第156話
イベント開始から5日目。
『深霧踏破戦線』におけるポイント稼ぎの最適解――すなわち「多人数パーティによる高速周回」は、もはや世界の共通認識となっていた。
個人でちまちま稼ぐのではなく、組織だって火力を集中し、ダンジョンをベルトコンベアのように回す。
その「効率」の暴力が、最初の、そして巨大な成果を世界に叩きつけた。
震源地はアメリカ合衆国。
***
ワシントンD.C.コンベンション・センター。
星条旗がはためく巨大な会場は、世界中のメディアと招待された富裕層たちで埋め尽くされていた。
ステージの中央に立つのは、アメリカ最大の民間探索者組織『キャピタル・ギルド』のCEO、ロバート・キング。
彼の背後にあるスクリーンには、ギルド所属の数千人の探索者たちが積み上げた天文学的なミストポイントの総計が表示されている。
「――レディース・アンド・ジェントルメン!」
キングが両手を広げると、会場の照明が落ち、スポットライトが彼を照らし出した。
「我々キャピタル・ギルドは、この5日間、組織の総力を挙げてダンジョンを攻略し続けました。
その結果、本日ここに人類史上初の快挙をご報告いたします!」
彼は手元のタブレット端末を操作した。
会場に響き渡る決済音。
スクリーンに巨大な文字が躍る。
【ITEM GET: 怪我治癒ポーション・改 × 500】
「おおおおおおおおおおッ!!!」
会場がどよめき、そして爆発的な歓声に包まれた。
500個。
全世界限定1万個のうち、実に5%を、たった一つの組織が開始わずか5日で確保してしまったのだ。
「見よ! これがキャピタル・ギルドの、そしてアメリカの力だ!」
キングが叫ぶ。
スタッフたちがワゴンを運んでくる。
その上には、厳重なセキュリティケースに収められた、エメラルドグリーンに輝く小瓶がずらりと並んでいた。
死と老化以外、全てを治す神の秘薬。その現物が500本。
「我々は、この奇跡の500本のうち、半数にあたる250本を、本日この場にお集まりいただいた『ダイヤモンド・メンバー』の皆様に優先的に販売いたします!」
彼はその価格を高らかに告げた。
「価格は、一本あたり1,000万ドル(約15億円)!」
15億円。
法外な値段だ。だが、会場の富裕層たちの顔に躊躇の色はなかった。
彼らは競うように、購入希望のハンドサインを掲げた。
「買うぞ! 3本くれ!」
「私の娘のために予約していた分だ! すぐに渡せ!」
「素晴らしい! キャピタル・ギルド万歳!」
会場は熱狂の坩堝と化した。
そして、誰からともなくあのコールが巻き起こった。
「USA! USA! USA!」
星条旗が振られる。
アメリカ人が、世界で最初に、最も多くの「命」を確保した。
そのニュースは瞬く間に世界中を駆け巡り、世界の相場を決定づけた。
***
その2日後、日本。
アメリカの熱狂を受け、日本の経済界も動いた。
東京・大手町、五菱商事本社ビル。
緊急記者会見の壇上に並ぶのは、五菱商事、三井物産、住友商事といった「日本ダンジョン産業連合(JDIA)」の役員たち。
「――ご報告いたします」
五菱商事の佐山専務が、沈着冷静な声で切り出した。
「我々JDIA加盟各社は、所属する契約探索者たちの総力を結集し、本日未明までに合計50本の『怪我治癒ポーション・改』の交換を完了いたしました」
50本。
アメリカには及ばないが、確かな成果だ。
「確保した50本のうち40本につきましては、各社の『戦略的資産』として内部留保とさせていただきます。
これらは、我が国の重要人物の緊急事態に備えた備蓄および企業資産として、厳重に管理・運用されます」
そして彼は続けた。
「残りの10本につきましては、本日より『日本探索者公式ギルド』主催の特別オークションにて、一般公開販売を行います!」
たったの10本。
市場に放出されたその僅かな供給に対し、日本の富裕層は狂ったように反応した。
オークション開始。
アメリカでの相場「15億円」が基準となり、価格は一瞬で跳ね上がった。
『開始価格:10億円』
『12億』
『15億』
『17億』
最終落札価格――18億円。
「……18億か」
佐山はモニターを見ながら、満足げに頷いた。
「悪くない。これで市場価値は確立された。
我々が保有する残り40本の資産価値も、これに連動して跳ね上がる。
ポーションは金塊以上の資産だ」
日本企業はポーションを「商品」ではなく、「資産」として運用する道を選んだ。
***
だが、その企業の論理に対し、全く別の答えを出した者がいた。
その日の夜、六本木。
非公式ギルド『月読』の本部ビル前。
スポットライトの中、ギルドマスター・月島蓮が登場する。
彼の手には、小さなアタッシュケースが握られている。
「――報告する」
月島の声は力強かった。
「我々『月読ギルド』は、全メンバーの総力を挙げた周回により、本日20本の『怪我治癒ポーション・改』を確保した!」
歓声が上がる。
だが、月島はそれを手で制し続けた。
「この20本だが……。
我々はこれを売るつもりはない」
彼は断言した。
「全て日本政府・厚生労働省と協力し、『寄付』という形で、国内の指定難病患者および緊急性の高い小児患者のために、無償で提供する!」
静寂。
そして、爆発的な称賛の声。
1本18億円。総額360億円の価値を持つ秘薬を、彼は「寄付する」と言い放ったのだ。
「金儲けのために潜っているんじゃない。
誰かを救うために、俺たちは力を手に入れたんだ。
それが月読ギルドの矜持だ!」
その姿は、あまりにも眩しかった。
SNSは『#月島蓮』『#月読ギルド』で埋め尽くされた。
「流石月島だ…!」
「一生ついていく」
「俺も月読に入る!」
その夜、月読ギルドの入団希望サーバーはパンクした。
数万人の若者が、金ではなく「義」のために、月読の門を叩いた。
***
アメリカ、日本。そして世界。
4カ国以外の国々の探索者たちも、また黙ってはいない。
彼らもまたチームを組み、効率化を図り、ダンジョンを周回し続けていた。
ヨーロッパの騎士団ギルド、東南アジアの傭兵団、中東の王族直属部隊。
彼らはそれぞれの国で、それぞれの組織力を使ってポイントを稼ぎ、ポーションを交換していく。
ある者は自国の王のために。
ある者は高値で売り抜けるために。
世界中のダンジョンで、交換のベルが鳴り続ける。
イベント開始から1ヶ月。
渋谷のギルド支部に設置された巨大なカウンターが、一つのボーダーラインを告げた。
【残り在庫数:4,892本】
ついに「5,000」を切り、折り返し地点を通過した。
その事実は、世界中の人々に「時間は有限である」という現実を突きつけた。
ペースは落ちない。むしろ加速している。
在庫5,000切りのアラートが、世界中で鳴り響く。
焦りが、欲望が、そして希望が再び加速する。
「ミストウォーカー・ラッシュ」。
その狂乱の宴は、まだ中盤に差し掛かったばかりだった。




