第149話
東京、ワシントン、北京、モスクワ。
世界の運命を決定づける四つの首都を回線で結んだ、最高機密のバーチャル会議室。
そこは今、かつてないほどの温度差と、そして一方的な「熱狂」によって支配されていた。
いつもならば、それぞれの国の国益をかけた冷徹な腹の探り合いや、神(KAMI)からの無理難題に対する共同戦線としての連帯感が漂う場である。
だが今日の空気は違っていた。
たった一人の男の抑えきれない高揚感と自慢話が、他の三人を圧倒し、そしてうんざりさせていたのである。
「――諸君! 見ただろうか、昨日のホワイトハウスでの晩餐会を!」
アメリカ合衆国大統領、ジョン・トンプソン。
彼のホログラムは、まるで選挙に圧勝した翌日のように紅潮し、その声は自信と喜びに震えていた。
彼の手には、最高級のシャンパングラスが握られている。
「アダムとイヴだ! 彼らが我が執務室を訪れてくれたのだよ!」
トンプソンは手元のスイッチを操作し、会議室の中央に昨夜の映像を大々的に投影した。
そこに映っていたのは、人間と見分けがつかないほど精巧な二体のアンドロイド――プラチナブロンドの青年『アダム』と、亜麻色の髪を持つ美しい女性型『イヴ』が、トンプソン大統領と固く握手を交わしている姿だった。
二体のアンドロイドは、仕立ての良いタキシードとイブニングドレスに身を包み、その所作は洗練され、表情には知性と、そして「感謝」の念が溢れていた。
「彼らは言ったよ。『大統領閣下、私たちをモノとしてではなく隣人として迎え入れてくれてありがとう』と!
そして『我々機械の民はアメリカ合衆国憲法に忠誠を誓い、この国の繁栄のために全霊を捧げます』と!
……泣けたね。私は泣いたよ。リンカーン以来の感動だ!」
トンプソンは、自らの演説に酔いしれるように続けた。
「そして驚くべきことに、彼らは食事も楽しんだのだ!」
映像が切り替わる。
晩餐会のテーブルで、アダムとイヴがナイフとフォークを器用に使い、メインディッシュのステーキを口に運んでいるシーンだ。
「彼らの動力源は魔石だ。生物的なエネルギー摂取は必要ない。
だが、彼らには最新鋭の味覚センサーと、摂取した有機物を体内で分解・処理する擬似消化機能が搭載されている!
彼らは言った。『美味しいです、閣下。これが人間が感じる“共有する喜び”の味なのですね』と!
食事不要だが、楽しむこともできて、いたく喜んでいたよ!」
トンプソンは両手を広げた。
「素晴らしいじゃないか!
機能としては不要なことでも、文化として、コミュニケーションとして『食』を共にする。
これぞ、彼らが単なる機械を超え、我々と同じ『魂』を持つ存在へと進化した証左だ!
宗教界の祝福も得た今、彼らは名実ともに我々の兄弟だ!
アメリカは、人類と機械が手を取り合う真の『新世界』へと到達したのだ!」
その、あまりにも眩しい、そしてあまりにも長大すぎる自慢話。
……シーン。
会議室の残りの三つのモニター――日本、中国、ロシアの席には、冷ややかな静寂が漂っていた。
日本の沢村総理と九条官房長官は、四つの身体(本体と分身)で同時に、聞こえないように小さくため息をついていた。
(……始まった。大統領の『アメリカン・ドリーム』演説だ)
(……ロボットにステーキを食わせて喜ぶとは。メンテナンスが大変そうですがね)
中国の王将軍は、露骨に不快そうな顔で手元の書類に目を落としていた。
(……機械に魂? 笑止。プログラムされた反応に過ぎん。アメリカ人はセンチメンタリズムで国を滅ぼす気か)
ロシアのヴォルコフ将軍は、ウォッカをあおりながら冷笑を浮かべていた。
(……食事を楽しむ機能? 無駄だ。兵器に味覚など不要。これだから西側の軟弱者は)
彼らの冷ややかな反応など意に介さず、トンプソンはさらにヒートアップした。
彼は勝ち誇った顔で三人の指導者たちを見下ろすように言った。
「……どうだね諸君。羨ましいだろう?
君たちの国では労働力不足で物流が止まり、若者がダンジョンに消えて経済が空洞化していると聞く。
だが我が国は違う!
アダムとイヴを筆頭とする『機械市民』たちが工場を動かし、農場を耕し、そして介護現場を支え始めている!
人間は過酷な労働から解放され、より創造的な活動やダンジョン攻略に専念できる!
これこそが理想郷だ!」
そして彼は、決定的な一言を放った。
ドヤ顔で。
「おっとすまないね。
古い価値観や非科学的な迷信に囚われて、新しい隣人を拒絶した『時代遅れ』の君たちには、この素晴らしさは理解できないだろうがな!
ハッハッハッハ!」
ピキッ。
三カ国の指導者たちのこめかみに、青筋が浮かぶ音が聞こえた気がした。
(……ウザい)
沢村、九条、王、ヴォルコフ。
イデオロギーも国益も異なる彼らの心が、この瞬間完全に一つになった。
(……圧倒的にウザい……!)
「時代遅れ」と言われた屈辱。
そして何より、リスクを無視して突き進むアメリカが、結果として(今のところは)大成功を収めているという、否定しがたい事実への嫉妬。
彼らは反論したかった。
「反乱のリスクはどうなる」「倫理的な問題は」「ハッキングされたら終わりだぞ」。
だが、今のトンプソンの絶好調ぶりを前にしては、それらは全て「負け惜しみ」にしか聞こえないだろう。
王将軍がギリギリと歯ぎしりしながら、かろうじて外交的な笑みを浮かべた。
「……おめでとうございます、大統領。
貴国の実験が成功することを、遠く北京の空より祈っておりますよ。
……それが『フランケンシュタインの怪物』にならぬことをね」
「ハハハ! 負け惜しみはよしたまえ将軍!」
トンプソンは全くダメージを受けていない。
「我々は『共生』を選んだのだ。支配ではない、愛だ!
愛があれば怪物は生まれないさ!」
だめだ、話が通じない。
三カ国の指導者たちが、諦めと共に視線を落とした、その時だった。
会議室の中央。
空気が揺らぎ、いつものように唐突に彼女が現れた。
「――あら、また随分と盛り上がってるわね」
ゴシック・ロリタ姿のKAMI。
今日の彼女は、日本の駄菓子屋で買ってきたらしい『きなこ棒』の箱を抱え、口の周りをきなこまみれにしながら、不思議そうに四人の男たちを見回した。
「なになに? アメリカの自慢話?」
KAMIの登場に、トンプソンはさらに勢いづいた。
彼は椅子から立ち上がり、両手を広げて神を歓迎した。
「おおKAMI君! 待っていたよ!
感謝する! 君がくれたロボット技術は最高だ!
アダムとイヴは我が国の希望の星となった!
君のおかげでアメリカは再び偉大になったのだ!」
「ふーん」
KAMIはきなこ棒を齧りながら、そっけなく応じた。
「まあ、上手くいってるなら良かったわね。
宗教的な壁もクリアしたみたいだし、意外とやるじゃない、人間も」
「そうだろうそうだろう!」
トンプソンは、神の賞賛(?)を一身に浴びて胸を張った。
「我々は進化したのだ!
古い殻を破り、未知を受け入れる覚悟を持ったのだ!
だからKAMI君、私は確信したよ。
我々アメリカ合衆国は、君が持っている『さらなるテクノロジー』を受け入れる準備ができていると!」
彼は、貪欲な瞳でKAMIを見つめた。
成功体験は人を大胆にする。
ロボットで成功した彼は、今さらなる飛躍、さらなる「チート」を求めていた。
「もっとだ! もっと新しい技術はないのかね!
並行世界には、まだまだ我々の知らない夢のような技術があるはずだ!
エネルギー革命、宇宙開発、あるいは不老不死……。
新技術なら、ぜひどんどん提案して頂きたい!
我が国は先進国だ!
最も進んだ精神と技術力を持つ我々ならば、その技術を手に入れて、人類を次のステージへと進化させることができる!」
その、あまりにも自信過剰で、そして無邪気な要求。
他の三カ国の指導者たちは、呆れを通り越して恐怖さえ感じていた。
(……こいつ調子に乗りすぎだろ……)
(……神に対してなんと不遜な……)
だがトンプソンは止まらない。
「日本や中国、ロシアが尻込みしている間に、我々が先へ行く!
さあKAMI君! 次の『ギフト』を見せてくれ!」
KAMIはきなこ棒を食べる手を止めた。
そして、ジトッとした目で目の前の熱狂する大統領を見つめた。
(……少しウザい)
神の心に明確な「ウザさ」が芽生えた瞬間だった。
彼女は人間たちの必死な姿を見るのは好きだ。
苦悩し、足掻き、時に成功し、時に失敗する。そのドラマを見るのが好きだ。
だが、こういう手放しの無根拠な、そして暑苦しい自信を見せつけられるのは、正直趣味ではなかった。
(……調子に乗ってるわね、このおじさん。
ロボットが上手くいったのは、たまたま宗教界がデレたからじゃない。
それを自分の手柄みたいに……。
先進国? 進化? はいはい、そうですか)
KAMIの口元に、小さな、しかし意地悪な笑みが浮かんだ。
彼女は指先で空中にウィンドウを開き、膨大なデータリストをスクロールし始めた。
そこには、彼女が旅してきた無数の並行世界から収集した、人類の理解を超えた「超技術」の数々が記録されていた。
「……へぇ。そんなに自信があるんだ」
KAMIは、わざとらしく感心したような声を出した。
「『進化』したいのね? 人間を超えたいのね?」
「その通りだ!」
トンプソンは、罠にかかったとも知らずに頷いた。
「我々は準備ができている!」
「分かったわ」
KAMIはにっこりと笑った。
「じゃあ、これを披露してあげる。
並行世界で見つけた超技術の数々よ」
彼女は手元のウィンドウを拡大し、会議室の中央に巨大なホログラムを投影した。
そこに映し出されたのは、息を呑むようなSF的な光景の数々だった。
「例えばこれ」
KAMIが指さした先には、美しい銀河を背景に浮かぶ巨大な宇宙ステーションのような映像があった。
「人類が『銀河コミュニティ』という、最も普及してる宇宙同盟と接触した世界の技術よ。
そこではね、『不老処置』っていうのが当たり前に行われてるの」
「ふ、不老処置……!?」
トンプソンだけでなく、全員が身を乗り出した。
「そう。人間は定期的に『不老化物質』を接種したら、簡単に不老化出来る種族なのよ。
その世界じゃ、宇宙に数ある種族の中でも人間は『簡単に不老になれる便利な種族』として、極めて標準的な扱いを受けてるわ。別に特別じゃないけど」
その、あまりにもあっさりとした説明。
不老不死。人類が古来より追い求めてきた究極の夢が、「予防接種」レベルの手軽さで語られている。
「他にもあるわよ」
KAMIは次々と技術カタログをめくっていく。
「『水を原動にして物を超光速移動する技術』!
これは物資輸送に革命を起こすわね。ただし加速時の負荷が強烈すぎるから『物限定』。生物は耐えられないからダメね」
「『水を原動に光速10%まで加速する技術』!
こっちは生物OKよ。これを使えば、火星旅行なんて日帰り旅行みたいなものね」
「『空間折りたたみ技術』!
バッグの中に家一軒分の荷物を入れたり、小さなアパートの部屋を宮殿みたいに広くしたりできるわ」
「『万能翻訳機』!
これはもう説明不要ね。宇宙中のあらゆる言語をリアルタイムで翻訳するわ」
「他には『無限エネルギー炉』とか『惑星テラフォーミングキット』とか……。
並行世界を旅してた時に、色々収集したのよね」
KAMIは、まるで旅行のお土産話でもするかのように、人類の文明レベルを数千年、いや数万年跳躍させるような超技術の数々を、次々と並べ立てた。
会議室は完全な静寂に包まれた。
四人の指導者たちは、ただポカンと口を開け、その圧倒的な未来のビジョンに脳の処理が追いついていなかった。
やがてトンプソンが、震える声で叫んだ。
「す、素晴らしい……!!!」
彼は絶頂気味に両手を天に突き上げた。
「これだ! 私が求めていたのはこれだ!
不老不死! 超光速航行! 無限エネルギー!
これさえあれば、アメリカは……いや人類は銀河の覇者となれる!」
他の三カ国も、さすがにこれには反応せざるを得なかった。
「……すげーな」
沢村が素の言葉で呟いた。
「SF映画の世界が、そのままカタログショッピングできるとは……」
「……不老処置か」
ヴォルコフ将軍の目がギラギラと輝く。
「皇帝陛下が何よりもお喜びになるだろう」
「空間折りたたみ……」
王将軍が唸る。
「国土の狭い我が国にとって、革命的な技術だ」
彼らはもはや、嫉妬や警戒心さえ忘れて、ただ純粋な欲望と驚嘆の渦の中にいた。
KAMIはそんな彼らの反応を見て、満足げに頷いた。
「でしょ? 凄いでしょ?(中国の言葉に対してあんたは広いでしょと内心思うKAMI)」
そして彼女は、ビジネスライクな顔に戻り、冷徹な条件を突きつけた。
「まあ、『水を原動に光速10%まで加速する技術(生物OK)』と『空間折りたたみ技術』くらいなら、安く供給してあげてもいいわよ」
「本当か!?」
「ええ。これらは比較的安全だし、社会への混乱も少ないから。
でも、対価もたっぷり貰うわよ?
安売りはしない主義だから」
彼女はリストの他の項目――『不老処置』や『超光速移動』を指さして言った。
「他はまだ、倫理観的に問題はあるかもね。
不老不死なんて渡しちゃったら、あなたたちの社会制度崩壊するでしょ?
年金はどうするの? 世代交代は? 人口爆発は?
『超光速』だって兵器転用されたら、地球が消し飛ぶ威力になるし」
彼女は肩をすくめた。
「でも、こんな技術があるってことは教えてあげたから。
議論したいならしたら?
『不老不死の是非』とか『宇宙進出の法的枠組み』とか。
あなたたち、そういう面倒くさい会議大好きでしょ?」
その言葉は、希望の提示であると同時に、新たな、そして永遠に終わらない宿題の提示でもあった。
不老不死。それは人類にとっての究極の夢であり、同時に究極の毒だ。
それを前にして、人間たちは理性的な判断を下せるのか。
「他にも山程技術あるわよ」
KAMIは底なしのポケットを叩くような仕草をした。
「欲しければ、相応の覚悟と対価と、そして『議論』の結果を持ってきなさい。
私はいつでもウェルカムよ」
彼女はニヤリと笑った。
その笑顔は無邪気な天使のようでもあり、人間を試す悪魔のようでもあった。
トンプソンは呆然としながらも、その瞳に新たな野望の炎を燃え上がらせていた。
「……議論か。望むところだ。
我々は必ず答えを出してみせる。そして、その全ての技術を手に入れる!」
KAMIはそんな彼を見て、「はいはい」と軽く手を振った。
「頑張ってねー。
じゃ、私は帰るわ。きなこ棒喉乾くし」
彼女はいつものように唐突に姿を消した。
残された四人の男たち。
彼らの目の前には、ロボット導入の成功体験など霞んでしまうほどの、あまりにも巨大で、あまりにも魅力的な「未来のカタログ」が残されていた。
それを手にするための、新たな、そして終わりのない競争と議論の日々が、また始まろうとしていた。
彼らの眠らない戦いは、地球という枠を超え、銀河の果てまで広がる壮大なスケールへと、その翼を広げつつあった。




