86話 怪盗魔王、謎の少女と遊ぶ
「ではローズ、話した通りだ。いちど君にはコールデンに帰ってもらう」
玉座の上からキースがそう言うと、ローズは露骨に嫌な顔をした。
「また、あの落ちるやつ、やるの?」
「いや、帰りはアレイラに送らせよう」
アレイラの【ゲート】は、同行者の思念によって行き先を決められる。
ローズに人気のない場所を指定させれば、アレイラが人目につくこともないだろう。
「というわけだ、アレイラ頼んだ」
「了解ですっ! じゃあローズちゃんこっちおいで」
ローズがマリィの顔に目をやると、マリィは優しく頷いた。
その表情を見て、ローズはマリィの袖をそっと手放し、おそるおそるアレイラのもとへと向かう。
「怖がらないでよー、なんにも痛いことないからさー」
「は……はい……」
アレイラが呪文を詠唱し、【ゲート】が開く。
「じゃあ、行こっか」
アレイラがローズの手を引いたとき、マリィが声をかけた。
「ローズ、その……私はいま幸せだから。だからあなたも」
「……うん、わかった」
ふたり、目が合う。
友達同士、その言葉で充分だった。
ローズはキースから与えられた任務を胸に抱えて、アレイラと共に【ゲート】に吸い込まれていく。
マリィは、閉じた【ゲート】の残滓を、いつまでも見つめていた。
(マリィも、やっぱりここじゃ淋しい思いをしてるのかな……)
彼女の友達について、キースは考える。
リュカは友達というには幼すぎるし、アルドベルグ盗賊団の面子はちょっと違うだろう。
ディアナは人と距離を縮めるタイプじゃないし、アレイラはなんというか、友達というにはぶっ飛び過ぎている。
(まあ、それはのちのちの課題だ)
マリィと目が合うと、キースは微笑んでみせた。
そうして、再び真剣な表情に戻る。
「リュミエール司教と会いたい」
「ローズのように……ですか?」
「いや、彼は政治家だ。できる限り顔は立てたい。こちらから出向く、というかたちになるだろう。かといって、俺や君が直接聖都に赴くわけにはいかない」
「それは……確かにそうでしょうね」
マリィはおとがいに指を当てた。
魔王と聖女がいきなり現れれば、コールデン共和国中が大騒ぎになる。
「かといってギンロウでは目立ち過ぎる。ディアナは……今回はダメだ」
ディアナには、ユーシャの面倒を頼んである。
エルフの森の件もあるし、あらゆる意味でユーシャは非常に危うい。
何かあったときにいちばん柔軟な対応を取れるのは、四天王筆頭のディアナだろう。
「アレイラは……前回はマリィがいたから良かったが、単独行動させるのは不安だな」
そう言った瞬間、再び黒い渦が再び謁見の間に現れ、中からアレイラが顔を出した。
「ただいま帰りましたー! 魔王様、私がどうかしましたか?」
「いや、アレイラはいつも元気だなって話さ」
「そうですよー! いつもバリバリ元気ですよー!」
そう言って、巨大な目玉のついた杖を掲げて見せる。
「……ということになれば、あいつらしかいないな」
キースが考え込んでいると、謁見の間の大きな扉がノックされた。
「誰だ」
「ジョセフでございます。ヴィクトル様とエラーダ様がお帰りになったようで、お伝えしようと」
「ありがとう。早速だがここへ通してくれ」
「畏まりました」
しばらくすると、いつものボロボロのコートを着たヴィクトルと、旅装束のエラーダが謁見の間に現れた。
「銃士ヴィクトル……帰還致しました……」
ヴィクトルは即座に膝をつき、エラーダもそれに倣った。
「エラーダ・コレット、帰還致しました」
エラーダは数少ない魔王国の人間として、優れた外交官になった。
しかしキースはエラーダにかしづかれることに違和感を覚えてしまう。
「エラーダ、すまないが、膝をつくのはやめてくれないか。君はその……ヴィクトルたちとは違う」
「これは私の意志です。アシュトラン内戦を最小限の犠牲で収束させた手腕を、私は尊敬しています」
エラーダは顔を上げた。
その表情に、おもねるような色はない。
「そうか……なら、せめて敬語はやめてくれないか。なんというか、むず痒いんだ」
「あなたがそう言うなら、そうしよう」
そう答えて、エラーダは続けた。
「アシュトランの政情は安定している。間もなく交易も再開できるだろう。しばらくは静観で良いと私は思う」
「なるほど。ヴィクトル、エラーダ、ご苦労だった。特にエラーダ。魔王に与する人間という立場は、何かと気を遣っただろう」
「問題無い。人間だから意味を持つ仕事があることは、自覚している」
「そう言ってくれると助かる」
キースは指を組んだ。
「着いて早速で申し訳ないんだが、君たちには再び外交に出てもらいたい」
「仰せの通りに……」
ヴィクトルは深く頭を垂れる。
「リュミエール司教をコールデン共和国郊外まで連れ出して欲しい、あくまで秘密裏にだ」
「連れ出すと言っても、いろいろと手段があるが」
エラーダの金色の瞳が、シャンデリアの光を弾く。
彼女は元暗殺者だ。
手荒なやり口も、いろいろと心得ている。
「いや、今回は外交官としての君への頼みだ。リュミエール司教は、あくまで丁重に扱って欲しい」
「承知した。政治家として接しよう」
アシュトラン共和国にいる間に、コールデン共和国の内情についても耳に入っていたらしい。
“政治家”という言葉を使ったあたりに、それがうかがえた。
「2日は休みに当ててくれ。旅の垢を落とすと良い」
「それは助かる」
「ありがたく存じます……」
リュミエール司教との対談の目処が立ったところで、会議はお開きとなった。
………………。
…………。
……。
予定通り2日後、ヴィクトルたちはコールデン共和国へと出立した。
後は連絡を待つだけだ。
キースはマリィとアレイラと一緒に、砦でティータイムを楽しんでいた。
砦にふたりを連れて行くと、盗賊団のみんなが喜ぶ。
またマリィやアレイラにとっても、人間と触れ合うのは良いことだろう。
「聖女の姉ちゃん、もうちょいジャム食うかい?」
「あ、ありがとうございます」
「ブランデーを入れると味が良くなるんだよ。ちょいと足そうか?」
「お気遣いありがとうございます、でもお酒はあまり飲めない方なので……」
「あ! 私欲しい! ちょうだい!」
そんなところへ、ユーシャが現れた。
リュカと、もちろんディアナも一緒だ。
ディアナは心なしか、ぐったりしているように見える。
ただの子守りでも大変なのに、ユーシャの力がいつ現れるかという危惧も加わって、精神的疲労はかなりのものだろう。
「ディアナ、慣れないことを頼んで悪いな」
「いいえ……魔王様のご命令ですもの……ありがたく遂行いたしますわ……」
力なく笑みを浮かべるディアナに、キースは笑顔を返すしかない。
リュカを見下ろすと、砦の中を興味深そうに見渡していた。
「どうだユーシャ、ディアナとリュカと仲良くしてるか?」
「うん」
ユーシャはキースの袖に抱きついた。
キースは危うく紅茶をこぼしそうになる。
「私、キースと遊びたい」
「そうかそうか」
ヴィクトルたちから連絡があるまでは、特にやるべきこともない。
キースはユーシャを釣りに連れて行ってやることにした。
「ディアナはここで少し休むといい。ペガトン、紅茶を注いでやってくれ」
「あいよ! お次はディアナの嬢ちゃんか!」
「そんな……お気遣いなく」
「お上品の紅茶もいいが、たまにゃ野性的なティータイムを楽しもうぜ」
「はぁ……」
――たぶん、大丈夫だろう。
疲れ切ったディアナにはここでリラックスしてもらうことにする。
親分から釣り道具を借りると、さっそく出かけることにした。
ちなみにアレイラは魔王城の食糧調達を担当しているので、自前の釣り竿がある。
キース、マリィ、ユーシャ、アレイラ、リュカ。
荒れ地を抜け、森を抜けて、沢に出た。
「ここらでいいだろう」
ポイントを決めると、アレイラは早速針に餌を付けている。
その隣で、リュカも作業を始めた。
「あ、リュカちゃん、エサの付け方違う!」
「違わないよ! これがアルドベルグ盗賊団流なの!」
リュカも、釣りには自信がある方だ。
アレイラもそれを聞いてムキになる。
「それよりアレイラクォリエータ流の方がすごいんだからね! こうなったら勝負だ!」
ふたり仲良く、釣り競争を始めた。
「元気だなあ、あいつらは。ユーシャは釣りしたことあるか?」
「ねえキース。つりってなあに?」
釣りをしたことがないのはわかるが、釣り自体を知らない子供というのは初めて見た。
「針に引っかけて、お魚を捕まえるのさ」
「おさかなって?」
ユーシャはきょとんと首をかしげて見せる。
それを見て、キースはツノを掻いた。
「………………」
自分が何者かも、どこから来たのかもわからないユーシャ。
そして、どんな子供だって、知っていて当たり前のことも知らない――。
「お魚ってのはね、水の中にいる生き物なのよ」
マリィはユーシャの釣り針にエサを付けながら、ゆっくりと諭すように言った。
「ほら、今向こうで何かが跳ねたでしょう? あれがお魚」
「おさかなを捕まえてどうするの?」
「お夕食にするのよ。きっと今晩のおかずになるから、楽しみにしていましょうね」
「うん、わかった」
3人並んで、ゆったりと釣り糸を垂らす。
「ユーシャ、あんまりこっちにくっつくと糸が絡まっちまうよ」
「私、キースのそばにいたいもん」
「ありがとう、でも釣りの間は我慢しような」
「んー」
ユーシャは不満げに、少しだけ距離を取る。
「あ、かかったわ」
マリィは見事なヒメユリマスを釣って、吊り籠に入れた。
ユーシャは興味深げに、吊り籠を覗き込む。
鮮やかなオレンジ色の魚が、ぴちぴちと跳ねている。
「マリィは、つりが得意なの?」
「得意というわけではないけれど、旅で慣れたわね」
「旅って?」
「それは、その……」
マリィはキースに目配せをする。
ユーシャは、自分が勇者だと話していた。
そして今、キースは魔王だ。
この子に魔王討伐の旅の話をしていいのか――。
視線を投げると、キースは微笑を浮かべて頷いた。
「………………」
マリィは、ユーシャに旅の話をすることにした。
「そうね。実はね、私とキースさんは勇者パーティーにいたの。その旅のなかで、釣りを身につけたのよ」
「キースとマリィもゆうしゃなの?」
ふたりが頷くと、ユーシャのアクアマリンの瞳は、川面のように輝いた。
「私といっしょ! おそろい!」
「そうね、一緒ね」
再び針にエサを付けて、マリィは釣り糸を垂らした。
とても、複雑な表情で。
「勇者はね、世界の平和を守るのがお仕事なのよ」
釣り糸の先を見つめながら、マリィは感慨深げに言った。
「世界の平和を守って、人々の心に希望の光を灯すこと。世界にはいろんな困ったことや悲しいことがあるから、それは簡単なことじゃない。でも大切なことは、だいたい簡単じゃないの。勇者というのは、そこに立ち向かう人間のことを言うのよ」
ぽつり、ぽつりと話すマリィの言葉に、ユーシャは真剣に聞き入っている。
キースも、マリィの言葉に感心していた。
「……俺は、盗賊団のみんなのことしか考えてなかったよ」
小さく、呟くように言った。
「勇者がなんなのか、なんのために勇者をやるのかなんて、考えもしなかったな。ただ、家族のことだけを考えてた。志なんて無い、君と比べりゃ、ずいぶんと不真面目だったよ」
「そんな……!」
マリィは慌てて、キースをフォローする。
「家族を大切に思う心も、勇者には大切なことだと思います」
ユーシャはまた、きょとんとした。
「かぞくって?」
やはり、この子は何も知らないのだ。
ときどき魚を釣り上げながら、キースとマリィは、家族がどんなものかを話して聞かせた。
ユーシャの竿に魚がかかることもあって、そういうときはキースが手伝った。
魚が釣れると、ユーシャは大喜びしてキースに抱きついた。
そうしてしばらく吊り籠を眺めると、また家族の話をふたりにせがんだ。
「あー、家族っていうのは……」
修道院で育ったマリィが、一緒に育った人たちを家族だと思っているのか、キースにはわからない。
自分も、アルドベルグ盗賊団のみんなを家族だと思っているけれど、それが普通ではないこともよくわかっている。
キースは、自分の思う一般的な家族の話をして聞かせた。
「ふうふになると赤ちゃんが来るのね。赤ちゃんはどこから来るの?」
「それは……」
マリィが答えあぐねていると、キースがそれを引き継いだ。
「コウノトリが運んでくるのさ」
キースも、そうやって親分にごまかされたものだった。
するとユーシャは輝くような笑顔を見せた。
「じゃあ、私はキースとふうふになる! マリィもキースとふうふになる?」
「え……あの……それは……その……」
マリィはまたもや、もごもごと黙り込んでしまう。
「そうしたら、コウノトリは2羽やってくるの? どっちがどっちの赤ちゃんかわかるの?」
それを聞いて、マリィの顔は真っ赤になった。
キースが慌てて、ユーシャに説明する。
「ユーシャ、夫婦になるのは大人になってからだ。それに、ユーシャにも家族がいるはずだよ」
「私にかぞくがいるの?」
「そうだな……たぶんいると思う」
キースは微笑みかけた。
「もしユーシャに家族がいたら、きっと会わせてあげるよ」
釣り竿を足で挟むと、キースはユーシャの頭をくしゃくしゃと撫でてやった。
ユーシャはくすぐったそうにして、笑った。
ヴィクトルたちから連絡が届いたのは、その2日後だった。
キースたちは、謎の少女ユーシャとの仲を深めていきます……。
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