第151話
日曜日の朝。
日本列島の空気は、かつてないほどの高揚感と、底知れぬ不安が入り混じった、奇妙な熱気に包まれていた。
ダンジョン、ロボット、そして今度は「宇宙」と「永遠の命」。
KAMIからもたらされる情報は、もはやニュースという枠を超え、人類の認知能力を試す「神の啓示」の様相を呈していた。
その混沌を解き明かすべく、テレビ朝日のスタジオには、いつものメンバーに加えて、宇宙物理学者や生命倫理の専門家までが集められ、異様な人口密度となっていた。
『サンデー・クロスファイア』。
オープニングの軽快な音楽が鳴り止むと同時に、司会の黒崎謙司が、興奮を隠せない様子でカメラを見据えた。
「――おはようございます! XX月XX日、日曜日。
今週、我々はまたしても『常識』というものが音を立てて崩れ去る瞬間を目撃しました。司会の黒崎です!」
スタジオの巨大モニターに、KAMIが四カ国首脳会議で提示したとされる『未来技術カタログ』の流出リスト(もちろん政府が意図的にリークしたものだ)が、大々的に映し出される。
『不老化処置』
『亜光速航行エンジン(光速の10%)』
『空間折りたたみ技術』
『万能翻訳機』
「いやー……。KAMIからの技術開示、凄すぎませんか?
これもうSF映画の世界ですよ! スタートレックかドラえもんか、というレベルの話が現実に提案されているんです!」
黒崎が叫ぶと、スタジオの観客席からもどよめきが上がる。
パネリスト席には、いつもの面々。
政府代表・若宮特命担当大臣。
野党の論客・立花議員。
元事務次官・柳田公一。
IT企業創業者・朝倉氏。
そしてSF作家の沢渡恭平。
「まずは、最も国民の関心が高いこの話題からいきましょう」
黒崎は、モニターの一番上にある項目を指さした。
『不老化処置: 人間は定期的に不老化物質を接種すれば、理論上、永遠に若さを保つことが可能』
「不老不死です。
秦の始皇帝から現代の富豪まで、権力者が求め続けてきた究極の夢。
沢渡先生、これ実現可能なんですか?」
沢渡恭平は、眼鏡の奥の瞳をギラつかせながら、興奮気味に答えた。
「ええ、KAMI様の提示されたデータを見る限り、生物学的なアプローチとしては極めて合理的です。
テロメアの修復、細胞分裂の限界突破、老化因子の除去。
並行世界では『標準的な医療行為』として普及しているそうですから、技術的には可能でしょう。
まさに、人類が神の領域に足を踏み入れる瞬間です!」
「素晴らしい!」
IT企業の朝倉氏が、両手を広げた。
「これこそが、私が待ち望んでいた技術だ!
人生100年時代? 笑わせる。これからは人生1000年、いや無限の時代だ!
優秀な経営者や科学者が、老いや死によってその知見を失うことがなくなる。
人類の発展スピードは、これまでの比ではなくなりますよ!」
スタジオの一部から拍手が起こる。
死なない。若いままでいられる。
それは個人の幸福として、究極の形に見える。
だが、その甘い夢に冷や水を浴びせる者がいた。
元官僚の柳田である。彼は、まるで親の仇でも見るような目で、モニターの文字を睨みつけていた。
「……ちゃんちゃらおかしいですな」
柳田の低い声が、スタジオの熱気を冷ます。
「朝倉さん。あなたは経営者の視点だけで物を見ている。
ですが国家運営の視点で見れば、これは『核兵器』以上に危険な劇薬ですよ」
「劇薬?」
「ええ、考えてもごらんなさい。
でも、不老化って本当に大丈夫なんですか?
資源とか? エネルギー? 食料は?
死なない人間が増え続けたら、地球はあっという間にパンクしますよ」
柳田は、指を折って数え上げた。
「まず、年金制度が即死します。
死ぬことを前提に設計されたシステムが、死なない人間を支えられるわけがない。
次に、労働市場の停滞。
上が詰まっていたら、若者はいつまで経っても出世できない。『永遠のヒラ社員』の誕生です。
そして何より、格差の固定化。
富める者は永遠に富み続け、貧しき者は永遠に搾取される。
……そんな社会で子供を産もうという人間がいますか?
少子化どころじゃない。人類という種の更新が止まるのです」
「うッ……」
朝倉が言葉に詰まる。
野党の立花議員も、深刻な顔で頷いた。
「社会制度はどうなるの? という不安は、国民の間に広がっています。
『不老処置』を受ける権利は誰にあるのか?
金持ちだけか? 権力者だけか?
もし保険適用外で数億円かかるとしたら、それは『命の選別』そのものです。
民主主義国家として、そんな不平等を許容できるはずがありません!」
議論は、技術の是非から、倫理と社会システムの問題へと移行した。
死なないこと。それは個人の夢だが、社会にとっては悪夢になり得る。
「KAMIも意地悪ですねぇ……」
黒崎が、苦笑混じりに呟いた。
「こんなパンドラの箱みたいな技術を、ポンと目の前に置いていくなんて。
『ほら、道具はあげるわ。どう使うかはあなた達次第よ』って……。
これ、人間を試してるとしか思えないですよ」
「試練でしょうな」
柳田が吐き捨てた。
「我々の理性が、欲望に勝てるかどうか。
もし我々が愚かにもこの技術に飛びつけば、社会は内戦と崩壊に向かうでしょう」
そこで、全ての矢面に立たされている若宮大臣が、脂汗を拭いながら口を開いた。
「えー、政府といたしましては……。
柳田さんや立花議員のご懸念は、重々承知しております。
沢村総理もこの件に関しては『極めて慎重であるべき』との立場を崩しておりません」
彼は現在の政府の方針を説明した。
「まー、不老化は基礎研究だけで済ませるらしいです。
技術データは受け取りますが、直ちに人間に適用することは致しません。
まずは動物実験で検証するとのことですが……。
安全性、そして何より社会的な影響を、数十年単位で評価する必要があると考えております」
「動物実験ですか」
沢渡が興味深そうに言った。
「不老のマウスや不老の猿が生まれるわけですね。
……それはそれで、マッドサイエンスな香りがしますが」
「凍結、事実上の棚上げですね」
黒崎がまとめた。
「まあ妥当な判断でしょう。
『不老不死』なんて、今の我々にはまだ早すぎる果実なのかもしれません」
スタジオの空気は、「不老不死は魅力的だが、今は見送るのが賢明」という結論に落ち着きつつあった。
だがそれは諦めではない。
「いつか人類がそれを受け入れられるほど成熟した時のために」という、未来への宿題として。
***
「さて、気を取り直して次の話題です!」
黒崎が声を張り上げると、モニターの画面が切り替わった。
今度は暗黒の宇宙空間に浮かぶ青い地球と、そして赤い惑星――火星の映像だ。
『人類、星の海へ!』
『亜光速エンジンと空間折りたたみ技術が拓く宇宙大航海時代』
「こっちは、不老不死よりは前向きな話になりそうですね。
宇宙開発です!
KAMI様が提示された『水を推進剤とする超高効率エンジン』。
これを使えば光速の10%まで加速可能。
月まで15秒、火星まで1日強で到達できるそうです!」
「15秒!? 1日!?」
スタジオから驚きの声が上がる。
「はい。従来なら半年かかっていた火星旅行が、ちょっとした週末旅行の感覚になります。
そして『空間折りたたみ技術』。これを使えば、大量の物資や居住区画を、バックパックサイズに圧縮して運べる。
宇宙にコロニー、凄いじゃないですか!」
この話題には、SF作家の沢渡が食いついた。
「いやー、これは夢がありますよ!
人類の活動領域が、一気に太陽系全域に広がるわけですからね!
月面に都市を作り、火星をテラフォーミングし、小惑星帯で資源を採掘する。
ガンダムやスターウォーズの世界が、現実のものになるんです!」
朝倉氏も、ビジネスの観点から賛同した。
「資源問題の解決策としても有望です。
レアメタルやヘリウム3。地球では枯渇しつつある資源が、宇宙には無尽蔵にある。
輸送コストが『空間折りたたみ』でゼロに等しくなれば、宇宙採掘ビジネスは莫大な利益を生みます。
日本はこの分野で、世界のリーダーになれる!」
会場は、希望に満ちた空気に包まれた。
内向きな不老不死の議論とは違い、外へ向かうエネルギーは、いつだって人をワクワクさせる。
だがここで、またしても現実主義者の柳田が水を差した。
「……確かに、技術的には素晴らしい。
ですが政治的にはどうでしょうな」
彼は冷ややかな目で、火星の映像を見つめた。
「月や火星に、何万人、何十万人の人間が移住し、自給自足のコロニーを作ったとする。
彼らは地球から遠く離れ、独自の社会を築く。
……さて、そこで何が起きるか。歴史が教えてくれていますよ」
柳田は、アメリカ独立戦争の例を挙げた。
「距離は、心の距離も生みます。
『なぜ我々が苦労して採掘した資源を、地球の連中に搾取されなきゃならんのだ』
『地球の法律なんて、俺たちには関係ない』
そう考えるのが、人間の性です」
そして彼は断言した。
「独立したら良いんですよ、とか軽く考えている人もいるかもしれませんが。
実際に彼らが独立を宣言した時、地球政府はどうするんですか?
『はいそうですか』と認めるのか?
それとも武力で鎮圧するのか?」
その言葉に、沢渡がハッとしたように顔を上げた。
「あー、分かります。
コロニー作って独立、ありえますね。
SF作品ではテンプレ……いえ、定番の展開です。
宇宙移民と地球居住者の対立。
そして始まる独立戦争……」
沢渡の脳裏に、巨大な人型兵器が宇宙空間でビームを撃ち合う光景や、コロニーが地球に落下する悪夢のようなシナリオがよぎる。
「もし彼らがKAMIの技術を軍事転用したら?
亜光速で飛来する質量弾(ただの岩石でもいい)は、核兵器以上の破壊力を持ちます。
宇宙からの攻撃に対して、地球はあまりにも無防備だ」
「そうなんです」
立花議員も、深刻な顔で頷いた。
「宇宙開発は、新たな軍拡競争の引き金になりかねない。
どこの国が月の領有権を主張するか。火星の資源を誰が独占するか。
地上での争いが、そのまま宇宙に持ち込まれるだけです。
宇宙条約なんて、この新技術の前では紙切れ同然でしょう」
夢のフロンティアは、一転してキナ臭い紛争の火種へと変わった。
「……難しいですね」
黒崎が腕を組む。
「技術的には行ける。でも、政治的・軍事的な枠組みが追いついていない。
日本政府としては、どう対応するおつもりで?」
若宮大臣が慎重に答えた。
「えー、政府としては宇宙開発は推進する立場です。
ただし、無秩序な開発は避けなければなりません。
まずは無人機による資源探査と、科学基地の建設から始め、大規模な移民については、国際的な統治機構――例えば『地球連邦政府』のような強力な枠組みができるまでは、凍結すべきと考えております」
「地球連邦政府……」
沢渡が遠い目をした。
「それもまた、SFの夢ですね」
議論は、技術の輝きと人間の業の深さの間を行き来していた。
だが誰もが感じていた。
止まることはできないと。
扉は開かれてしまったのだ。
***
番組の後半。
話題は「KAMIの底知れなさ」へと移っていった。
「それにしても」
朝倉氏が、感嘆と恐怖が入り混じった声で言った。
「ロボット、不老不死、超光速……。
KAMI様は、まるでドラえもんの四次元ポケットのように、次から次へと超技術を出してくる。
一体、彼女の『懐』にはあとどれだけの技術が眠っているんでしょうね?」
「あるいは、KAMIの懐にはこんな技術があるのでは、とか。
想像するだけで恐ろしくもあり、楽しみでもありますね」
黒崎が視聴者に問いかけるように言った。
スタジオは、即席の「超技術予想大会」となった。
「タイムマシンはあるでしょうね」
沢渡が即答した。
「並行世界に行けるなら、時間移動も理論上は可能なはずです。
ただ、因果律への干渉が大きすぎるから、簡単には出さないでしょうけど」
「物質転送装置の完全版とか?」
柳田が推測する。
「今のゲートは固定式ですが、もし個人が自由にテレポートできるデバイスがあったら……。
国境も壁もプライバシーも、全て無意味になりますな」
「天候操作システムはどうでしょう?」
立花議員が提案した。
「台風を消したり、砂漠に雨を降らせたり。
これがあれば、気候変動問題も解決できるのでは?」
「あるいは『死者蘇生』……」
誰かがポツリと言ったその言葉に、スタジオが一瞬静まり返った。
不老不死があるなら、蘇生があってもおかしくない。
だがそれは、生命の倫理の最後の一線を越えることだ。
「……ありえますね」
若宮大臣が、顔を青ざめさせながら言った。
「もしそんな技術が提示されたら、政府はどう判断すればいいのか……。
想像するだけで、胃が痛くなります」
議論は尽きない。
無限エネルギー、精神感応、重力制御、惑星改造。
SF作家たちが夢想してきたあらゆる技術が、KAMIという存在によって「ありえるかもしれない現実」として、彼らの目の前にぶら下がっている。
黒崎が、番組を締めくくるように言った。
「KAMI様は、これら全ての技術を持っているのかもしれません。
そしてそれを小出しにしながら、我々人類がどう反応するか、どう使いこなすかを、楽しんでいるようにも見えます」
彼はカメラを見据えた。
「試されているのは、我々の『品性』と『知性』です。
与えられた力を、欲望のままに使い自滅するのか。
それとも理性を保ち、より良い未来のために制御するのか。
不老不死も宇宙開発も、結局はそこに行き着くのでしょう」
番組のエンドロールが流れる中、スタジオの面々は答えの出ない問いを抱えながら、それでも熱く語り合っていた。
その表情は不安げではあったが、未知への好奇心に輝いていた。
***
その放送を、東京のマンションで見ていたKAMIは、満足げにミルクティーを飲んでいた。
「……ふふっ。いい線いってるじゃない」
彼女は、空中に浮かぶ膨大な「技術リスト」をスクロールさせた。
そこには番組で語られた技術の他にも、さらにデタラメで、さらに危険な技術が山のように並んでいた。
『恒星間戦略兵器』
『霊的情報昇華・高次元干渉体系 (Spiritual Data Ascension & Hyper-Dimensional Interference System: SDAIS)』
『並行世界干渉技術体系(Parallel World Interference System: PWIS)』
『概念兵器』
「まだまだネタは尽きないわよ?」
彼女は楽しそうに笑った。
「あなたたちが一つ一つの課題をクリアしてレベルアップしていけば。
いつかこれらを使える日が来るかもしれない。
……ま、その前に自滅しなければの話だけどね」
彼女はリストを閉じた。
神の「おもちゃ箱」は、まだその蓋を少し開けたに過ぎない。
人類というプレイヤーが、この過酷で魅力的なゲームをどこまで攻略できるのか。
彼女は特等席で、その続きを楽しみに待っていた。
東京の夜空には、今日も変わらず月が輝いている。
だがその月を見る人々の目は、昨日までとは違っていた。
そこはもう遠い天体ではない。
15秒で行ける、次の「目的地」なのだ。
世界は確実に、そして不可逆的に広がり続けていた。




