第134話
その日の夜、ゴールデンタイムのテレビ画面は、もはや日本の日常となった、しかし未だ熱狂の冷めやらぬ「異界」の話題で埋め尽されていた。
国民的な人気を誇るニュース解説番組『フロンティア・トゥナイト』。
スタジオの背景には、夜の渋谷ダンジョンゲート前で長蛇の列を作る探索者たちの生中継映像が、煌びやかなネオンと共に映し出されている。
『――こんばんは。ダンジョン開放から三ヶ月、日本の景色は一変しました』
知的で冷静な語り口で知られるメインキャスターの倉田が、重厚な木目調のテーブルに向かい、視聴者に語りかける。
彼の目線の先には、今日のゲストとして招かれた経済評論家の山岸と、ダンジョン庁から派遣された広報戦略室長(実態は九条の腹心の一人)の姿があった。
「さて、山岸さん。当初は若者を中心とした一過性のブームかとも思われましたが、この熱狂は留まることを知りません。F級ダンジョンへの参入者は、今や推定で五十万人を突破したとのデータもあります」
「ええ、まさに社会現象ですね」
経済評論家の山岸は、興奮を隠せない様子で頷いた。
「驚くべきは、その『層の厚さ』です。当初は、危険を顧みない若者や外国人労働者たちが中心でした。ですが、ここ一ヶ月でその様相は劇的に変わっています」
画面が切り替わり、新橋や丸の内といったオフィス街の映像が映し出される。
午後六時。終業のベルと共に、スーツ姿のサラリーマンたちが一斉にビルから飛び出してくる。
だが彼らが向かう先は、居酒屋ではなかった。
彼らはロッカー室で手早く戦闘服(といっても動きやすいジャージや作業着だ)に着替えると、アタッシュケースではなく背中に剣や斧を背負い、地下鉄へと消えていく。
彼らが向かう先は渋谷。あるいは新設された品川や大手町の『採掘型ダンジョン』だ。
「『仕事帰りの一狩り』。これが今、都内のサラリーマンの間で大流行しているんです」
山岸が解説する。
「彼らは、若者たちのように無謀な突撃はしません。二人一組で行動し、安全な浅い階層で確実にゴブリンを狩り、魔石とオーブを回収する。いわば『副業』としてのダンジョン探索です」
カメラが、ダンジョン帰りのサラリーマンにインタビューする。
「いやあ、疲れました」
と笑うのは、大手銀行勤務だという四十代の課長代理だ。
「今日の成果ですか? 魔石が二個とオーブが一つ。まあ時給換算したら三万円くらいですかね。部長の悪口言いながら飲むビール代より、よほど建設的ですよ」
「さらにこの流れは、退職世代にも広がっています」
今度は、地方都市のゲート前でシルバー世代の集団がラジオ体操をしている映像が流れる。
「定年後の第二の人生として『探索者』を選ぶ人が急増しているんです。彼らにとってダンジョンは、健康維持のためのウォーキングであり、仲間との交流の場であり、そして何より年金の不足分を補って余りある『実益』を兼ねた最高の趣味となっています」
倉田がスタジオに戻す。
「なるほど。『国民総探索者』とまではいかなくとも、確実にその流れは出来つつあるわけですね。
ですが山岸さん、そうなると気になるのが『装備品』です。これだけ需要が増えれば、価格は高騰したままなのでは?」
「その通りです」
山岸は厳しい表情で、一枚のグラフを提示した。
『F級・片手剣』のオークション相場。
その価格は一時30万円まで高騰した後も高止まりを続け、現在も『28万円』前後で推移していた。
「装備の高騰は続いています。これは、参入者の増加ペースに、自衛隊や先行組によるF級装備の供給が全く追いついていないことを示しています。
そしてここで興味深いのが『文化の違い』です」
彼は、外国人探索者と日本人探索者の装備比率を示した円グラフを比較する。
「安全志向の強い日本人は、麻生大臣の会見の影響もあり、兜から鎧、手足に至るまで全身の装備を揃えなければ『危険だ』と考える傾向が強い。
一方、外国人探索者……特に戦闘経験の豊富な途上国出身の方々は違います。
『防具など飾りだ。武器さえあればいい』と、オークションで手に入れた片手剣一本と、あとはバイク用のヘルメット程度で平然とダンジョンに突入していくのです」
スタジオに「へえー」という感嘆の声が漏れる。
「もちろんリスクは高い。ですが彼らは、そのリスクを取ってでも一日でも早く稼ぎたい。
この『思考の違い』が、限られた装備の奪い合いをさらに複雑化させています。
結果としてF級ダンジョンは、重装備で安全に狩る日本人サラリーマン層と、軽装備ハイリスクで稼ぎまくる外国人層という奇妙な二極化が進んでいるのです」
「そして、その両方の層が今、血眼になって求めているものがあります」
山岸は、グラフのもう一つの線を指さした。
それは、垂直に近い角度で天井を突き破らんばかりに上昇を続ける線だった。
『富のオーブ』。
その価格は、ついに『20万円』の大台を突破していた。
「オーブ価格が、装備本体の価格に追いつき、追い越そうとしています。
なぜか。
『どうせ高い金を出して装備を買うなら、最強の武器が欲しい』
『どうせバットで戦うなら、最強のオプションをつけたい』
というクラフト(装備製作)への熱狂です」
倉田が頷く。
「つまり、F級ダンジョンで日給10万円を稼ぎ、その金でオーブを買い、クラフトギャンブルに挑む……。
探索者たちは、稼いだそばから次の『投資』に回しているわけですね」
「その通りです! そしてその結果、驚くべき現象が起きています」
山岸は声を張り上げた。
「F級探索者の一部に『日給100万円』を超える者が、決して珍しくないレベルで出現し始めたのです!」
日給100万。
その数字が、スタジオと日本中のお茶の間の空気を変えた。
「オーブのドロップ率は決して高くはありません。ですが母数が増えれば、『神引き』する者も必ず出てくる。
彼らは一日で『富のオーブ』を5個、6個とドロップさせ、それを即座に20万円で売却する。
魔石の稼ぎと合わせれば、日給100万円は夢物語ではなく、確率論的な『現実』なのです」
「……凄まじい話になってきました」
倉田はゴクリと喉を鳴らした。
「これではますます探索者を志す若者が増える一方でしょう。
一方で、先行してE級ダンジョンに向かった若者たちはどうなっているのでしょうか?」
「はい。現在、明確な棲み分けができていますね」
山岸はまとめた。
「『E級ダンジョン』は、ケンタ君や月読ギルドのような、高い技術と組織力、そして何より『リスクを取る勇気』を持った元気な先行者の若者たちが挑む場所。彼らはそこでしか手に入らない高価なE級装備やスキルジェムを求め、日々死線を彷徨っています。
一方で『F級ダンジョン』は、比較的安全に、しかし確実に稼ぎたいサラリーマンや年配層、そして一攫千金を夢見る新規参入者たちがひしめき合う、『黄金の労働市場』となっています」
E級=夢を追う若者。
F級=現実を稼ぐ大人と、夢を見始めた素人。
ダンジョンは、日本の社会構造そのものを映し出す鏡となっていた。
「……なるほど。経済的な側面はよく分かりました」
倉田は、それまで沈黙を守っていたダンジョン庁の広報室長へと視線を移した。
「室長。この熱狂、政府としてはどうご覧になっていますか?
特にこの深刻な『魔石不足』については?」
広報室長は、九条から仕込まれた完璧な答弁を、よどみなく開始した。
「はい。まず、探索者人口が増加していること自体は、政府として『極めて好ましいこと』であると認識しております」
彼は手元のフリップをカメラに向けた。
そこには、日本の魔石消費量の円グラフが表示されている。医療、農業、そして民生用。その需要は、供給の三倍に達していた。
「皆様もご存知の通り、我が国は深刻な『魔石不足』に直面しております。
探索者の皆様が稼げば稼ぐほど、その富は巡り巡って我が国の産業を潤し、国民生活を豊かにします。
政府としては、この流れをさらに加速させるため、あらゆる支援を惜しまない所存です」
「では、D級ダンジョンの早期開放などは?」
「それについては、KAMI様のご判断を仰ぎつつ、安全性を最優先に、慎重に検討しております」
室長は、完璧な官僚答弁でそれをかわした。
倉田は最後の質問を投げかけた。
「……室長。私も昨日、初めて『魔石ブランド』の野菜を食べてみたんですよ。
あのトマトの甘さといったら……。あれは麻薬ですね」
スタジオに笑いが起きる。
「ええ、私もいただきましたが、同感です」
室長も、珍しく人間的な笑みを浮かべた。
「魔石軟膏が『命』を救うなら、魔石食材は『生活の質』を救います。
あの旨さを知ってしまった以上、国民の需要が爆発するのも頷けます。
『魔石が足りない』という国民の声は、我々への何よりの叱咤激励です。
政府・民間・そして探索者の皆様が一体となり、この国をさらに豊かにするため、邁進していく所存です」
番組は、完璧なまでの予定調和と、未来への希望を煽る形で締めくくられた。
その熱狂的な放送を、官邸の地下で見ていた沢村と九条は、静かにテレビの電源を切った。
「……『第二の波』か」
沢村が呟いた。
「経済的に余裕のある大人たちが、趣味と実益を兼ねて参入してきた。
装備の値上がりも、彼らが買い支えてくれるなら、むしろ市場としては健全かもしれんな」
「ええ」
九条が頷いた。
「問題は、彼ら『持てる者』と、装備が買えずにF級にすら入れない『持たざる者』との格差が、さらに開いていくことです。
月読ギルドの支援だけでは、もはや追いつかない。
……政府として、何らかの『セーフティネット』を本気で考える時期に来ているのかもしれませんな。
例えば、公式ギルドによる低所得者向けの装備レンタル制度の拡充とか……」
「また仕事が増えるな」
沢村は、もはや何度目になるか分からない深いため息をついた。
テレビが消えた後も、日本のどこかではサラリーマンが剣を振り、老人がツルハシを振るっている。
その奇妙で、しかし力強い経済の鼓動だけが、眠らない執務室の静寂の中に、確かに響いていた。




