第144話
日曜日の朝。
日本列島の空気は、未だかつてないほど複雑な成分で構成されていた。
海を隔てたアメリカ大陸からの衝撃的なニュースへの羨望と焦燥、そして数日後に迫った『D級ダンジョン解禁』への恐怖と興奮。
それらが入り混じり、国民の精神状態は一種の躁状態にあった。
その国民の感情を代弁し、増幅させる装置として、今日もテレビ朝日のスタジオに照明が灯る。
『サンデー・クロスファイア』。
オープニングの軽快な音楽とは裏腹に、司会の黒崎謙司の表情は、いつになく深刻で、しかしどこか挑発的だった。
「――おはようございます! XX月XX日、日曜日。
世界が音を立てて変わっていく音が聞こえる朝です。司会の黒崎です!」
カメラがスタジオのパネリストたちを映し出す。
政府代表・若宮特命担当大臣。
野党の論客・立花議員。
元事務次官・柳田公一。
IT企業創業者・朝倉氏。
そして本日の特別ゲストとして、SF作家でありダンジョン評論家の肩書を持つ沢渡恭平が座っていた。
「さて、まずはD級ダンジョンの話……の前に、触れないわけにはいきませんね。アメリカの動向です」
黒崎が指を鳴らすと、巨大モニターに星条旗と、そして人間と肩を組んで歩くアンドロイドの映像が映し出された。
『THE NEW NEIGHBOR(新しい隣人)』
『ロボット労働力、全米で導入決定!!』
『NY市警、初のアンドロイド警官を採用予定!』
「いやー……アメリカさんは、D級ダンジョンは置いておいて、ロボットで盛り上がっているようですね!」
黒崎が少し皮肉っぽく、しかし羨ましげに言った。
モニターには、日本の街頭インタビューの映像が流れる。
『えー、いいなぁ。アメリカ凄くない?』(渋谷・20代女性)
『正直羨ましいです。日本は人手不足でコンビニも閉まってるのに、向こうはロボットが24時間働いてくれるんでしょう?』(新橋・50代サラリーマン)
『なんで日本は出来ないの? 技術大国じゃなかったの?』(大阪・30代主婦)
『でも怖いよね、反乱とか』(巣鴨・70代女性)
「……などなど、色々な意見がありますね。
SNSでは『#日本オワコン』『#ロボット鎖国』なんて言葉もトレンド入りしていますが。
どう思います? 朝倉さん」
IT企業の朝倉は、苦虫を噛み潰したような顔で腕を組んでいた。
「いや、正直に言わせていただければ……経営者としては羨ましい限りですよ。
24時間、文句も言わず精密に働き、しかも学習して成長する労働力。
アメリカが最初に導入して、もし安全性が確認されたら、日本でも即座に導入すべきです。
そうしないと、製造業もサービス業も、コスト競争力でアメリカに完敗しますよ」
「しかしですね」
野党の立花議員が、すかさず割って入った。
「問題は『人権』ですよ。KAMI様は仰いました。『彼らには知性がある』と。
知性ある機械に人権を与える? そんなことが日本の法体系で可能ですか?
憲法はどうなるんですか? 『国民』の定義を『有機生命体』以外にも広げるのですか?」
「憲法が邪魔なら、改正したらいい!」
朝倉が食い気味に反論する。
「時代は変わったんです! ダンジョンができて、魔法がある世界ですよ!?
明治時代の法律概念で、21世紀の魔法技術を縛ってどうするんですか!」
「しかし法が……!」
「法より国益だ!」
議論が白熱する。
元官僚の柳田が、冷ややかに口を挟んだ。
「……まあまあ、お二人とも。
現実を見ましょう。日本政府――というか霞が関の判断は『見送り(様子見)』です。
これはある意味、日本らしい賢明な判断とも言えますな」
「賢明ですか?」
「ええ。アメリカは壮大な社会実験を始めたわけです。
ロボットが社会に溶け込むか、それとも『デトロイト・ビカム・ヒューマン』のような反乱が起きるか。
その結果が出るまで、我々は高みの見物を決め込めばいい。
アメリカが失敗して内戦になれば、『導入しなくてよかった』と言えばいいし、成功すれば『安全性が確認されたので導入します』と手のひらを返せばいい。
……後出しジャンケンこそが、弱者の最強の戦略ですよ」
そのあまりにもシニカルな意見に、スタジオから苦笑が漏れる。
「しかしですね……」
朝倉が悔しげに言った。
「我々が様子見をしている間に、アメリカは『無限の労働力』を手に入れるんですよ?
人間はダンジョンに潜って外貨を稼ぎ、ロボットがインフラを支える。
この黄金のサイクルが完成してしまったら、その差は永遠に埋まりませんよ?
日本も続かないと……この国は沈みます」
「ハハハ、議論が白熱してますね」
黒崎が強制的に話題を切った。このままでは番組が終わってしまう。
「ロボット問題は、アメリカの『実験結果』を待つということで。
では話題を変えましょう。我々にとっての喫緊の課題……あと数日で解禁されるD級ダンジョンについてです!」
スタジオの照明が赤く切り替わる。
モニターには、禍々しいシルエットのモンスターと、輝く宝玉の映像が映し出された。
「D級ダンジョン解禁もあと数日!
政府とギルドから発表された事前情報は、衝撃的なものでした。
まずは『耐性』の仕様変更について。
沢渡先生、解説をお願いします」
ライトノベル作家の沢渡恭平が、眼鏡を直しながら頷いた。
彼は今やダンジョン攻略の理論的支柱として、国民から絶大な信頼を得ていた。
「はい。KAMI様からの通達によれば、D級ダンジョンからは敵の攻撃力が跳ね上がると同時に、こちらの防御システムに制限がかかります」
彼はフリップを出した。
【D級ダンジョンの耐性仕様】
・属性耐性35%でダメージ90%カット(上限)
・残り10%のダメージは必ず貫通する。
「ご覧の通りです。
これまでは耐性を積めばダメージをゼロにできましたが、これからは違います。
どんなに耐性を積んでも、最低でも10%のダメージは必ず食らう。
いわゆる『削りダメージ(チップ・ダメージ)』が発生する仕様になります」
「90%カット……。それでも痛そうですね」
黒崎が顔をしかめる。
「ええ。D級からは『複数の属性攻撃』を使ってくる敵が出てきます。
炎と氷を同時に撃ってくる『ツインヘッド・オーガ』や、毒と物理を混ぜてくる『アサシン・スパイダー』など。
全属性の耐性を35%確保するのは、至難の業です」
「では、耐性を確保したとしてもダメージを受ける。
となると、攻略の鍵は何になるんでしょうか?」
「そこで重要になるのが……」
沢渡は、この日のために用意した新しいフリップをめくった。
【有効ライフ(Effective HP)理論】
「これです。
単純な防御力ではなく、『実質的にどれだけのダメージを受けきれるか』という考え方です」
沢渡は熱っぽく語り始めた。
「計算してみましょう。例えば、ボスクラスのドラゴンが威力『10,000』の火炎ブレスを吐いたとします。
耐性を上限の90%まで積んでいても、10%、すなわち『1,000』のダメージは必ず貫通して身体に届きます」
彼はスタジオの全員を見回した。
「この時、もしあなたのライフ(HP)が『900』しかなかったらどうなりますか?」
「……即死ですね」
若宮大臣が青ざめた顔で答える。
「その通り。耐性が完璧でも、元のライフが低ければワンパンで消し炭です。
ですがもし、装備でライフを底上げして『1,100』あれば?
残りライフ100で生き残れる。
生き残れば、ポーションを飲むなり、逃げるなり、次の手が打てる」
「なるほど……」
「つまり、D級以降の世界では、耐性は前提条件に過ぎない。
その上で『どれだけライフの実数値を盛れるか』。
ヒットプール(受けられるダメージの総量)が大きければ大きいほど、事故死の確率は下がり、安全になるのです」
「装備の『ライフ+』効果が、かなり有効になるということですね?」
立花議員が、確認するように尋ねる。
「有効どころではありません。必須です」
沢渡は断言した。
「ですが話はまだ終わりません。
ライフを増やして一撃を耐えたとしても、次の攻撃が来れば死にます。
そこで必要になるのが『回復』の概念です」
彼はフリップの下半分を指した。
【ライフ回復と吸収】
「巨大なライフプールを持っていても、減った分を戻せなければジリ貧です。
ポーションを飲む隙がない乱戦もあります。
そこで、装備につく『ライフ自然回復速度+』や、攻撃したダメージの一部を自分のライフとして吸い取る『ライフ吸収』のオプションが極めて重要になります」
「リーチ……吸血鬼みたいですね」
「ええ。殴れば殴るほど回復する。
『高ライフ』で一撃を耐え、『高耐性』でダメージを減らし、そして『高回復』で即座に満タンに戻す。
このサイクルが完成した状態――通称『ゾンビビルド』こそが、D級攻略における生存の最適解です」
スタジオがどよめく。
ただ硬いだけではダメなのだ。タフで、そして再生する肉体を作らねばならない。
「……とんでもない話になってきましたね」
朝倉氏が、経営者の顔で唸った。
「そうなると、装備の相場は激変しますよ。
これまでは攻撃力重視の武器が高値でしたが、これからは『最大ライフ+100』とか『ライフ+5%』がついた鎧やアクセサリーが暴騰するでしょうね」
「前線で戦う戦士のライフ装備は、億単位になるかもしれませんな」
柳田も同意した。
「死にたくなければ金を出せ、ということですか。
命の値段が可視化されるようで、何とも世知辛い」
「なるほどなるほど……。ライフこそ正義と」
黒崎がまとめた。
「しかし、そんな理想的な装備を手に入れるには、やはりアレが必要なんですよね?」
「はい、皆さんお待ちかねのこれです!」
黒崎が声を張り上げると、画面に三つの輝く宝石が映し出された。
「ついに解禁! 『錬金術のオーブ』シリーズ!
これを使えば、ライフ付きの装備を自作できるかもしれません!
沢渡先生、解説を!」
「はい! これこそがハック&スラッシュの真髄です!
今回追加されるのは三つ!
一つ目、『錬金術のオーブ(オーブ・オブ・アルケミー)』!
これはノーマルアイテムを一気にレアアイテム(黄色)にアップグレードします!
最大で6つのMOD(特殊効果)が付与される可能性があります!」
「6つ!?」
若宮大臣が驚く。「マジックアイテムは2つでしたよね?」
「そうです! 今までの3倍です!
攻撃力、攻撃速度、命中率、火炎ダメージ、クリティカル率、そして……ライフ!
これらが全部一つの武器に乗る可能性がある。
理論上、今の装備の『3倍強くなれる』わけです!」
沢渡は興奮して、次のオーブを指した。
「二つ目、『王者のオーブ(リーガル・オーブ)』!
これはマジックアイテム(青)をレアアイテム(黄)に格上げします!
『今のライフ+効果は残したいけど、もっと強くしたい』という時に使う、堅実な強化アイテムです!」
「そして三つ目! これが一番ヤバい!
『混沌のオーブ(カオス・オーブ)』!!
レアアイテムの全ての効果を、完全にランダムでリロール(再抽選)します!」
スタジオから「うわぁ……」という声が漏れた。
「つまり、ゴミのようなレア装備でも、このオーブを使えば『神ライフ装備』に化ける可能性がある。
逆に、そこそこの装備がゴミになる可能性もある。
究極のギャンブルアイテムです!」
「凄いですね……」
黒崎が呆れたように言った。
「ドロップレートは希少とされていますが……?」
「ええ、F級の『富のオーブ』のようにボロボロ落ちることはないでしょう。
KAMI様の調整次第ですが、おそらく数百体に一個、あるいはボスクラスからのドロップ限定かもしれません。
だからこそ価値が出るんです」
「なるほど。
そして、この強力な装備の登場に合わせて、新しいルールも導入されますね」
黒崎は次のフリップを出した。
【装備要件(レベル制限)の導入】
D級以上のドロップ装備およびレアアイテムには、「装備可能レベル」が設定される。
「これは……どういう意図なんでしょうか? 柳田さん」
柳田が腕を組んで解説した。
「市場の崩壊を防ぐための安全弁でしょうな。
もしレベル1の初心者が、いきなり最強のD級レア装備を使えてしまったらどうなるか。
F級やE級の装備はゴミになり、暴落します。
先行して投資した探索者たちが破産し、初心者は高すぎて装備が買えなくなる。
それを防ぐために、『強い装備は強い奴しか使えない』という制限をかけたわけです」
「妥当かと思われますね」
朝倉氏も同意した。
「これにより、E級装備の価値も保全されます。
初心者はまずE級装備でレベルを上げ、レベル15や20になって初めてD級装備に手を出せるようになる。
段階的な成長が、強制されるわけです」
「F級装備が30万円、E級装備が60万円スタートですが……
D級装備の価格は、どうなると予想されますか?」
朝倉はニヤリと笑った。
「いやー、これ一部位100万円はいくでしょうね!
下手したら武器なら300万、500万の世界です。
レアアイテムの性能次第、特に『高ライフ』がついた防具なら、億単位の取引も出るかもしれない」
「そしてE級装備の値段も変わらないでしょうね」
柳田が補足した。
「下位互換として腐るわけではなく、通過点としての需要が残り続ける。
価値が保証されるわけです。」
「なるほど、強い装備が出れば古い装備の暴落が起きそうですが、起きないと」
「起きないですね」
沢渡も頷く。
「オークション市場は保全されるでしょう。そこは安心ですね。
KAMI様は本当にゲームバランスの調整がお上手だ(笑)」
その時、黒崎が最後の、そして最もきな臭い話題を振った。
「なるほどなるほど。
しかし、このD級解禁に合わせて、企業が本格的に参入する話もありますが、どう思われますか?
『特区』での企業活動が、いよいよ始まります」
その言葉に、スタジオの空気が少しピリついた。
「うーん、経済連の支配化ですね」
立花議員が露骨に嫌な顔をした。
「資金力のある大企業が、組織的にD級装備やレアオーブを買い占めるでしょう。
特に、先ほどの『ライフ装備』の話。
企業は社員の安全確保という名目で、市場に出回る高ライフ装備を根こそぎ買い占めるはずです」
「企業が装備を買って暴騰することも、考えられますね」
黒崎が水を向ける。
「企業が参加したから装備が高騰して、初心者が入りづらくなる可能性も?」
「うーん、それもありますね」
朝倉氏は、企業側の人間として複雑な表情を見せた。
「確かに初期は高騰するでしょう。企業も社員の命がかかっていますから、ライフ確保には必死になります。
ですが企業が攻略を進めれば、ドロップ品として市場への供給量も増えます。
長期的には価格は安定するはずですが……短期的には、個人探索者にとっては冬の時代になるかもしれません」
「月読ギルドのような民間互助組織の役割が、ますます重要になりますね」
柳田がまとめた。
「企業VS個人。この対立構造は、D級ダンジョンでさらに激化するでしょう。
まあ競争があるからこそ、市場は活性化するのですが」
番組の終了時間が迫る。
黒崎はカメラに向かって、力強く語りかけた。
「D級解禁まであと数日!
新たな装備、新たな魔法、そして新たなリスク!
ロボットの助けを借りず、自らの足で迷宮に挑む日本人の覚悟が試される時です!
装備の準備はいいですか? ライフは上げましたか?
さあ、次のステージへ進みましょう!」
番組は、熱狂的なファンファーレと共に終了した。
***
その放送を見ていた官邸地下の沢村と九条は、無言で顔を見合わせた。
「……『ライフ格差』か。また嫌な言葉が生まれたな」
沢村が重く呟く。
「ええ。ですが、沢渡氏の分析は的確です」
九条が手元の端末で市場の動きをチェックする。
「放送中から既に、オークションサイトでは『ライフ+』のついた装備の価格が急騰しています。
逆に攻撃力だけの武器は値崩れを始めている。
市場は正直です。『死にたくない』という需要が、全てを飲み込もうとしています」
「企業連中は動いているか?」
「はい。五菱商事、三井物産ともに、配下の探索者に対し『ライフ補正装備の確保』を最優先とする緊急指令を出した模様です。
彼らは分かっている。『社員を死なせないこと』こそが最大のコスト削減であると」
「……ふん。金持ちは長生きするか。嫌な世の中になったものだ」
沢村は自虐的に笑ったが、その目は笑っていなかった。
D級解禁まであと数日。
日本中が自分の「ライフ」の値段を計算し、震えている。
その恐怖こそが、次の経済を回す最大のエンジンになることを、彼らは知っていた。




