第169話
異世界アステルガルド。
その中央部に覇を唱える、リリアン王国王都ライゼン。
かつては魔晶石の淡い灯りだけが夜を照らしていたこの古都は、今、劇的な変貌を遂げていた。
シルヴァリオン宮殿の尖塔からは、地球からもたらされたソーラーパネルと魔石バッテリーを組み合わせたハイブリッド電源が、城内のみならず城下町の主要な通りにまで、かつてないほど明るく安定した光を供給している。
石畳の道を往く馬車には、地球製のサスペンションやゴムタイヤが装着され、その乗り心地は王侯貴族たちを驚嘆させていた。
市場には「異界の穀物」や「缶詰」が山と積まれ、かつては冬が来るたびに飢えに怯えていた民衆の顔には、安堵と、そして未来への希望に満ちた血色が戻っていた。
だが、最も劇的な変化が起きているのは、王国の心臓部――玉座の間であった。
「――白銀の牙騎士団、全部隊、只今帰還いたしました!」
重厚な扉が開かれ、リリアン王国が誇る最強の騎士団が整然と足を踏み入れる。
彼らの姿は、数ヶ月前にこの場所を旅立った時とは、似て非なるものへと変貌していた。
身に纏うのは、アステルガルド伝統のミスリル銀の鎧。
だが、その下には地球製の高機能コンプレッションインナーを着用し、関節部や急所にはダンジョン産の素材を用いた補強が施されている。
腰に佩いた剣は、地球の『F級』や『E級』ダンジョンでドロップしたマジックアイテムたちだ。
一見すると飾り気のない量産品に見えるが、その切れ味と耐久性は、王国の名工が打った業物をも凌駕する。
そして何より、彼らの瞳に宿る光が違っていた。
未知の世界で「システム」という新たな理に触れ、死線をくぐり抜け、そして「居酒屋」という文化の洗礼を受けた者たち特有の、ふてぶてしくも頼もしい輝き。
玉座に座る老王セリオン四世は、その勇姿を眩しそうに見つめた。
彼の傍らには、大魔導師エルドラ、そして騎士団総長ヴァレリウス、財務卿ギデオンが控えている。
「うむ。大儀であった、ガレスよ」
セリオン王が威厳と慈愛に満ちた声をかける。
「そなたらの活躍は、日本のニュース……という魔法の絵姿を通して、余も見ておったぞ。あの『深霧踏破戦線』とやら、実に見事な戦いぶりであった」
騎士団長ガレスが片膝をつき、恭しく頭を下げる。
「ははっ。過分なお言葉、恐悦至極に存じます。
此度は地球での長期遠征の成果として、王家への献上品を持ち帰りました」
ガレスの合図と共に、副団長たちが進み出る。
彼らが捧げ持った二つの豪奢な宝箱。
その蓋が開かれた瞬間、玉座の間は神秘的で、かつ濃密な魔力の奔流に満たされた。
右の箱に収められていたのは、氷の結晶をそのまま削り出したかのような、青白く輝く十対の籠手。
左の箱に収められていたのは、深い霧の色を閉じ込めた革で作られた、十足の長靴。
それこそが、今回のイベントで騎士団が総力を挙げて確保した、KAMIお手製のユニークアイテム(レガシー版)であった。
「……ほう」
セリオン王が身を乗り出す。
「これが噂の……」
「はい」
ガレスが誇らしげに説明する。
「こちらが『霧払いの手甲』。攻撃時に冷気の爆発を巻き起こし、敵を連鎖的に粉砕する殲滅兵器でございます。
そしてこちらが『霧渡りの長靴』。あらゆる物理的障害をすり抜け、神速の移動を可能にする幻影の具足でございます」
大魔導師エルドラが、たまらずといった様子で宝箱に歩み寄る。
彼女は今は老婆の姿をとっているが、その翠色の瞳は少女のように輝いていた。
震える手で『霧払いの手甲』の上に掌をかざす。
「……凄まじい」
彼女の口から感嘆の吐息が漏れた。
「これに込められた術式……いや、これは術式などという生易しいものではない。
『敵を倒せば爆発する』という因果そのものが、アイテムという形をとって固定されておる。
魔力を込める必要すらない。
ただ振るえば、世界が勝手にその結果を出力する……。
流石は神KAMI様が作りたもうたアイテムじゃ!」
「神の御業か」
ヴァレリウス総長もまた、武人としての本能でその恐ろしさを感じ取っていた。
「これ一つあれば、一個小隊……いや、使い手次第では一個中隊の戦力を有するに等しい。
それを十個も持ち帰るとは……。ガレス、よくやった」
セリオン王は満足げに頷いた。
「うむ。でかしたぞ。
エルドラよ、ヴァレリウスよ。この宝、いかに使う?」
王の問いに、二人の重鎮は即座に答えた。
「『霧払いの手甲』は、魔物討伐の要となりましょう」
ヴァレリウスが断言する。
「辺境に巣食うオークの群れや、近年増加傾向にある蟲型魔獣の大群。
これまでは魔法使いの支援がなければ苦戦を強いられましたが、この手甲を持つ騎士が一人いれば、単独で巣を壊滅させることも可能です。
国境警備の要所に配置すれば、我が国の防衛力は盤石となりましょう」
「そして『霧渡りの長靴』は……」
エルドラが少し声を潜めた。
「これは究極の諜報手段、あるいは王の懐刀となるでしょう。
壁を抜け、敵陣の只中を風のように駆け抜ける。
密偵に持たせれば、敵国の機密は筒抜けとなりましょう。
あるいは万が一の際の、王族の緊急脱出用としても、これ以上のものはありません」
「うむ」
セリオン王は、その戦略的価値を即座に理解した。
「攻めと守りと、そして情報。
たった二十個のアイテムが、我が国の安全保障を数段階引き上げるわけか。
……地球という世界、そしてダンジョンという場所は、まことに底が知れぬな」
だが、騎士団が持ち帰ったのは、これらの至宝だけではなかった。
「陛下」
ガレスが続ける。
「これらユニークアイテム以外にも、我々は数千点に及ぶ『マジックアイテム(青装備)』と『レアアイテム(黄装備)』を持ち帰りました。
現在、城の中庭にて荷解きを行っております」
「数千点だと!?」
財務卿ギデオンが目を丸くする。
「それだけの武具を全て、ダンジョンで調達したというのか?」
「はい。向こうのオークションで競り落としたもの、そして我々自身がドロップさせたものです。
これらは全て、我が王国の一般兵士たちへ順次配布いたします」
ガレスは胸を張った。
「これまで鉄の剣と革の鎧で戦っていた我が軍の兵士たちが、これからは魔法の剣と魔法の鎧を纏うことになります。
『切れ味が落ちない剣』『火に強い鎧』『疲れを知らない靴』……。
騎士団だけでなく、王国軍全体の底上げがなされれば、もはや周辺諸国の軍隊など恐れるに足りません」
「素晴らしい……!」
ヴァレリウスが拳を握りしめる。
「軍事力があって損はないからな。
北の帝国が最近きな臭い動きを見せているが、これを知れば手出しはできまい」
リリアン王国は今、地球のダンジョン資源を吸い上げることで、この世界における軍事的・経済的な超大国へと変貌しようとしていた。
その急速な強化は、王の賢明な判断と騎士たちの献身によって成し遂げられたものだった。
だが、光があれば影もある。
セリオン王はふと表情を曇らせ、一つの懸念を口にした。
「……しかしのう。エルドラよ」
王は玉座の肘掛けを指で叩いた。
「良いことばかりではないかもしれん。
今回のイベントの目玉であった『怪我治癒ポーション・改』……あれの話じゃ」
その言葉に、エルドラもまた少しだけ複雑な表情を浮かべた。
「……はい。陛下のご懸念、察するに余りあります」
「向こうでは、あのポーションが1万本もばら撒かれたそうじゃな。
死と老化以外、全てを治す神の薬。
……あれは我が国の国宝である『秘伝のポーション』と、ほぼ同等の効能を持つ」
王は苦笑した。
「少しうちの利益が減ったか? エルドラ?
我が国が切り札として持っていた『秘薬』の価値が、相対的に暴落してしまったのではないか?」
リリアン王国はこれまで、その高度な錬金術によるポーションを外交カードとして利用してきた。
不治の病に侵された他国の王族を救うことで恩を売り、有利な条約を結ぶ。
だが、地球に1万本もの同等品が存在するとなれば、その希少性は薄れる。
「そうですね……」
エルドラは静かに頷いた。
「秘伝のポーションの価値は、間違いなく落ちました。
『リリアン王国に頼まなくとも、地球のオークションで買えば良い』と考える国も出てくるでしょう」
だが、彼女はすぐに自信に満ちた笑みを浮かべた。
「ですが陛下。
まあ、向こうからの利益を考えると、微々たるものかと」
「ほう?」
「考えてもみてください。
我が国の秘伝ポーションは、最高位の錬金術師がつきっきりで希少な材料を費やして、流石にこちらは年1本生産するのがせいぜいですからね。
それも成功率は五分五分。
王族や最重要人物のために確保するのがやっとで、外交に使う余裕など、本来はなかったのです」
エルドラは続ける。
「対して地球では1万本が流通したとはいえ、彼の地の人口は数十億。
需要に対して供給が追いついていないのは明らかです。
向こうではポーションを巡って国を揺るがすほどのオークションが開催されているとか。
1本10億円以上……こちらの通貨に換算すれば、城がいくつも建つ値段で取引されているのです」
「……10億か」
ギデオン財務卿が眩暈を覚えたように額を押さえる。
「こちらのポーションを売りつければ大儲け……と言いたいところですが、生産が追いつきませんな」
「左様。こちらの人間の分で手一杯です」
エルドラは結論づけた。
「それに我々は、ポーションの独占権を失った代わりに、地球から『食料』『鉄』『紙』『ガラス』……数え切れないほどの富と技術を得ました。
トータルで見れば、我が国の利益は天文学的なプラスです。
ポーションという一つのカードの価値が下がった程度、必要経費と割り切るべきでしょう」
「……ふむ。それもそうか」
セリオン王は憑き物が落ちたように笑った。
「気にしても仕方がないな。
むしろ我々が必死で作っていた秘薬を、イベントの景品として1万本も用意してしまうKAMI様のデタラメさに、改めて敬服するほかあるまい」
王は目の前に並ぶ騎士たちを見渡した。
彼らの顔には疲労の色もあったが、それ以上に充実感が溢れている。
「騎士団、ご苦労だった。
そなたらの働きのおかげで、我が国はまた強くなった。
……さて、まずはゆっくりと休むが良い。
食事か、労いをしたいが……」
王は少しだけバツが悪そうに、そして羨ましそうに言った。
「向こうのほうが美味しいからなぁ……」
その一言に、玉座の間が微妙な空気に包まれた。
リリアン王国の宮廷料理は、この世界では最高峰だ。
だが地球の「飽食の時代」が生み出した料理――焼き鳥、ラーメン、カレー、そしてスイーツの魔力の前では分が悪いことを、王自身が認めてしまっていた。
「……」
ガレス団長以下、騎士たちが一斉に苦笑いする。
彼らの舌は既に、新橋のガード下や六本木の高級焼肉に完全に攻略されてしまっていたのだ。
王宮の宴よりも、コンビニのホットスナックが恋しい……などとは口が裂けても言えないが。
「いいえ! 滅相もございません!」
ガレスが慌ててフォローする。
「陛下のお心遣いだけで、我らは十分に満たされております!
名誉だけで大丈夫です!
我らの胃袋は、祖国への忠誠心で満タンであります!」
「そうかそうか」
王は苦笑しながら頷いた。
「まあ、日本の食料も大量に輸入しておるからな。
今夜の宴には『すき焼き』とやらを出させよう。
では英気を養った後、引き続き日本で頑張ってくれ!
次のイベントも近いと聞く。頼んだぞ!」
「ハッ! この身に変えましても!」
騎士たちは一斉に踵を返し、足音高く玉座の間を去っていった。
その背中は以前よりもずっと大きく、そして頼もしく見えた。
彼らは地球で戦い、食べ、そして強くなって帰ってくる。
この循環こそが、今のリリアン王国を支える太い血管となっていた。
***
騎士たちが去った後、玉座の間には再び王と三人の重鎮たちだけが残された。
空気の色が少しだけ変わる。
祝祭の時間は終わり、冷徹な政治の時間だ。
「さて……」
セリオン王が手元の羊皮紙の束を手に取った。
そこには周辺諸国――北のガルニア帝国、西の商業都市連合、南の獣人部族会議からの親書が綴じられていた。
「次の案件は、これじゃ。
『日本とアメリカに接触させてくれ』と、他国からまた陳情が来てるのか」
王の声に疲労の色が滲む。
リリアン王国が地球との交易を独占し、急速に発展していく様子を周辺国が黙って見ているはずがなかった。
当初は静観していた彼らも、魔石製品や地球産食料が市場に出回るにつれ、その焦りを隠せなくなっていた。
『我々にも天上の人を紹介しろ』
『独占は不当だ』
『仲介しなければ武力行使も辞さない』
陳情はもはや、脅迫に近いトーンを帯び始めていた。
「どうする、エルドラ?」
王は知恵袋である大魔導師に問いかけた。
「これ以上、門を閉ざし続けるのは得策ではあるまい。
かといって無制限に開放すれば、我が国の優位性が失われるだけでなく、地球側にも迷惑がかかる」
エルドラは静かに目を閉じて思考を巡らせた。
彼女は地球で見てきた。
あの世界の人々が、いかに「バランス」と「順序」を重んじるかを。
そしてKAMIという存在が、無秩序な混乱を何よりも嫌うことを。
「そうですねぇ……」
エルドラが目を開ける。
「そろそろ焦れて強硬手段に出そうですし……。
北の帝国などは、国境付近に軍を集結させつつあるという情報もございます。
ここでガス抜きをしなければ、本当に戦争になりかねません」
「うむ。わしもそう思う」
「ですので」
エルドラは提案した。
「ひとまず比較的仲が良い国の穏健派から、交流を開始してはどうでしょうか?
例えば西の商業都市連合。
彼らは商売人です。武力よりも利益を優先します。
彼らの代表団を、我が国の管理下で日本へ『観光』に連れて行くのです」
「観光か」
王が顎を撫でる。
「はい。正式な国交や通商条約ではありません。あくまで『視察』です。
彼らに地球の圧倒的な国力と、KAMI様の威光を肌で感じさせるのです。
あの摩天楼を見せ、新幹線に乗せ、そしてコンビニの品揃えを見せれば……。
彼らは理解するでしょう。『力ずくで奪うなど不可能だ』と。
そして『リリアン王国を通じて、友好的に取引するしか道はない』と」
「なるほど。威嚇射撃ならぬ、威嚇観光か」
ギデオン財務卿が悪徳商人のような笑みを浮かべた。
「彼らを圧倒し、戦意を喪失させ、そして我が国への依存度を高める。
悪くありませんな」
「それに」
エルドラは付け加えた。
「地球側……特に日本の九条殿も、それを望んでおられる節があります。
『アステルガルドの他の国とも、争いにならない範囲で繋がりたい』と。
彼らにとっても、新たな市場の開拓はメリットがあるはずです」
「うむ」
セリオン王は決断した。
「そろそろそのタイミングか……。
鎖国を続けるだけでは、いずれ内圧で破裂する。
ならば我々が蛇口を握り、コントロールしながら開くのが上策」
王は命じた。
「我が国の優位性を崩さない程度に、日本観光をさせてやれ。
案内役はエルドラ、お主に任せる。
彼らが地球の毒気に当てられ、腰を抜かす様を特等席で見物してこい」
「御意」
エルドラは優雅に一礼した。
「では、そのように……」




