第118話
その日、日本列島は再び、麻生ダンジョン大臣が放った「経済爆弾」の衝撃に揺れていた。
F級ダンジョンでの「ゴブリン狩り」と「魔石拾い」によるゴールドラッシュは、すでに国民的な日常となりつつあった。だが、人間とは強欲な生き物だ。単調な作業に、人々は早くも次の刺激を求め始めていた。
そんな空気を完璧に読み切ったタイミングでの、政府による緊急発表。
午後七時。ゴールデンタイムのテレビ画面をジャックした麻生は、いつもの不敵な笑みを浮かべながら、新しい「商品」のプレゼンテーションを行っていた。
「――国民の皆様。今のダンジョン攻略、楽しんでおられますかな? 魔石を拾って小銭を稼ぐ。結構なことです。ですが、そろそろ『物足りない』と感じている方も多いのではないか? 付いている魔法効果が『最大マナ+5』などという、戦士には無用の長物だった時の、あのがっかり感。
……それを、自分の手で書き換えたいとは思わんかね?」
麻生は手元の端末を操作し、ニつの輝く珠の映像をモニターに映し出した。
それは、KAMIから提供されたデータを基に、政府が近日中にダンジョンのドロップテーブルに追加する予定の、革命的なアイテム群だった。
「政府は近日中に、以下のニ種類の『クラフトオーブ』のドロップ解禁を決定した。これらは、諸君らが拾ったゴミのような装備品を、一瞬にして国宝級の神器へと変える可能性を秘めた、魔法の触媒だ」
画面に、それぞれのオーブの詳細な効果が表示される。
【富のオーブ】
効果:ノーマル等級のアイテムを、魔法の力を持つマジック等級(青アイテム)に変化させ、ランダムな1~2個の魔法特性を付与する。
【変化のオーブ】
効果:マジック等級のアイテムの魔法特性を、ランダムに再抽選する。
「分かるかね? これの意味するところが」
麻生は、視聴者の射幸心を煽るように、声を低くした。
「例えば君が、ダンジョンで拾った何の変哲もない『鉄の剣』。数万円のガラクタだ。
だが、これに『富のオーブ』を使えば……運が良ければ『攻撃力+50%』や『火炎ダメージ追加』といった強力な特性が付与され、その価値は一瞬にして数十万円、いや数百万円に跳ね上がる!
そして、気に入らない特性が付けば? 『変化のオーブ』で何度でも回せばいい! 君が納得する最強の剣ができるまでな!」
その説明に、日本中がどよめいた。
それはもはや探索ではない。ギャンブルだ。
パチンコや競馬など比較にならない、自分の装備を賭けた魂を削る、究極のガチャシステムの実装。
「実装は後日となるが、楽しみにしておくがいい。
諸君らの『運』と『財力』が、諸君らの強さを決定する時代の到来だ」
麻生の演説が終わると同時に、SNSは「クラフト」という単語で埋め尽くされた。
『マジかよ! ゴミ武器が神武器になるのか!』
『変化のオーブ中毒になりそう』
『これ金持ちがオーブ買い占めて最強装備作るやつじゃん』
『いやドロップでワンチャンあるぞ!』
国民の関心は一気に「強さの追求」へとシフトした。
攻撃力こそ正義。最強の武器を作って敵を瞬殺する。それが探索者のロマンであり、成功への最短ルートだと、誰もが信じて疑わなかった。
だが――。
その熱狂的な「攻撃偏重」の空気に、冷や水を浴びせる存在が現れた。
会見場の麻生の横。
それまで退屈そうにスマホをいじっていたKAMIが、ふと顔を上げ、マイクを奪い取ったのだ。
「――ちょっと待った」
その一言で、会場の空気が凍りつく。
神のご託宣だ。
「あなたたち、浮かれてる場合じゃないわよ」
KAMIは、呆れたような目でカメラを見据えた。
「攻撃力、攻撃力って……。バッカじゃないの? そんな装備で次のE級ダンジョンに行ったら、全員死ぬわよ?」
「……は?」
麻生が素っ頓狂な声を上げる。「死ぬとは穏やかではありませんな、KAMI様。F級では死者ゼロでしたが……」
「当たり前でしょ。F級のゴブリンは、ただ棒を振り回してるだけだもの」
KAMIは鼻で笑った。
「でも次に解放予定のE級ダンジョンは違うわよ。
スケルトン・メイジの『氷の矢』。
フレイム・ハウンドの『火炎の息』。
ポイズン・スライムの『酸の飛沫』。
……物理攻撃じゃない、属性攻撃のオンパレードよ」
彼女は指先で空中に、並行世界での悲惨な映像を投影した。
全身を鎧で固めた重装歩兵が、一発のファイアボールを受けて鎧ごと蒸し焼きになって悲鳴を上げている映像。
盾を構えた戦士が、足元から凍りつき、動けなくなったところをタコ殴りにされている映像。
「今のあなたたちの装備、物理防御ばっかり上げてるでしょ?
物理防御は、魔法には無意味よ。紙切れ同然。
火だるまになりたくなければ、ちゃんと『耐性』を上げなさい」
耐性。
その新しい概念に、国民は困惑した。
「耐性って……どうやって上げるんですか?」
記者が恐る恐る質問する。
「方法は二つ」
KAMIは指を二本立てた。
「一つは、さっき麻生が言ってたクラフトオーブで、装備に『火炎耐性+%』とかの特性をつけること。
そしてもう一つ、もっと手っ取り早くて重要なのが……あなたたちの『パッシブスキル』よ」
彼女は、全探索者の視界に強制的にシステムメニューを開かせた。
意識の中に浮かぶ、広大な星空のようなスキルツリー。
「ほら、よく見てみなさい。レベル5になったあなたたちが、ポイントを振らずに放置してる、あるいは攻撃力アップばっかりに振ろうとしてる、そのツリーの防御系のノードを」
日本中の探索者が、慌てて自分のスキルツリーを確認する。
そこには確かにあった。
地味なアイコン。攻撃力アップのような派手さはない、盾のマーク。
【ダイヤモンド・スキン】
効果:全属性耐性+15%
「これよ」
KAMIがそのアイコンを指さした。
「『ダイヤモンド・スキン』。このノード、今のあなたたちにとっては、どんな攻撃スキルよりも重要よ。
悪いことは言わないから、レベル5で持ってるなけなしのスキルポイント、攻撃じゃなくてこっちに振りなさい。
じゃないと、E級に入った瞬間、キャンプファイアーの薪みたいに燃え尽きることになるわよ?」
その、あまりにも具体的な死の宣告。
だが、これに即座に反発したのは、SNS上の「ガチ勢」たちだった。
『はあ? 耐性? そんなもんにポイント振ってたら火力出ねえだろ!』
『レベル5だぞ? ポイントはたったの4つしかないんだぞ!』
『攻撃力+10%のノード取るのに2ポイント使うんだ。残りでクリティカル率も上げたいし、耐性に振る余裕なんてねえよ!』
『やられる前にやればいいんだよ。火力こそ正義!』
彼らの言い分も、もっともだった。
レベル5。それはまだ、ひよっこの段階だ。
レベルアップで得られるスキルポイントは、レベル1上がるごとに1ポイント。
現在の上限であるレベル5では、初期ポイントを含めても、使えるポイントはわずか4ポイントしかない。
その貴重なリソースを、地味な「防御」に割くなど、ゲーマー心理としては耐え難い苦痛だった。
「……ふん。やっぱりそう言うと思ったわ」
KAMIは、SNSの反応をリアルタイムで読み取り、呆れたように肩をすくめた。
「あなたたち、数字の意味が分かってないわね。
いい? 『全耐性+15%』っていう数字が、どれだけ壊れてる(OP)か、教えてあげるわ」
彼女は空中にホワイトボードを出し、数学の講義を始めた。
「この世界の『耐性システム』には基本ルールがあるの。
まず、属性耐性の上限は基本値として『75%』に設定されているわ。
つまり、どんなに装備やスキルで耐性を積んでも、受けたダメージの75%までしかカットできない。残りの25%は必ず食らう。これは高レベル帯での鉄則よ」
「だが」――と、彼女は強調した。
「それは、あくまで高レベルのモンスターが放つ、強力で貫通力のある魔法に対する話。
今のあなたたちが相手にするE級レベルの魔法攻撃は、威力が低いわ。
そして、ここが重要な仕様なんだけど……」
彼女はチョーク(のような光)でグラフを描いた。
「『低レベル帯においては、耐性値の適用計算式に、初心者救済用の補正がかかっている』の。
簡単に言うと……E級ダンジョンの敵の攻撃に対しては、表示上の耐性値が『25%』あれば、実質的なダメージ減衰率は『100%』に達するように設定されてるのよ」
「……はい?」
麻生が、意味が分からないという顔で口を開けた。「100%……つまり無効化できると?」
「そうよ」
KAMIはニヤリと笑った。
「本来なら75%までしかカットできないけど、E級の敵の魔法は“質”が低いから、こちらの耐性が25%もあると、完全にシャットアウトできちゃうの。
つまり『耐性25%』さえ確保すれば、E級ダンジョンの魔法攻撃はそよ風になる。ノーダメージよ」
彼女は視聴者に向かって、指を突きつけた。
「いい? 今のあなたたちの耐性は『0%』よ。
この状態でファイアボールを食らえば、100のダメージをそのまま100食らって即死する。
でも、耐性を25%まで上げれば、ダメージは0になる。
即死か無傷か。
その境界線が、たったの『25%』なのよ」
そして彼女は、先ほどのスキル『ダイヤモンド・スキン』を指さした。
「で、このスキルを見て。『全耐性+15%』。
たった1ポイントで、目標値の半分以上を一気に稼げるのよ?
残りの10%なんて、適当にクラフトで付ければ、それで達成できる。
つまり、このスキルを取るだけで、E級ダンジョンの死亡率は劇的に下がる。
生存率が、実質100%になるのよ」
彼女は、馬鹿にしたように笑った。
「攻撃力+10%? そんな誤差みたいな火力上げてどうするの?
敵を一撃で倒せても、奇襲で魔法を一発食らったら死ぬのよ?
死んだらDPS(秒間ダメージ)はゼロよ。
生き残ってこそ、経験値もドロップも拾える。
どう考えても、1ポイントで『全耐性+15%』は、今の段階ではぶっ壊れ性能(OP)よ。取らない奴は馬鹿ね」
その、あまりにも論理的で、そしてゲーマー的な説得力。
日本中の探索者たちが、顔を見合わせた。
「……マジかよ」
都内のアパートで、ケンタが呟いた。
「25%で無効化……? そんな隠し仕様があったのか……」
彼は自分のステータス画面を見る。
攻撃力特化のビルドにするつもりで、既に『剣術マスタリー』にポイントを振ってしまっていた。
だが、まだ確定はしていない。振り直しは……今ならまだ間に合う。
「……取るしかねえ」
彼は震える指で、『ダイヤモンド・スキン』のノードをタップした。
カチリ。
心地よい音と共に、彼の魂に防御の輝きが宿る。
同じ瞬間、日本中で何万人もの探索者が、攻撃の手を止め、守りを固める選択をしていた。
『全耐性+15%』。
地味だが、生存を約束する黄金のスキル。
テレビ画面の向こうで、KAMIは満足げに頷いていた。
「よし。これでE級解禁しても、全滅は免れるわね。
言っておくけど、ダンジョンの難易度が上がるたびに、この『初心者補正』は薄れていくからね。
D級、C級と進むにつれて、必要な耐性値は、実数値の75%に近づいていくわ。
だから覚えておきなさい。『耐性は正義』。
これを疎かにする奴から死んでいく。それが、この世界のルールよ」
神の講義は終わった。
だが、その影響は甚大だった。
翌日。
まだ実装もされていない『クラフトオーブ』の予約注文が殺到した。
皆、武器ではなく防具や指輪に「耐性」をつけるために、血眼になって準備を始めたのだ。
麻生大臣は、その市場の反応を見ながら、官邸でほくそ笑んでいた。
「……ふん。KAMI様も人が悪い。
あんな情報を流せば、国民は防具とオーブを買い漁るに決まっている。
武器よりも防具の方が点数は多い。つまり、オークションの売上はさらに伸びるというわけだ」
耐性という名の新しい需要。
生存本能という名の最強の購買意欲。
それらが複雑に絡み合い、日本のダンジョン経済は、また一つ巨大なギアを回し始めたのだった。
そして、E級ダンジョンの開放まで、あとわずか。
国民は今、剣を研ぐ手を止め、盾を磨き、そして自らの肌をダイヤモンドに変える準備に追われていた。
死なないために。
そして、より深く、より遠くへ進むために。




