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賢者の石を手に入れた在宅ワーカーだけど、神様って呼ばれてるっぽい  作者: パラレル・ゲーマー


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第28話

 その日、『ベースキャンプ・フロンティア』は、かつてないほどの静寂と、張り詰めた緊張に支配されていた。

 数日前から、ベースキャンプの外縁部に自然発生的に形成されていた混沌の交易所『フロンティア・タウン』は、日米合同の警備部隊によって一時的に、しかし完全に封鎖されていた。行商人たちは皆、丁重な、しかし有無を言わせぬ態度で、森の奥へと一時退去を命じられた。

 空には、日米両軍が共同開発した最新鋭のステルス偵察機が、その姿を光学迷彩で隠しながら、上空一万メートルの成層圏からベースキャンプ周辺のあらゆる動きを監視している。

 地面では、神の力によって覚醒した超人兵士たちが、基地を取り囲む森の各所に潜み、五感を極限まで研ぎ澄ませていた。

 今日、この場所は、ただの交易拠点ではない。

 人類が、異世界における最初の、そして最も重要な外交交渉に臨む、聖なる舞台なのだ。


 ベースキャンプの中央、この日のために特別に設えられた巨大な白いパオ(天幕)の中。

 外交官、小此木は、乾ききった喉を潤すために、冷たい水を一口飲んだ。彼の額には、空調が効いているとは思えないほどの冷や汗が滲んでいる。

 彼の前には、長いテーブルが置かれ、その向こう側には空席が並んでいる。

 彼の背後には、この歴史的瞬間に立ち会うために選抜された、地球側の代表団が固い表情で控えていた。

 米軍のデイヴィス大佐、基地警備責任者の佐藤一尉といった軍関係者。

 先日、奇跡の鉱石『賢者の石』を発見した地質学の権威、須田教授を始めとする各分野のトップ科学者たち。

 そして、アドバイザーとして、もはやこのプロジェクトに不可欠な存在となったライトノベル作家の沢渡恭平と月城るな。

 彼ら全員が、言葉を発することなく、ただパオの入り口を凝視していた。


 約束の時刻、午前十時きっかり。

 パオの入り口に控えていた警備兵が、凛とした声で高らかに告げた。


「――リリアン王国、王室直属使節団、ご到着!」


 その声と共に、パオの入り口から、ゆっくりと一団が入場してきた。

 小此木は、息を呑んだ。

 行商人たちのそれとは、明らかに次元の異なる威厳と気品。

 先頭に立つのは、深い紫色のローブに身を包んだ、小柄な老婆だった。その顔には深い皺が刻まれ、その背は老いによって少し曲がっている。だが、その手にした世界樹の杖と、全てを見通すかのように澄み切った瞳は、彼女がただの老人ではないことを雄弁に物語っていた。

 王立魔導院の長、大魔導師エルドラ。大陸最高の叡智と謳われる、生ける伝説。


 彼女の背後には、王国騎士団総長ヴァレリウス公爵が、寸分の隙もない立ち姿で控えている。その全身を覆う白銀の鎧は、ただの鉄ではない。魔法が付与されたミスリル銀でできているのだろう、魔晶石の光を反射して、神々しいまでの輝きを放っていた。

 さらにその後ろには、王国の賢者と思われるローブ姿の男女と、ヴァレリウス公が率いる王国最強の近衛騎士たちが、整然とした隊列を組んで続いていた。

 彼らがパオの中に入った瞬間、室内の空気が変わった。

 地球の科学技術が生み出した無機質な空間が、まるで古の神殿のような、荘厳で神秘的な気に満たされたのだ。


「……ようこそ、ベースキャンプ・フロンティアへ。リリアン王国使節団の皆様。私は、この地球代表団の責任者を務めます、オコノギと申します」

 小此木は、極度の緊張を押し殺し、練習通りにこやかで、しかし威厳を失わない声で言った。彼の言葉は、神の恩恵である自動翻訳スキルによって、滑らかなリリアン王国の宮廷語へと変換される。


「ご丁寧な出迎え、感謝する」

 大魔導師エルドラが、静かに、しかしよく通る声で応じた。老婆の声とは思えない、若々しい張りがそこにはあった。

「わらわは、女王陛下の名代として参った、エルドラと申す。此度の会談が、我らと、そして『天上の人』であるそなたたち双方にとって、実りあるものとなることを願っておる」


 儀礼的な挨拶が終わった。

 エルドラは、やおら従者に合図を送った。すると、屈強な近衛騎士たちが、ずしりと重そうな、見事な彫刻が施された木製の箱を三つ、テーブルの上に恭しく置いた。


「どうも、どうも。まずはこれを、我らからの友好の証として、お受け取りくだされ」

 エルドラがそう言うと、箱の蓋が開けられた。

 その瞬間、パオの中にいた地球側の代表団から、抑えきれない感嘆の声が漏れた。

 一つ目の箱には、目も眩むほどの巨大な宝石が、ぎっしりと詰められていた。地球の市場に一つでも出回れば、億の値がつくであろう最高品質のルビー、サファイア、エメラルド。

 二つ目の箱には、黄金。それも、まるで溶かした太陽をそのまま固めたかのような、どこまでも純粋で深い輝きを放つ、高純度の金塊が山と積まれていた。

 そして、三つ目の箱には、銀。月の光を閉じ込めたかのような、清らかな輝きを放つミスリル銀のインゴットが並んでいた。


「これはこれは……!」

 小此木は、思わず言葉を失った。これほどの富を、ただの「挨拶」として差し出すとは。リリアン王国の国力、そしてこの交渉に賭ける彼らの本気度が、痛いほど伝わってくる。

「こ、こんなに素晴らしい宝石や貴金属を、ありがとうございます。感謝に堪えません」


 彼は、すぐさま部下に指示を飛ばした。

「おい! 我々からの返礼の品を用意しろ! 最高級のチョコレートの詰め合わせを、使節団の全員分だ! 急げ!」


 部下たちが慌ただしく動き、やがて美しい漆塗りの箱に詰められた色とりどりのチョコレートが、エルドラたちの前に並べられた。

 近衛騎士たちの、厳格な仮面のような表情が、わずかに緩んだのを小此木は見逃さなかった。やはり、この世界の人間にとって、チョコレートは抗いがたい魅力を持つらしい。


「ふむ。これが、噂の…」

 エルドラは、その一粒を興味深そうに眺めていた。


「さて、エルドラ殿」と、小此木は本題を切り出した。「それで、今回はどのようなご要件で、我々の元へお越しになられたのでしょうか?」


「うむ」

 エルドラは、こくりと頷いた。「単刀直入に参ろう。我らリリアン王国は、そろそろ貴国と、正式な国家としての交易を始めたいと考えておる」

 彼女の目が、小此木の背後に控える科学者たちの方に向けられた。

「リリアの商人たちから、聞き及んでおる。貴国の方々は、我らが作る『怪我治癒ポーション』に、大変な興味をお持ちであると。その不思議な効能を解き明かそうと、熱心に研究されておるとも」


 その、全てを見透かすような言葉に、科学者たちがごくりと喉を鳴らした。


「左様です」と、小此木は正直に認めた。「貴国のポーションが持つ治癒の力は、我々の『科学』の常識を超えた、素晴らしいものだと認識しております」


「そうであろうな」

 エルドラは、満足げに頷いた。そして、彼女は懐から、一本の小さな水晶の小瓶を取り出した。

 その小瓶の中には、まるで夜明けの空の色をそのまま溶かし込んだかのような、淡い黄金色の液体が、自ら光を放つように輝いていた。

 その小瓶が取り出された瞬間、パオの中の空気が、清浄な気に満たされたのを、誰もが肌で感じた。


「そなたたちが、リリアの街の薬屋などで手に入れられるポーションは、いわば三級品じゃ。薬草の絞り汁を、未熟な錬金術師が混ぜ合わせただけのな」

 エルドラは、その黄金色の小瓶を、テーブルの上に静かに置いた。

「じゃが、これは違う。これは、わらわが王家の秘伝の製法に基づき、月光が満ちる夜に、マナの力が最も高まる聖域で精製した、**最高純度の『聖癒のポーション』**じゃ」


 彼女は、その驚くべき効能を語り始めた。

「そこらのポーションが軽い切り傷を癒すのが関の山なのに対し、これは文字通り、どんな病や怪我にも効く。致死の猛毒に侵されようが、呪いによって身体が蝕まれようが、あるいは戦で腕の一本を失おうが、これを飲めば、たちどころに完全に癒える。例外は、ない」

 そして彼女は、さらに信じがたいことを付け加えた。

「しかも、これは原液じゃ。この一滴を清水で満たした杯に落とせば、その杯の清水全てが、軽い傷程度なら癒す下級ポーションへと変化する。この一本分あれば、およそ百人の兵士の命を救うことができよう」


 地球側の代表団は、もはや声も出なかった。

 どんな病も、怪我も癒す。失った四肢さえ再生させる。

 それは、彼らの世界では、神の御業としか言いようのない奇跡。

 その奇跡が今、液体という形で、目の前に存在している。


「まず、手付金として、これを三本差し上げよう」

 エルドラは、こともなげに、さらに二本の同じ小瓶をテーブルの上に追加した。

「今後の交易次第では、もっと多くのポーションを提供することも、やぶさかではない。もちろん、そちらが我らの満足する対価を支払うというのなら、の話じゃがな」


「こ、これは、これは、ありがたい…!」

 小此木は、もはや外交官の冷静さを保つのがやっとだった。彼の背後で、須田教授を始めとする科学者たちが、今にもテーブルに駆け寄りそうな勢いで身を乗り出しているのを、必死に背中で制する。

「……そちらが、お望みの対価とは、一体どのようなものでしょうかな?」


「うむ」と、エルドラは頷いた。「そうですね。まず、このチョコレートが、やはり欲しいですね。我が国の王も、いたくお気に召しておられた。最優先で、安定した供給ルートを確保したい」


(……やはり、そうか)

 小此木は、内心で頷いた。


「それ以外だと、やはり金や宝石ですね。そちらの世界の品は、我らの世界の物とは比べ物にならぬほど、純度が高いと聞いております。特に、その精錬技術には、大いに興味がある」


(技術供与を要求してくるか。だが…)

「うーむ…」と、小此木は腕を組んだ。「では、お見せしましょう。我々の世界の金と宝石が、どれほどのものかを」

 彼は、部下に合図を送った。

 やがて、ジュラルミン製の厳重なケースが運び込まれ、テーブルの上に置かれた。

 ケースが開かれると、今度はリリアン王国側の代表団が、息を呑んだ。

 そこにあったのは、寸分の曇りもない、完璧な輝きを放つ金塊と、寸分の狂いもなく同じ形にカットされた、数十個のダイヤモンドだった。

 その純度は、99.999%。

 自然界ではありえない、科学が生み出した完全な「純粋」。


「おお…!」

 エルドラでさえ、その異常なまでの輝きに、わずかに目を見開いた。

「これは、素晴らしい。素晴らしい純度の金ですね…。失礼ですが、このような完璧なものを、一体どのような製法で…?」


「それは、国家機密ですな」

 小此木は、エルドラの言葉を、にこやかに、しかしきっぱりと遮った。

「ですよね。失礼しました」

 エルドラは、あっさりと引き下がった。だが、その瞳の奥で、探るような光が揺らめいたのを、小此木は見逃さなかった。

 互いに、腹の中を探り合っている。

 この交渉は、まだ始まったばかりなのだ。


「どうぞ。こちらの国から持ってきた、最高純度の宝石と金です。この金と宝石は、そちらに預けますので、どうぞご自由にお持ち帰りになり、よくご確認下さい」

 小此木は、そう言ってジュラルミンのケースをエルドラの前に押し出した。

 物々交換。

 ポーション三本と、地球最高純度の金と宝石。

 最初の取引は、成立した。


 場の空気が、わずかに和らぐ。

 小此木は、最後の確認として、テーブルの上の黄金色の小瓶を指さした。

「……念のため、お伺いしますが。このポーションは、本当に、どんな病や怪我にも効くので? 例外は、ないと?」


 その問いに、エルドラは、初めて、老婆らしい穏やかな笑みを浮かべた。

「ええ。例外はありません。なぜなら、これは人の手ではなく、魔法の力で直接生命の理を紡ぎ直す、神代より伝わる逸品ですので」


「……分かりました。今日は、誠にありがとうございました」

 小此木は、深く頭を下げた。


 交渉は、終わった。

 リリアン王国の使節団は、地球製のチョコレートと金塊を手に、満足げな、しかしその内心には様々な計算を秘めた表情で、ベースキャンプを後にして行った。


 後に残された、地球側の代表団。

 彼らがいたパオの中は、興奮の坩堝と化していた。

「小此木くん! やったな!」

 須田教授が、子供のようにはしゃぎながら、黄金色のポーションの小瓶を震える手で掲げた。

「これだ! これさえあれば! 我々の医学は、一千年先に進む! いや、全く新しい次元に突入する! 癌も、老化も、我々はこの魔法を科学で解き明かし、克服するぞ!」


 その熱狂の中で、一人。

 小此木だけが、冷静だった。

 彼は、窓の外、使節団が消えていった森の奥を、険しい目で見つめていた。

(……手付金で、これか)

 彼の脳裏に、エルドラの最後の言葉が蘇る。

『今後の交易次第では、もっと多くのポーションを提供できる』

 そして、リリアン王国の王が、本当に望んでいるであろう、究極の切り札。


(彼らは、その対価として、一体何を要求してくる…?)

 チョコレートや金では、済むまい。

 いずれ彼らは、我々の「科学」そのものを要求してくるだろう。

 あるいは、それ以上の何かを。

 そして、その時、我々人類は、その悪魔の取引に応じるのか。否か。

 そのあまりにも重い判断を、自分たち中間管理職が、下さなければならない。


 小此木は、深い、深いため息をついた。

 手に入れた奇跡の価値は、計り知れない。

 だが、その奇跡と引き換えに、自分たちが何を支払わされることになるのか。

 その請求書は、まだ誰にも見えていなかった。

 神の不在のまま、人間と、異世界の住人との、高度で危険なチェスゲームの第一手は、今まさに、指されたばかりだった。

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― 新着の感想 ―
(YouTubeに動画がある)国家機密の金の精錬(笑)
 商人が守らないといけない信用がかけらもない交渉だな対価が釣り合っていないからバレたら終わるね。だますなら場所によってはただの水が数倍の値になるような付与価値を付けておかないとね、またはバレても付与価…
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