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賢者の石を手に入れた在宅ワーカーだけど、神様って呼ばれてるっぽい  作者: パラレル・ゲーマー


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第165話

 その日、リアム・スミスの朝は、ロンドンのヒースロー空港の霧雨ではなく、太平洋の真ん中、ハワイ・ワイキキビーチの突き抜けるような青空の下で始まった。


 彼は砂浜に設置されたデッキチェアに深く体を預け、極彩色のトロピカルカクテル『ブルーハワイ』の結露したグラスを指でなぞる。

 視線の先には絵画のように美しい水平線と、ダイヤモンドヘッドの威容。

 そして、その絶景のすぐ脇、ビーチの端にそびえ立つ、あまりにも場違いで、しかし今や世界で最も見慣れた建造物――『州間転移ゲート(インターステート・ゲート)』の白銀のリングが見えた。


 リアムはスマートフォンを取り出し、今の自分の足を――砂にまみれた素足と、その向こうの海を――フレームに収めてシャッターを切る。

 慣れた手つきでインスタグラムを開き、ストーリーに投稿する。


 『Morning vibe in Hawaii 先週ロンドンの雨の中にいたなんて信じられない。KAMIに感謝! #Hawaii #GateTravel #DungeonLife』


 投稿ボタンを押した瞬間、即座に友人たちからの「いいね!」と、羨望のコメントが付き始める。

 リアムは満足げに笑った。

 彼はロンドンのしがないウェブデザイナーだ。

 本来なら、こんな優雅なバカンスを楽しめる身分ではない。

 円安ならぬポンド安と、世界的なインフレで、海外旅行など夢のまた夢だったはずだ。

 だが世界は変わった。

 ダンジョンという黄金の鉱脈と、ゲートという魔法の扉によって。


「さてと……」


 彼はカクテルを飲み干すと、サングラスを直して立ち上がった。

 まだ午前11時。

 昔なら、ハワイに来たら数日は滞在して元を取ろうとしただろう。

 だが今の常識は違う。

 移動コストはゼロ、移動時間は一瞬。

 ならば、一つの場所に留まる理由はない。


「ランチは……そうだな、南部サウスの味でも楽しみに行くか」


 彼は水着の上にラフなTシャツを羽織り、ビーチサンダルのままゲートへと向かった。

 ゲートの周りには、彼と同じような軽装の観光客たちが列をなしている。

 巨大なリングの内側には、水面のように揺らめく空間の渦。

 その向こう側は、数千キロ離れた別の大地だ。


 セキュリティチェックは、かつての空港のような厳重さはなく、顔認証と生体スキャンによる一瞬の通過儀礼で終わる。

 KAMIの技術供与によって作られたこのシステムは、テロリストを瞬時に識別し、善良な市民(と観光客)だけを通す。


 リアムはゲートをくぐる。

 一瞬の浮遊感。

 視界が白く染まり、そして――。


 むっとするような湿気と、スパイシーな香辛料の香り、そして陽気なジャズの音色が彼を包み込んだ。


 アメリカ合衆国、ルイジアナ州ニューオーリンズ。


「Hey, Brother! ようこそ、ジャズの街へ!」


 ゲートを抜けた先の広場でサックスを吹いていた黒人の老人が、ウインクを投げてくる。

 さっきまでの潮騒は消え、代わりにフレンチ・クォーターの喧騒が広がっている。

 ハワイからルイジアナへ、移動時間わずか3秒。

 時差ボケする暇さえない。


 リアムはスマホの地図アプリを開き、評判のクレオール料理店へと足を向けた。

 名物のガンボスープとジャンバラヤ。

 スパイスの効いた濃厚なスープを口に運びながら、彼は再びスマホを取り出す。


 『Lunch in New Orleans ハワイの次はここ。ガンボ最高! #NewOrleans #FoodPorn』


 コメント欄が盛り上がる。

 『お前、移動しすぎwww』

 『金、大丈夫かよ?』

 『夜はD.C.か?』


 リアムは友人のコメントにニヤリと笑って返信する。


 『もちろん。旅費は現地調達ダンジョンが今のトレンドだろ?』


 そう。これが現代の新しい旅のスタイルだ。

 「ダンジョン・ツーリズム」。

 米国中をゲートで飛び回り、観光を楽しみ、そして旅費が足りなくなったら、その土地のダンジョンに潜って魔石を稼ぐ。

 KAMIがもたらした「どこでもドア」と「ATMダンジョン」は、人類の移動と消費の概念を根底から覆してしまったのだ。


 ***


 午後4時。

 リアムは再びゲートをくぐった。

 今度の目的地は、アメリカ合衆国の首都であり、そして今や世界最大の「ダンジョン観光都市」となった場所。


 ワシントンD.C.。


 ゲートを出た瞬間、空気の質が変わったのを感じた。

 ハワイの開放感とも、ニューオーリンズの陽気さとも違う。

 そこにあるのは、政治の中枢としての重厚さと、そして無数の冒険者たちが発する熱気と欲望が混じり合った、独特の昂揚感だった。


 目の前にはナショナル・モールが広がっている。

 その彼方にそびえる白いオベリスク、ワシントン記念塔。

 そして、その足元、かつては芝生が広がっていた広大なエリアに、無数のテントとプレハブ、そして異様な存在感を放つ漆黒の「穴」がいくつも口を開けていた。


 ワシントンD.C.中央ダンジョン群。

 F級からD級まで、初心者から中級者向けのダンジョンが集中するこのエリアは、世界中から集まる観光客探索者ツーリスト・シーカーたちの聖地となっていた。


 リアムはモールの一角に立ち並ぶレンタルショップ街へと向かった。

 軒先には様々な言語で書かれた看板が掲げられている。

 『手ぶらでOK! 初心者セット貸し出し中』

 『We Speak English, Spanish, Japanese, Chinese!』

 『今日のレート:F級魔石 $95 / 個』


 彼は一軒の店、『スター・スパングルド・アーモリー(星条旗武器店)』の暖簾をくぐった。

 店内には所狭しと武器や防具が並べられている。

 だが、日本のギルドショップで見られるような剣や槍といった「ファンタジーな武器」は少ない。

 ここアメリカで主流なのは、やはり――。


「いらっしゃい! 調子はどうだい、若いの!」


 店主の恰幅の良い男が愛想よく声をかけてきた。

 リアムは慣れた口調で注文する。


「F級ダンジョンに潜りたいんだ。

 ハンドガンと、あと軽装のアーマーを借りたい」


「オーケー! ハンドガンなら、こいつがおすすめだ」


 店主がカウンターに置いたのは、武骨な黒い拳銃。グロック17だ。

 だが、そのスライド部分には微かに青い幾何学模様が浮かび上がり、銃口からは陽炎のような魔力の揺らぎが見える。


 『マジック・グロック(F級)』。

 『富のオーブ』によって魔導化され、モンスターにも通用するように改造された、現代の魔法の杖。


弾倉マガジンはどうする?

 標準のマナ・バレットでいいか? それとも属性弾にするかい?」


「標準でいいよ。相手はゴブリンだしね」


「了解だ。レンタル料は保険込みで200ドル。

 魔石3個拾えば元が取れるぜ」


 リアムはクレジットカードで支払いを済ませ、装備を受け取った。

 ボディアーマーをTシャツの上から着込み、腰のホルスターにグロックをねじ込む。

 その重みが彼に「探索者」としてのスイッチを入れる。


「よし……稼ぐか」


 彼は店の鏡に向かって自撮りをする。

 銃を構えたポーズ。背景には星条旗。


 『Time to hunt! ワシントンで一稼ぎ。今夜の宿代と明日のチケット代を稼いでくる! #Dungeon #MagicGun #WashingtonDC』


 投稿と同時に、彼は店を出て、夕暮れのナショナル・モールを歩き出した。

 周囲には同じようにレンタル装備に身を包んだ観光客たちが溢れている。

 ドイツ人の学生グループ、中国人の家族連れ、日本のサラリーマン風の男。

 彼らは皆、観光ガイドブックの代わりに武器を手にし、美術館巡りをするような気軽さで、死地であるはずのダンジョンへと向かっている。


 リアムが選んだのは『F級・地下墓地の回廊』というゲートだ。

 入り口には長蛇の列ができているが、回転は早い。

 ゲートキーパー(入国管理官のような服装だ)にパスポートと探索者ライセンスを提示し、スキャンを受ける。


「イギリスからか。ようこそ。

 ルールは知ってるな? 他のパーティへの干渉禁止。横取り禁止。緊急時はポータル使用すること」

「ああ、分かってるよ」

「Good luck. 生きて戻れよ」


 ゲートキーパーの決まり文句を背に、リアムは漆黒の渦へと足を踏み入れた。


 一瞬の浮遊感の後。

 空気の質が変わった。

 乾燥した埃っぽい匂い。

 石造りの壁に反響する、微かな風の音。

 そこは薄暗い石造りの迷宮だった。


 壁には一定間隔で『魔石灯』が設置されており、視界は確保されている。

 これはアメリカ政府とギルドが整備した「観光用インフラ」だ。

 F級ダンジョンの浅い階層は、もはや完全に観光地化され、安全マージンが確保されている。


「ギャギャッ!」


 角を曲がった先で、聞き慣れた奇声が響いた。

 ゴブリンだ。

 薄汚い腰布を巻いただけの緑色の小鬼。

 手には錆びたナイフを持っている。


 リアムは慌てず、腰のグロックを抜いた。

 構え、照準を合わせる。

 トリガーに指をかけると、体内のマナが指先を通じて銃へと吸い込まれていく感覚がある。

 魔法の銃は火薬を使わない。

 使用者の魔力を弾丸マナ・バレットとして撃ち出すのだ。


 タンッ!


 乾いた発射音と共に、銃口から青白い光弾が飛び出した。

 光弾は吸い込まれるようにゴブリンの胸に着弾する。


「ギョエッ!」


 ゴブリンが吹き飛ぶ。

 物理的な衝撃と、魔力によるダメージ。

 F級の魔銃の威力は、実弾の9mmパラベラム弾と同等か、それ以上だ。


 タンッ! タンッ!


 リアムは追い打ちをかける。

 二発目、三発目。

 ゴブリンの身体が光の粒子となって崩れ去っていく。


 カラン……。


 ゴブリンが消滅した後に、黒い小石が転がった。

 魔石だ。


「よし、一丁あがり」


 リアムは魔石を拾い上げ、ポケットに入れた。

 これ一個で約100ドル(1万5千円)。

 銃弾三発分の魔力消費(微々たる疲労感)で、高級ディナー一食分が手に入る。

 この「ちょろさ」こそが、ダンジョン・ツーリズムの最大の魅力だ。


 彼は迷宮を進む。

 時折、他の観光客パーティとすれ違う。

「Hi!」「Hello!」と軽く挨拶を交わす。

 ここには殺伐とした空気はない。

 あるのは共通のゲームを楽しむプレイヤー同士の連帯感のようなものだ。


 もちろん危険がないわけではない。

 奥へ進めば、スケルトンやゾンビといった少し厄介な敵も出てくるし、油断すれば怪我もする。

 だがアメリカのダンジョンは「レスキュー体制」も万全だ。

 一定区間ごとに「緊急通報ボタン」が設置されており、押せば数分以内に重武装したギルド職員(元海兵隊員などだ)が駆けつけてくれる。

 まさに至れり尽くせりのテーマパーク。


 リアムは順調に狩りを続けた。

 銃の扱いは、ロンドンでの事前講習と、これまでの旅路での実戦経験で慣れている。

 マナの残量を気にしながら、効率よく敵を倒し、魔石を回収していく。


 途中、奥まった部屋で、少し大きな宝箱を見つけた。


「おっ、ラッキー」


 罠がないか慎重に確認してから開ける。

 中には銀色に輝く小瓶が入っていた。

 『マナ・ポーション(小)』。

 飲めば魔力を回復できる品だ。

 これも店で買えば50ドルはする。


「悪くないね」


 彼は探索を続けた。

 時折スマホを取り出して、ダンジョン内の風景や、倒したモンスターが消える瞬間のエフェクトを撮影するのも忘れない。


 『Dungeon exploring in D.C. ゴブリン狩りも板についてきた。今のところ魔石12個。今夜は豪遊できそう!』


 午後8時。

 マナの枯渇による倦怠感と、心地よい肉体疲労を感じ始めた頃、リアムは撤退を決めた。

 インベントリはパンパンだ。

 今日の収穫は、魔石18個、マナポーション1本、そしてゴブリンが落とした短剣(買取価格は安い)が5本。


 彼は入り口のポータルへと戻り、現実世界へと帰還した。


 ***


 夜のワシントンD.C.は昼間とはまた違った輝きを放っていた。

 ホワイトハウスや議事堂がライトアップされ、その周囲の繁華街はダンジョン帰りの探索者たちでごった返している。


 リアムはまずギルドの換金所へと向かった。

 自動査定機に魔石を流し込む。


 『査定完了。合計買取額:$1,850(約27万円)』


「よしッ!」


 リアムは小さくガッツポーズをした。

 レンタル料を引いても1600ドル以上のプラスだ。

 これでハワイからの移動費も、これからの滞在費も十分にお釣りが来る。


 彼は現金を懐に入れ、夜の街へと繰り出した。

 目指すはジョージタウンの高級バー。

 今日は奮発して、最高級のステーキとワインを楽しもう。


 バーのカウンター席に座り、冷えたビールを喉に流し込む。


「プハァ……! これのために生きてるな」


 隣の席ではドイツ人のカップルが、今日の戦果について熱く語り合っていた。

 反対側では日本の大学生グループが、「明日はE級に挑戦しようぜ」と盛り上がっている。


 リアムはスマホを取り出し、今日の「収支報告」を投稿した。

 札束とステーキの写真。


 『Mission Complete. 本日の稼ぎ$1850。ダンジョン最高。明日は西海岸へ飛びます。アメリカ横断の旅は続く。 #DungeonRich #TravelGram』


 コメント欄が即座に反応する。

 『すげえ! 俺も行きたい!』

 『気をつけてなE級は危ないらしいぞ』

 『お土産よろしく!』


 リアムは満足げに微笑んだ。

 彼は知っていた。

 この国には、もう一つの「ダンジョン」があることを。

 ラストベルトの廃鉱山や、ロッキー山脈の奥地に存在する『鉱山型・採取型ダンジョン』。

 そこでは学者やプロの鉱山労働者たちが、重機と最新鋭の魔法機器を駆使して、レアメタルや高純度魔石を大規模に採掘しているという。

 観光客である自分には縁のない場所だ。

 そこは「遊び場」ではなく「職場」だからだ。


 住み分けは明確だ。

 プロは資源を掘り、観光客は魔物を狩る。

 それぞれの役割で、この巨大なダンジョン経済を回している。


「さて、明日はどこへ行こうか」


 リアムはスマホの地図アプリを開いた。

 アメリカ全土がゲートのアイコンで繋がっている。


 ロサンゼルスでハリウッド映画の聖地巡礼?

 ラスベガスでカジノとダンジョンの二重ギャンブル?

 それともマイアミで再びビーチリゾート?


 距離はもう関係ない。

 移動時間はゼロだ。

「行きたい」と思った瞬間に、そこに行ける。

 そして金がなくなれば、その土地のダンジョンで稼げばいい。


「……自由だ」


 リアムは呟いた。

 かつての世界では考えられなかった、絶対的な自由。

 KAMIがもたらしたこの新しい世界は、危険で、カオスで、そして何よりも刺激的だった。


 彼は残りのビールを飲み干し、会計を済ませた。

 店を出ると夜風が心地よい。

 見上げれば星条旗の向こうに満月が輝いていた。

 半年後には、あそこにも行けるようになるという。

 月面ダンジョン。


「次は宇宙旅行だな」


 リアムは本気でそう思った。

 今のこの世界なら、それも決して夢物語ではない。


 彼はホテルへと歩き出した。

 明日は早起きだ。

 ゲートの向こうには、まだ見ぬ景色と、そして新しい冒険が待っている。

 彼の、そして人類の「大移動時代」は、まだ始まったばかりだった。


 その背中を、街角の大型ビジョンに映るニュースキャスターの声が追いかける。


 『――本日の全米のユニークアイテム産出数は12個。オークション最高落札額は、シカゴで発見された「雷帝の篭手」の3000万ドルでした。落札者は、匿名の投資家グループと見られています……』


「3000万ドルか……」


 リアムは苦笑した。

 それは自分には関係のない世界の話だ。

 自分は今日の1850ドルで十分に幸せだ。


 だが、もしかしたら。

 明日のダンジョンで、自分がその「奇跡」を引き当てるかもしれない。


 その微かな、しかし甘美な可能性をポケットに忍ばせて、彼は眠らない首都の夜を歩いていった。

 アメリカの夜は、欲望と希望の光で、いつまでも明るく輝いていた。



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― 新着の感想 ―
理想的な生き方ですなぁ 無理せず楽しく好きな事をするだけでいい
これは楽しそうですね こんな風に生きられたら幸せなんですが… こんなのをSNSで見せられたらまたルトゥール・ベネットが発狂してしまいますね
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