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賢者の石を手に入れた在宅ワーカーだけど、神様って呼ばれてるっぽい  作者: パラレル・ゲーマー


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第57話

 その頃、世界の喧騒の中心から最も遠く、そして最も安全な場所で、一人の男が静かな狂気に身を焦がしていた。

 場所は、黒海沿岸に位置するロシア連邦大統領の私的な別荘ダーチャ。公には、その存在さえ明らかにされていない、鉄壁の要塞。周囲の広大な森林はFSB(連邦保安庁)の特殊部隊によって二十四時間体制で封鎖され、上空はS-500防空システムが、一粒の塵の侵入さえ許さぬと睨みを利かせている。

 そのダーチャの最も奥深く、床から天井までが一枚の防弾ガラスで覆われた広大な執務室。片方のウラジーミル・プーチンは、モスクワのクレムリンと結ばれた最高機密のビデオ会議システムを通じて、山積する国家の業務を、いつもと変わらぬ冷徹さで処理し続けていた。

 だが、もう一方のプーチンは、違った。

 彼は、執務机の前に座ってはいたが、その氷のような瞳が見つめているのは、国家機密の報告書ではなかった。

 目の前の巨大なホログラムモニターに、繰り返し、繰り返し、再生されている映像。

 数週間前、バチカンのサン・ピエトロ広場で起きた、あの歴史的な「奇跡」の記録だった。


『――光よ、あれ』


 老いた教皇が、か細い、しかし揺るぎない声でそう告げると、その掌に、太陽のように眩い光が生まれる。その光が、天へと昇り、広場を埋め尽くした百万の群衆を、慈愛の光で照らし出す。歓喜、涙、そして祈り。

 その光景を、プーチンは、もう何度見たか分からなかった。

 彼の分身の一人が、執務を終え、静かに彼の背後に立った。

「……大統領。また、あれをご覧になっておられるのですか」

「ああ」と、モニターを見つめる方のプーチンは、視線を逸らさずに答えた。「美しい光景だとは思わんかね、我が半身よ。たった一つの奇跡が、百万の心を、一つの方向へと完全に支配する。これこそ、権力の、最も純粋な形だ」

 彼は、映像を一時停止させた。教皇の掌に、光が生まれた、まさにその瞬間。

「……しかし、解せん」

 彼の声に、初めて、剥き出しの苛立ちが滲んだ。「あの老人が、できたのだ。二千年前に死んだ男の言葉を信じているだけの、あの老いぼれが。ならば、なぜ、私にできん? 神から直接、不死の力を授かり、その分身の術を、既に完全に使いこなしている、この私に」


 その問いに、もう一人のプーチンは答えない。なぜなら、その問いは、彼自身の問いでもあったからだ。

 あの日、日本の官房長官、九条から、この奇跡がKAMIによって「伝授」されたものであると聞かされた瞬間から。プーチンの心の中には、一つの、燃え盛るような感情が宿っていた。

 それは、嫉妬。

 そして、それを遥かに上回る、絶対的な自負心。

 ローマ教皇に出来たのなら、自分に出来ないはずがない。

 その、強固で、そして揺るぎない自我。それこそが、ウラジーミル・プーチンという人間を、ここまでの地位へと押し上げた、力の源泉だった。


「……実験を、続けるぞ」

 彼は、ホログラムを消すと、椅子から立ち上がった。

 その頃、プーチン大統領は、独自に奇跡を使えないかと実験していた。 彼は、この数日間、執務の合間を縫って、たった一人で、この孤独な挑戦を続けていたのだ。

 彼は、執務室の隣にある、柔道の道場としても使える、広大なトレーニングルームへと向かった。そこには、彼の他に誰もいない。ただ、もう一人の自分だけが、壁際に静かに佇み、その実験の証人となっている。


 彼は、部屋の中央に立つと、目を閉じて、精神を集中させた。

 脳裏に、あの映像を焼き付ける。教皇が、右手を掲げる、あの姿を。

 そして、彼は、ゆっくりと右手を天に掲げた。

 心の中で、あの言葉を反芻する。

 光よ、あれ。

 光よ、あれ。

 光よ、あれ!

「――光あれ!」

 静寂を破り、彼の力強い声が、道場に響き渡った。

 だが、何も起きない。

 彼の掌の上には、権力者のそれとしてよく手入れされた、皺の刻まれた皮膚があるだけだった。

「……くそっ」

 悪態が、口をついて出る。

 何が違う? 信念か? 信仰心か? 馬鹿馬鹿しい。私は、私自身以外の何も信じん。

 あるいは、才能か? あの老人には、聖職者としての、特別な素養があったとでもいうのか?

 いや、違う。

 彼は、かぶりを振った。

 これは、才能や信仰の問題ではない。KAMIの言葉を借りるなら、これは『因果律改変能力』。世界の法則を書き換える、一種の『技術』のはずだ。ならば、そこには必ず、論理的な手順と、守るべき法則があるはずだ。

 彼は、もう一度、目を閉じた。

 そして、思考の海へと、深く、深く潜っていった。

『自分はできると思い込む』。日本の報告書には、そう記されていた。

 だが、その『思い込む』という行為が、これほどまでに難しいとは。

 彼は、人生の全てを、疑うことで生き抜いてきた男だった。他人を、情報を、そして時には自分自身さえも。その彼が、どうやって、何の根拠もなく、「光は生まれる」と、100%の純度で信じきることができるというのか。

(……違う。発想が、違うのだ)

 数時間の、瞑想にも似た深い思索の果てに。

 彼は、一つの答えに、たどり着いた。

 信じるのではない。

 決定するのだ。

 光が生まれることを、信じるのではない。光が生まれるという『未来』を、この世界の、確定した事実として、自分が『観測』し、『決定』するのだ。

 それは、神の視点。

 世界の運命を、自らの意思で紡ぎ出す、絶対者の思考。

 彼は、再び、ゆっくりと目を開けた。

 その瞳には、もはや焦りの色はない。ただ、凍てつくような、絶対的な確信だけが宿っていた。

 彼は、右手を掲げた。

 そして、静かに、しかし、世界そのものに命じるかのように、告げた。

「――光は、在る」


 その言葉が、発せられた、その瞬間。

 彼の掌の上に。

 ぽっ、と。

 小さな、本当に小さな、針の先ほどの、か弱い光が、生まれた。

 それは、一瞬で消えてしまいそうなほど、頼りない光だった。

 だが、それは、確かに、そこに存在していた。

 ウラジーミル・プーチンという一個人の意思が、この宇宙の物理法則を捻じ曲げ、無から有を生み出した、その最初の証拠だった。


「…………おお」

 彼は、自分の掌の上で、か弱く明滅する光を、呆然と見つめた。

 そして、次の瞬間。

 彼の口から、ここ数十年、誰も聞いたことのないような、純粋な、そして子供のような歓喜の声が、ほとばしり出た。

「ハハハ! やったぞ!」

 彼は、もう一人の自分を振り返り、少年のようにはしゃいだ。「見たか、我が半身よ! 光だ! 私が、光を、生み出したぞ!」

 数日の努力が、ついに実を結んだ。光を呼び出すことに成功したのだ。 その達成感は、大統領選挙に勝利した時とも、地政学的なゲームで宿敵を打ち負かした時とも、全く異なる、根源的な喜びだった。


 その、人間的な、そして無防備な歓喜の瞬間に、それは、唐突に現れた。

 道場の隅の、何もない空間に、すぅっと、あのゴシック・ロリータ姿の少女が、立っていた。


「あら、成功したのね。驚いたわ」

 その、平坦で、しかしどこか感心したような声。

 プーチンは、はっと我に返ると、慌ててその子供のような笑顔を、いつもの冷徹な皇帝の仮面の下に隠した。

「……KAMI君か。見ていたのかね」


「ええ。あなた、面白いことしてるから」

 KAMIは、楽しそうに、彼の元へと歩み寄った。「ローマ教皇の映像を、何百回もリピート再生して、一人でブツブツ呪文を唱えてる、世界最強国家の独裁者。シュールで、最高だったわよ」

 その、揶揄するような言葉。

 だが、プーチンは、もはや怒りを感じなかった。むしろ、自らの努力が、この神に認められたという、奇妙な高揚感を覚えていた。

「フフフ…。私にも、成功しましたよ。どうです?」

 彼は、まだかろうじて掌の上で輝き続ける小さな光を、誇らしげに彼女に見せた。


「うん、凄いじゃない。よっぽど、強固な自我を持ってるのね…。まあ、プーチン大統領だし、当たり前と言った所かしらね」

 KAMIは、こともなげに言った。

「そうです。これは、当たり前だ」と、プーチンは、その言葉を待っていたかのように、力強く頷いた。「他者が出来るのなら、私に出来ないはずがない。ましてや、分身をすでに使いこなす、この私が、ね」


「そうね」と、KAMIは頷いた。「じゃあ、光が出せるようになったのなら、次のステップよ。まず、身体の治癒をしなさい。 教皇がやったようにね。と言っても、貴方は健康そのものだから、あまり効果はないと思うけど」


「いやいや、そんなことはないですよ。私も、もう歳だ」

 プーチンは、そう言うと、目を閉じて、再び精神を集中させた。

 彼は、自らの身体の内側へと、意識を沈めていった。長年の激務と、KGB時代に受けた古傷が蓄積した、肉体の、微細な不調和。血流の、僅かな淀み。神経の、微弱な乱れ。

 そして、彼は、イメージした。

 自分が、まだ三十代だった頃。柔道とサンボで鍛え上げた、完璧な肉体。その、内側から漲るような、無限の活力を。

「――癒えよ、我が肉体」

 彼がそう念じると、掌の上の光が、すぅっと彼の身体の中へと吸い込まれていった。

 次の瞬間。

 彼の全身を、温かい、しかし力強いエネルギーの奔流が駆け巡った。

「……ッ!」

 彼は、思わず感嘆の声を漏らした。

「ハハハ! 若い頃を思い出すな! 完全に若返る、とはいかないが、身体の奥底から、活力が蘇ってくる…!」

 視界が、クリアになる。聴覚が、研ぎ澄まされる。全身の細胞が、喜びに打ち震えているのが、分かった。


「ふーん。じゃあ、次は身体能力強化ね」

 KAMIは、まるでレッスンのカリキュラムをこなすかのように、淡々と続けた。「自分の身体能力を、人間の限界を超えた領域まで引き上げる、と強くイメージするの。 そして、呪文を唱えて、身体能力を強化しなさい」


「承知した」

 プーチンは、もはや躊躇しなかった。彼は、この新しい力の使い方を、貪欲なまでに吸収しようとしていた。

 彼は、イメージした。虎の筋力、隼の瞬発力、そして、狼の持久力。

「――我が肉体に、超常の力を!」

 彼がそう叫んだ瞬間、彼の身体から、目に見えないほどのオーラが、バチバチと音を立てて迸った。道場の空気が、彼の存在そのものに圧迫され、震えている。


「ハハハ! 素晴らしい!」

 彼は、自らの身体に満ち溢れる、未知の力に、歓喜の声を上げた。

 そして、目の前の空間に向かって、両の拳を、凄まじい速度で繰り出し始めた。

 パパパパパパパパパパッ!

 空気を切り裂く、という生易しいものではない。彼の拳は、空気の壁を打ち破り、その衝撃波だけで、道場の向こう側の壁に、蜘蛛の巣のような亀裂を生み出していた。

「ふふふ…。これならば、我が国のスペツナズ(特殊部隊)にすら、勝てそうだ」


「勝てるんじゃない?」と、KAMIはあっさりと肯定した。「その身体能力強化は、使い方次第で、ほぼ無限のスタミナと、超人的な身体能力を与えるし」


「ふふふ…。もっと、この能力を極めたい…!」

 プーチンは、自らの拳を見つめながら、恍惚の表情で呟いた。光を生み出し、自らを癒し、そして超人となる。この力は、甘美だった。


 その、剥き出しの欲望。

 それを見て、KAMIは、初めて、悪魔のような、しかし本人にとっては純粋な親切心からの、究極の囁きを、彼の耳元で口にした。


「まあ、その『因果律改変能力』を、本気で極めれば、あなたも『神』に成れるからね」


「……何?」


「だから、神よ」と、KAMIは続けた。「不老不病は、もちろん。幅広い耐性、対毒耐性。時間や空間への、限定的な干渉。物質の創造。などなど、出来ることは大きいわ。今のあなたは、ようやく歩き始めた赤ん坊のようなもの。その道は、どこまでも、奥が深いわよ」


 神に、成れる。

 その一言が、プーチンの魂を、根源から揺さぶった。

 彼が、その人生の全てをかけて追い求めてきた、権力、支配、そして不死。

 その、さらに先。

 その、遥か高みにある、究極の玉座。


「フフフ…。神、ですか」

 彼の口から、乾いた笑いが漏れた。彼は、目の前の、この世界の理を超越した少女を、まっすぐに見据えた。

「それはつまり、貴方に、並び立つことが出来る、と?」


 その、不遜で、そして壮大な問い。

 それに、KAMIは、いつものように、あっさりと、そして残酷なまでに、無邪気に、答えた。


「出来るんじゃない?」


 その一言。

 その、肯定とも否定ともつかない、しかし、無限の可能性を秘めた、神の囁き。

 それが、ウラジーミル・プーチンという男の、これからの全ての行動原理を、決定づけた。

 世界の支配者など、矮小な目標だ。

 彼が目指すべきは、神。

 この宇宙の、新しい理そのものになること。

 その、巨大で、そして危険な野望が、彼の魂に、静かに、しかし確かに、宿った瞬間だった。


 KAMIは、もう用事は済んだとばかりに、満足げに頷くと、来た時と同じように、ふっとその場から姿を消した。

 後に残されたのは、絶対的な静寂と、破壊されたトレーニングルーム。

 そして、新たな野望に打ち震える、二人の皇帝だけだった。

 チェス盤の前に座るプーチンは、静かに、白のキングを指で弾いた。

「……面白い。実に、面白いゲームになってきたではないか」

 彼の、氷のような瞳の奥で、神々でさえ予測しえぬ、暗く、そして熱い炎が、燃え上がっていた。

 世界は、まだ知らない。

 自分たちの頭上に、不死身の皇帝に続き、今まさに、神を目指す『魔王』が、誕生しようとしていることを。

 その、恐るべき未来の始まりを。

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― 新着の感想 ―
欲望に突き進むと邪心になるかもだけど、プーチンのイメージなら神の目的を知ったら邪心になるより全知全能を突き進みそうな気もする 頭いい人だしそんな小さな欲なんかどうでもよくなるでしょ最終的に
与えられた力に留まらず自力で更にそれを進化させるとは驚きました バグ技みたいですね
神々の間で、せっかく善神誕生って喜ばれたのに、邪神誕生のきっかけを分かってて作ったのなら、それはもう邪神では?
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