番外編 獣の断章3話
東京、首相官邸地下危機管理センター。
大型モニターの向こうには、地球の裏側、ワシントンD.C.のホワイトハウス「シチュエーション・ルーム」が映し出されていた。
日本側の席には、疲労の色を隠せない田所総理と、胃薬を飲み込んだばかりの官房長官。
そして画面の向こう、アメリカ側には、寝巻きの上に急いでジャケットを羽織ったアーサー・マクミラン大統領と、顔面蒼白の国防長官、統合参謀本部議長らが並んでいる。
これは人類史上初の「対・超常的脅威に関する日米首脳極秘会談」であった。
そしてこの会議の真の支配者は、円卓の上に胡座をかき、アメリカンサイズのポップコーンを抱えているゴシック・ロリタ姿の少女、KAMIである。
「――あー、マイクテスト、マイクテスト。聞こえるかしら、アメリカの大統領さん」
KAMIが気だるげに手を振る。
マクミラン大統領は、信じられないものを見る目で画面を見つめ、そして震える声で田所総理に問いかけた。
『……総理。確認だが、この……少女が?』
「はい」
田所総理は、悟りきった僧侶のような静かな声で答えた。
「彼女こそが今回の事態の鍵を握る存在……KAMI様です。
あの巨大ロボットの所有者であり、我々に警告をもたらした……まあ、高次元の存在です」
『高次元……。
CIAの報告書には「日本の新兵器開発に関わるマッドサイエンティストのホログラムアバターではないか」とあったが』
「訂正させてください。彼女は実在します。そして、我々の常識は通用しません」
総理の言葉を遮り、KAMIが身を乗り出した。
「挨拶は抜きにしましょう。時間がないのよ。
大統領、単刀直入に言うわね。
まず、今日の東京湾のドンパチについての説明と、これからの『悪いニュース』、そして『良いニュース』を話すわ」
『……聞こう』
マクミラン大統領は、覚悟を決めたように頷いた。
「まず、あの怪獣の正体について」
KAMIは空中に指を走らせ、複雑な三次元グラフと数式をホログラムとして、日米双方の空間に投影した。
それは、地球の物理学者が一生かかっても解読できないような、高次元の位相幾何学図形だった。
「あれは生物じゃないわ。正確には『情報』よ」
『情報……だと?』
「そう。次元の裂け目――私たち高次元存在が通る『穴』みたいなものね――そこから漏れ出した、別次元の『情報』の残骸。
それがこの世界(568番世界)の物質と融合して、物理的な実体を持った『バグ』。それが海獣の正体よ」
KAMIはポップコーンを一つ放り込み、咀嚼音と共に続けた。
「異世界の『在るべきではない情報』が、この世界の海に落ちて質量を持って暴れまわった。
だから、あなたたちの世界の通常兵器……ミサイルとか戦車砲とかね、ああいう物理的な衝撃だけを与える武器は、表面の『情報障壁(ATフィールド的なもの)』に阻まれて効果が薄いの。
データを消去するには、それ相応の『解凍プログラム』……つまり、私が作ったロボットみたいな、同じ次元の理屈で動く兵器で殴るしかないわけ」
『な、なるほど……?』
大統領は理解が追いついていないが、東京湾での戦闘映像――ミサイルを弾き返し、ロボットの剣で切断された怪獣――を思い出し、無理やり納得した。
「で、ここからが報告よ。
良いニュースは、私が貸し出した巨大ロボット『タケミカヅチ』が、そのバグを物理的に叩き潰して(デバッグして)東京を守り切ったこと。
私の計算通り、こちらの兵器なら有効打を与えられることが証明されたわ」
『それは……感謝する。同盟国の首都が壊滅せずに済んだのは何よりだ』
「感謝は形(対価)で示してもらうとして」
KAMIはニヤリと笑い、そして急に表情を曇らせた。
「問題は『悪いニュース』の方よ。
……次元の裂け目、まだ閉じてないの」
『……何?』
「というか、広がってるわね。
私の予測だと、あの裂け目から今後も定期的に『情報塊』が落ちてくるわ。
つまり……怪獣は、これからも現れるってこと」
その宣告に、ホワイトハウスの空気が凍りついた。
国防長官が、呻くように声を上げる。
『ま、まさか……あんな怪物がまた現れると言うのか!?』
「ええ。しかも場所はランダムよ。
次は東京かもしれないし、上海かもしれないし、ロンドンかもしれない。
でも一番確率が高いのは……」
KAMIはホログラムの地球儀を回し、北米大陸を指差した。
「ここ。アメリカ西海岸。
次元断層の移動予測ルート上にあるわ。
早ければ来週、遅くても一ヶ月以内に、サンフランシスコかロサンゼルス沖に第2の海獣が落ちてくるわね」
『ま、マジかよ……!』
マクミラン大統領が頭を抱えて天を仰いだ。
世界最強の軍事力を誇るアメリカ合衆国。
だが、通常兵器が通用しない相手が本土に上陸する。
それは悪夢以外の何物でもなかった。
『核を使えと言うのか……? 自国の領土で……?
いや、核でさえ効く保証はないと言ったな……』
「そうね。核の熱エネルギーも、情報の壁の前では減衰されるわ。
汚染だけ残して怪獣はピンピンしてる……なんて、最悪のオチもありえるわよ」
『オーマイガー……。終わりだ。
どうすればいいんだ……』
絶望に沈むアメリカ政府首脳陣。
その様子を見て、KAMIは「計算通り」と言わんばかりに口角を上げた。
ここからが、彼女のセールスタイムだ。
「――大丈夫よ、大統領」
KAMIの声が、甘く誘うように響く。
「私がいるじゃない。
日本を助けたみたいに、アメリカにも手を貸してあげるわ」
『ほ、本当か!?』
大統領が顔を上げる。
「ええ。
アメリカを守るための『巨大ロボット』。
あなたたちの国にも貸し出してあげるわよ!」
『巨大ロボットを……我々にも!?』
「そう! しかも、ただの貸し出しじゃないわ。
アメリカには、アメリカにふさわしい特別仕様を用意してあげる!」
KAMIは指を鳴らした。
ホログラムの映像が切り替わり、一体の新しい巨人の姿が浮かび上がった。
それは、日本の『タケミカヅチ』とは全く異なるシルエットを持っていた。
武骨で重厚。
分厚い装甲に覆われた上半身、巨大なガトリング砲を背負い、両腕にはパイルバンカーのような打撃機構。
カラーリングはオリーブドラブと星条旗のトリコロール。
まさに「歩く要塞」「鋼鉄の愛国者」といった風情だ。
「コードネーム『リバティ・プライム(仮)』。
出力重視、火力特化型よ。
日本のタケミカヅチが『侍』なら、こっちは『ガンマン』であり『アメフト選手』ね。
怪獣の懐に飛び込んで、ゼロ距離射撃で風穴を開ける!
どう? アメリカっぽくてカッコイイでしょ?」
『おお……!』
画面の向こうで、国防長官と統合参謀本部議長が身を乗り出した。
『素晴らしい……! これぞアメリカの力だ!』
『この重厚感、たまらん!』
マクミラン大統領も、その勇姿に目を奪われていた。
これなら勝てる。
いや、これならば国民を熱狂させ、支持率を爆上げできる。
政治家としての本能が、そう告げていた。
『……KAMI君。いや、KAMI様。
是非ともその機体をお借りしたい!
だが……タダというわけにはいかないだろう?
我々は何を差し出せばいい?
金か? 領土か? それとも魂か?』
悪魔との契約。大統領は、その覚悟を決めていた。
だがKAMIの口から出た言葉は、あまりにも予想外のものだった。
「対価? そうねぇ……。
ゴミ収集をさせて貰える?」
『……は?』
大統領が固まった。
『ゴ、ゴミ……?』
「ええ。ゴミよ。
産業廃棄物、核廃棄物、プラスチックゴミ、あと埋立地のゴミ全部。
アメリカって世界一の消費大国でしょ?
つまり世界一の『資源大国』ってことじゃない。
質のいいゴミがたくさんあるはずよね?」
KAMIは目を輝かせた。
本気だった。
彼女にとってこの世界のゴミこそが、全能に至るための経験値ソースなのだ。
「私のロボットのレンタル料および、怪獣迎撃のオプション料金。
それら全て、アメリカ国内のゴミ処理権で相殺してあげるわ。
もちろん収集は、私のドローンが勝手にやるから、あなたたちは許可書にサインするだけでいいの」
『そ、それだけでいいのか……?』
大統領は耳を疑った。
厄介なゴミ問題が解決し、その上、地球を守る超兵器が手に入る。
どう考えても、アメリカにとって得しかない取引だ。
「ええ。それが、私のエネルギー源になるのよ。
Win-Winでしょ?」
『……分かった。分かりました!』
大統領は即答した。
『ゴミでしたら、いくらでも差し上げます!
ネバダの核廃棄物処理場も、ニューヨークの埋立地も、全て好きにしてくれ!
契約成立だ!』
「交渉成立ね!」
KAMIは嬉しそうに手を叩いた。
これで日米両国が、彼女の「顧客」となった。
だがKAMIの構想は、単なる二国間の取引に留まるものではなかった。
「さて、ここからが本題よ」
KAMIはお菓子をつまむ手を止め、真剣な表情(といっても口元にカスがついているが)になった。
「ロボットを貸すのはいいけど……。
これを『日本政府の兵器』とか『アメリカ政府の兵器』ってことにすると、後々面倒なことになるわよね?」
「ええ、その通りです」
田所総理が頷く。
「もし我々が単独で保有しているとなれば、周辺諸国との軍事バランスが崩壊し、いらぬ緊張を招きます。
それに怪獣災害は地球規模の問題。一国だけで抱え込めるものではない」
「そう。
だから、新しい組織を作るわ」
KAMIは空中に大きなエンブレムを描き出した。
地球を剣と盾が守る、ベタだが分かりやすいデザイン。
「『地球防衛軍(Earth Defense Force)』……略してEDFを作るわよ!」
『EDF……ですか』
マクミラン大統領が呟く。
「ええ。
国連主導……に見せかけた、日米主導の超法規的国際機関よ。
目的はただ一つ。『未確認巨大生物(怪獣)からの人類の防衛』。
本部は……まあとりあえず、最初に被害が出た東京に置きましょうか」
「巨大ロボット『ギガント(仮称)』たちは、公式には『出自不明のオーパーツ』あるいは『異星からの供与兵器』ということにするわ。
どこの国の所有物でもない。
人類を守るために存在するEDFの管理下にある装備、という建前にするの」
KAMIは次々と、組織図を構築していく。
「日本とアメリカは創設メンバーとして主導権を握る。
でもそれだけじゃ足りないわ。
世界中の国に参加を呼びかけましょう!
『参加したい国は参加する』って形にするの!」
『参加する国には、どのようなメリットが?』
「もちろん『自分の国にもロボットを配備してもらえる』権利よ!」
KAMIは笑った。
「中国もロシアもヨーロッパも。
怪獣の脅威に晒されたら、喉から手が出るほどロボットが欲しくなるはずよ。
EDFに参加し、拠金を提供すれば、その国のための専用機(カスタム機)を回してあげる。
そうすれば、世界中が私の……じゃなくてEDFの顧客になるわ」
それは、世界を「怪獣との戦争」という一つの目的のために統合し、同時にKAMIが効率よく世界中から対価を回収するための、完璧なシステムだった。
「巨大ロボットは、実質的にEDFの所有物。
パイロットは各国の軍から選抜されたエリートたち。
整備と運用は、私が派遣する技術ドローン(妖精さん)と、人間スタッフが共同で行う。
……いいわね?」
KAMIは日米の首脳を見渡した。
「じゃあ、このシナリオでいくわよ?
日本政府とアメリカ政府、協力してちょうだい」
「異存はありません」
田所総理が即答する。
これ以上の責任を日本一国で負うのは不可能だ。
国際機関という隠れ蓑があれば、国内の野党対策もしやすい。
『アメリカも同意する』
マクミラン大統領も頷いた。
『EDFの主導権を日米で握れるなら、我が国の覇権維持にも繋がる。
それに、世界の警察として怪獣退治の先頭に立つのはアメリカの宿命だ』
「よし! 決まりね!」
KAMIは立ち上がり、高らかに宣言した。
「じゃあ、次の海獣出現まで裏工作するわよ!
忙しくなるわよー!」
***
その日から世界は、目まぐるしく動き出した。
まず、日米両政府による「緊急共同声明」が発表された。
東京湾に現れた怪獣を「カテゴリー1」と命名し、同様の脅威が今後も世界各地に出現する可能性が高いことを警告。
そして、それに対抗するための国際機関「EDF」の設立を提唱した。
同時に、謎の巨大ロボットに関する「公式見解」が流布された。
『次元の裂け目から怪獣と同時に出現した謎の巨人』
『人類の味方であると推測され、現在、日米の科学者チームが接触・解析を試みている』
『解析の結果、人類でも操縦可能であることが判明した』
……といった、嘘八百だがロマン溢れるストーリーが、メディアを通じて世界中にばら撒かれた。
世界中の人々は、恐怖と興奮の入り混じった感情でそれを受け入れた。
怪獣の恐怖。
そして、それを打ち倒す鋼鉄の巨神への憧れ。
ネット上ではEDFの入隊希望者が殺到し、ロボットのプラモデル(まだ発売されていないが)の予約が始まった。
各国の首脳たちも、表向きは慎重な姿勢を見せつつ、裏では「我が国にもロボットを!」と日本政府への問い合わせを殺到させていた。
***
そして一週間後。
東京、市ヶ谷の防衛省地下に新設された「EDF極東支部」の司令室。
そこには、制服のデザイン案をチェックするKAMIと、書類の山に埋もれる田所総理、そして新たにEDF総司令官に就任した元幕僚長の姿があった。
「ねえねえ、女性隊員の制服、ミニスカートにしない?」
「却下です! 実用性がありません!」
「ちぇっ。つまんないの」
そんなのどかな(?)風景の裏で、モニターの赤いランプが点滅を始めた。
『――警告。次元震感知。
予測ポイント北緯37度、西経122度。
サンフランシスコ沖50キロ地点』
「来たわね」
KAMIの目が鋭く光った。
お菓子の袋を放り投げ、司令官席へと飛び乗る。
「第2の怪獣よ!
総司令、アメリカ支部に連絡!
『リバティ・プライム』起動シークエンス開始!」
「了解! ホットライン接続!
EDF北米支部へ告ぐ! 怪獣出現!
総員戦闘配置!」
サイレンが鳴り響く。
世界が再び戦火に包まれる。
だが今回は、人類は無力ではない。
サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジの向こう、霧の中から現れた巨大な怪獣の前に、星条旗カラーの巨人が立ちはだかる。
『USA! USA!』
避難する市民たちの歓声。
「さあ、ショータイムの続きよ!」
KAMIはモニターを見つめながら、凶悪な笑みを浮かべた。
「もっと派手に! もっと熱く!
私を楽しませてちょうだい、人類!」
こうして、神と人類の奇妙な共闘関係――「地球防衛」という名の壮大なエンターテインメント事業は、本格的な稼働を始めたのだった。
田所総理は胃薬を飲みながら、モニターの中の戦闘を見つめた。
「……平和な日常は、もう戻ってこないな」
「ええ、総理。でも……」
官房長官が、少しだけ熱い口調で言った。
「退屈はしませんね」
二人は顔を見合わせ、苦笑した。
そして再び、終わりのない業務へと戻っていった。
568番世界。
そこは今、宇宙で一番騒がしく、そして一番輝いている星となっていた。
〈568番世界編・完〉




