第154話
東京、ワシントン、北京、モスクワ。
世界の運命を握る四つの首都を繋ぐ、最高機密のバーチャル会議室。
そこにはいつものメンバー――沢村総理、九条官房長官、トンプソン大統領、王将軍、ヴォルコフ将軍――の姿があった。
彼らの表情は以前のような悲壮感や敵対心よりも、どこか「次は一体何が来るんだ」という理不尽なゲームの攻略に挑む熟練プレイヤーのような、奇妙な連帯感と諦観に満ちていた。
D級ダンジョンの解禁から数週間。
初期の混乱は収束し、世界は「耐性」と「ライフ」を重視した新しい攻略メソッドに適応しつつあった。
企業は組織力で、個人は運と技術で。それぞれのやり方で、ダンジョンという巨大な富のシステムは回り続けている。
だが彼らは知っていた。
この平穏が次の「嵐」までの小休止に過ぎないことを。
そしてその嵐の発生源である気まぐれな神は、空気を読むことなど決してないことを。
「――定刻です。四カ国定例首脳会議を始めます」
議長役の九条が淡々と開会を宣言しようとした、その時だった。
フォン、という軽い電子音と共に、円卓の中央にホログラムのノイズが走る。
そして、いつものゴシック・ロリタ姿の少女KAMIが姿を現した。
今日の彼女はなぜか紅白のハチマキを頭に巻き、手には運動会のプログラムのような紙束、そして口には笛をくわえているという奇妙な出で立ちだった。
「ピーッ! 集合ー! 注目ー!」
KAMIが笛を吹く真似をする。音は出ないが、その態度は完全に「先生」か「審判」のそれだった。
「KAMI様……?」
沢村が恐る恐る声をかける。
「その格好は一体……?」
「何ってイベントよ、イベント!」
KAMIはハチマキを締め直しながら、楽しそうに宣言した。
「ダンジョン運営も軌道に乗ってきたし、みんなD級の攻略にも慣れてきた頃でしょ?
だからここらで一発テコ入れの『期間限定イベント』を開催するわよ!」
「イ、イベント……ですか?」
トンプソン大統領が眼鏡の位置を直す。
「以前そのようなことを仰ってはいましたが……具体的にどのような?」
「名付けて――」
KAMIは空中に、燃えるようなフォントでタイトルを投影した。
『期間限定イベント:深霧踏破戦線』
「――これよ!」
「深霧……踏破戦線?」
王将軍が怪訝な顔で漢字を読み上げる。
「軍事作戦のような名前ですが、内容は?」
「ふふん。聞いて驚きなさい」
KAMIは指揮棒(どこから出したのか)を振り回しながら、その詳細な仕様を説明し始めた。
「まず期間は、今日から2ヶ月間限定。
対象となるのは、全世界の全てのダンジョンよ。
イベント期間中、ダンジョンに入ると入り口付近に『霧の鏡』っていう怪しい鏡が出現するわ」
彼女は指先で、霧を纏った楕円形の鏡の映像を表示させた。
「探索者がこの鏡に触れるとイベント開始。
その瞬間、探索者(パーティを組んでいる場合はパーティ全員)は通常のダンジョン空間とは切り離された、イベント専用の『個別インスタンス』に転送されるわ」
「個別インスタンス……?」
九条が反応した。
「つまり、他の探索者とは遭遇しない、完全に独立した空間ということですか?」
「そう! これ大事よ」
KAMIは頷いた。
「普段のダンジョンは共有スペースだから、獲物の取り合いとか場所取りとか、面倒なことが起きるでしょ?
でもこのイベント中は、自分たちだけの貸切ステージになるの。誰にも邪魔されず、思う存分戦えるわ」
そして彼女は、ゲーム性の核心部分を語り始めた。
「鏡を触るとね、足元から濃い霧が湧き出してくるの。
そしてその霧の中から、イベント限定の『ミスト・モンスター』と通常のモンスターが、わんさか湧いてくるわ。
彼らは普段よりそこそこ強く設定してあるし、何より好戦的よ」
彼女はニヤリと笑った。
「ここからがポイント。
このイベントは『時間制限付き』のラッシュ・バトルよ。
霧はどんどん濃くなっていく。プレイヤーは、次々と現れるモンスターを倒しながら、霧の中にある『道しるべ』を探して次のエリアへと移動し続けなきゃいけない。
立ち止まったら霧に飲み込まれてゲームオーバー(強制排出)。
素早い判断と殲滅速度、そして移動速度が求められるわ」
「なるほど……」
ヴォルコフ将軍が顎を撫でた。
「強行偵察と殲滅戦を組み合わせたようなものか。実戦的で良い訓練になりそうだ」
「でしょ?」
KAMIは得意げだ。
「さらに特別なルールがあるの。
このミスト・インスタンスの中では、モンスターを倒しても、その場ではドロップ品は一切落ちないわ」
「落ちない!?」
トンプソンが驚く。
「では戦う意味がないではないか!」
「最後まで聞きなさいよ」
KAMIはチッチッと指を振った。
「落ちないんじゃなくて『保留』されるの。
倒したモンスターの数、種類、クリアしたエリアの数……それらが全て蓄積されていく。
そしてダンジョンを完全制覇するか、あるいは制限時間切れや自発的な脱出で『終了』したその瞬間に――」
彼女は両手を広げ、花火が打ち上がるようなジェスチャーをした。
「それまで倒した全モンスター分のドロップ品が、足元にドバーッ! と一気に降り注ぐの!
名付けて『ルート・エクスプロージョン(お宝爆発)』!
気持ちいいわよ〜? 数百個の魔石と装備品が、噴水みたいに湧き出るんだから!」
その光景を想像し、会議室の空気温度が一度上がった気がした。
脳汁が出る。
それは人間の射幸心を極限まで煽る演出だ。
「そして!」
KAMIは本題へと移った。
「今回の目玉はドロップ品だけじゃないわ。
イベント中倒したモンスターやクリアランクに応じて、『ミストポイント』という専用のポイントが貰えるの」
「ポイント……ですか」
九条がメモを取る。
「それは何に使えるのですか?」
「お買い物よ!」
KAMIはウインクした。
「イベント期間中、どこでもいいから大声で『ミストショップ!』って叫ぶと、専用のショップ画面が開くようになってるわ。
そこで貯めたポイントを使って、景品と交換できるの」
彼女はショップのラインナップリストを空中に展開した。
そこには探索者たちが喉から手が出るほど欲しがるであろうアイテムが並んでいた。
「まず探索者向けの目玉商品はこれ。
『イベント限定ユニークアイテム』の数々よ」
画面に映し出される、見たこともない形状の武器や防具。
「これらは通常のドロップでは絶対に手に入らない。
性能は……そうね、今確認されてるユニークアイテムと同等か、ビルドによってはそれ以上かも。
ただしポイント設定は高めにしてあるわ。
2ヶ月間毎日コツコツ周回を頑張れば、強いユニークアイテムが1個手に入るかなーってくらいのバランスね」
「努力賞というわけですか」
沢村が頷いた。
「運に左右されず、努力次第で確実に強力な装備が手に入る。
これは運に見放された多くの探索者にとって、大きなモチベーションになりますな」
「そうよ。運ゲー運ゲーって文句言われるのも癪だしね」
KAMIは肩をすくめた。
「他にも、魔石の詰め合わせセットとか各種ドロップ素材、レアメタル、貴金属なんかもラインナップにあるわ。
装備が揃ってる人は、これらで堅実に稼ぐのもアリね」
そして彼女は声を潜めた。
ここからが、彼女が用意した本当の「爆弾」であると言わんばかりに。
「……でね。探索者以外のあなたたち、権力者や世界のお金持ちさん向けの『超目玉商品』も用意してあるわ」
彼女が指さしたのは、リストの最上段に輝く一本の小さな薬瓶だった。
中にはエメラルドグリーンの液体が、生命の輝きを放つように揺らめいている。
「その名も――『怪我治癒ポーション・改』」
「……怪我治癒ポーション?」
トンプソンが少し拍子抜けしたような顔をした。
「それならリリアン王国から輸入しているものが既にあるではないか」
「チッチッチッ」
KAMIは指を振った。
「甘いわね、大統領。これは『改』よ。性能が違うわ。
既存のポーションは外傷や骨折を治すだけ。
でもこれは……『死』と『老化』以外の、あらゆる肉体的欠損と不調を完全にリセットするわ」
彼女はその効能を、具体的に列挙した。
「例えば事故で失った手足の再生。
先天的な臓器の欠陥の修復。
末期癌の完全消滅。
脳梗塞の後遺症による麻痺の回復。
失明した視力の回復、失われた聴力の再生」
そして彼女は付け加えた。
「あと『老化はダメ』って言ったけど、正確には『若返りはしない』ってだけ。
老化によってボロボロになった内臓機能や弱った血管、摩耗した関節……そういう『ガタが来た部分』を新品同様に修理することはできるわ。
見た目はお爺ちゃんのままでも、中身の健康状態は20代に戻る。
つまり寿命が尽きるその瞬間までピンピンしていられる『健康寿命の完遂』が約束されるわ」
「――ッ!!」
会議室に衝撃が走った。
それは不老不死ではない。若返りでもない。
だが今この瞬間に病に苦しむ人々、老いに怯える富裕層にとっては、それと同等か、あるいはそれ以上に切実な「救い」だった。
「な、なんと……!」
ヴォルコフ将軍が身を乗り出した。
「内臓不全も治せるのか! 透析も人工呼吸器も要らなくなるというのか!」
「ええ。飲むだけで五体満足の健康体に戻れるわ」
KAMIは断言した。
「……個数は?」
王将軍が鋭く尋ねた。
「それほどの秘薬だ。無制限にあるわけではあるまい?」
「もちろん」
KAMIは頷いた。
「今回のイベント期間中の在庫は、全世界で『先着10,000本』限定よ」
「い、一万……!」
少ない。あまりにも少ない。
世界中に救いを求める患者が何億人いると思っているのか。
「ポイント交換レートは、かなり高く設定してあるわ。
一流の探索者が、不眠不休で一週間潜ってやっと一本手に入るくらいかしらね」
彼女は注意点を付け加えた。
「あ、大事なこと言い忘れてた。
この『ミストポイント』はシステム上、『譲渡不可』『取引不可』に設定してあるわ。
つまりお金持ちが探索者からポイントを買い取ったり、他人になりすましてポイントを使ったりすることはできない。
ポーションが欲しければ自分で潜ってポイントを稼ぐか、あるいは……『ポイントを使ってポーションを交換した探索者』から、その現物を買い取るしかないわね」
つまり市場に出回るポーションは、探索者が自らの努力で交換し、それを市場に流したものだけとなる。
「それと」
KAMIは氷のように冷たい声で警告を発した。
「ないと思うけど一応忠告しておくわ。
このポーション欲しさに企業や国家が探索者に対して『強制労働』を強いたり、ノルマを課してポイントを稼がせたりするような行為。
あるいは交換したポーションを不当に搾取するような行為。
……そういう『探索者の自由意志に反する強制行為』があった場合」
彼女の背後に、黒いオーラのようなものが揺らめいた気がした。
「悪質なら、その組織ごと『処分(BAN)』も検討するから。
そこは覚えて置いてね♡
全部見てるわよ?」
神の監視。
それはいかなる諜報機関よりも正確で、そして逃げ場のない絶対的な監視だ。
四人の指導者たちは、背筋が凍るのを感じた。
「強制」はできない。「依頼」と「報酬」で動かすしかない。
「最後に朗報よ」
KAMIは空気を戻すように明るく言った。
「このイベントは今回きりじゃないわ。
今後は『2ヶ月ごと』に定期開催する予定よ。
だから怪我治癒ポーションも、定期的に1万本ずつ供給されることになるわ。
今回手に入らなくても次がある。
だから焦って殺し合いとかしないでね?」
「……定期開催ですか」
沢村が、安堵と懸念の入り混じったため息をついた。
「それは……市場にとっては安定材料になりますが……同時に、終わりのない競争の始まりでもありますな」
「そうよ。ゲームは続くの」
KAMIは立ち上がった。
「なお今回のイベントで稼いだミストポイントは、イベント終了時に全て『没収』されるわ。
次回への持ち越しは不可。
貯め込まずに、期間内に使い切ることね」
彼女は手元の紙束――イベントの仕様書を、九条の前の空間に転送した。
「じゃあこれ告知用の資料。
全世界へのアナウンスよろしくね!
プレイヤーたちがどんな走りを見せてくれるか、楽しみにしてるわ!」
「じゃ!」
その言葉を残して、KAMIは姿を消した。
***
静寂が戻った会議室。
だがその静寂は、爆発寸前の火薬庫のような危うさを孕んでいた。
「……周回イベントですね」
麻生大臣が資料を見ながら呟いた。
「ゲームによくある『ハムスター』というやつですか。
同じコースをひたすら回り続けポイントを稼ぐ。単純だが、中毒性が高い」
「問題はやはり『怪我治癒ポーション』です」
トンプソン大統領が、深刻な顔で言った。
「死と老化以外全てを治癒する……。
これは現代医療の根幹を揺るがす劇薬だ」
「ぜひ欲しいなぁ……」
王将軍が本音を漏らした。
「党の長老たちの中にも持病を抱える者は多い。
彼らを治癒できれば、政権基盤はより盤石になる」
「市場価格はいくらぐらいになると思いますか?」
沢村が全員に問いかけた。
「1人で2個か3個は確保したい富裕層は山ほどいるでしょう。
1万本という供給量は、全世界の需要に対してあまりにも少ない」
「……とんでもない価値になるのでは?」
ヴォルコフ将軍が唸る。
「『若返りのポーション』は10兆円だった。あれは一点物だったからだが……。
今回は1万本あるとはいえ、需要の切実さが違う。
若返りは『夢』だが、病気の治癒は『命』そのものだ」
「1万人分ですからねぇ」
九条が冷静に計算を始めた。
「でも今後も2ヶ月ごとに1万人分供給されると考えると、そこまで青天井には高騰しないかも?
『待てば買える』という心理が働けば、価格は抑制されます」
「1億円ぐらいで収束しそうですけど……」
麻生が希望的観測を述べた。
「高級車一台分。命の値段としては、まあ妥当なラインかと」
「甘い!」
トンプソンが即座に否定した。
「麻生大臣君は、金持ちの心理を分かっていない。
内臓不全も治せるなら、金持ちは買い漁るだろ。
自分用、家族用、そして愛人用。
さらに『万が一の時のための備蓄』として金庫にしまっておく分も含めれば、一人が10本20本と欲しがるはずだ」
「それに」
王将軍が付け加えた。
「転売屋も動くでしょう。
買い占めて価格を吊り上げ、本当に必要な患者に高値で売りつける。
命がかかっているなら、家を売ってでも買う人間はいます」
「……10億とみたね」
トンプソンは断言した。
「初期ロットは間違いなく争奪戦になる。
1本10億円。それでも買う奴はいる」
「いやいや」
沢村が首を振った。
「難病を治癒することに使う人が多いのでは?
クラウドファンディングで資金を集め、難病の子供を救うためにポーションを買う……。
そういった善意の需要も無視できません」
「そうなると倫理的な問題も出てきますな」
九条が頭を抱えた。
「金持ちが美容整形の失敗を治すために10億でポーションを使い、その横で難病の子供が金がなくて死んでいく。
そんなニュースが流れたら、暴動が起きますよ」
「……政府が介入すべきか?」
ヴォルコフが提案した。
「国家予算で一定数を確保し、重症度に応じて配給する。
それが最も公平ではないか?」
「KAMI様がそれを許すでしょうか」
麻生が警告した。
「『強制的な徴収』はNGだと仰っていました。
政府が探索者から強制的に買い上げる形になれば、お怒りを買うかもしれません。
あくまで『市場での正当な取引』の形をとらなければ……」
「……難しいな」
沢村は嘆息した。
「とりあえず我が国としては、月読ギルドや大手企業と連携し、彼らが確保したポーションを『優先的に医療機関へ回す』よう要請(行政指導)するしかないか」
「アメリカもそうしよう」
トンプソンも同意した。
「だが闇市場への流出は止められんだろうな。
マフィアや麻薬カルテルが血眼になってポーションを狙うはずだ。
ダンジョンの外での『ポーション強盗』への対策も必要になる」
新たなイベント。
それは単なるゲーム内イベントではなかった。
現実世界の経済、医療、そして治安を巻き込んだ、巨大な嵐の到来だった。
「……準備しましょう」
九条が覚悟を決めた声で言った。
「告知は明日。イベント開始は明後日。
時間は限られています」
「また眠れない夜が続くか……」
沢村が苦笑した。
四カ国の指導者たちは、それぞれの持ち場へと戻っていった。
彼らの背中には、世界中の難病患者たちの希望と、そして欲望に狂う富豪たちの圧力が、既に重くのしかかっていた。
『深霧踏破戦線』。
その霧の向こうにあるのは救いか、それとも新たな争いの火種か。
探索者たちはまだ知らない。
自分たちがこれから挑むのが、ただのモンスターではなく、人間の「命の値段」そのものであることを。
祭りの準備は整った。
あとはゲートが開くのを待つだけだ。
その告知は翌日の正午、全世界のあらゆるメディアとデバイスを通じて一斉に行われた。
『緊急告知:期間限定ワールドイベント【深霧踏破戦線】開催決定!』
画面には、霧に包まれた幻想的なダンジョンの映像と、KAMIのデザインによる扇情的なキャッチコピーが躍る。
『走れ! 狩れ! そして掴み取れ!
2ヶ月間のデス・マーチ!
霧の彼方に眠る秘宝と奇跡の秘薬が君を待っている!』
そして報酬リストの末尾に記された一行が、世界を震撼させた。
『特別報酬:怪我治癒ポーション・改』
『効果:死と老化を除くあらゆる肉体的損傷・疾病・機能不全を完全治癒』
『限定数:全世界合計 10,000 本』
その瞬間、世界の空気が変わった。
***
東京・大学病院の小児科病棟。
難病に苦しむ娘のベッドサイドで、母親がスマートフォンの画面を握りしめ、泣き崩れていた。
「……治る。治るかもしれないの……!
神様……ありがとうございます……!」
ドバイ・超高級ホテルのペントハウス。
肝硬変で余命宣告を受けていた石油王が、主治医と秘書を怒鳴りつけていた。
「金ならいくらでも出す! 100億でも200億でもだ!
必ず手に入れろ! 世界中の探索者を雇え!
私の命がかかっているんだぞ!」
ニューヨーク・ウォール街。
ヘッジファンドのマネージャーたちが、目の色を変えていた。
「ポーションの先物取引だ!
間違いなく高騰する! 今のうちに探索者と独占契約を結べ!
これは『命』の相場だ! 天井知らずだぞ!」
希望と欲望。
愛と金。
あらゆる感情が「ポーション」という一点に集中し、巨大な渦となって世界を巻き込み始めた。
***
そして、その渦の中心に立つ探索者たち。
渋谷のギルド支部。
ケンタは仲間たちと作戦会議を開いていた。
「……やるぞ」
彼の目は真剣だった。
「俺たちの目的はユニーク装備だ。強くなるために、このイベントで稼ぎまくる。
だが……」
彼はちらりとニュース映像の、難病の子供たちの姿を見た。
「もしポーションが手に入ったら……。
一番高く売れるところに売るか、それとも……」
「迷うなよケンタ」
仲間が肩を叩いた。
「手に入れてから悩めばいい。
まずは霧の中を生き残ることだ」
月読ギルドの本部。
月島蓮は全ギルド員に檄を飛ばしていた。
「我々の使命は、このポーションを『本当に必要な人』に届けることだ!
転売屋や強欲な富豪に独占させてはならない!
月読ギルドは、確保したポーションを適正価格、あるいは無償で医療機関に提供する!
それが我々の『ノブレス・オブ・リージュ(高貴なる者の義務)』だ!」
「おおおおおッ!!」
ギルド員たちの士気が上がる。彼らは金のためではなく、正義のために走ることを選んだ。
五菱商事の作戦室。
佐山専務は冷徹に計算していた。
「ポーションの確保は最優先事項だ。
だが使い道は売却ではない。
政財界の要人への『贈答品』として使う。
金では買えないコネクションを作る。それこそがプライスレスな価値だ」
企業の論理。それもまた一つの戦い方だった。
***
それぞれの思惑を乗せて。
カウントダウンがゼロになる。
ゲートの中に霧の鏡が出現した。
それに触れた瞬間、世界中の探索者たちが個別の戦場へと転送されていく。
『深霧踏破戦線』。
それはただのゲームイベントではない。
命の重さを問う、人類への試練の始まりだった。
霧の向こうで、モンスターの咆哮が轟く。
走れ。
狩れ。
そして願いを掴み取れ。
2ヶ月間の長く、そして熱い戦いが、今幕を開けた。




