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賢者の石を手に入れた在宅ワーカーだけど、神様って呼ばれてるっぽい  作者: パラレル・ゲーマー


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第98話

 その日、日本中が、そして世界中が、祝祭の熱狂に浮かされていた。

 渋谷スクランブル交差点。人類史上初めて公の場で開かれたダンジョンゲート。そこから生還した自衛隊の精鋭たちが、討伐の証である片手剣と魔石を高々と掲げた、あの光景は、繰り返し繰り返し、あらゆるメディアで再生されていた。

 『英雄の凱旋』『ダンジョン・エイジの黎明』『レベルアップは実在した!』――扇情的な見出しがニュースサイトのトップを飾り、SNSは「自分も探索者になる」「魔石で一攫千金だ」という、根拠のない、しかし何よりも力強い希望の言葉で溢れ返っていた。

 誰もが、輝かしい未来の到来を、信じて疑わなかった。


 だが、その熱狂の中心地から物理的には数キロと離れていない首相公邸の執務室。

 その空気は、国民の熱狂とは完全に隔絶された、氷点下の静けさに支配されていた。

 沢村総理と九条官房長官、そして彼らの完璧な分身たち。四つの身体は眠らない目で、その国民の熱狂を、まるで遠い異国のカーニバルでも見るかのように、冷徹なモニター越しに眺めていた。

 彼らは祝杯を挙げてなどいなかった。向き合っていたのは祝祭の後片付けではない。先行調査部隊という名の英雄たちが、あの光の渦の中から持ち帰ってきてしまった、あまりにも巨大で、そしてあまりにも厄介な「神の置き土産」――その恐るべき仕様書の束だった。


 ホログラムのモニターには、つくばの『月読研究所』からリアルタイムで送られてくる緊急レポートが、赤いアラートと共に表示されている。議題は、渋谷の先行調査部隊がレベルアップと同時に習得したという、あの不可解な能力。


「――では、議題を開始します」

 九条の分身の一人が、感情のない声で宣言した。「『超次元ストレージ(通称:アイテムボックス)』に関する第一次検証報告。及び、それに伴う国家安全保障上のリスク評価について」


 九条の本体が、その報告書の概要を、本体の沢村と、回線が繋がったままのワシントンのホワイトハウス――トンプソン大統領――と共有し始めた。


「まず、朗報からです」

 九条はモニターに、研究所での実験映像を映し出した。

「『月読』の研究員が検証を行いました。結果、このストレージは、術者が『自分の所有物である』と明確に認識している物品しか収納できないことが判明しました」


 映像には、研究員がデスクに置かれた同僚のスマートフォンや、研究所の備品である顕微鏡を収納しようとして失敗する様子が映し出されている。術者の手が、まるで硬いガラスに阻まれるかのように、対象物を収納出来ない。

「万引きや、他人の金品を瞬時に強奪するといった窃盗犯罪への直接的な利用は、システム的に不可能であると結論付けられます」


「……ほう」

 沢村の本体が、わずかに安堵の息をついた。「それは不幸中の幸いか。神にも最低限の倫理観はあったということかな」

『それだけで喜ぶのは早いぞ、総理』

 モニターの向こうから、トンプソン大統領の、いつものように現実的な、そして苛立ちを隠せない声が響いた。『そのレポートの続きを聞こうじゃないか、長官』


「……はい」

 九条は、次の、そして本題である地獄の報告書へとページをめくった。

「問題は、それ以外、全てです」


 彼は次の実験映像を映し出した。隊員の一人が、自らのコンバットナイフをアイテムボックスに収納する。そして、空港に設置されているものと同じ、最高感度の金属探知機のゲートを、何事もなく通過する。ゲートは沈黙したままだ。

 次に彼は、密封されたアタッシュケース(中には高濃度の化学物質と微弱な放射性物質が入っている)を収納し、麻薬探知犬やガイガーカウンターが設置されたエリアを、平然と通過していく。犬は何も嗅ぎつけず、尻尾を振っている。ガイガーカウンターの針は、ピクリとも動かない。


「アイテムボックスの内部は、我々の宇宙とは異なる、完全に隔離された異空間であると断定されます」

 九条の声は、もはや何の感情も乗らない、乾いた音にしか聞こえなかった。

「つまり、いかなる物理的・化学的・放射線的な検知も不可能です。これは究極の『密輸』ツールであり、そして『凶器の運搬』手段です」


 執務室が凍りついた。

 沢村は想像していた。国会議事堂の本会議場に、あるいは満員のドーム球場に、このスキルを習得したテロリストが、いとも容易く小型の爆弾や生物兵器を持ち込む、その光景を。


『……やばくね?』

 トンプソンの口から、一国のリーダーとは思えない、素の、そして心の底からの呟きが漏れた。

『空港のセキュリティは? 港湾の税関は? 全て無意味になるじゃないか! このスキル一つで、我が国がこの百年かけて築き上げてきた、全ての国境防衛システムが、完全に崩壊するぞ!』


「その通りです」

 九条は無慈悲に肯定した。「すでに密輸や危険物の持ち込みは可能です。銃器、麻薬、ウイルス、プルトニウム。所有権さえ術者に移ってしまえば、理論上、国境など存在しないも同然になります」

『いや、これでもヤバいぞ!』と、トンプソンが叫んだ。


「……だが、九条君」

 沢村が、絞り出すような声で言った。「このスキルは、探索者にとって必要不可欠なものでもあるのだろう? ダンジョンから何トンもの魔石や素材を持ち帰るには、これ以外に方法がない」

「おっしゃる通りです」

「ならば、我々はどうすればいい? このスキルを禁止するのか? いや、それはできまい。ダンジョンという国家の新しい富の源泉を、自ら放棄するに等しい」


『そうだな』

 トンプソンも、怒りから冷徹な現実主義者の顔へと戻っていた。『問題は山積みだ。だが、探索者だからこれくらいないと不便だというのも事実だ。ならば、答えは一つしかない』


 三人の指導者たちの思考が、一つの、あまりにも官僚的な、しかし唯一可能な結論へと収束していく。


「探索者用途以外は、厳しく制限するか」

 沢村が言った。

「ええ」

 九条が頷いた。「『探索者特別法(仮称)』の中に、明確な条文を設けるのです。『アイテムボックスの使用は、ダンジョン内部及び政府が指定したギルド管理区域に限定する』と。それ以外の場所……すなわち、我々が暮らす一般社会での使用は、原則として国家反逆罪に準ずる、最高レベルの重罪として厳しく罰する。それしか道はありません」


『物理的には防げない。だから、法的な抑止力で縛ると。実に消極的で、そして現実的な解決策だ』

 トンプソンは深いため息をついた。『よかろう。我が国もその方針で、法案の策定を急がせる』


 一つの地獄が片付いた。

 ――いや、片付いたのではない。見て見ぬふりをするための、薄い蓋が被せられただけだ。

 だが、彼らに一息つく暇はなかった。九条のもう一つの分身が、待ってましたとばかりに、次の、そしてより根源的な地獄の議題を、テーブルの上へと放り投げたのだから。


「――総理。大統領。恐縮ですが、アイテムボックスの問題は、些末な技術的問題に過ぎません。我々が今直面している本当の脅威に比べれば」

 彼の声が、部屋の空気を再び凍りつかせた。


「次の話は、探索者そのものの問題です。いわゆる『超人問題』について」


 沢村は顔を覆った。

「……ああ。それもあったな……」

 トラックに撥ねられても平気だという、あの笑えない並行世界の事例報告。


「えー、どうします?」

 九条は、もはや何の感情も込めずに、ただ問いかけた。

「すでに、渋谷の先行調査部隊のメンバーは、常人の二倍の筋力と、神経伝達速度を記録しております。これは、まだレベル2か3の話です。彼らがレベル10、レベル20になった時、その力は一体どうなるのか。そして、半年後には、そのような『超人』が野に放たれるのです。……我々は、彼らをどう管理すればよいので?」


『……どうしますとは、また投げやりな質問だな、長官』

 トンプソンが乾いた笑いを漏らした。「我が国の国防総省は、彼らを『歩く戦略兵器』として軍の管理下に置くべきだと息巻いている。だが、国土安全保障省は『国内の新たなテロの火種だ』とパニックに陥っている。答えなどない」


「そうですな」

 沢村も頷いた。「酒場での些細な喧嘩が死人を出す。痴情のもつれがビルを半壊させる。……そんなアメコミのような悪夢が、我々の日常になるやもしれん」


「……ならば」

 その絶望的な未来図の中で、九条の本体が、静かに、そして唯一の解決策を口にした。

「答えは、一つしかありませんな」

 彼は、沢村とトンプソンを、まっすぐに見据えた。


「毒を以て毒を制す。超人を管理できるのは、超人だけです」


 その、あまりにもシンプルで、そして、あまりにも危険な答え。


「……まあ、警官とか、治安維持する人達も、探索者になってもらうかー」

 沢村が、まるで他人事のように呟いた。

 だが、その瞬間、そのアイデアが唯一の正解であることを、その場にいた全員が、直感的に理解した。


『そうだな。まあ、それが良いだろうな』

 トンプソンが、深く深く頷いた。

「警察官、消防士、そして自衛隊員。国民の生命と安全を守る公務員。彼らにこそ、優先的にダンジョンに挑む権利と、その力を与えるべきだ。そして、彼らによる新たな超人治安維持部隊を創設する」

 それは特権階級の創設ではなかった。より重い責務を負う、新しい公僕の誕生だった。


「……よし。決まりだ」

 沢村は顔を上げた。その目には、もはや迷いはなかった。

「九条君。直ちに警察庁長官、防衛大臣、そして財務大臣を官邸に呼んでくれ。国家公務員法の大改正と、新組織の創設に関する緊急の予算折衝を始めるぞ。……とりあえず、そういう方向で調整しますか……」


 会議は終わった。神が不在のまま。

 人間たちは、またしても自分たちで作り出した新しい問題の、その解決策を、自分たちで見つけ出したのだ。

 それが、さらなる新しい地獄の始まりになるかもしれないなどとは、今は誰も考えないようにしながら。

 彼らの眠らない戦いは、まだどこまでも続いていく。

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― 新着の感想 ―
警察・自衛隊・消防団員を優先的にダンジョンに派遣して超人になってもらうのはいいとして、いざ超人となった彼らを民間企業や外国政府がヘッドハンティングする事は全面的に禁止としないとまずいね。 一生涯束縛す…
術者が『自分の所有物である』と明確に認識している物品しか収納できない 認識に頼るのが確定的ならやばいんじゃない?世の中には他人の携帯ゲーム機をうちの子にこそふさわしいと奪う母親が起こした珍事件なんか…
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