第55話
その日、世界の頂点に立つ四人の男たち(とその分身たち)は、再び、物理的な距離を超えたバーチャル会議室に集っていた。
東京、ワシントン、北京、モスクワ。それぞれの国家中枢を結ぶ最高機密の回線。モニターに映し出される四つの顔は、数ヶ月前とは明らかにその色合いを変えていた。
剥き出しの敵意や猜疑心は、もはやない。代わりにそこにあるのは、同じ、理不尽で、気まぐれな上司(KAMI)を持つ同僚のような、奇妙な連帯感。そして、その共通の運命の下で、いかにして自国の利益を最大化するかという、冷徹な腹の探り合い。
彼らは、もはや単なる国家元首ではなかった。神の地球支社の、四人の支店長だった。
「――では、定刻となりましたので、第五回・四カ国定例首脳会議を始めます」
議長役である日本の九条官房長官が、感情の温度を一切感じさせない声で、開会を宣言した。
「本日の議題は、三つ。第一に、各国における『ゲート構想』の進捗状況の共有。第二に、『若返りのポーション』オークションに関する現状報告。そして第三に、最重要議題として、次なる『奇跡』の被験者選定について。…ではまず、我が国、日本よりゲート構想の進捗を報告いたします」
九条は、手元の端末を操作し、共有モニターに一枚の、おびただしい数の光点で埋め尽くされた日本地図を映し出した。
「我が国では、先日より全国の自治体代表者を集めた調整会議を重ねてまいりました。その結果、第一段階として、この仮設置案を取りまとめるに至りました」
彼は、その計画の概要を説明し始めた。
「本計画の骨子は、『一県一ゲート最低保障案』とでも呼ぶべきものです。すなわち、全国四十七都道府県の全てに、最低でも一つのゲートを設置することを、国家として保障する。その上で、人口、経済規模、そして地理的重要性を鑑み、主要都市圏には複数のハブ・ゲートを設置する。東京=首都圏、大阪=関西圏、名古屋=中京圏、そして福岡=九州圏を四大ハブとし、それらを基幹ネットワークで結び、他の地方ゲートへと繋げる、というものです」
その説明に、モニターの向こうでアメリカのトンプソン大統領が、感心したような、それでいて少し呆れたような声を上げた。
『……長官。失礼ながら、その計画は、少々非効率に見えるが。明らかに過疎化が進んだ地域にも、等しくゲートを設置するというのは、費用対効果の観点から見て、どうなのだね?』
その、いかにもアメリカ的な合理主義に基づく問い。
それに、九条の隣に座る沢村総理が、疲弊しきった、しかしどこか達観した笑みを浮かべて答えた。
「大統領。お言葉ですが、これは効率性の問題ではないのです。政治の、問題なのです」
彼は、国内で繰り広げられた、あの地獄のような調整会議の日々を思い出し、遠い目をした。
「ええ。我々も、最初は、より効率的な配置案を検討しました。ですが、それは、この国の『和』を、根底から破壊しかねなかった。ゲートが来る県と、来ない県。その間に生まれる格差と、絶望。それを考えれば、多少の非効率には、目をつぶらざるを得なかった。もうヤケクソで、全ての県の要望を、可能な限り盛り込んだ案になったのです。そうでなければ、この国は、内側から分裂していたでしょう」
その、民主主義国家のリーダーとしての、人間臭い、そして切実な告白。
トンプソンは、深く、深く頷いた。彼もまた、五十の州の知事たちの、剥き出しのエゴの奔流に、日々頭を悩ませているのだ。
「計画の細部については」と、九条が事務的に続けた。「警備は、各ゲートが設置される都道府県の警察が、第一義的な責任を負うことになります。もちろん、国家公安委員会の下に、新たに『空間保安局』とでも言うべき専門組織を設置し、全国のゲート警備を統括、支援する体制を構築します。関連法規についても、現在、法務省と各省庁が連携し、空間移動における刑事・民事の管轄権や、税制に関する新たな法整備を、急ピッチで進めているところです」
そして、彼は最も重要なスケジュールについて言及した。
「我々は、この計画の一年後の第一次開業を目指します! …まあ、現実的には、二年かかるかもしれませんが…ともかく、全力で進めております」
最後に、彼は安堵の息と共に、付け加えた。
「なお、この仮設置案については、先日、KAMIにご確認をいただいたところ、『あら、ずいぶんたくさん作るのね。まあ、いいわよ。全部、設置できるわよ』との、心強いお言葉を頂戴しております」
「ありがたい…」と、沢村が小さな声で呟いた。神の技術力の前では、人間の予算や物理的な制約など、何の意味もなさない。その事実が、彼らにとって唯一の救いだった。
「……なるほど。日本の状況は、理解した」
トンプソンが、頷いた。「我が国も、報告しよう。アメリカも、順調にゲート設置案が進んでいる」
モニターが、アメリカの地図に切り替わる。そこには、日本の計画とはまた異なる、合理的なネットワーク網が描かれていた。
「我々の案は、『連邦ハブ&州スポーク・モデル』だ。ワシントンD.C.、ニューヨーク、ロサンゼルス、シカゴといった、大陸を横断する主要都市に、巨大な連邦直轄のハブ・ゲートを設置する。そして、そこから各州の州都や主要都市へと繋がる、スポーク状のネットワークを構築する。州内の、より詳細なゲート設置については、各州政府に大幅な裁量権を与える。競争原理を働かせ、最も優れた計画を提出した州から、優先的に予算と技術を配分する方式だ」
その、いかにも競争社会アメリカらしいプラン。
「先日、この仮案をKAMIに提示したところ、『面白いじゃない。全部設置できるわよ』と、日本と同じ回答があった。とりあえず、我々はさらにこの案を詰めているところだ。もちろん、これがOKなら、さらに第二期、第三期の拡張計画も設置したいと、欲が出そうだがな…」
トンプソンは、不敵な笑みを浮かべた。
「目標は、日本と同じく、一年後の第一次開業を目指す! いや、二年になるかもしれんが、君たちには負けんよ、総理」
その、健全なライバル意識に、沢村も苦笑で返した。
そして、その時だった。
それまで黙って二国の報告を聞いていた、北京の王将軍が、静かに、しかし重い口を開いた。
「……お待ちいただきたい。日米両国が、これほど迅速に計画を進めておられること、感服いたしました。ですが、その間、我々とロシアは、ただ指をくわえて、貴国らの発展を眺めておれば良いと、そうお考えかな?」
その声には、隠しきれない焦燥と、嫉妬の色が滲んでいた。
その言葉を待っていたかのように、九条が進み出た。
「いえ。それにつきまして、本日、日米両政府から、一つの提案があります」
彼は、KAMIを召喚するための、特別なプロトコルを起動させた。
数秒後、バーチャル会議室の、その中央に、KAMIの分身である少女が、退屈そうな顔でポップアップした。
「なあに? 今、忙しいんだけど」
「KAMI様」と、九条は恭しく言った。「中国とロシアからも、ゲート構想への参加を、強く希望する声が上がっております。つきましては、両国においても、計画の策定を並行して開始することを、お認めいただけないかと。その方が、地球全体のインフラ整備が、より迅速に進むようになるかと存じますが…」
それは、中露を懐柔し、そして彼らの有り余るエネルギーを、内政へと向けさせるための、高度な外交的判断だった。
「うーん…うーん…」
少女は、しばらくの間、本気で悩むように、顎に手を当てていた。
その数秒間が、世界の運命を左右する。四カ国のリーダーたちは、固唾を飲んで、その神託を待った。
やがて、彼女は、まるで面倒な宿題を後回しにする子供のように、言った。
「……まあ、いいよ。ただし、あなたたち(日米)が、ちゃんと監督するのよ? 面倒なことになったら、知らないからね」
その、無責任な許可。
しかし、王将軍とヴォルコフ将軍の顔には、抑えきれない勝利の笑みが浮かんでいた。
「では、次の議題に移ります」
九条は、何事もなかったかのように、会議を進行させた。「『若返りのポーション』オークションについて」
モニターに、世界中の金融市場やメディアの狂騒をまとめたダイジェスト映像が映し出される。
「ご覧の通り、世界中の富裕層が、こぞってこのポーションを求めております。我が国の諜報網が掴んだ情報によりますと、中国の富裕層も、水面下で複数の投資ファンドを立ち上げ、国営企業からの非公式な支援も受けながら、オークションに向けた資金を集めているとのこと。日本も、ロシアも、そしてアメリカも、状況は同じくです。世界中の富が、今、この一点を目指して動き出しています」
その報告に、王将軍は、珍しく得意げな表情を浮かべた。
「ふん。我が国の民の愛国心と購買意欲を、侮ってもらっては困るな」
だが、その狂騒を、どこか冷めた目で見ている者たちがいた。
日米の首脳たちだ。
沢村は、トンプソンと、モニター越しにだけ通じる、暗号化された思考通信で、本音を交わしていた。
(……正直な話、大統領。我々政府としては、このオークションには、それほど焦っておりませんな)
(ああ、同感だ、総理。神にお願いして、相応の対価を支払えば、若返りくらい、いつでもスキルとして授けてくれそうだからな。我々には、いわば『裏口』がある。このオークションは、あくまで表向きの、政治ショーに過ぎん)
(ええ。むしろ、ここで下手に我々が落札してしまえば、世界の嫉妬を一身に浴びることになる。ここは、中露や、中東の王族あたりに、派手に金を遣わせて、貸しを作るのが得策かと)
(全く、同感だ。我々の本当の戦場は、ここではない…)
彼らの思考が、一致した。
そう。彼らの本当の戦場は、次の議題。
世界中の宗教家たちが、その喉を枯らして要求し続けている、あの問題だった。
「――では、最後の議題です」
九条の声が、一段と低くなった。会議室の、和やかなムードが一変する。
「次なる『奇跡』の被験者選定について。前回、ローマ教皇を最初のモデルケースとすることで、我々は合意しました。その結果、世界がどうなったかは、皆様ご存知の通りです。そして今、我々の元には、世界中の、あらゆる宗教団体からの、凄まじいまでの圧力がかかっています」
モニターに、世界各地で起きているデモや、各国首脳からの親書の映像が、次々と映し出される。その全てが、「次は我々の番だ」という、一つの巨大な要求の奔流だった。
「この状況を、これ以上放置することはできません」と、沢村が重々しく言った。「我々は、決断を迫られている。次に、誰を選ぶのか、と」
彼は、三人の顔を、ゆっくりと見渡した。
「単刀直入に、申し上げます。我々日本政府は、やはり、イスラム教の指導者を、次の候補者として推挙せざるを得ない、と考えております」
その言葉に、誰も反論しなかった。
もはや、それは、論理の問題ではなかった。
政治的な、現実の問題だった。
「世界一の信者数を誇る、イスラム世界。その彼らの声を、ここで無視すれば、どうなるか。もはや、外交問題では済みません。全世界を巻き込んだ、文明の衝突へと発展しかねない。それだけは、絶対に避けなければならない。ほぼ、内々にですが、我々の中では、その方向で決定しております」
「……我々も、日本の提案に、同意する」
トンプソンが、疲弊しきった声で言った。「我が国も、イスラム諸国との関係は、極めて重要だ。彼らのプライドを、これ以上傷つけるわけにはいかない」
意外にも、その提案に、最初に賛同の意を示したのは、王将軍だった。
「……よかろう。我が国にも、多くのイスラム教徒が暮らしている。彼らの感情を考慮すれば、その決定は、合理的と言えよう」
彼の脳裏には、国内の新疆ウイグル自治区の安定という、極めて現実的な計算が働いていた。
最後に、ヴォルコフ将軍も、渋々といった体で頷いた。
「……チェチェンのこともある。致し方あるまい」
「ありがとうございます」と、沢村は頭を下げた。「宗教家たちからの圧力は、もはや半端なものではありません。ですが、これで、世界に示すべき、次の一手は決まった。ここは、イスラムで決定といたしましょう!」
だが、その決定は、新たな、そしてより困難な問題の、始まりに過ぎなかった。
「……それで、総理」
トンプソンが、最も厄介な質問を口にした。
「その、『イスラム教の指導者』とは、具体的に、誰を指すのだね? 彼らには、ローマ教皇のような、単一の絶対的な指導者は、存在しないはずだが」
その問いに、会議室は、再び、重い沈黙に包まれた。
そうだ。
スンニ派と、シーア派。
サウジアラビアの国王か、イランの最高指導者か、あるいは、エジプトの大イマームか。
誰か一人を選べば、それは、もう一方からの、猛烈な反発と、宗派間の対立を、決定的に煽ることになる。
彼らは、一つの地獄を回避するために、自ら、新たな、そしてより血生臭い地獄の扉を、開けようとしていたのだ。
「……それにつきましては」
九条が、まるで他人事のように、淡々と告げた。
「本日より、関係各国の水面下での調整を、全力で開始いたします。おそらく、結論が出るまでには、数ヶ月…いや、年単位の時間がかかるでしょうな」
その、絶望的な見通し。
沢村は、モニターには映らないように、テーブルの下で、自らの胃を、強く、強く、押さえた。
神の不在のまま。
人間たちは、またしても、自分たちで作り出した、新しい、そして終わりの見えない、不毛なゲームの盤上へと、その駒を進めていく。
その、滑稽で、そして哀れな光景を、世界のどこかの一室で、一人の在宅ワーカーが、退屈そうに眺めていることなど、彼らは知る由もなかった。
会議は、終わった。
だが、彼らの戦いは、まだ、どこまでも続いていく。




