第158話
【特集ドキュメント】神の雫、残り2000の衝撃 ―― 奇跡を目撃した夜
20XX年XX月XX日 午後8時00分 東京・渋谷 スクランブル交差点
夜の渋谷は、いつものネオンの輝きとは異なる、異様な種類の光と熱に包まれていた。
街頭ビジョン、ビルの壁面広告、そして通行人たちが握りしめる無数のスマートフォンの画面。
それら全てが、一つの数字を表示していたからだ。
『残り在庫数:2,015本』
KAMIが開催した期間限定イベント『深霧踏破戦線』は、その終了期限まであと一週間を残すのみとなっていた。
だが、世界が注目しているのはイベントの終了日時ではない。
イベント報酬として用意された、人類史上初の万能薬――『怪我治癒ポーション・改』。
全世界で限定10,000本とされたその在庫が、いつ尽きるのか。
その一点だった。
イベント開始から約一ヶ月半。
世界中の探索者たちが不眠不休で霧の迷宮を駆け抜け、ポイントを積み上げ、そして交換してきた。
その数は昨日の時点で2,500本を切り、今日、ついに2,000の大台を割ろうとしていた。
午後8時03分。
スクランブル交差点のメインビジョンが、警告音と共に赤く明滅した。
『速報:在庫数更新』
『残り:1,999本』
「ああっ……!」
交差点で信号待ちをしていた群衆から、どよめきとため息が漏れた。
ついに2,000を切った。
それは「神の恵み」が無限ではないことを、そして、その扉が間もなく閉じられようとしていることを、残酷なまでに突きつけるカウントダウンだった。
だが、その焦燥感の裏側で、日本中、いや世界中を包み込んでいたのは、もっと温かく、そして神聖な感情だった。
なぜなら、既に交換された8,000本のポーションの多くが実際に使用され、そして「奇跡」を起こし始めていたからだ。
街頭ビジョンの映像が切り替わる。
ニュース特番のスタジオだ。
この夜、日本の全テレビ局は通常放送を休止し、この「現代の奇跡」に関する特番を組んでいた。
【特別番組】
緊急生放送『奇跡の報告書 ~神の薬が救った命、その真実~』
放送局:JNN系列全国ネット
司会:膳場貴子、安住紳一郎
ゲスト:沢渡恭平(作家)、国立大学医学部教授、宗教社会学者、月読ギルド広報担当
安住:
「こんばんは。時刻は午後8時を回りました。
先ほど、全世界が注目する『怪我治癒ポーション・改』の在庫数が、ついに2,000本を切りました。
イベント終了を待たずして在庫が尽きる可能性が、極めて高くなっています。
今夜は、このポーションが世界に何をもたらしたのか。
そして、実際に使用された現場で何が起きたのか。
数々の『奇跡』の証言と共に、この歴史的な夜をお伝えしていきます」
膳場:
「はい。KAMI様からもたらされたこのポーションは、『死と老化以外、あらゆる傷病を癒やす』とされていました。
当初、医学界からは懐疑的な声も上がりました。
魔法などという非科学的なものが、現代医療でさえ匙を投げた難病を治せるはずがないと。
しかし……現実は、我々の想像を遥かに超えていました。
まずはこちらのVTRをご覧ください。
先日、日本のとある大学病院で起きた、ある少女の物語です」
【VTR:ケースファイル01 『ガラスの部屋の少女』】
(ナレーション:窪田等)
――都内の大学病院、無菌室。
そこに一人の少女が暮らしていました。
真由美ちゃん、8歳。
生まれつきの重篤な免疫不全症候群。
彼女にとって外の世界は、全てが猛毒でした。
空気中のわずかな細菌、花粉、人の肌の常在菌さえも、彼女の命を脅かす敵だったのです。
(映像:ガラス越しに母親と手を合わせる痩せ細った少女の姿。点滴のチューブが何本も繋がれ、肌は透き通るように白い)
真由美ちゃんの母(36):
「……抱きしめてあげることもできませんでした。
一度でいいから外の空気を吸わせてあげたい。桜を見せてあげたい。
でも、お医者様からは『現代の医学では現状維持が精一杯です』と……。
毎日、神様に祈るしかなかったんです」
――そんな絶望の日々の中、ニュースが飛び込んできました。
『KAMI万能治癒ポーションをイベント報酬に設定』
しかし、それは雲の上の話でした。
市場価格は一本10億円以上。一般的な家庭に手の届く金額ではありません。
真由美ちゃんの父(38):
「悔しかった……。
治る薬があるのに、お金がないから娘を救えない。
親として、これほど惨めなことはありません。
クラウドファンディングも考えましたが、時間が足りない。
もう諦めるしかないのかと……」
――ですが、救いの手は思いもよらぬところから差し伸べられました。
『月読ギルド』。
日本最大の民間探索者組織を率いる月島蓮氏が宣言した、「ポーションの無償提供」。
その寄付リストの厳正なる審査の結果、真由美ちゃんが選ばれたのです。
(映像:病院の前に到着する黒塗りの車。降りてきたのはスーツ姿の月島蓮と、厳重なアタッシュケースを持ったギルド員たち)
月島蓮(アーカイブ映像):
「これは、私が稼いだものではありません。
ギルドの仲間たちが血と汗を流して繋いだ、命のバトンです。
どうか受け取ってください」
――そして運命の瞬間。
無菌室の中、医師たちの見守る前で、真由美ちゃんが小さな緑色の小瓶を口にします。
(映像:緊張が走る無菌室。真由美ちゃんが苦い薬を飲むように顔をしかめ、そして飲み込む。
その直後――)
――カッ!
(映像の中で少女の身体が、淡い黄金色の光に包まれる。
モニターの心拍数グラフが激しく乱れ、そして力強く安定していく。
痩せこけていた頬に、見る見るうちに赤みが差していく。
医師たちが驚愕の声を上げる。「数値が!」「白血球が正常値に!」「細胞が……作り変えられている!?」)
――それは、わずか数分の出来事でした。
光が収まった時、そこにいたのは病弱な少女ではありませんでした。
生命力に満ち溢れた、ただの元気な8歳の女の子でした。
(映像:無菌室の扉が開かれる。防護服を着ていない母親が、泣き叫びながら駆け寄り、娘を強く強く抱きしめる)
真由美ちゃんの母:
「あったかい……! 真由美、あったかいよぉ……!」
真由美ちゃん:
「ママ……痛くないよ。苦しくないよ」
――翌日。病院の庭。
秋の木漏れ日の中を、全力で走り回る真由美ちゃんの姿がありました。
生まれて初めて触れる土の感触。風の匂い。
真由美ちゃん(満面の笑みで):
「神様、ありがとうございます!
月島さん、探索者のお兄さんお姉さん、ありがとうございます!
私、生きてるよ!
大きくなったら、私も誰かを助ける人になりたい!」
【スタジオ】
VTRが終わっても、スタジオにはしばらく鼻をすする音だけが響いていた。
司会の膳場貴子も目元を拭いながら、コメントを切り出した。
膳場:
「……言葉になりませんね。
医学の常識では考えられない回復。まさに『奇跡』としか言いようがありません」
安住:
「スタジオには、実際に真由美ちゃんの主治医を務められた東都大学病院の加藤教授にお越しいただいています。
先生、医学的な見地から、この現象をどう説明されますか?」
加藤教授(神妙な面持ちで):
「……正直に申し上げまして、説明不可能です。
彼女の遺伝子レベルでの欠損が、ポーションを服用した瞬間に『修正』されたとしか考えられません。
投薬や手術といった治療ではありません。
肉体が『あるべき完全な状態』へと、時を巻き戻すかのように再構築された(リストア)。
これは、我々人類がまだ到達していない、あるいは到達し得ない『神の領域』の技術です」
膳場:
「神の領域……。
そして、その奇跡を無償で提供したのが、月読ギルドの皆さんでした。
月島代表の行動について、沢渡さんはどうご覧になりますか?」
沢渡恭平(作家):
「いやもう、彼はヒーローですよ。
漫画や小説の中だけの存在だと思っていた『ノブレス・オブ・リージュ(高貴なる者の義務)』を、現代日本で、しかも命懸けのダンジョンで実践してみせた。
1本10億円で売れるものを、ポンと寄付する。
企業の論理、資本主義の論理では絶対にできない決断です。
彼と、彼に賛同して走り回った名もなきギルド員たちこそが、この国の誇りだと思いますね」
安住:
「SNS上でも、感謝の声が溢れかえっています」
(モニターにSNSのタイムラインが表示される)
『真由美ちゃんの笑顔見て号泣した』
『月読ギルド、マジで神かよ』
『KAMI様、こんな素敵なアイテムを作ってくれてありがとう』
『俺も探索者だけど、自分が集めたポイントがこういう奇跡に繋がってると思うと明日も頑張れるわ』
『科学じゃ治せない病気が治る。これだけでダンジョンの存在意義はある』
安住:
「『KAMI様への感謝』。この言葉が非常に多く見られます。
宗教社会学者の磯部先生、この現象をどう分析されますか?」
磯部教授:
「はい。これは非常に興味深い現象です。
当初、KAMIという存在は『未知の脅威』あるいは『ゲームマスターのような管理者』として認識されていました。
しかし、このポーションによる救済が可視化されたことで、人々の中に『慈悲深き神』としての認識が生まれ始めています。
特定の宗教に関わらず、『奇跡をくれた存在』として、素朴な感謝と信仰が芽生えている。
『KAMI教』という組織立ったものではなく、もっと自然発生的な、人類共通の『祈り』の対象になりつつあると言えるでしょう」
【VTR:ケースファイル02 『復活した黄金の左足』】
――奇跡は、子供たちだけのものではありませんでした。
かつて日本中を熱狂させた、一人の英雄の元にも、その光は届きました。
(映像:車椅子に乗った、かつてのサッカー日本代表エースストライカー高原健介(22)。
3年前の試合中の事故で、膝の靭帯と神経を断裂。再起不能と宣告され、引退を余儀なくされていた)
高原健介:
「サッカーは僕の人生そのものでした。それを奪われて、正直、生きていく目標を見失っていました。
指導者への道もありましたが、どうしても『走れない自分』を受け入れられなかった」
――そんな彼にポーションを提供したのは、彼の長年のスポンサー企業であり、今回のダンジョン特区にも参入している『五菱商事』でした。
企業の広報戦略? 批判もありました。
ですが、彼らが手に入れた「企業保有分」のポーションを、オークションで売らずに、かつての功労者に使った。
その事実は変わりません。
(映像:五菱商事の本社ビル、プレスルーム。
カメラのフラッシュの中、高原がポーションを飲む。
光が膝を包む。
そして――)
記者:
「た、立った! 高原が立った!」
「ジャンプしたぞ!」
(高原がその場で軽くジャンプし、そして涙を流しながら足踏みをする。
さらに用意されていたサッカーボールを左足で軽やかにリフティングし始める。
かつて「黄金」と呼ばれた繊細で力強いタッチが、そこにはあった)
高原健介(会見で):
「……感覚が戻っています。いや、怪我をする前よりも軽く感じるくらいだ。
筋肉のバネ、関節の可動域、全てが全盛期の状態です。
信じられない……。
KAMI様、五菱商事の皆さん、そしてダンジョンで戦ってくれた全ての探索者の皆さん。
本当に、本当にありがとうございます。
僕はもう一度ピッチに立ちます。そしてこの足で、皆さんに恩返しをしたい!」
――現役復帰宣言。
日本中のサッカーファンが、テレビの前で歓喜の涙を流しました。
失われたはずの夢が、時を超えて蘇る。
ダンジョンは、そんな「もしも」を現実に変える場所でもあったのです。
【スタジオ】
膳場:
「……すごいですね。アスリートの選手生命まで蘇らせてしまうとは。
ネット上では『もう一回ワールドカップで見たい!』という声で溢れています」
安住:
「ただ、ここで一つの疑問も浮かびます。
先ほど『企業がオークションで売らずに提供した』という話がありましたが、これは経済的には損失ではないのでしょうか?
ゲストの月読ギルド広報、佐藤さん。いかがですか?」
月読ギルド広報・佐藤(20代女性、現役探索者):
「はい。確かに短期的には、10数億円の損失かもしれません。
ですが、高原選手が復活し再び活躍することで生まれる経済効果、そして何より『あの企業は功労者を大切にする』というイメージアップの効果は、数十億円以上の価値があると思います。
それに……私たち現場の探索者にとっても、これは嬉しいニュースなんです」
安住:
「と言いますと?」
佐藤:
「私たち探索者は、常に怪我と隣り合わせです。
いつ再起不能になるか分からない恐怖と戦っています。
でも、このポーションがある。頑張れば、もしもの時も治してもらえるかもしれない。
その希望があるだけで、私たちはもっと深く、もっと勇敢にダンジョンに挑むことができます。
高原さんの復活は、私たち全ての探索者にとっての『保険』であり、『希望』の象徴なんです」
沢渡:
「なるほど。セーフティネットとしてのポーションですね。
確かに、絶対に治る薬が存在するという事実は、社会全体の安心感に繋がります」
【VTR:ケースファイル03 『声を取り戻した歌姫』】
――奇跡は、芸術の世界にも降り注ぎました。
世界的なオペラ歌手、マリア・カラスコ(50)。
喉の病により、その神の声と称された歌声を失ってから5年。
彼女は沈黙の世界に生きていました。
(映像:イタリアの劇場。リハビリに励むも声が出ずに涙するマリアの過去映像)
――彼女を救ったのは、世界中のファンたちでした。
「もう一度彼女の歌が聴きたい」
その想いで立ち上げられたクラウドファンディングには、わずか3日で20億円もの寄付が集まりました。
そして、オークションで競り落とされた一本のポーションが彼女の元へ。
(映像:ローマの広場。サプライズで行われた復帰コンサート。
マリアがマイクの前に立つ。
静寂。
そして、彼女が口を開いた瞬間――)
♪〜〜〜〜(圧倒的な、天を衝くようなソプラノの歌声)
――空気が震えました。
全盛期と変わらぬ、いや苦難を乗り越えて深みを増したその歌声が、ローマの街に響き渡ります。
観客は総立ち。涙を流しながらの拍手喝采。
マリア・カラスコ(ステージ上で):
「Grazie... Grazie a tutti...
(ありがとう……みんなありがとう……)
Grazie a Dio... Grazie a KAMI...
(神に感謝を……KAMIに感謝を……)
この声は私のものではありません。私を愛してくれた皆さんのものです。
私は歌い続けます。この命が尽きるまで、愛と感謝を込めて!」
【スタジオ】
膳場:
「……美しいですね。
病気だけでなく、失われた才能や文化さえも取り戻すことができる。
ポーションの可能性は無限大です」
安住:
「さて、ここまで『光』の部分を見てきましたが、在庫が残り2,000を切った今、懸念されることもあります。
『手に入らなかった人』たちの想いです。
加藤先生、医療現場の混乱などは?」
加藤教授:
「ええ、正直に申し上げれば、現場は苦しいです。
『私もあの薬が欲しい』『なぜあの子だけが』と泣きつかれる患者さんやご家族が後を絶ちません。
医師として、治せる手段があるのに、それが手に入らない。
これほど辛いことはありません」
スタジオの空気が重くなる。
1万本。それは奇跡の数としては多いが、世界の需要に対してはあまりにも少ない。
加藤教授:
「ですが希望もあります。
KAMI様は『定期開催』を約束してくださっています。
『今回はダメでも次がある』。
その言葉が、患者さんたちの『生きる気力』を繋ぎ止めています。
『次のイベントまで頑張ろう』『あと2ヶ月生きればチャンスが来る』。
このポーションの存在自体が、強烈な延命効果を生んでいるのです」
磯部教授:
「そうですね。かつての宗教が『来世での救い』を説いて人々の苦しみを和らげたように、このポーションは『近未来での確実な救い』という、より強力な希望を現世に提示しました。
これは、社会の絶望感を払拭する巨大なエネルギーになっています」
【中継:渋谷ダンジョンゲート前】
リポーター:
「はい! こちら渋谷ダンジョン前です!
現在時刻は午後9時。
スタジオのお話にもありましたが、在庫2,000切りを受けて、現場の熱気は最高潮に達しています!」
(映像:夜の渋谷。
ゲートの周囲には、探索から帰還したばかりの装備を身に着けた若者たちが地べたに座り込み、スマホでニュースを見たり、興奮気味に語り合ったりしている。
その表情は疲労困憊しているが、どこか晴れやかだ)
リポーター:
「彼らにとって、このポーションは単なる金儲けの道具ではありません。
先ほど話を聞いたパーティのリーダーは、こう言っていました」
(インタビュー映像)
男性探索者(20代):
「俺たちが稼いだポイントが、誰かの命を救ってるってニュースで見て……。
正直、震えましたよ。
ただのゲーム感覚だったけど、俺たちヒーローになれてるんだなって。
だから最後まで走ります。
あと一本でも多く、あの薬を地上に持ち帰るために!」
リポーター:
「このように、『誰かのために』という想いが、最後のラストスパートの原動力になっています!
街全体が、一種の『祈り』のような連帯感に包まれています!」
【エンディング】
安住:
「……さて、番組も終わりの時間が近づいてきました。
今夜はポーションがもたらした数々の奇跡を見てきました。
沢渡さん、最後に一言お願いします」
沢渡:
「はい。
僕はライトノベルSF作家として、科学が魔法を超える未来を夢見てきました。
でも今起きていることは、科学とか魔法とか、そういう垣根を超えた『人間の善意の勝利』だと感じます。
KAMI様がくれたのは、ただの薬ではありません。
『人間は力を手にした時、それを誰かのために使えるのか』という問いかけであり、試練だったのではないでしょうか。
そして、我々は真由美ちゃんや高原選手の事例を見る限り、その試練に今のところ合格している気がします。
……人間って、捨てたもんじゃないですね」
膳場:
「本当にそうですね。
感謝の言葉がこれほど世界中に溢れた夜は、なかったかもしれません。
KAMI様、月読ギルド、企業の皆さん、そして名もなき全ての探索者の皆さんに。
私たちからも、心からの『ありがとう』を伝えたいと思います」
(スタジオ全員が深々と頭を下げる)
安住:
「『深霧踏破戦線』、残りわずかです。
探索者の皆さん、どうかご無事で。
あなたの持ち帰るその一本が、どこかで誰かの奇跡になります。
それでは、また来週」
(エンディングテーマと共に、世界各地の回復した人々の笑顔のダイジェスト映像が流れる。
テロップ:『ありがとうKAMI様』『ありがとう探索者たち』)
【番組終了後・官邸地下】
放送を終えたモニターの電源を、沢村総理が静かに切った。
執務室には、心地よい余韻が漂っていた。
「……良い番組だったな」
沢村が、しみじみと言った。
「国民の不満も企業の強欲も、全てが『感謝』というオブラートに包まれて、綺麗に昇華された」
「ええ」
九条が手元のタブレットでSNSのトレンドを見せる。
『#KAMI様ありがとう』『#月読ギルド』『#探索者に感謝』
ポジティブな言葉が、世界を埋め尽くしている。
「これでまた一つ、KAMI様の『神格化』が進みましたね」
九条が冷静に分析する。
「彼女はただ、ゲームのイベントとしてアイテムを配っただけ。
ですが、受け取った人間たちが勝手に物語を作り、感謝し、信仰を深めていく。
……計算尽くなら、恐ろしい御方です」
「計算だろうな」
麻生大臣がブランデーを回しながら、ニヤリと笑った。
「アメとムチの使い方が、上手すぎる。
あんなの見せられたら、誰だって次のイベントも死ぬ気で頑張るだろうよ。
企業もイメージアップのために必死にポーションを集めて配るようになる。
結果として、社会保障費の負担が減るなら、財務省としても万々歳だ」
彼らは知っていた。
この美談の裏側で、ポーションを巡る醜い争奪戦や闇市場での高額取引、手に入らなかった者たちの絶望があることを。
だが今夜だけは。
世界は「奇跡」という美しい夢に酔いしれることが許されていた。
その時、部屋の隅で気配がした。
KAMIだった。
彼女はテレビの画面が消えた方向を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「……ふーん。人間って、感謝する時は素直なのね」
彼女の手には、どこかの子供から送られてきたと思われる、拙い字で「かみさま ありがとう」と書かれた手紙が握られていた。
「ま、悪くない気分だわ」
彼女は少しだけ照れくさそうに、その手紙をポケットにしまった。
「さあ、イベントもラストスパートよ。
最後までしっかり管理しなさいよね。私の『信者』たちを幻滅させないように」
そう言って、彼女は消えた。
沢村たちは顔を見合わせ、そして苦笑した。
神もまた、人の感謝を糧にするのかもしれない。
夜が更けていく。
だが渋谷のゲートの灯りは消えない。
そこには今も、誰かの奇跡のために走る無数の英雄たちの姿があった。




