表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
賢者の石を手に入れた在宅ワーカーだけど、神様って呼ばれてるっぽい  作者: パラレル・ゲーマー


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

35/194

第33話

 深夜。首相官邸、沢村総理の執務室。

 その部屋の主は、もはや曜日や時間の感覚を失いかけていた。窓の外の空が白み始めていることに、彼はモニターから顔を上げて初めて気づいた。机の上には、冷え切ってしまったコーヒーのマグカップと、二つの巨大な書類の山。一つには『国家空間輸送網整備計画(ゲート構想)関連資料』、そしてもう一つには『超次元フロンティア開発アステルガルド関連資料』というラベルが貼られている。

 この二つの山こそが、今の日本の、いや、世界の全てだった。


「……ふぅ」

 沢村は、重い息を吐きながら、椅子の背もたれに深く身を沈めた。

 向かいのソファでは、彼の腹心である官房長官、九条が、鉄の仮面のような無表情のまま、仮眠さえ取らずに次の報告書に目を通している。その姿は、もはや人間というよりは、国家という巨大な機械を動かすためだけに存在する、精密な歯車のように見えた。


「……九条君。時々、思うのだよ」

 沢村は、どこか遠い目をして呟いた。

「我々は、いつからこんなことになってしまったのだろうな。数ヶ月前まで、我々は消費税を上げるか下げるとかで、国会で怒鳴り合っていた。それが、今やどうだ。異世界の魔法使いの機嫌を取りながら、全国ワープ網の設置場所を巡る知事たちの殴り合いの仲裁だ。私の治世は、歴史の教科書にどう記されるのだろうな…」


 その、あまりにも人間臭いぼやき。

 九条は、報告書から顔を上げることなく、静かに答えた。

「歴史は、常に勝者が記すものです、総理。我々は、まだこのゲームの勝者ではありません。ただ、盤上で必死に駒を動かしているプレイヤーに過ぎません」

 そして彼は、読んでいた報告書の一枚を、沢村の前にそっと差し出した。アステルガルドの前線基地『ベースキャンプ・フロンティア』から、つい先ほど届いたばかりの、最重要機密指定の報告書だった。


「総理。ゲート構想も目が回るほど忙しいですが、残念ながら異世界の方も、相当に忙しいことになってきましたよ」


 沢村は、渋々といった体でその報告書に目を落とした。

 そして、その内容を読み進めるうちに、彼の顔から疲労の色が驚愕の色へと変わっていった。

 報告書の提出者は、外交官・小此木。

 その内容は、にわかには信じがたい、しかし、この狂った世界では起こりうると納得せざるを得ない、驚くべき事件の全容を記していた。


 事の発端は、一週間前。

 リリアン王国の王立魔導院の長、大魔導師エルドラが、ベースキャンプを通じて日本政府に一つの「請願」を申し入れたことだった。

 曰く、「我が国の魔法技術の根幹を揺るがす、重大な理論的発見があった。その真偽を確かめるため、全ての奇跡の源であるという、貴国が信奉する神『KAMI』との謁見を、賢者の名において願いたい」と。

 その、あまりにも真摯で、そして学術的な探求心に満ちた要請。

 小此木と、彼を通じて報告を受けた九条は、これを無下に断ることはできないと判断した。KAMI…すなわち、橘栞本人にその意向を伝えたところ、彼女は「面白そうじゃない」という、ただそれだけの理由で、あっさりとその謁見を許可した。


 そして、謁見の日。

 ベースキャンプの中央ドームに、KAMIの分身であるゴシック・ロリータ姿の少女が顕現した。

 その場に立ち会った小此木や米軍のデイヴィス大佐といった地球人には、いつもの光景だった。気まぐれで、尊大で、そしてどこか子供っぽい、人知を超えた存在。

 だが、大魔導師エルドラにとって、その邂逅は、彼女の数百年にも及ぶ人生と、魔法使いとしての全ての常識を、根源から破壊する体験となった。


 報告書には、小此木が記録したその時の様子が、生々しく綴られていた。

『――エルドラ師は、KAMIが顕現した瞬間、その場に崩れるように膝をつきました。そして、震える声でこう呟いたのです。「ありえない…。マナの流れがない…。いいや、違う。このお方そのものが、マナの源泉。世界のことわりそのものを、指先一つで紡ぎ直しておられる…」と』

『我々には、KAMIはただそこに立っているようにしか見えませんでした。しかし、エルドラ師には、我々が認識できない、何か根源的なものが見えていたようです。彼女は、KAMIが退屈しのぎに空間から一輪の花を生成消滅させただけの行為を見て、「因果律の書き換え…創造と消滅の権能…」と涙ながらに呟き、五体投地でひれ伏してしまいました』


 そして、謁見が終わった後。

 エルドラは、放心したように、しかしその瞳には狂信的なまでの光を宿して、小此木にこう語ったという。

「あれは、神ではない。神などという矮小な言葉で、あのお方を表現することは、冒涜ですらある。あれは、魔法そのもの。我ら魔法使いが、その生涯をかけて探求する真理の、生ける顕現なのだ」と。


 その日から、リリアン王国は大騒ぎになった。

 大陸最高の叡智と尊敬を集める大魔導師が、突如として「真の神を発見した」と宣言し、帰国したのだ。彼女は、王宮の賢者たちを集めると、KAMIの御業がいかに既存の魔法体系を超越したものであるかを、熱っぽく説き始めた。

 KAMIは、魔術の神である、と。

 その噂は、瞬く間に王国全土に広がり、一部の魔法使いたちの間では、KAMIを新たな信仰対象とする、新しい宗派のようなものまで生まれ始めているという。

 エルドラがKAMIと接触し、その能力を見て崇拝し始め、魔術の神と大騒ぎになったりしているのだ。


「…………」

 報告書を読み終えた沢村は、しばらく言葉を失っていた。

 やがて、彼の口から漏れたのは、深い、深いため息だった。


「……うちの神は、そんなにすごいんですね。いやはや、魔法が使えない我々には、全く分からない世界の話ですな」


 その、あまりにも他人事のような感想。

 だが、それこそが、沢村と九条の偽らざる心境だった。

 彼らにとって、KAMIはあくまで気まぐれで厄介な、しかし利用価値のある取引相手だ。その存在が、異世界で宗教的な崇拝の対象になろうと、正直、知ったことではなかった。


「ですが総理、問題はここからです」と、九条が報告書の次のページを指さした。「厄介なことに、そのエルドラ師が、今度はこう言い出しまして」


 報告書には、こう記されていた。

『――KAMI様の御業、そしてその恩恵である『科学』なる奇跡の術について、より深く学びたい。つきましては、王国の使節として、天上の人の国、ニホンへと渡航し、彼の地の叡智の殿堂を見聞することを、正式に要請する』


「……まあ、ともかく、そのエルドラ師が、こっちに来て色々見て回りたいと言い出した、と」

 九条は、うんざりしたように要約した。


「……なんと」

 沢村は、頭痛をこらえるようにこめかみを押さえた。「異世界の、それも国家の重鎮が、日本に観光に来たい、と。前代未聞だな」


「ええ。そして、さらに厄介なことに」と、九条は続けた。「そのエルドラ師の熱意にほだされたのか、あるいは何か面白いことが起きると予期したのか。KAMIが、この申し出を二つ返事で許可しまして。おまけに、『彼女が我々の科学をより深く理解できるように』と、我々全員に与えられている翻訳スキルを、さらにバージョンアップさせたと…」


「バージョンアップ?」


「はい。これまでの会話レベルの翻訳から、高度に専門的な科学技術用語や、哲学的な概念に至るまで、完全に相互理解可能になったそうです。おかげで、エルドラ師の探究心は、もはや誰にも止められない状態になっていると、小此木君は泣きついてきております。神も翻訳スキルを上げちゃったし、もう色々と大変ですよ」


 沢村は、天を仰いだ。

 神の、いらぬお節介。

 その気まぐれ一つで、現場の外交官たちの苦労は、何倍にも膨れ上がるのだ。


「……それで、受け入れるのか? その申し出を」


「選択肢は、ありません」と、九条は断言した。「KAMIが許可した以上、我々に拒否権はない。とりあえず、彼女を受け入れ、観光していただく用意は進めています。問題は、どこを案内するかですが…」

 九条の目が、冷徹な戦略家のそれになった。

「国会議事堂、京都の寺社仏閣といった、当たり障りのない場所を見せるだけでは、彼女は満足しないでしょう。彼女が見たいのは、間違いなく、我々の『科学』の神髄。富士の地下研究施設や、JAXAの宇宙センター、あるいは、世界最速のスーパーコンピュータ『富岳』といった、国家の最高機密レベルの施設です」


「……危険すぎる」


「ええ。ですが、見方を変えれば、これは好機でもあります」と、九条は続けた。「我々の科学技術の粋を見せつけることで、リリアン王国との交渉において、圧倒的な優位に立つことができる。彼らが持つ『魔法』と、我々が持つ『科学』。そのどちらが、より強力な力であるかを、彼らの最高権力者の一人に、骨の髄まで理解させるのです」


 その、あまりにもマキャベリズムに満ちた提案。

 沢村は、しばらく黙って考えていたが、やがて静かに頷いた。

「……分かった。君に、一任する。最高の『おもてなし』の準備をしろ。ただし、見せていいものと、決して見せてはならないものの線引きは、絶対に誤るなよ」


「御意」


 だが、問題はそれだけではなかった。

 沢村は、官僚たちの調整よりも、知事たちのエゴのぶつかり合いよりも、もっと根本的な問題を口にした。

「……九条君。この、異世界の人が、ついに日本へやって来るという事実。これを、国民に公開するか、どうか。我々は、決めなければならない」


 その問いに、九条は即答できなかった。

 官邸の地下に眠る、神の代理人として。

 彼は、この問題が持つ、あまりにも巨大なインパクトを、誰よりも理解していた。


「……公開すれば、ゲート構想以上のパニックと、熱狂が日本中を襲うでしょう」と、九条は言った。「異世界は、もはや映像の中の存在ではなく、現実として、我々の隣に現れることになる。警備の問題、メディアの狂騒、そして国民の安全。考えうるリスクは、無限にあります」


「だが」と、沢村は続けた。「隠し通せるものでもあるまい。それに、これは記念すべきことだ。人類が、初めて異世界からの公式な賓客を迎えるのだぞ。それを国民に隠したまま、こそこそと行うのは、果たして正しいことなのか?」

 彼は、窓の外に広がる東京の夜景を見つめた。

「それに、考えてもみろ。ゲート構想を巡る、あの泥沼の国内対立。国民の関心が、少しでもこの歴史的なイベントに向かえば、少しは冷却期間を置けるかもしれん。政治的なガス抜きとしても、有効なのではないか?」


 それは、あまりにも危険な賭けだった。

 一つの熱狂を、さらに巨大な別の熱狂で上書きしようという、劇薬のような処方箋。

 だが、今のこの狂った世界では、それくらいの荒療治が必要なのかもしれない。


「……総理のお考え、理解いたしました」

 長い沈黙の後、九条は静かに頷いた。「確かに、リスクはありますが、それ以上に大きなリターンが期待できるかもしれません。国民の夢と希望を、さらに大きなステージへと引き上げる。そして、その主導権を、我々が握る」

 彼は、覚悟を決めた。

「よろしいでしょう。では、公表を前提として、計画を練り直します。これは、単なる外交ではありません。国家の威信をかけた、史上最大の『ショー』です。最高の演出で、最高の物語を、国民に、そして世界に見せつけましょう」


「うむ。頼んだぞ」


 その日、日本政府は、また一つ、歴史の歯車を自らの手で大きく回すことを決定した。

 異世界からの、最初の訪問者。

 その存在を、世界にどう見せるのか。

 その演出一つで、人類の未来は、また大きくその姿を変えるだろう。

 沢村と九条は、目の前に積まれた二つの巨大な宿題の山を、改めて見つめた。

 ゲートと、異世界。

 国内と、国外。

 現実と、夢。

 その二つの、あまりにも巨大な戦線を、彼らは同時に戦い続けなければならない。

 神が不在のまま。

 ただ、人間たちの知恵と、覚悟と、そして時折見せる愚かさだけを頼りに。

 彼らの、眠れない夜は、まだまだ、どこまでも続いていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
これ、プログラミング言語は理解出来るのだろうか…。 出来た場合丸々魔法に流用されない?
あれは、神ではない。神などという矮小な言葉で、あのお方を表現することは、冒涜ですらある。あれは、魔法そのもの。 この後に魔法そのものって意味ではあるんだろうけど魔術の神って広めてて、ん???ってなっ…
異世界からの初のお客さんはババア? エルフや猫耳美少女じゃない? なんでやねんw
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ