第150話
東京・永田町。
衆議院第二議員会館の大会議室は、エアコンがフル稼働しているにも関わらず、脂汗とため息、そして焦燥感に満ちた熱気で蒸し返っていた。
『超高度技術社会実装に関する与野党合同検討会』。
KAMIが提示した「未来のカタログ」――不老不死、超光速航行、空間折りたたみといった、人類の文明レベルを数段階跳躍させる超技術群。
それらを日本社会にどう導入するか、あるいは「どう導入しないか」を議論するために、政界・官界・財界のトップが集められたのだ。
議長席には、やつれ果てた表情の沢村総理。
その横には、冷徹なポーカーフェイスを崩さない九条官房長官。
そして、不機嫌そうに腕を組む麻生ダンジョン大臣。
「……では、議論を再開します」
司会進行役の若手議員が、恐る恐る声を上げた。
「最初の議題は、KAMI様より提示された技術の中でも、最もインパクトが大きく、かつ最も議論を呼んでいる案件についてです」
彼は震える手で、スクリーンにその名称を投影した。
『不老化処置技術』。
その文字が表示された瞬間、会議室にどよめきが走った。
誰もが、その技術を喉から手が出るほど欲していた。政治家も、官僚も、財界人も、権力と金を持つ者ほど「死」と「老い」を恐れる。
永遠の若さ。それは人類の悲願であり、究極の欲望だ。
だが、公の場で「欲しい」と叫べる者は、ここには一人もいなかった。
「……正直に言いましょう」
口火を切ったのは、与党の長老議員だった。彼は杖をつき、白髪の頭を振りながら、しかしギラついた目で言った。
「欲しい。めちゃくちゃ欲しい。私のような棺桶に片足を突っ込んだ老人にとっては、これは蜘蛛の糸だ。あと五十年、いや百年、この国のために働けるならば、全財産を投げ出しても惜しくはない」
「先生のお気持ちは、痛いほど分かります」
野党の若手議員が、珍しく同調した。
「個人的には私も欲しい。若さを保てるなら、どれだけ人生が豊かになるか。……ですが」
彼は表情を曇らせた。
「政治家として、これを導入することに賛成できるかと言えば……断固として『否』と言わざるを得ません。問題が多すぎる。多すぎます」
「その通りだ」
麻生大臣が、低いダミ声で引き取った。彼は、財務大臣としての冷徹な計算機を、頭の中で弾いていた。
「いいですか、皆さん。感情論は抜きにして、数字の話をしましょう。
もし国民全員に不老処置を施したら、この国の社会保障制度はどうなりますか? 年金です。
今の年金制度は、現役世代が高齢者を支える賦課方式だ。だが高齢者が死ななくなったら?
受給者が永遠に増え続け、支える側が永遠に負担し続ける。
……一年で破綻しますよ。いや、発表した瞬間に財政が死にます」
「医療費も問題です」
厚労省の事務次官が、悲鳴を上げた。
「不老といっても、病気にならないわけではないでしょう? 死なないだけで、怪我もするし病気もする。
無限に生きる国民の医療費を、国が負担し続ける?
保険制度が崩壊します。皆保険制度の即時廃止か、消費税を50%以上に引き上げるしかありません」
「それだけではないぞ!」
経済連の代表が、机を叩いた。
「労働市場の停滞だ!
ベテランが引退せず、いつまでもポストに居座り続けたらどうなる?
若者の出世の道は閉ざされ、組織の新陳代謝は完全に停止する。
『永遠の課長』『永遠の平社員』が溢れかえる社会だ。
そんな絶望的な社会で、誰が努力をする? 誰が子供を産もうと思う?」
「人口爆発も懸念されます」
総務省の統計官が、淡々と告げた。
「死なないのに子供が生まれ続ければ、日本の狭い国土は、あっという間にパンクします。
食料は? エネルギーは? 居住スペースは?
結局、産児制限――子供を産む権利の制限という人権侵害に、手を染めざるを得なくなる」
次々と挙げられる、国家崩壊のシナリオ。
不老不死。それは個人の夢であっても、社会にとっては猛毒でしかなかった。
「……詰んでいるな」
沢村総理が天井を仰いで呟いた。
「正直、不老で社会制度は崩壊するぞ。
これを導入するには、今の民主主義資本主義社会保障制度、その全てを一度ガラガラポンして、全く新しいシステム――例えば働かざる者食うべからずの完全実力主義か、あるいは完全な管理社会か――を作り直さねばならん」
「議論に、50年は掛かりそうだな……」
誰かがポツリと漏らした言葉に、全員が深く頷いた。
「50年で済めば御の字だ。百年かけても、答えは出ないかもしれん」
「KAMI様も、意地が悪いなぁ……」
九条が、珍しく感情を表に出してぼやいた。
「『技術はあるけど、使うかどうかはあなた達次第よ』などと……。
これは技術供与ではない。悪魔の誘惑、あるいは『知恵の林檎』の試食販売だ。
欲しいけれど、手に入れたらまずい技術。
それを目の前にぶら下げて、我々が苦悩する様を楽しんでおられるのだ」
会議室は、重苦しい諦観に包まれた。
個人的には欲しい。だが政治的には、絶対に認められない。
この巨大な矛盾を抱えたまま、彼らは結論を出さねばならなかった。
「……結論としては『時期尚早』。
基礎研究の名目で技術データだけは受け取り、厳重に封印する。
国民には『安全性と倫理的な問題が解決されるまで凍結』と発表する。
これでよろしいか?」
沢村の提案に、反対する者はいなかった。
不老不死の夢は、永田町の金庫の奥深く、最も暗い場所に仕舞われることになった。
***
「さて、気を取り直して、次の議題です」
司会者が、空気を変えようと明るい声を出した。
「次は、もう少し夢のある話です。宇宙開発について!
KAMI様より提示された『水を推進剤とする超高効率エンジン(光速の10%まで加速可能・生物搭乗可)』および『空間折りたたみ技術』の活用法です!」
スクリーンに、火星の赤い大地と、そこに建設されたドーム型都市の想像図が映し出される。
「これは凄いですよ!」
文部科学省の担当大臣が、子供のように目を輝かせて立ち上がった。
「光速の10%! 時速約1億キロメートルです!
これを使えば、月まではわずか15秒! 山手線で隣の駅に行くより早い!
火星までだって、最接近時なら1日強で到着します!
これまで数ヶ月、数年かかっていた惑星間航行が、ちょっとした海外旅行、いや国内旅行の感覚になるのです!」
会場が、わっと沸き立った。
不老不死の陰鬱な議論とは打って変わって、こちらは純粋なフロンティアへの希望に満ちている。
「ヤバいな、1日で火星?」
「週末に火星でゴルフ、なんて時代が来るのか」
「『空間折りたたみ』を使えば輸送コストも劇的に下がる。
月面基地の建設資材も、バックパックに入れて運べるようになるぞ!」
経団連も乗り気だった。
「資源開発の可能性は無限大です。
小惑星帯のレアメタル採掘、月面のヘリウム3。
地球の資源問題など、過去の話になりますぞ!」
「宇宙開発はしたいよね」
沢村も、久しぶりに笑顔を見せた。
「月や火星にコロニーとか、良いじゃないか。
人口問題の解決にもなるし、何より国民に明るい夢を提供できる。
『一億総宇宙飛行士時代』。スローガンとしても悪くない」
議論はトントン拍子に進むかに見えた。
だが、その祝祭ムードに、一人の男が冷や水を浴びせた。防衛大臣の五十嵐だった。
彼は難しい顔で腕を組み、低い声で言った。
「……総理。夢を語るのは結構だが、安全保障の観点からは重大な懸念がある」
「懸念? 宇宙人の襲来でも心配しているのかね?」
誰かが軽口を叩いたが、五十嵐は笑わなかった。
「違う。人間だ」
彼はスクリーンに映る、火星コロニーの図を指さした。
「月や火星に、数万人、数十万人が移住し、自給自足のコロニーを作ったとする。
彼らは地球から遠く離れた場所で独自の社会を築き、独自の経済圏を持つことになる。
……さて、そこで何が起きると思う?」
五十嵐は、全員の顔を見渡して言った。
「『独立運動』だよ」
その言葉に、会議室の空気が一変した。
「独立……?」
「そうだ。歴史を見れば明らかだ。
アメリカ大陸への植民もそうだった。彼らはやがて本国の支配を嫌い、独立戦争を起こした。
距離は、心の距離も生む。
ましてや月や火星だ。地球の政府の目が行き届かない場所で、彼らはこう考えるようになる。
『なぜ俺たちが苦労して採掘した資源を、地球の肥え太った連中に安く売らなきゃならないんだ?』
『なぜ地球の法律に従わなきゃならないんだ?』
『俺たちはスペースノイド(宇宙移民)だ。アースノイド(地球居住者)とは違う』と」
その、あまりにも具体的で、そしてあまりにも「聞いたことのある」シナリオ。
この場にいる多くの議員や官僚たちが、かつて夢中になったSFアニメの記憶を呼び覚まされていた。
「……あー、分かります」
若手議員の一人が、思わず呟いた。
「コロニー作って、独立ありえますね。それがテンプレだしなぁ」
「テンプレと言うな、テンプレと!」
九条が咳払いをした。
「だが、シミュレーションとしては極めて蓋然性が高い。
宇宙空間では、地球の軍事力投射能力は著しく制限される。
もし彼らがKAMI様の技術を応用して武装化したら?
質量兵器として小惑星を地球に落とすと言い出したら?」
「コロニー落とし……!」
「ジーク・ジオン……!」
会議室のあちこちから、不穏な単語が漏れ聞こえる。
フィクションが現実に追いついてしまった瞬間だった。
「笑い事ではない!」
五十嵐が机を叩いた。
「移動時間が15秒ということは、敵のミサイルも15秒で届くということだ!
月面が敵対勢力の基地になった瞬間、地球は喉元にナイフを突きつけられた状態になる。
アメリカも、中国も、同じことを考えているはずだ。
宇宙開発は、新たな『宇宙戦争』の火種になるぞ!」
夢のフロンティアは、一瞬にして血なまぐさい紛争の最前線へと変貌した。
「……ではどうする」
沢村が頭を抱えた。
「宇宙には行かないのか? せっかくの技術をお蔵入りにするのか?」
「いえ、行くべきでしょう」
九条が、冷徹に計算し直した。
「資源は必要です。それに、我々が行かなくても、アメリカや中国は必ず行きます。
宇宙の覇権を彼らに独占させるわけにはいかない。
問題は『統治』の方法です」
九条は、新しい提案をした。
「コロニーの自給自足を、完全には認めないことです。
食料、水、あるいは空気。
生存に不可欠な何かの供給ライン(ライフライン)を、地球側が完全に握る。
『逆らえば空気を止めるぞ』という首輪をつけておくのです」
「……悪代官の発想だな」
麻生大臣が、苦笑した。
「だが、現実はそう甘くはない。
KAMI様の技術には、『水』や『空気』の循環システムも含まれているだろう。
彼らは地球なしでも生きていけるようになる。
そうなれば、首輪は外れる」
「ならば」
五十嵐が、軍人らしい発想を口にした。
「宇宙軍の創設だ。
強力な宇宙艦隊を建造し、圧倒的な武力でコロニーを監視・威圧する。
反乱の芽は、早期に摘み取るしかない」
「軍拡競争じゃないか……」
野党議員が嘆いた。
「宇宙に行ってまで、人間は同じことを繰り返すのか」
議論は、またしても堂々巡りの迷宮へと入り込んでいった。
技術はある。夢もある。
だが、それを使う「人間」というOSが、あまりにも旧式でバグだらけなのだ。
「……結局」
沢村総理が、疲れ切った声でまとめた。
「技術が進歩しても、我々の心は石器時代のままということか。
KAMI様はそれを見越して、ニヤニヤしながら、この技術を渡したんだろうな」
「でしょうね」
九条が同意した。
「『ほら、新しいおもちゃよ。これでどう遊ぶ? また喧嘩するの?』と。
試されているのです、我々は」
最終的に会議は、玉虫色の結論でお茶を濁すことになった。
1. 宇宙開発は推進する。ただし、当面は無人機による資源探査と、小規模な科学基地の建設に留める。
2. 大規模な移民(コロニー建設)については、国際的な統治機構の枠組みが完成するまで凍結する。
3. 『空間折りたたみ技術』と『高速移動技術』は、地球上の物流革命として優先的に利用する。
「……まずは宅配便が早くなることから始めよう」
沢村が、自嘲気味に笑った。
「火星への移住より、翌日配送が当日配送になる方が、国民も喜ぶだろう」
「そうですね」
麻生大臣が、皮肉っぽく笑った。
「それが、我々人間の身の丈に合った『進化』というやつでしょうな」
会議が終わる頃には、外は白々と明け始めていた。
窓の外、東京の空を見上げれば、そこには白く輝く月が残っている。
あの月まで15秒。
その距離は、技術的にはゼロに等しい。
だが、政治的・心理的な距離は、未だ無限の彼方にあった。
眠らない男たちは、その月を見上げながら、それぞれの重い溜息をついた。
神の宿題は、解くたびに新たな難問が増えていく。
だが、彼らは解くのをやめるわけにはいかない。
それが、この星を管理する「大人たち」の唯一の仕事なのだから。
「……さて、次はインドの件か」
九条が、新しいファイルを開く。
彼らの戦いは、今日もまた終わることなく続いていく。




