第121話
日本のホームセンターから鉄パイプとバットが消え失せ、国民総出の「DIY武装化」が始まったその頃。
太平洋を挟んだ向こう側、超大国アメリカ合衆国では、日本とは全く異なる、しかしより深く、より深刻な「鬱屈」が社会を覆っていた。
それは「銃(GUN)」への絶望だった。
アメリカ人にとって銃とは単なる道具ではない。
それは建国の精神であり、自由の象徴であり、そして何よりも自らの身と家族を守るための絶対的な「力」の証だった。
だが、ダンジョンという異界の理は、そのアメリカ人の魂とも言える銃を、無慈悲にも否定した。
『通常兵器による攻撃は、ダンジョン内部のモンスターに対して、その威力を99%減衰される』
KAMIが告げたその残酷な仕様は、先行調査を行った米軍特殊部隊「アークエンジェル」によって証明されてしまった。
5.56mm弾がゴブリンの薄汚い皮膚に当たって、BB弾のように虚しく弾かれる映像。
手榴弾が爆発しても、煤がつくだけでピンピンしているオークの姿。
「嘘だろ……」
「俺たちのAR-15が、ただの鉄屑だって言うのか?」
「剣で戦えだと? 今は中世じゃないんだぞ! ここはアメリカだ!」
全米ライフル協会(NRA)は沈黙し、ガンショップの店主たちは頭を抱え、日曜日に射撃場で汗を流していた父たちは、愛銃を磨きながら深い溜息をついていた。
日本人が「バットで戦える!」と歓喜している裏で、アメリカ人は「銃で戦えない」という事実に、アイデンティティの崩壊にも似た喪失感を味わっていたのだ。
だが。
歴史が証明するように、アメリカという国は絶望を力に変える天才的な才能を持っていた。
そして、その転換点は、テキサスの片田舎にある一軒の寂れた農場から始まった。
***
テキサス州オースティン郊外。
乾いた赤土とサボテン、そして広大なトウモロコシ畑に囲まれたこの地に、一人の男が住んでいた。
名前はボブ・“ザ・ガンナー”・ウィルソン、72歳。
元海兵隊員であり、ベトナムのジャングルを生き抜いた歴戦の勇士。退役後はガンスミス(銃器職人)として、その愛と技術を鉄と火薬に注ぎ込んできた、生粋のガンマンだ。
その日のボブは不機嫌だった。
納屋の作業台の上には、彼が半生をかけてカスタムし続けた愛銃――コルト・ガバメントM1911A1のカスタムモデル『ベティ』が置かれている。
だが、その横には昨日孫息子が買ってきたという、日本のニュースで話題の『富のオーブ』が転がっていた。
「……クソッたれが」
ボブは悪態をつきながら、噛みタバコを吐き捨てた。
「魔法だのダンジョンだの……。男なら鉛玉で決着をつけろってんだ」
孫のマイキーがスマホを構えながら、納屋に入ってきた。
「じいちゃん、まだぐちぐち言ってるの? 日本じゃバットにオーブを使って『炎のバット』とか作ってるらしいよ。じいちゃんのベティにも使ってみようよ」
「馬鹿を言うな、マイキー!」
ボブは怒鳴った。
「銃は精密機械だ! バットみたいな単純な棒切れとは違う! こんな得体の知れない魔法の玉なんか埋め込んだら、チェンバー(薬室)が歪んで暴発するのがオチだ!」
「でもさぁ、政府の発表じゃ『ノーマルアイテムをマジックアイテムに変える』って言ってるだけだよ? 対象が『近接武器に限る』なんて書いてないじゃん」
マイキーは食い下がった。
「もし銃にも効果があったら? じいちゃん、世界初の『魔法の銃』の持ち主になれるんだぜ?」
「……魔法の銃だと?」
その言葉が、ボブの職人魂の一番柔らかい部分を刺激した。
魔法の銃。
それは全てのガンマンが一度は夢想し、そして否定してきたファンタジーだ。無限の弾丸、必中の照準、戦車をも貫く威力。
ボブは作業台の上の『ベティ』を見つめた。
美しくブルーイングされたスライド。手に吸い付くようなチェッカリングが施されたグリップ。
もしこの愛銃が、あの忌々しいゴブリンどもを吹き飛ばせるようになるなら。
「……ええい、ままよ!」
ボブは覚悟を決めた。
「どうせこのままじゃベティはただの文鎮だ。やるならやってやらあ!」
彼は震える手で、ガラス玉のような『富のオーブ』を掴んだ。
そして、祈るようにそれをM1911のスライド部分に押し当てた。
カチッ。
硬質な音がした。
次の瞬間――
シュゥゥゥゥゥゥ……!!
オーブが溶けた。
まるで水銀のように液状化した光が、銃の内部へと浸透していく。
鋼鉄が脈動する。トリガーが、ハンマーが、バレルが、見えない力によって内側から再構築されていく。
ボブは息を呑んだ。
熱い。触れていないのに、銃から放たれる熱気が肌を刺す。
そして光が収まった時、そこに在ったのは、もはやかつてのM1911ではなかった。
全体が黒曜石のように深く黒く染まり、銃身には血管のように走る真紅のラインが明滅している。
グリップは、握る者の手に合わせて形状を変えるかのように有機的な質感を持っていた。
そして何より、その銃口からは陽炎のような魔力の残滓が立ち上っていた。
「……こいつは……」
ボブは恐る恐るその銃を手に取った。
重い。だが、不快な重さではない。力が凝縮された頼もしい重みだ。
彼の視界にARウィンドウが表示される。
【アイテム名:紅蓮の葬送曲】
【レアリティ:マジック(青)】
【種別:魔導拳銃】
【物理攻撃力:10 - 20】
【魔法攻撃力:150 - 200】
【追加効果】
・物理ダメージを100%『火炎属性魔法ダメージ』に変換する
・弾丸不要(使用者のマナを消費して『魔弾』を生成する)
「……魔法攻撃力200……?」
ボブの目が点になった。
彼は知っていた。F級の片手剣の攻撃力が、せいぜい30程度であることを。
そして、弾丸不要。魔弾。
「じじいちゃん! 早く撃ってみてよ! 動画撮るから!」
マイキーがスマホを構えて叫んだ。
「おおう……」
ボブはふらふらと納屋の外へ出た。
目の前には広大なトウモロコシ畑と、その向こうにそびえ立つ樹齢百年を超える巨大なオーク(樫)の木があった。
幹の太さは大人三人分。トラックが突っ込んでもびくともしない巨木だ。
ボブはその巨木に狙いを定めた。
マガジンは入っていない。
だが、グリップを握った瞬間、体の中の何かが吸い取られ、銃身へと流れ込む感覚があった。
銃口に赤い光が集束する。空気が震える。
「……いけ、ベティ。いや、『クリムゾン・レクイエム』!」
彼がトリガーを引いたその瞬間――
ズドンッ!!!!!
発砲音ではない。
それは、戦車砲の砲撃音だった。
銃口から放たれたのは鉛の弾丸ではない。直径20センチはあろうかという、圧縮された深紅のプラズマ塊だった。
紅い閃光が空間を切り裂き、一瞬で巨木に着弾する。
ドォォォォォォォォォォンッ!!!
爆発。
凄まじい爆風が巻き起こり、ボブとマイキーは後ろへ吹き飛ばされた。
土煙が舞い上がり、破片が雨のように降り注ぐ。
「……ゲホッゲホッ! じじいちゃん! 生きてるか!?」
「ああ……腰が抜けたがな……」
二人が土煙の向こうを見た時、そこにあった光景は、彼らの常識を完全に粉砕した。
巨木がない。
根元からへし折れ、黒焦げになった切り株だけを残して、あの大木が消滅していた。
さらに、その後方にあった納屋の壁までもが、円形にえぐり取られ、焼失している。
たった一発。
拳銃弾一発分のマナで引き起こされた、局地的な破壊。
ボブは、手の中のまだ湯気を立てている銃を見つめ、そして震える声で言った。
「……Holy Shit……」
マイキーもまた、スマホを握りしめたまま呆然と呟いた。
「……Holy Shit……」
この瞬間、アメリカの歴史が変わった。
***
その動画が『TikTok』と『YouTube』にアップロードされるまで、10分とかからなかった。
タイトルはシンプルに。
『Grandpa crafted a MAGIC GUN. HOLY SHIT.(じいちゃんが魔法の銃をクラフトした。ヤバすぎ)』
最初の1時間で再生数は10万を超えた。
3時間で1000万。
そして半日後には、1億再生を突破していた。
画面の中の老人が小さな拳銃を構える。
次の瞬間、画面がホワイトアウトするほどの閃光と爆発。
そして映し出される、消滅した巨木と焼け焦げた大地。
最後に老人の一言。「Holy Shit」。
コメント欄は、英語、スペイン語、中国語、日本語、あらゆる言語の絶叫で埋め尽くされた。
『WTF!?!?!?!?』
『CGだろ!? これが拳銃なわけがあるか!』
『いや、あのシステムウィンドウを見ろ! マジックアイテム判定が出てる!』
『Gun is Back! GUN IS BACK!!!(銃が帰ってきた!)』
『USA! USA! USA!』
『おい、今すぐ家にある銃にオーブを使え!』
『日本のバットとか剣とか言ってた奴ら、息してるかー? こっちはハンドキャノンだぞ!』
アメリカ全土に電撃が走った。
絶望は一瞬にして狂喜へと変わった。
銃は無力ではなかった。
銃こそが、魔法の力を受け入れることで最強の兵器へと進化する「最高の素材」だったのだ。
***
翌日。
アメリカの風景は一変した。
全米のガンショップ、質屋、ウォルマートの銃器コーナー。
その全てに、かつてない規模の長蛇の列ができていた。
だが、彼らが求めているのは弾薬ではない。
銃本体と、そして何よりも『オーブ』だ。
「オーブをくれ! 富のオーブだ!」
「手持ちのAR-15を強化するんだ!」
「ショットガンに雷属性をつけたい! 変化のオーブはあるか!」
日本のバット騒動など可愛らしいものだった。
アメリカには民間人が保有する銃器が4億丁以上ある。
その全てが、今や「魔導兵器」の予備軍となったのだ。
テキサスのとある牧場主が、自慢のライフルをクラフトした動画をアップする。
『アイス・スナイパーライフル』。
1キロ先の標的を、着弾と同時に氷漬けにし、粉砕する映像。
「Holy Shit!」
シカゴのストリートギャングが、短機関銃をクラフトする。
『連射のサブマシンガン・オブ・カオス』。
秒間30発の速度で、追尾する魔法の弾丸をばら撒く映像。
「Holy Shit!」
フロリダの主婦が、護身用の小型拳銃をクラフトする。
『癒やしのデリンジャー』。
撃った相手を回復させるという、使い道不明だがとんでもない効果がついた映像。
「Holy Shit...??」
誰もが叫んだ。
「Holy Shit!(なんてこった!)」
それは、恐怖と興奮、そしてあまりのデタラメな威力に対する、人類共通の感嘆符となった。
オーブの価格は、日本以上に高騰した。
5000円(約35ドル)だったオーブは、一夜にして1000ドル(約15万円)を超え、なおも上がり続けている。
「銃を魔法化すれば世界が変わる」。その確信が、アメリカ経済を熱狂の渦に叩き込んだ。
***
ワシントンD.C.、ホワイトハウス。
トンプソン大統領は、オーバルオフィスのモニターで、ボブじいさんの動画を繰り返し再生していた。
「……Holy Shit」
大統領の口からも同じ言葉が漏れた。
「これは……とんでもないことになったな」
隣に立つマッカーサー将軍の顔色は、蒼白を通り越して土気色だった。
「大統領。これは国家の危機であり、同時に……軍事革命です」
将軍は、震える手でタブレットを操作した。
「民間人が50ドルのオーブ一つで、戦車砲並みの火力を持つ携帯兵器を作り出したのです。
これは既存の軍事バランスを根底から覆します。
歩兵の一人一人が対戦車兵器、いや対要塞兵器を携帯しているのと同じです」
「治安はどうなる?」
トンプソンが呻いた。
「警官のパトカーが、チンピラの持つ魔法拳銃一発で蒸発するような事態になったら、誰が法を守れるんだ?」
だが、マッカーサー将軍の目は別の方向を見ていた。
「しかし大統領。逆もまた然りです。
我が軍の在庫にある数百万丁のM4カービン、数千門の榴弾砲、そして戦車砲。
これら全てにオーブを適用し、マジックアイテム化したら……?」
トンプソンは息を呑んだ。
戦車砲が魔法の力を得て、核兵器並みの火力を連射する未来。
戦闘機が魔法の障壁を纏い、無限のマナミサイルを撃ちまくる未来。
「……アメリカは無敵になる」
トンプソンは呟いた。
「いや、世界中が『魔法軍事大国』になるのか」
彼は即座に決断した。
「国防総省に伝令! オーブを買い占めろ! 市場に出ている全てのオーブをだ!
民間への流通を規制しろとは言わん。だが軍が最優先だ!
これは『新時代のマンハッタン計画』だ!
全ての兵器を魔法化する研究を、今すぐ始めろ!」
「イエッサー!」
***
その頃、日本では。
官邸の地下執務室で、麻生ダンジョン大臣がアメリカからのニュースを見て爆笑していた。
「ハハハハハ! メリケン共め、やりおったわ!
銃に魔法だと? 発想が単純すぎて、逆に盲点だったわ!」
九条が頭を抱えながら報告する。
「大臣、笑い事ではありません。
このニュースを受けて日本でも、モデルガンやエアガンにオーブを使おうとする動きが急増しています。
『おもちゃの銃でも、魔法化すれば殺傷能力を持つのではないか』と……」
「実際どうなんだ?」
「……『月読研究所』の緊急検証によれば、『可能です』」
九条は苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「プラスチック製のBB弾でも、魔法効果が付与されれば、岩を貫通する魔弾に変わります。
日本のトイガン市場が、実質的な『武器市場』に変わりました」
「……なんてこった(ホーリーシット)」
麻生もまた、ついにその言葉を口にした。
「まあいい。それもまた『ドリーム』だ」
麻生はすぐに切り替えた。
「エアガンメーカーの株を買っておけ。
それと銃刀法の解釈変更だ。
『魔力を持つトイガン』を新たな規制対象にするか、あるいは探索者限定の装備として認めるか。
……ああ、また仕事が増えるな!」
***
世界は完全にタガが外れていた。
日本の「工具・バット無双」。
アメリカの「魔銃革命」。
それぞれの文化、それぞれの環境に合わせて、人々はKAMIの与えた「クラフト」というおもちゃを、限界まで、そして最悪の形で遊び尽くそうとしていた。
そして、その全ての狂騒を、東京のマンションの一室から眺める少女がいた。
「あはははは! 最高! アメリカ人、馬鹿ねぇ!(褒め言葉)」
KAMIはボブじいさんの動画を見て、お腹を抱えて笑っていた。
「銃に魔法なんて、バランスブレイカーもいいところよ。
でもそれがいいの。
プレイヤーが運営の想定を超えて、勝手に新しいメタ(戦術)を作り出す。
これこそがMMOの醍醐味じゃない!」
本体の栞も、興味深そうにモニターを覗き込んだ。
「でも、これだとE級ダンジョンの難易度が下がりすぎない?
遠距離から高火力の魔弾で一方的に攻撃されたら、モンスターが可哀想よ」
「大丈夫よ」
KAMIはニヤリと笑った。
「銃は強いけど、燃費が悪いのよ。
『使用者のマナを消費して弾を作る』って書いてあったでしょ?
一般人のMPなんて、せいぜい数発撃ったら空っぽよ。
ガス欠になった銃使いが、モンスターの群れに囲まれてどうなるか……。
ふふふ、見ものね」
彼女は、残酷な神の笑みを浮かべた。
「それに、遠距離攻撃が流行るなら、次は『遠距離攻撃無効』のバリアを持つモンスターを出せばいいだけだし。
いたちごっこよ。人間が強くなれば、ダンジョンも進化する。
そうやって、お互いに高め合っていくの」
「Holy Shit...」
栞は、分身のあまりの運営手腕に、思わず英語で呟いた。
世界は加速する。
剣と魔法、そして銃と科学が融合した、カオスでエキサイティングで、そして致命的な新しい時代へと。
アメリカの空に響く「Holy Shit」の叫びは、その時代のファンファーレだった。




