表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
賢者の石を手に入れた在宅ワーカーだけど、神様って呼ばれてるっぽい  作者: パラレル・ゲーマー


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

38/194

第36話

 その決定は、東京とワシントンが、北京とモスクワの弱々しい抵抗をねじ伏せる形で、半ば強引に断行された。

 人類史上初となる、神への感謝状。

『太平洋ゴミベルト浄化に関する国際社会からの感謝表明式典』。

 その開催が、国連総会の緊急決議という形で、全世界に向けて発表されたのだ。


「――これは、我々人類が、国家間の対立やエゴを超え、地球という共通の故郷のために手を取り合う、歴史的な第一歩であります!」


 ニューヨークの国連本部で、アメリカのトンプソン大統領が、高らかにそう演説した。

 その隣では、日本の沢村総理が、穏やかな、しかしどこか疲労の色を隠せない笑みを浮かべて頷いている。

 彼らが語る物語ナラティブは、完璧だった。

 神の御業を、人類の叡智と協調の象徴へと巧みにすり替え、そのイニシアチブを日米両政府が完全に握る。それは、数週間前に世界を分断した情報戦の、見事なまでの再現だった。


 だが、世界は、もはや一枚岩ではなかった。

 記者会見の席で、中国とロシアの国連大使は、共同で声明を発表した。

「我が国も、地球環境の改善という崇高な目的には、もちろん賛同する。しかし」

 彼らは、用意された原稿を、わざとらしく、そして芝居がかった口調で読み上げた。

「『対価と恩恵』という、我々とKAMIとの間に結ばれた神聖な原則について、十分な議論が尽くされないまま、このような政治的パフォーマンスが先行することについては、あーあ、甚だ不本意であると言わざるを得ない」


 その、見え透いた牽制球。

 しかし、その一言は、世界中に眠っていた火種に、再び油を注ぐ結果となった。

 式典のニュースが世界を駆け巡ると同時に、国際社会は賛成と反対、そして新たな要求を叫ぶ者たちの、巨大な怒号の渦に飲み込まれた。

 荒れに荒れたのだ。


 ヨーロッパの主要国や、海洋汚染に苦しむ島国は、日米のリーダーシップを絶賛した。

「今こそ、人類は一つになるべきだ!」

「これは、新しい時代の幕開けだ!」

 環境団体は、トンプソンと沢村の顔写真をプラカードに掲げ、ノーベル平和賞に推薦する運動を始めた。

 アメリカ政府を支持する声は、確かに大きかった。


 だが、それと同じくらい、あるいはそれ以上に、反対と嫉妬の声が、世界の南半球から、嵐のように巻き起こった。

 アフリカ連合の議長国は、緊急の記者会見を開き、涙ながらにこう訴えた。

「なぜだ! なぜ、神の恩恵は、常に豊かな北の国々だけに与えられるのだ! あのゴミベルトには、我々の国から流れ着いたゴミも、少なからず含まれているはずだ! 我々にも、正当な分け前を要求する権利がある! ふざけるな! 我々にも恩恵をくれ!」


 南米、東南アジア、中東。

 これまで世界のパワーゲームの外側に置かれてきた国々が、一斉に声を上げた。

 彼らにとって、神の力は、先進国との絶望的なまでの格差を覆す、唯一にして最後のチャンスだった。そのチャンスが、目の前で奪い去られようとしている。彼らの叫びは、悲痛で、切実だった。

 国連本部の前では、各国の大使たちが殴り合いの喧嘩を始める寸前の騒ぎとなり、世界中の日米大使館の前には、抗議のデモ隊が殺到した。


 世界は、再び分断された。

 神への感謝という、誰も反対するはずのない美名を掲げたはずの式典が、皮肉にも、人類の間に存在する最も醜い格差と嫉妬を、白日の下に晒してしまったのだ。


「……見ろ、九条君。地獄とは、このことだ」


 深夜、官邸の執務室。

 沢村は、世界中の抗議デモや首脳たちの罵り合いを映し出す、無数のモニターの光を、虚ろな目で浴びていた。

 彼の心は、もう限界だった。

 ゲート構想を巡る国内の泥沼の調整。

 エルドラ来日に向けた、前代未聞の準備。

 そして、この世界中から叩きつけられる、憎悪と嫉妬の奔流。

 数週間、まともに眠れていない。食事は、喉を通らない。精神は、すり減り、肉体は鉛のように重い。

 彼は、自分が今、立っているのか座っているのかさえ、時々分からなくなることがあった。


「……もう、無理だ…」

 ぽつりと、彼の口から本音が漏れた。

「私は、もう…疲れたよ。総理大臣など、辞めたい。いや、もういっそ、このままここで、意識を失ってしまえたら、どれだけ楽か…」

 その、あまりにも弱々しい、悲鳴にも似た言葉。

 その隣で、同じように死人のような顔色で報告書を読んでいた九条も、さすがにペンを置いた。

「……総理」

 彼が、何か慰めの言葉をかけようとした、その時だった。


 空気が、揺れた。

 執務室の中央に、何の前触れもなく、あのゴシック・ロリタ姿の少女が、すぅっと姿を現した。


 彼女は、部屋の隅で狂ったように明滅する世界中のニュースモニターと、机に突っ伏すようにしてぐったりとしている日本のトップリーダー二人を、興味深そうにきょろきょろと見比べていた。


「あら。大変ね」

 少女は、まるで疲れて動かなくなったおもちゃを眺めるかのように、平坦な声で言った。


 その声に、沢村は、もはや顔を上げる気力さえ残っていなかった。

(……ああ、来たか。我らが、気まぐれな神よ。最高に、最悪のタイミングで…)


「あなたたち、見てると面白いけど、ちょっと効率が悪いわね。すぐに壊れてしまいそうだわ」

 少女は、二人のすぐそばまで歩み寄ると、こてんと首を傾げた。そして、まるで最新のガジェットでも紹介するかのように、とんでもない提案を口にした。


「あなたたちのために、いくつか便利なスキルを、おすすめするわよ?」


「……スキル…?」

 かろうじて顔を上げた九条が、かすれた声で聞き返した。


「ええ」と、少女は頷いた。「まず一つは、『30分睡眠で8時間分の熟睡効果を得られる安眠能力』」


 その一言が、死にかけていた二人の男の脳髄を、直接揺さぶった。

 睡眠。

 熟睡。

 三十分で、八時間分。

 それは、今の彼らにとって、どんな金銀財宝よりも、どんな神の御業よりも、甘美で、魅力的な響きを持っていた。


「そして、もう一つ」と、少女は続けた。「あなたたち自身の**『分身スキル』**。物理的な実体を伴う、もう一人の自分を作り出す能力よ。本体のあなたたちが眠っている間、分身が仕事をしてくれる。あるいは、二つの会議に、同時に出席することもできるわ。便利でしょう?」


 それは、悪魔の囁きだった。

 いや、今の彼らにとっては、天使の福音そのものだった。

 疲労でちぎれかけた思考の糸を、必死で手繰り寄せながら、沢村は想像した。

 三十分眠るだけで、心身ともに完全にリフレッシュできる。

 そして、自分が眠っている間も、もう一人の自分が、あの終わりのない会議や、うんざりするほどの電話対応を、全て片付けてくれる。

 それは、天国だった。

 失われた平穏と、健康と、そして人間らしい生活を、取り戻せるかもしれない。


「……マジで、ほしい…」

 沢村の口から、心の底からの、偽らざる本音が、呻き声となって漏れた。

 隣の九条も、その鉄仮面のような表情の下で、必死に欲望と戦っているのが分かった。その目が、血走っている。


 だが、次の瞬間。

 沢村の脳裏に、冷徹な政治家としての理性が、最後の力を振り絞って警鐘を鳴らした。

(……待て。待て、待て、待て!)

 彼は、必死でその甘い誘惑を振り払った。


(駄目だ。もし、このスキルを手に入れたら、どうなる?)

(流石に、これを貰ったら、さらに働くハメになるだけじゃないのか?)

(私の稼働時間が、事実上、一日二十三時間半になる。分身も使えば、実質四十七時間だ。そうなれば、アメリカも、国内の連中も、そしてこの神自身も、今の二倍、三倍の仕事を私に押し付けてくるだけじゃないのか?)

(休息のためのスキルではない。これは、私という人間を、より高性能な、二十四時間稼働の『政治マシーン』へと改造するための、ただのアップグレードパーツじゃないのか?)

 彼は、戦慄した。

 それは、救済などではない。

 人間性の、完全なる放棄。

 自らを、国家という祭壇に捧げる、生贄の儀式そのものだった。


(だが…)

 彼の視界の端に、机の上に積まれた、あの絶望的なまでの書類の山が映る。鳴り止むことのない、世界中からの電話の着信ランプ。

(いや、しかし、これを貰わないと、もうやっていけない…!)

(このままでは、私は、本当に壊れてしまう。過労で倒れ、全てを投げ出すことになる。それは、総理大臣としての、責任の放棄だ。それだけは、許されない)

(ならば、人間であることをやめてでも、この責務を全うするべきなのか…?)


「…………良いのか?」

 沢村の口から、再び、問いかけの言葉が漏れた。

 それは、目の前の神にではなく、自分自身の魂に問いかける、最後の、そして最も重い問いだった。

「人間で、なくなるぞ…」


 彼は、隣の九条の顔を見た。

 九条もまた、同じ地獄の中で、同じ葛藤に身を焦がしていた。その目は、羨望と絶望、そして諦観が入り混じった、見たこともない色をしていた。


「……KAMI様」

 やがて、沢村は、絞り出すような声で、目の前の少女に問いかけた。

「もし、我々が、そのあまりにも魅力的で、そしてあまりにも恐ろしいスキルを、受け取るとしたら」

 彼は、最後の、そして最も重要な質問をした。

「……その『対価』は、一体、何ですかな?」


 その問いに、少女は、初めて、少しだけ、楽しそうな、意地悪な笑みを浮かべた。

 それは、面白い実験の結果を、心待ちにしている科学者のような、無邪気で、残酷な笑みだった。


「対価?」

 彼女は、こてんと首を傾げた。


「そんなもの、いらないわよ」


「……え?」


「言ったでしょう? これは、あなたたちへの『おすすめ』だって。いわば、福利厚生みたいなものよ。いつも私の面倒な雑用を押し付けられて、頑張って働いてくれている、あなたたち二人への、私からのささやかなプレゼント。感謝して、受け取ればいいのよ」


 プレゼント。

 福利厚生。

 その、あまりにも場違いな、そしてあまりにも慈悲深い言葉。

 しかし、その言葉こそが、何よりも恐ろしかった。

 対価がない。

 それはつまり、これが純粋な「善意」であるという、証明。

 そして、その「善意」によって、自分たちは、永遠にこの神の掌の上で、より効率的に、より休むことなく、踊り続けることを、運命づけられるのだ。

 それは、奴隷の首にかけられた、黄金の首輪だった。


「……」

 沢村は、九条と顔を見合わせた。

 二人の目には、同じ色が浮かんでいた。

 絶望。

 そして、諦観。

 もはや、彼らに、選択肢はなかった。

 この地獄を生き延びるためには、悪魔が差し出したこの甘い毒杯を、飲み干すしかないのだ。


「……ありがたく、拝受、いたします」

 沢村の声は、もはや何の感情も乗らない、乾いた音にしか聞こえなかった。


「よろしい」

 少女は、満足げに頷いた。

 そして、彼女が指をぱちんと鳴らした、その瞬間。

 沢村と九条は、何か冷たいものが、自らの魂に直接インストールされるような、奇妙な感覚に襲われた。

 同時に、この数週間、彼らの全身にまとわりついていた鉛のような疲労感が、すぅっと嘘のように消え去っていく。思考が、クリアになる。世界が、鮮明に見える。


 ああ、これでまた、戦える。

 いや、戦い続けなければ、ならなくなったのだ。

 永遠に。


 沢村は、自らの執務室の窓から、白み始めた東京の空を見上げた。

 美しい、夜明けだった。

 だが、その美しさが、今の彼には、どこまでも空虚なものにしか見えなかった。

 自分は、今、確かに人間であることを、やめたのだ。

 この国の、そしてこの世界の平和という、あまりにも重い十字架を背負い続けるために。

 そのことに、果たしてどれほどの価値があるのか。

 その答えを、彼はまだ、知らなかった。

 ただ、神の気まぐれな善意によって、彼の、そして九条の、人間としての物語は、今まさに、その最初の終わりを告げたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
政治家の奴隷化が進む中、この主人公の日人間性があらわになるというね・・・・。 結構はじめのころからソシオパスというか、サイコパス傾向が強いキャラクターだったけど、神様以上に傲慢というか、非常に好きにな…
処理能力のアップもおまけしてやれwww 分身全員鬱とかありそうだしさw
これは首相と官房長官にはリゲインが必要(昭和感) このゴミは我々の物だって主張するなら好きなだけ自国で回収すればいいんだよ それをしないで公海に投棄されるがままにしてるんなら他の誰が回収しようと黙っ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ