第130話
夜が明け、新しい朝が来た。
だが、その朝は日本列島の住民にとって、これまで迎えてきたどの朝とも異なる、異質で、そしてあまりにも輝かしい「変革」の朝だった。
北海道・夕張。
かつて黒いダイヤ(石炭)で栄え、そして衰退した山間の街。その古びた市役所の前庭に、突如として巨大な構造物が出現していた。
岩盤を削り出したかのような、無骨で荒々しいアーチ状のゲート。その内側には、薄暗い坑道の奥へと続くような茶褐色の渦が巻いている。
福岡・筑豊。
ここもまた、かつての炭鉱の町。そのボタ山を見上げる公園のど真ん中に、同じようなゲートが鎮座している。
長野・木曽。
深い森林に囲まれた静かな集落の入り口に、蔦や苔に覆われた、まるで古代遺跡の入り口のような緑色のゲートが現れた。
そして、日本全国の主要都市、地方都市、果ては限界集落に近い村々にまで、大小様々な「穴」が開いたのだ。
その数、合計五百箇所。
KAMI が夜なべして配置した(ポテトチップスを食べながら)日本列島改造計画の決定版である。
混乱はなかった。
なぜなら、日の出と同時に、全放送局をジャックする勢いで政府からの詳細なアナウンスが流されたからだ。
テレビ画面には、いつものように不敵な笑みを浮かべた麻生ダンジョン大臣の姿があった。
だが今日の彼は、いつにも増して上機嫌に見えた。
「――国民の皆様、おはようございます」
麻生の声が、全国の食卓に響く。
「昨夜、KAMI 様より新たな『プレゼント』が届きました。
皆様の家の近所にも、見慣れぬゲートが出現していることでしょう。
驚くことはありません。これは災害ではない。
これは、地方経済を、そして我が国の産業構造を根底から覆す、正真正銘の『宝の山』です」
画面が切り替わり、日本地図が表示される。
色とりどりのマーカーが、それぞれのゲートの性質を示していた。
「今回追加されたダンジョンは、大きく分けて三種類あります。
一つ目は、渋谷と同じくモンスター討伐を主目的とする『通常型』。
ですが、私が本日特に強調したいのは残りの二つです」
麻生は、地図上の茶色のマーカーを指さした。
「二つ目は『採掘型ダンジョン(マイニング・タイプ)』。
ここは、モンスターの出現率が極端に低く抑えられています。
その代わり、壁を掘れば、地面を掘れば、そこから無限に資源が湧き出してくる。
鉄、銅、レアメタル、そして魔石。
資源のない国と言われ続けた日本が、今日から『資源大国』に生まれ変わるのです」
次に、緑色のマーカーを指す。
「三つ目は『採取型ダンジョン(ギャザリング・タイプ)』。
豊かな森林や草原が広がるこの場所では、地球には存在しない、あるいは絶滅したはずの植物、果実、キノコ類が自生しています。
これらは、食料として、あるいは新薬の原料として、計り知れない価値を持ちます」
そして麻生は、カメラの向こうの、特に地方に住む高齢者や、戦闘に自信のない人々に向かって、力強く呼びかけた。
「剣を振るうだけが探索者ではありません!
ツルハシを振るえる者、鎌を使える者、あるいは重機を動かせる者。
その全てが、今日から『探索者』です。
若者が東京へ行く必要はありません。地元のゲートが、皆様の職場になります。
さあ、道具を持って集まりなさい! 日本の夜明けぜよと言いたくなる気分ですな!」
その演説は、東京一極集中に絶望していた地方の人々の心に、強烈な火をつけた。
北海道・夕張。
新設されたゲートの前には、早朝から異様な集団が形成されていた。
剣や鎧を身に着けた若者は少ない。
代わりにそこにいたのは、ヘルメットに作業着、安全靴を履いた地元の建設会社の男たちや、かつて炭鉱で働いていたという老人たちだった。
彼らの手には、武器ではなく、ツルハシ、スコップ、ドリル、そして大型の削岩機が握られている。
「……社長、本当なんですかね。ここ掘ったら魔石が出るって」
若い現場監督が不安そうに尋ねる。
「大臣がそう言ったんだ、間違いねえべ」
社長と呼ばれた初老の男は、愛用のヘルメットの顎紐を締め直した。
「公共事業も減って、うちは倒産寸前だ。これがラストチャンスだぞ。
昔取った杵柄だ。穴掘りなら俺たちの右に出るやつはいねえ。行くぞ!」
「おう!」
彼らは重機と共に、ゲートの中へと進んでいった。
転移した先は、広大な地下空洞だった。
渋谷の洞窟とは違う。壁面には無数の鉱脈が、まるで血管のように走り、所々で魔力が結晶化して青白く発光している。
「……すんげー……」
誰かが息を呑んだ。
社長は震える手で壁面の岩盤に触れた。長年の経験が告げている。この壁の向こうに、とてつもない何かが眠っていると。
「よし、試掘だ! そこ、掘ってみろ!」
ガガガガガガガッ!!!
削岩機の轟音が洞窟内に響き渡る。岩盤が砕け、破片が飛び散る。
そして、ボロッと大きな塊が崩れ落ちた。
「で、出ました社長!」
作業員が駆け寄る。
その手にあるのは、土にまみれた、しかし確かに金属光沢を放つ鉱石の塊。
そしてその鉱石に抱かれるようにして、黒く輝く『F級魔石』が埋め込まれていた。
「鑑定してみろ!」
社長が叫ぶ。作業員がスマホの鑑定アプリ(ギルド公式)をかざす。
【アイテム名:魔鉄鉱】
【含有物:高純度鉄鉱石、F級魔石(小)】
【推定買取価格:5,000円/kg】
「……ご、ごせんえん……?」
社長が絶句した。たった一塊、重さにして数キロ。
それが数万円の価値を持つ。鉄スクラップの相場など比較にならない。
「おい、あそこも見ろ! 壁一面、全部これだぞ!」
「こっちには銅の反応があります!」
「社長! こっちはミスリル銀の欠片みたいなのが混じってます!」
鉱山ダンジョン。
そこは、掘れば掘るだけ金が出てくる、魔法の貯金箱だった。
「……うお、うおおおおおおおお!」
社長が吠えた。
「掘れ! 掘れ! 掘り尽くせぇぇぇぇ!!
借金返済だ! ボーナスだ! 重機、もっと持ってこい!」
「へいッ!!!」
ツルハシの音が、ドリルの音が、歓喜の歌のように洞窟に響き渡る。
だが彼らは忘れてはいなかった。ここはダンジョンであることを。
「ギャッ! ギャギャッ!」
作業音を聞きつけて、岩の隙間から『ロック・ワーム(岩虫)』と呼ばれるモンスターが這い出してきた。
全長一メートルほどの、岩石のような皮膚を持つミミズだ。採掘の邪魔をする厄介者。
「ひぃっ! モンスターだ!」
作業員が腰を抜かす。
だが、その前に影が立ちはだかった。
「下がってろ、おっさん達! そいつは俺らの仕事だ!」
声の主は、彼らが「護衛」として雇った、地元の探索者パーティの若者たちだった。
オークションで装備を整えた彼らは、手慣れた様子で武器を構える。
「シールドバッシュ!」
盾役がワームの突進を受け止める。
「そこだ!」
剣士が、柔らかい腹部を切り裂く。
一瞬の連携。ワームは光の粒子となって消え、魔石を残した。
「……ふぅ。助かったよ、兄ちゃん」
社長が安堵の息をつく。
「いやー、さすが本職は違うねえ」
「へへっ、まあね」
若きリーダーが、得意げに鼻をこすった。
「俺らは掘るの苦手だし、重機もないからさ。
こうやっておっさん達を守って、その上がりの何割かを貰う方が効率いいんだよ。
ウィンウィンってやつ?」
そう。これが、政府が推奨した「護衛付き採掘」の形だった。
戦闘が得意な若者と、技術と機材を持つ大人たち。
かつては交わることのなかった二つの世代が、ダンジョンという現場で、奇妙な、しかし強固な共闘関係を結んでいた。
「よし、安全確保完了だ! また掘るぞ!」
「おうよ!」
夕張の地下で、日本の産業の鼓動が、再び力強く脈打ち始めていた。
一方、長野県・木曽の山奥。
『採取型ダンジョン』のゲート前には、また別の種類のプロフェッショナルたちが集結していた。
大学の農学部の教授たち、大手製薬会社の研究員、高級料亭の料理長、そして地元の山菜採り名人のおばあちゃんたち。
彼らは武器の代わりに、植物図鑑、採取用の籠、そして高精度の分析機器を手にしていた。
「……すごい。すごいですぞ、これは!」
ゲートをくぐり、広大な『迷いの森』に足を踏み入れた瞬間、植物学の権威である老教授が、膝から崩れ落ちんばかりに感嘆した。
目の前に広がるのは、地球の植生とは全く異なる、極彩色の植物たちの楽園だった。
自ら淡い光を放つ花。人の頭ほどもある巨大な果実。
そして、地面を埋め尽くす多種多様なキノコたち。
「見てください、このキノコ!」
山菜採り名人のタキさん(78歳)が、木の根元に生えている青いキノコを指さした。
「これ、鑑定したら『マナ・マッシュルーム』って出たわよ!
食べると魔力が回復するんですって! しかも一本 5000 円! 松茸より高いわ!」
「こっちは『鉄樹』です!」
林業組合の男が斧で木を叩きながら叫んだ。
「硬度が鋼鉄並みなのに、重さは木のままだ!
建築資材として革命的だぞ! 加工は大変そうだが、これ一本で家が建つ値段だ!」
そして、製薬会社の研究員たちは血眼になって薬草を採取していた。
「『毒消し草』……『麻痺治しの葉』……。
成分分析したら、既存の抗生物質を遥かに上回る薬効成分が検出されました!
これは……新薬の宝庫です! 株価がストップ高になりますよ!」
「料理長! この『蜜リンゴ』、糖度が 50 度超えてます!」
「なんだと!? そのままデザートになるじゃないか! 全部採れ! 店で出すぞ!」
そこは、まさに宝の山だった。
戦闘など起きない。
たまに現れる『トレント(動く木)』や『ポイズン・アイビー(食人植物)』は、護衛の探索者たちが焼き払ってくれる。
専門家たちは童心に帰ったように森を駆け巡り、カゴいっぱいに「富」を詰め込んでいた。
「すげー! キノコ取り放題じゃん!!!」
「あっちに薬草の群生地があるぞ!」
「これ、全部非課税なんだよな……?」
「笑いが止まらんわ!」
彼らの背中には、日本の第一次産業の復活の狼煙が上がっていた。
農業、林業、そしてバイオ産業。
斜陽と言われた産業が、ダンジョンという異界の養分を吸って、爆発的な進化を遂げようとしていた。
その夜。
霞が関ダンジョン庁長官室。
麻生大臣は全国から上がってくる報告書を見ながら、満面の笑みでブランデーを揺らしていた。
「……ふっふっふ。計画通り、いやそれ以上だな」
モニターには、各地の経済効果の速報値が表示されている。
夕張市、財政再建団体の指定解除へ前進。
筑豊エリア、重機メーカーの受注が殺到し工場フル稼働。
長野県、製薬会社の工場誘致が決定。
「地方が息を吹き返した。
これまで東京に吸い上げられるだけだった地方都市が、自らの足で立ち、自らの手で富を生み出し始めた。
これぞ真の地方創生。……ばら撒き政策などより、よほど効果的だ」
隣に立つ九条が冷静に補足する。
「資源の国内自給率も劇的に改善するでしょう。
鉄、銅、レアメタル。これらを輸入に頼らず、国内で、しかも無限に調達できるとなれば、我が国の産業競争力は盤石となります。
経産省の試算では、貿易黒字が過去最高を更新するのは確実かと」
「だろうな」
麻生は頷いた。
「金は出ないと言ったが、魔石が出るなら金以上の価値がある。
資源国としての日本の誕生だ。……アメリカや中国も、これには舌を巻くだろうよ」
実際、世界の反応は劇的だった。
ワシントン D.C.。
トンプソン大統領は、ラストベルト(錆びついた工業地帯)であるデトロイトやピッツバーグに設置された「鉱山ダンジョン」からの報告を受け、涙ぐんでいた。
「……工場が戻ってくる。雇用が戻ってくる。
アメリカの製造業が、魔法の金属で蘇るんだ……!
Make America Great Again……いや、Make America Magical Again だ!」
北京。
王将軍は、内陸部の資源開発が加速することに満足していた。
「広大な国土を持つ我が国にとって、各省に資源が湧くのは好都合だ。
輸送コストがゼロになる。『西部大開発』が、こんな形で完成するとはな」
モスクワ。
ヴォルコフ将軍は、シベリアの凍土の下に広がるダンジョンで、寒さに強いロシア人が黙々とレアメタルを掘り出す様を見て、ウォッカを煽っていた。
「石油がダメでも、我々には鉱石がある。
ロシアの大地はやはり母なる大地だ。裏切らんよ」
世界中が、この新しい「第 N 次産業革命」に沸いていた。
戦うだけがダンジョンじゃない。掘る、採る、作る。
人間の営みの全てが、ダンジョンというフロンティアに飲み込まれ、そして拡張されていく。
そして、その狂騒を一番高いところから眺める者。
東京のマンションの一室。
KAMI はホログラムモニターに映る、キノコ狩りにはしゃぐおばあちゃんたちの映像を見て、ほっこりと笑っていた。
「あら、楽しそうね。
やっぱり殺伐とした戦闘だけじゃ疲れるもの。
こういう『牧場物語』みたいな、スローライフなダンジョン活用法もアリよね」
本体の栞が、PC のキーボードを叩きながら言った。
「経済効果も抜群ね。
採掘と採取のドロップテーブル、少し調整しておいたわ。
あんまり簡単に取れすぎると値崩れするから、レア素材の確率は絞ってあるけど。
それでも、地球の基準からすれば『入れ食い』状態よ」
「いい塩梅ね」
KAMI は頷いた。
「これで、戦闘職以外の人たちも私のシステム(信者)に取り込めたわ。
世界中が私に依存していく。……ふふ、対価が貯まる音が聞こえるようだわ」
「そういえば」
栞が手を止めた。
「あなた、掘りに行くって言ってなかった?」
「あ、そうそう!」
KAMI は思い出したように立ち上がった。
「鉱山ダンジョンで宝石が出るって聞いたから。
私、自分で採掘して、オリハルコンのネックレスとか作りたいのよ!」
彼女は、可愛らしいピンク色のヘルメットと、不釣り合いなほど巨大な、しかし装飾過多な「ゴシック・ツルハシ(KAMI 専用スキン)」を取り出した。
「じゃ、ちょっと夕張行ってくるわ!
お土産にメロン……じゃなくて魔石メロン、買ってくるから!」
「行ってらっしゃい。
あんまり暴れて坑道を崩落させないようにね」
「分かってるって!」
KAMI はゲートを開き、北海道へと飛び去っていった。
神様でさえツルハシを持って掘りに行く時代。
人類は今、地面の下に広がる無限の富に魅せられ、ツルハシを振り下ろす喜びに打ち震えていた。
「……カーン、カーン」
その小気味よい音は、新しい時代の鼓動のように、世界中の地下深くで鳴り響き続けていた。
そしてその音の裏で、ダンジョンは静かに、しかし確実に、次の段階への準備を進めていた。
深く潜れば潜るほど富は増える。だが、闇もまた深くなるのだ。
今はまだ誰も、その深淵を覗いてはいなかった。
ただ、目の前の輝く石に夢中になっているだけだった。




