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賢者の石を手に入れた在宅ワーカーだけど、神様って呼ばれてるっぽい  作者: パラレル・ゲーマー


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第120話

 その日、日本のダンジョン・エコノミクスは、再び劇的な、そしてあまりにも庶民的な「革命」の時を迎えた。


 きっかけは、KAMIによる予告なきサイレント・アップデートだった。

 午前六時、早朝組の探索者たちがいつものように渋谷ダンジョンでゴブリンを狩り始めた時、彼らは異変に気づいた。ドロップ品が変わっているのだ。


 これまでゴブリンが落とすものといえば、魔石(確定ドロップではないが確率は高い)、粗末な武器、あるいは牙や皮といった素材が相場だった。

 だが、今日のゴブリンは違った。倒した瞬間、魔石と共に、あるいは魔石の代わりに、ピンポン玉ほどの大きさの美しく輝くガラス玉のような「オーブ」を、ポロポロと落とし始めたのだ。


「……なんだこれ?」

「鑑定してみろ」

「『富のオーブ』……? ノーマルアイテムをマジックアイテムにアップグレードする……?」


 それは、先日麻生大臣が会見で発表したばかりの『クラフトオーブ』だった。

 驚くべきは、そのドロップ率だ。

「レアアイテム」という触れ込みだったはずが、蓋を開けてみればゴブリンを倒すたびに、カランカランと音を立てて落ちる。体感ドロップ率はほぼ100%。魔石よりも落ちる。

 F級ダンジョンの地面は、またたく間に色とりどりのオーブで埋め尽くされた。


「おいおい、これじゃ石ころと変わらねえぞ」

「供給過多だろ、これ……」


 探索者たちは戸惑った。

 希少性がなければ価値はない。それが経済の原則だ。

 朝の七時、ギルドの買い取りカウンターが開く頃には、初値がついた。


【現在の買取価格:『富のオーブ』 5,000円】


「ご、五千円……?」

 持ち込んだ探索者が、拍子抜けしたような声を上げた。

 魔石が一個一万円の時代に五千円。もちろん、ただのゴブリンから落ちる副産物としては破格だ。日当が単純に1.5倍になる計算なのだから、喜ぶべきことだ。

 だが、「一攫千金」を夢見ていた者たちにとっては、あまりにも現実的で、そして微妙な数字だった。


「まあ、消耗品だしな」

「数が出るから薄利多売ってことか」

「暴落する前に、売っとけ売っとけ」


 市場には、悲観的な空気が流れた。

 午前中のSNSには『オーブ暴落』『在庫処分』といったワードが並び、メルカリやヤフオクには「富のオーブ10個セット45,000円」といった投げ売り出品が溢れかえった。


 だが、その「五千円」という評価が、人類史上最大級の「過小評価アンダー・エスティメート」であったことに、世界が気づくのに時間はかからなかった。


 ***


 革命の震源地は、渋谷から少し離れた世田谷区のとある古びたアパートだった。

 住人は、売れないバンドマンのショウタ(24歳)。

 彼は、ダンジョン・ドリームに乗り遅れた「負け組」の一人だった。

 オークションには落選し、装備を買う金もなく、かといって丸腰で突入する勇気もない。

 そんな彼が、朝のニュースを見てふと思いついたのだ。


「……『富のオーブ』。ノーマルアイテムをマジックアイテムに変える……」


 彼は、部屋の隅に転がっていた高校時代に使っていた金属バットを手に取った。

 グリップはボロボロ、表面は傷だらけ。リサイクルショップでも値段がつかないような、ただのガラクタだ。

 システム上の判定は、当然【ノーマルアイテム(一般物品)】。


「これに、さっきメルカリで安く買ったオーブを使ったらどうなるんだ?」


 彼は、なけなしの生活費を叩いて買った『富のオーブ』をバットに押し当てた。

 オーブが淡い光を放ち、金属バットに溶け込んでいく。

 シュゥゥゥ……という音と共に、バットの表面に不思議な幾何学模様の光が走り、そして定着した。


「……え?」


 見た目が変わった。

 ただのアルミの鈍い輝きだったバットが、内側から燃えるような微かな赤色を帯びている。

 彼は震える手で、そのバットを「鑑定(ステータス確認)」した。


【アイテム名:燃え盛る鉄のバット(Burning Metal Bat)】

【レアリティ:マジック(青)】

【種別:両手メイス】

【物理攻撃力:35 - 50】

【追加効果】

 ・物理ダメージ +40%

 ・火炎ダメージ +5 - 10


「は……?」


 ショウタは目を疑った。

 彼は、ネットで公開されている「F級・公式両手剣」のステータスを検索し、比較した。

 公式両手剣の攻撃力は「25 - 40」。追加効果はなし。価格は、オークション相場で「15万円」。


「……勝ってる」


 彼の喉が、ひゅっと鳴った。

 実家の押し入れに眠っていたゴミ同然のバットが、たった5000円のオーブ一個で、15万円の正規装備を性能で上回ってしまったのだ。


「ううおおおおおおおッ!!!」


 彼は叫んだ。

 そして、震える指でそのステータス画面をスクショし、X(旧Twitter)に投稿した。


『【速報】ドンキで買ったバットに5000円の富のオーブ使ったら15万の剣より強い最強武器ができた件wwwwwww』


 その投稿が、世界を変えた。


 ***


 午前十一時、日本中の空気が変わった。


 ショウタの投稿は瞬く間に数万リポストされ、検証動画が次々と上がり始めた。


『マジだった! 俺の木刀が「鋭利な樫の木刀」になった! 攻撃力+30%!』

『フライパンにオーブ使ったら「鉄壁のフライパン(盾)」になったぞwww 防御力、公式盾より上なんだがwww』

『ダイソーの包丁が「吸血のダガー」になった……。これもう10万出して装備買うやつ、馬鹿じゃん』


 衝撃が走る。

 これまで「装備がないから」とダンジョンを諦めていた数千万人の予備軍たちが、一斉に顔を上げた。

 そして彼らは気づいた。自分の家の物置に、台所に、あるいは近所のホームセンターに、「最強武器の素材」が山のように眠っていることに。


「――走れッ!!!」


 誰かが叫んだ。日本中で一斉に、人々が駆け出した。


 ***


 正午、都内のスポーツ用品店「アルペン」。

 店長は、店の入り口に押し寄せる群衆の波を見て、テロか暴動が起きたのかと本気で思った。


「バットだ! バットをよこせ!」

「金属製なら何でもいい! 一番重いやつをくれ!」

「テニスラケットでもいい! 強度があるやつだ!」


 人々が野球コーナーに雪崩れ込む。

 彼らの目は血走り、手には万札が握りしめられている。

 普段なら見向きもされない在庫処分のワゴンセール品から、数万円するプロモデルの高級バットまで。

 陳列棚にあった全ての商品が、イナゴの大群が通り過ぎた後のように、一瞬で消滅した。


「お、お客様! 押さないでください! 在庫は……もうありません!」

「裏にあるだろ! 出せよ!」

「ないものは、ないんです!」


 同様の光景は、ホームセンターでも繰り広げられていた。

「鉄パイプ! 鉄パイプはどこだ!」

「斧! 薪割り用の斧をくれ!」

「ツルハシ完売!? 嘘だろオイ!」

「おい、あのスコップでも武器になるんじゃねえか? 先が尖ってるし!」

「買え買え! オーブ使えば『大地の槍』になるかもしれん!」


 日本中の店舗から、棒状の物体、刃物状の物体、そして身を守れそうな硬い物体が、根こそぎ姿を消した。

 Amazonのランキングは、1位から100位までが「バット」「模造刀」「鉄パイプ」「フライパンの蓋(盾用)」で埋め尽くされた。

 野球少年の父親が、息子のためにバットを買おうとして店に行き、空っぽの棚を見て立ち尽くす。

 料理人が、新しい包丁を買おうとして三ヶ月待ちと言われて絶句する。


「……日本から鉄が消えた」

 誰かが、そう呟いた。


 ***


 そして、その熱狂の矛先は、当然ながらその「素材」を魔法の武器に変える触媒――『富のオーブ』へと向かった。


 午後一時、オーブの相場が狂い始めた。


【現在の買取価格:『富のオーブ』 15,000円】


 朝の三倍。だが、止まらない。


「5000円で投げ売りしてた奴らwww 今2万だぞwww」

「やべえ、買い板が厚すぎて買えない!」

「供給が追いつかない! ダンジョンから持ち帰るそばから売れていく!」


 需要と供給のバランスが、完全に崩壊していた。

 六万人の探索者が持ち帰る数万個のオーブに対し、それを求めるのは装備を持たざる数千万人の国民なのだ。

 圧倒的な供給不足。


 午後三時。

【現在の買取価格:『富のオーブ』 30,000円】


「3万超えたああああ!」

「おい、ゴブリン狩ってる場合じゃねえぞ! オーブ拾え、オーブ!」

「魔石(1万円)がゴミに見えてきた」

「ゴブリン一匹3万円……。時給換算したら、脳が溶けそう」


 午後五時。

【現在の買取価格:『富のオーブ』 50,000円】


 朝の十倍。

 たった半日で、5000円のガラス玉が5万円の宝石に化けた。

 それでも買い注文は止まらない。

「5万円のオーブ」と「3000円のバット」。合わせて5万3000円。

 それで「15万円以上の性能を持つ武器」が手に入るなら、まだ安い。圧倒的に安いのだ。

 計算ができる人間なら、誰でも分かる理屈だった。


 ***


 官邸地下執務室。

 麻生ダンジョン大臣は、モニターに映し出される経済指標のグラフが垂直に跳ね上がる様を、唖然として見つめていた。


「……なんという事だ」

 麻生が乾いた笑いを漏らした。

「5000円の消耗品が、一日で5万円か。ビットコインも真っ青のボラティリティだな」


 隣の九条が、報告書を読み上げる。

「全国のスポーツ用品店、ホームセンターからの在庫一掃報告が相次いでおります。

 また、経産省からは『鉄鋼製品の需給逼迫による建築現場への影響』を懸念する声も……。

 さらに、家庭内でのトラブルも急増中。『父親が息子のバットを勝手に持ち出してオーブを使った』『母親が鍋の蓋を盾にしてダンジョンに行った』など、警察への相談が殺到しております」


「ハハハ!」

 麻生は爆笑した。

「たくましい! 実にたくましいじゃないか、日本国民は! 装備がないなら作ればいい。あるもので戦えばいい。

 そのDIY精神こそが、戦後復興を成し遂げた日本の底力よ!」


 彼はモニターの別の画面を指さした。

 そこには、渋谷のダンジョンゲート前の映像が映っている。

 朝とは打って変わって、そこには異様な集団が列をなしていた。


 フルフェイスのヘルメットに、肩には少年野球用のプロテクター。

 手には、青白く発光する金属バットや、炎を纏った中華鍋。

 まるで世紀末の暴走族か、あるいはコミックマーケットのコスプレイヤーのような出で立ちの集団。

 だが、彼らの目は真剣そのものだった。彼らは「自分の武器」を手に入れたのだ。


「……これこそが真の『国民皆兵』かもしれんな」

 麻生は呟いた。

「10万円の正規装備は買えなくとも、5万円のオーブなら手が届く。

 これで探索者の裾野は一気に広がった。魔石の産出量は、明日から倍増するぞ」


「……しかし大臣」

 九条が冷静に釘を刺す。

「オーブ価格の高騰は、新たな格差を生みつつあります。

 資金力のある企業ギルドがオーブを大量に買い占め、高品質なマジックアイテムを量産して転売する動きを見せています。

『クラフト長者』と呼ばれる新しい富裕層が、生まれつつあります」


「構わんよ」

 麻生は手を振った。

「金が回ればそれでいい。

 それにKAMI様のことだ。この状況を指をくわえて見ているわけがない。

 きっとまた何か、悪戯を考えておられるだろうよ」


 ***


 そして、麻生の予感は的中した。

 この「クラフト革命」には、まだ続きがあった。

 人々が「富のオーブ」で手に入れた武器に一喜一憂しているその裏で、もう一つの、より深く、より暗い沼が口を開けていたのだ。


 それは、『変化のオーブ』の存在だった。


 その夜、ある動画配信者が生放送を開始した。

『【破産覚悟】変化のオーブで神オプションが出るまでリロールし続ける放送【現在マイナス500万】』


 画面の中の男は目が血走っていた。

 手にはマジック等級の片手剣。

 そして机の上には、山と積まれた『変化のオーブ』。


「……いくぞ。今のオプションは『命中+10』と『耐久度回復』。ゴミだ。

 俺が欲しいのは『物理ダメージ+%』と『攻撃速度上昇』のハイブリッドだ。それが出るまで、俺は止まらねえ!」


 彼がオーブを剣に使う。

 シュゥゥン……。

 光が走り、剣のプロパティが書き換わる。


【追加効果:光範囲拡大 +10%】


「ゴミがあああああああ!!!」

 男が絶叫する。

「次だ! 次!」


 視聴者数は10万人を超えていた。

 コメント欄が流れる。

『沼すぎるwww』

『これ、パチンコよりタチ悪いぞ』

『変化のオーブ一個3万円だぞ? 一瞬で3万溶けた』

『でも当たれば数千万だからな……』


 そう。『富のオーブ』は、あくまで入り口に過ぎなかった。

 本当の地獄は、より良い性能を求めて無限にサイコロを振り続ける「リロール(再抽選)」にあった。


「物理+20%来た! ……けど、もう片方が『最大マナ+5』……。

 惜しい! 惜しすぎる! これじゃ売れない!

 もう一回! あと一回だけ!」


 男は止まらない。

 所持金が尽きても、借金をしてオーブを買い続ける。

「次こそは」「次こそは神オプ(オプション)が出る」。

 その射幸心が、理性を焼き尽くしていく。


 この配信を見ていた日本中の探索者たちが、戦慄し、そして魅入られた。

「俺ならもっと上手くやれる」

「俺の運なら一発で引ける」

 根拠のない自信が、彼らをオーブ市場へと走らせる。


『変化のオーブ』の価格も、またうなぎ登りに上昇していった。

 3万、4万、6万……。

「富のオーブ」で作った武器を「変化のオーブ」で溶かす。

 ダンジョンで稼いだ金が、一瞬にして電子の海へと消えていく。


 それは、KAMIが仕掛けた完璧な経済循環システムだった。

 稼いだ金を、強くなるために消費させる。

 無限のインフレを防ぎ、探索者たちをダンジョンに縛り付けるための、甘美な鎖。


 ***


 東京のマンションの一室。

 KAMIはその配信を見ながら、ケラケラと笑っていた。


「あはは! 人間って本当にギャンブルが好きね!

 ほら見て、あの配信者、また爆死したわよ!

『リフレクトダメージ(反射)』なんて引いちゃって、物理職なのにどうすんのよ、それ!」


 彼女は手元のコンソールで、オーブのドロップ率と良オプションの出現確率をチェックする。

「ふむふむ。オーブの消費量は、想定の200%増し。

 市場から余剰資金が、ガンガン回収されてるわね。インフレ対策、バッチリじゃない」


 本体の栞が、呆れたように言った。

「あなた、鬼ね。出現確率、少し絞りすぎじゃない?」


「甘いわよ、私」

 KAMIは反論した。

「並行世界じゃ、もっとエグい確率だったわよ?

 これでもかなり緩めてあげてるんだから。

 簡単に最強装備が作れちゃったら、すぐ飽きちゃうでしょ?

『あと少しで最強になれる』っていう、その飢餓感こそが、ゲームを長く楽しむ秘訣なのよ」


 彼女は、モニターの中の、目を血走らせてリロールを続ける男を指さした。

「見てよ、あの顔。苦しそうだけど、楽しそうでしょ?

 あれが、私の求めていた『熱狂』よ」


 ***


 翌日。

 バットコーナーが空になったホームセンターの入り口に、新しい張り紙がされていた。


『※当店では、クラフト結果に関する苦情は一切受け付けておりません。自己責任でお願いいたします』


 街には、光るバットや炎を纏ったフライパンを背負った人々が、溢れ返っていた。

 彼らは胸を張って歩いている。

 それは、ありあわせの道具であっても、自らの手で作り上げた、世界に一つだけの「相棒」だからだ。


「よう、お前のバット、どんなオプションついた?」

「おう、『氷結ダメージ』がついたぜ。これでゴブリンの動きを止められる」

「いいなー! 俺なんか『対アンデッド攻撃力アップ』だぞ。F級にアンデッドなんていねーよ!」

「ハハハ! E級解放まで、倉庫番だな!」


 そこには、悲壮感はなかった。

 自分たちの知恵と運で、理不尽な世界を生き抜こうとする、逞しい生活者の姿があった。


 クラフト機能の実装。

 それは、日本中を巻き込んだギャンブル狂騒曲であると同時に、全ての国民に「自分だけの武器」を持つ機会を与えた、真の「ダンジョン民主化」の始まりでもあった。


 そしてその狂乱の中で、誰も気づいていなかった。

 この無邪気なクラフトブームが、やがて「国家の武力」という概念さえも根底から覆すことになる未来を。



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― 新着の感想 ―
なんで現実世界にファンタジーが来ると 脳が原始人レベルに落ちちゃうんだ
楽しそう〜
この世界ならゾンビパニックが起きてもあっという間に収束しそう
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