第123話
アメリカ合衆国ネバダ州エリア51。
陽炎が立ち上る滑走路の彼方まで、灼熱の太陽が容赦なく照りつけている。
だが、その格納庫の内部に充満していたのは、砂漠の熱気とは異なる種類の、異様で、そして狂騒的な熱量だった。
そこは、世界最強の軍事力が管理する極秘実験施設であると同時に、人類史上最も高額で最も危険な「巨大カジノ」と化していた。
「――オーブ装填! 対象M1A2エイブラムス、車体番号ブラボー・ゼロフォー!」
整備兵の叫び声が、巨大な格納庫に反響する。
鎮座するのは、アメリカ陸軍が誇る主力戦車。
その重厚な複合装甲の表面に、防護服に身を包んだ技術官が、虹色の輝きを放つガラス玉――『富のオーブ』を慎重に押し当てる。
ゴクリと、誰かが喉を鳴らす音が聞こえるほどの静寂。
次の瞬間、オーブが液状の光となって鋼鉄の装甲へと染み込んでいく。
キィィィィン……という高周波の共鳴音と共に、60トンを超える鉄の塊が、物理法則を超越した魔力を帯びて脈動を始めた。
整備用タブレットと、その場にいる全員のARゴーグルに、解析されたステータスウィンドウがポップアップする。
KAMIから提供された仕様書によれば、『マジック等級(青)』のアイテムに付与される追加プロパティ(MOD)は、最大で「2つ」まで。
たった2枠。その狭き枠に何が宿るか。それが全てだ。
【マジックアイテム化:成功】
【基礎性能補正:適用済み】
・装甲強度 +52%
・主砲貫通力 +48%
・最高速度 +50%
「ベース性能は良し! 平均値だ!」
現場指揮官が叫ぶ。
ここまでは「確定演出」だ。
『富のオーブ』を使ってマジックアイテム化した兵器は、それだけでカタログスペックを50%近く底上げされる。
これだけでも軍事革命に匹敵する強化だ。
だが兵士たちの目は、そこを見ていない。
彼らの血走った視線が釘付けになっているのは、その下に表示されるランダムな追加効果――最大2つの『プロパティ(MOD)』の行だ。
【付与プロパティ抽選中……】
文字列が、スロットマシンのように高速で回転する。
カチッ。カチッ。
二つの項目が固定された。
▶『燃費向上(中):燃料消費効率 +25%』
▶『耐久性向上(中):メンテナンス周期延長』
その文字が表示された瞬間、格納庫内には、地獄の底から響くような深いため息と罵声が爆発した。
「Noooooooo!! クソッ! またこれかよ!」
「ゴミだ! ゴミ屑だ!」
「おいおい、燃費25%アップだぞ? 平時なら勲章ものの改良じゃないか」
「寝言を言うな、少尉! マジック等級の枠は2つしかないんだぞ! その貴重な枠を、こんな地味な効果で埋めてどうする!」
「隣の第3小隊を見てみろ! あいつらさっき『アレ』を引き当てたんだぞ!」
兵士の一人が、悔しさに帽子を地面に叩きつける。
通常の軍事常識で言えば、燃費が25%向上することは、兵站上の大勝利だ。
作戦行動距離が伸び、補給の負担が減る。
だが、この「魔法」の世界においては、それはただの「ハズレ」に過ぎなかった。
「リロール(再抽選)だ! 『変化のオーブ』を持ってこい! 予算はまだある!」
指揮官が怒鳴る。
「我々が狙うのは『SSR』のみ! 中途半端な性能など、いらん!」
技術官が走る。
市場価格ではさらに高騰している『変化のオーブ』が、まるでゲームセンターのコインのように惜しげもなく投入される。
シュゥゥゥ……。
光が再び戦車を包み込む。
既存の2つのプロパティが消去され、新たなサイコロが振られる。
【プロパティ再抽選……確定】
▶『魔力障壁(小):小口径弾を弾く微弱なシールドを展開』
▶『軽量化:車体重量 -30%』
「違う! 戦車に小口径など元々効かんわ! 軽くなっても装甲が薄くなったら意味がない! 次ッ!」
【再抽選……確定】
▶『自動清掃:車体の汚れを自動的に浄化する』
▶『耐熱:火炎属性ダメージ +20%軽減』
「洗車の手間は省けるが、戦場でピカピカしてどうする! 外れだ! 次ッ!」
数十回目のトライ。
予算管理官の顔が青ざめ始めた頃、その奇跡は起きた。
【再抽選……確定】
▶『燃料不要:魔素変換機関により燃料消費なし』
▶『緊急退避:機体大破時、乗組員を登録済みのベースキャンプへ転移させる』
その二行が表示された瞬間。
時は止まり、そして爆発した。
「イエエエエエエエエエエエスッ!!!」
「来たあああああああ! 2枠とも大当たり(ジャックポット)だ!!」
「神よ! KAMIよ! 愛してるぜ!」
屈強な兵士たちが抱き合い、ハイタッチを交わし、中には涙を流す者さえいた。
『燃料不要』。
それは内燃機関を発明して以来の人類の夢であり、兵站将校が見る究極の幻影だ。
ガスタービンエンジンが唸りを上げるが、燃料タンクは空のままでいい。
大気中のマナ、あるいは魔石の波動を動力に変え、この60トンの怪物は永久に走り続けることができる。
砂漠の真ん中でガス欠になる恐怖からの解放。
補給部隊を待つ必要もない。
そして『緊急退避』。
これこそが、現代の戦争の概念を根底から覆す究極の生存スキルだ。
戦車が撃破された瞬間、乗員は光に包まれ、安全な基地のベッドへと転送される。
戦死者ゼロ。熟練兵の損失ゼロ。
兵器は消耗品だが、人は消耗品ではない。
その理想が、魔法によって現実のものとなったのだ。
「よーし、この車両は『神機』として登録! エースパイロットに回せ!」
「次だ! 次の車両を持ってこい! 今日はツイてるぞ!」
アメリカ軍の予算が、オーブという名のガチャに溶けていく。
だが誰も、それを無駄遣いとは言わなかった。
たった一回の「2枠大当たり」が、数億ドルの戦車以上の価値を生み出すことを、彼らは理解してしまったからだ。
***
時を同じくして、ロシア連邦ウラル山脈秘密基地。
極寒の吹雪の中、ロシア軍もまた熱狂的な性能検証の真っ最中にあった。
彼らのターゲットは、倉庫で眠っていた旧式のT-72戦車や、最新鋭のT-14アルマータだ。
ヴォルコフ将軍は、防寒コートの襟を立て、次々と「魔法化」されていく鉄の塊を、冷徹な目で見つめていた。
「報告します、同志将軍。第7車両、プロパティ確定」
「内容は」
「『メンテナンスフリー:部品の摩耗・劣化を無効化』および『攻撃力強化(中):主砲威力 +30%』です」
ヴォルコフの氷のような瞳が、一瞬だけ熱く揺らいだ。
「……でかした。理想的な組み合わせだ」
ロシア軍にとって、広大な国土と過酷な環境における「整備・維持」は永遠の課題であり、最大の弱点でもあった。
どんなに強力な兵器も、極寒の中でオイルが凍り、部品が錆びつけば鉄屑になる。
だが、この『メンテナンスフリー』というMODは、その物理的制約を嘲笑うかのような効果を持つ。
オイル交換不要。履帯の交換不要。
永久に新品同様の稼働率を維持する、不死身の戦車。
それに加え、純粋な火力の底上げ。
質実剛健を地で行くロシア軍好みの「当たり」だった。
「『燃料不要』も魅力的だが、我が軍にとっては、これもまた大当たりだ。即時実戦配備しろ」
「ハッ! ……それと第9車両にて、極めて稀少なプロパティを確認しました」
「何だ?」
技術将校が声を潜める。
「『無限弾倉』。そして2枠目に『連射速度強化(大)』がつきました」
その言葉に、周囲の将校たちが息を呑んだ。
詳細:主砲弾薬消費なし。かつリロード速度大幅短縮。
「……移動砲台か」
ヴォルコフが唸った。
補給を気にせず、機関銃のように主砲を連射し続ける戦車。
それは戦争という行為が「リソースの削り合い」から、単なる「一方的な蹂躙」へと完全に変質することを意味していた。
「……悪魔的な力だ」
ヴォルコフは呟いた。
「だが手に入れた以上は使い倒す。オーブの追加発注を急げ。日本への送金を惜しむな」
***
中国、ゴビ砂漠空軍基地。
ここでは「空」の覇権を巡るガチャが行われていた。
最新鋭ステルス戦闘機、殲-20(J-20)。
その滑らかな機体に、オーブが沈み込む。
「来たぞ!! 『燃料不要』と『隠密(ステルス強化)』のダブルMODだ!!」
パイロットたちの歓声が、ジェットエンジンの爆音をもかき消す。
燃料不要――それは航続距離が無限であることを意味する。
そして隠密。これはレーダーだけでなく、視覚的な認識さえも阻害する魔法的な迷彩効果だ。
王将軍が、震える手で双眼鏡を握りしめた。
「見えない……。肉眼でもレーダーでも、そこにあるはずの機体が認識できん。しかも一度離陸すれば、一生降りてこなくても戦える」
彼は空を見上げた。
「空母も空中給油機も、もはや過去の遺物だ。
魔法戦闘機という単独の戦略ユニットが、空の支配者となる」
四カ国は、それぞれのドクトリンに合わせて軍事力の「魔法化」を急速に進めていた。
それは軍拡競争であり、同時に「2つの枠」に何を詰め込むかを競う、奇妙な博打でもあった。
***
そして、全てのオーブの供給源である日本。
陸上自衛隊・富士駐屯地。
ここでもまた、日の丸を掲げた10式戦車を取り囲み、自衛官たちが一喜一憂していた。
「出ました! 『攻撃力+50%』と『防御力+50%』です!」
「うーん……。悪くはないが、当たりとも言えんな」
部隊長が腕を組んで悩む。
「10式の主砲は元々強力だ。これ以上の過剰火力よりも、やはり兵站を楽にする『燃料不要』か、生存性を高める『ワープ』が欲しいところだ」
日本の自衛隊は、予算という名の鎖に縛られていた。
米中露のように、湯水のごとくオーブを使い捨てることはできない。
限られた予算の中で、いかに最適なMODを引き当てるか。
それはまさに、なけなしの小遣いでソシャゲのガチャを回す庶民の苦悩に似ていた。
「隊長! 変化のオーブ、残り3個です!」
「くっ……! ここで撤退か、それとも勝負に出るか……!」
「次の予算承認まで待てません! 今なら『確率の偏り』が来ている気がします!」
「よし、いけ! 回せ!」
シュゥゥゥ……。
【プロパティ再抽選……確定】
▶『静音化:駆動音および発砲音を90%カット』
▶『自動調理:車内で美味しいご飯が炊ける』
「……は?」
「……なんですかこれ」
「サイレントキラーな上に、ご飯まで炊ける……?」
「車内環境改善MOD……ですかね?」
「……まあ、演習や災害派遣の時には便利か……?」
「温かい飯は士気に関わりますからね」
「当たり……ですかね?」
「当たりだ! ヨシ!」
現場の苦しい判断が下される。
日本の兵器は、どこか斜め上の方向へと進化を遂げつつあった。
***
軍事基地での狂騒が続く一方で、マジックアイテム化の波は、一般市民の生活圏へも静かに、しかし確実に浸透し始めていた。
KAMIが提供した技術は、兵器だけを選んで強化するわけではない。
「形あるもの」であれば、家だろうが車だろうが、等しく魔法の恩恵を受けることができるのだ。
そしてここでもルールは絶対だ。
「マジック等級のプロパティは最大2つまで」。
都内の閑静な住宅街。
築30年の一戸建てに住む佐藤家では、父親が一大決心をして購入した『富のオーブ』を、家の分電盤に使用していた。
「頼むぞ……。家のローンも残ってるんだ。リフォーム代を浮かせたい……! 2枠とも良いのが来てくれ!」
祈るような気持ちで、オーブを押し当てる。
【対象:木造二階建て住宅】
【マジックアイテム化:成功】
【付与プロパティ(2/2)】
▶『消費電力削減(中):電気代 20% カット』
▶『破損自動修復(小):家主が許可していない破損部位を自動修復』
「やったあああああ!! 2枠とも実用的だ!!」
佐藤家のリビングに、歓喜の声が響いた。
「電気代2割カット! それに勝手に壁のヒビが直る自動修復! お母さん、これはSSRだよ!」
「あなた凄い! これでエアコンつけっぱなしでも怒らなくて済むし、雨漏りの心配もないわね!」
2つという制限があるからこそ、何が付くかのドキドキ感は凄まじい。
隣の鈴木家では、一喜一憂の声が上がっていた。
「くそっ! 『害虫忌避』はいいけど、もう一つが『騒音増幅』ってなんだよ! 呪いのアイテムか!」
「リロールよ! 変化のオーブ買ってきて!」
日本中で、静かな「住宅革命」が起きていた。
冷蔵庫が『鮮度保持』と『容量拡張』の魔法を帯び、野菜がいつまでも腐らず、見た目以上に入る。
お風呂が『保温』と『自動洗浄』の魔法を帯び、追い焚きも掃除も不要になる。
それは主婦たちにとっての、まさしく魔法のような(文字通りの)日々だった。
だが、その「便利さ」は、同時に既存の社会システムとの深刻な軋轢を生み出してもいた。
特に問題となったのは、「車」だ。
霞が関、国土交通省。
自動車局の会議室は、怒号と悲鳴が飛び交う修羅場と化していた。
「だから! 『燃料不要』がついたプリウスを、どうやって車検に通すんですか!」
検査官が涙目で訴える。
「排ガス検査をしようとしても、排ガスが出ないんです! 測定不能です!
エンジンルームを開けたら、エンジンが光って回ってるだけでガソリンタンクが消滅してるんですよ!?
これを『適合』として通したら、法律が意味を成しません!」
「それだけじゃないぞ!」
別の職員が叫ぶ。
「『車体強度+50%』と『衝撃吸収』がついた軽トラック!
衝突実験で検査場の壁を突き破ったのに、車体は無傷!
こんな走る装甲車みたいなものが公道を走ったら、事故が起きた時、相手のノーマル車はミンチになるぞ!」
「『飛行』がついたバイクが、高速道路の上空を飛んでたという通報もあります!」
「空飛ぶバイクは航空法ですか!? 道交法ですか!?」
「知るかッ!!」
マジック化された車両は、既存の『道路運送車両法』の枠組みを完全に逸脱していた。
燃費が良くなる、壊れない、安全だ。
ユーザーにとっては夢のような車だ。
だが管理する側にとっては、規格外の怪物が野放しにされているに等しい。
車検制度。
それは安全の確保であると同時に、自動車重量税や整備費用といった巨大な利権構造の要でもある。
「メンテナンスフリー」の車が増えれば、整備工場は潰れる。
「燃料不要」の車が増えれば、ガソリン税収が消滅する。
魔法は、国の財布を直撃していた。
そしてついに、政府が動いた。
官房長官・九条による緊急記者会見。
「――国民の皆様におかれましては、オーブによる私有財産の強化に、多大な関心をお寄せのことと存じます」
九条の鉄仮面のような無表情が、テレビ画面に映し出される。
「しかしながら、車両等の移動手段への安易なマジック化は、現行の保安基準に適合しない恐れが極めて高く、重大な事故や法的トラブルの原因となります」
彼は、官僚的な言葉で釘を刺した。
「特に、駆動機関や車体構造に根本的な変化をもたらすMOD――燃料不要、飛行、巨大化などが付与された車両につきましては、現行法上、公道の走行を認めることができません。
これらは『不正改造車』としての取り締まり対象となる可能性があります。
つきましては、法整備が整うまでの間、車両へのオーブ使用は控えていただくよう、強く強く要請いたします」
要請。
禁止ではない。法的に禁止する根拠がまだないからだ。
だが、それは事実上の警告だった。
「ええーっ! せっかく『空飛ぶカブ』作ったのに!」
「ガソリン代浮くと思ったのに、税金泥棒め!」
「車検通らないなら、ダンジョン専用車にするしかねえか……」
国民からはブーイングが巻き起こった。
だが一部の賢い(あるいは悪賢い)人々は気づいていた。
「法整備が整うまで」ということは、いずれは「合法化」されるということだ。
ならば今のうちに当たりMODの車を作っておけば、将来的にプレミアがつく。
中古車市場では、ボロボロの軽トラが高値で取引され始めた。
「マジック化ベース車両として最適!」
「ガチャ失敗しても惜しくない!」
兵器も家も車も。
世界中のあらゆる「モノ」が、オーブという魔法の粉をかけられ、次々と常識外れの性能へと変貌していく。
それは産業革命以来の、あるいはそれ以上の「物質革命」の到来だった。
その夜。
東京のマンションの一室で、KAMIはモニターに映るカオスな世界を見下ろしながら、満足げにポテトチップスをかじっていた。
「あはは! 車検で揉めるとか、日本っぽくて最高ね!」
彼女は楽しそうに笑った。
「戦車は空を飛び、家は勝手に直り、車はガソリンを飲まなくなる。
2つのプロパティ枠に何を詰め込むか。人間たちの欲望が透けて見えて、面白いわ。
さあ次は、どんな『当たり』を出して人間たちを困らせてあげようかしら?」
彼女の指先には、まだ誰も見たことのない新しい色のオーブが握られていた。
性能ガチャの狂騒は、まだ始まったばかりだった。




