は、カメラのレンズのさらに向こう側、全世界の貧しく虐げられてきた全ての人々に向かって、力強く呼びかけた。

「神の恩恵によって、我々は真の独立を勝ち取ったのだ! これこそが、真の信仰がもたらす真の救済である! 見よ! 神は、宮殿に住まう権力者や市場を弄ぶ富豪ではなく、貧しく飢え、しかし日々誠実に祈りを捧げる名もなき者たちの、その声にこそ耳を傾けてくださるのだ! この真実の前に、富も軍事力も何の意味があるというのか!」

 それは、もはや単なる宗教的なメッセージではなかった。

 既存の世界秩序に対する、明確な、そして神の権威を背景とした宣戦布告だった。


 そのあまりにも完璧に演出された、歴史的な共同記者会見。

 その生中継を、官邸の地下司令室で見守っていた沢村と九条は、そのあまりの見事なメッセージ戦略に、ただ戦慄していた。

「…………やられたな、九条君」

 沢村が、かすれた声で言った。

「ええ。完敗です」と、九条はその鉄仮面の下で唇を噛んだ。「彼らは、この奇跡を単なる超常現象ではなく、自分たちの信仰の偉大さと政治的正当性を証明するための完璧な『物語』として、世界に提示してみせた。我々は、もはやただの舞台装置だ。彼らの壮大な物語の冒頭で、少しだけ出番があった、ただの脇役に過ぎません」


 ホワイトハウスでは、トンプソン大統領が農務長官と財務長官からの、恐慌にも似た緊急報告に頭を抱えていた。

「大統領! シカゴの穀物市場がパニックに陥っております! 小麦、トウモロコシ、大豆、全ての先物価格が取引開始と同時にストップ安! 世界の人口の四分の一を占める我が国の最大の輸出市場が、事実上一夜にして消滅いたしました!」

「それだけではありません!」と、財務長官が続く。「この奇跡が貧困層に限定された『救済』であると受け止められた結果、これまで途上国支援に回されていた世界中のオイルマネーや慈善団体の資金が、一斉に引き上げられています! 世界の金融システムは、かつてないほどの不確実性の時代に突入しました!」

 トンプソンは、天を仰いだ。自分がこれまで築き上げてきた、ドルと軍事力と、そして食糧を三本の柱とする世界戦略が、根底から崩壊していく音が聞こえるようだった。


 北京とモスクワは、沈黙している。

 中南海の執務室で、二人の習近平は、ただ静かにその記者会見の録画を繰り返し、繰り返し分析していた。

「……見事なものだ」と、片方が言った。「彼らは、我々が数十年かけても成し得なかったイスラム世界の精神的な統一を、たった一日で成し遂げてしまった」

「うむ」と、もう片方が答えた。「そして、その結束は、我々がこれまで利用してきた経済的な繋がりや軍事的な同盟よりも、遥かに強固だ。信仰によって結ばれているのだからな」

 彼らは、敵のそのあまりの見事な手腕に賞賛を送っていた。そして、同時に冷静に次の手を分析していた。

 彼らは、軍事力でも経済力でもない、全く新しい種類の、そして制御不能なパワーブロックが世界の中心に出現したという事実を、誰よりも早く、そして正確に分析していた。

 これから、世界はどう動くのか。

 この新たなる『神聖帝国』と、どう向き合うべきなのか。

 彼らの眠らない脳は、既に数十年先を見据えた、新たな、そしてより壮大な世界戦略の構築を始めていた。


 世界は、変わった。

 血は、流れなかった。

 だが、水面下で、世界の権力構造は、地殻変動と呼ぶにふさわしい劇的な、そして不可逆的な変化を遂げたのだ。

 その全ての引き金を引いた哀れな中間管理職たちは、その事実の重さに、ただ為すすべもなく打ちのめされていることなど、誰も知る由もなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
イスラム教徒貧富関係なく漏れなく自己家畜化って、この後どう言う展開にするのか楽しみ
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ