82話 怪盗魔王、謎の少女を拾う
アレイラの【ゲート】が開くと、熱風がキースの鼻先を炙った。
【ゲート】が開かれたのは里の手前にある広場で、大勢のエルフたちが避難して来ていた。
「ああ! 魔王様! 魔王様が来てくださった!」
「助けてください! まだ子供が里に!」
エルフの里が燃えている――。
「わかった。保証はできないができるだけのことはしよう」
「魔王様」
フィオーレが頭を垂れた。
「救出は困難を極めています。これはただの火事ではありません……!」
「どうやらそうらしいな……」
里の方から、森を焼きながら何かが流れてくる。
――溶岩だ。
キースは旅の中で火山地帯を通ったことがあるので知っているが、エルフたちには溶岩を目にする機会などなかっただろう。
黒々とした中に赤い光を宿す溶岩は、森を焼きながら垂れ落ちて、やがて固まった。
「あの燃える川が行く手を阻むのです」
エルフの里は、火山地帯から遠いところにある。
溶岩の自然発生など、とても考えられない。
悪意を持った何者かによるものだと、キースは確信した。
「魔王様」
ギンロウだ。
銀色の巨躯に、炎が赤く照り映えている。
「私は火に耐性がございます。この場の一助にはなるかと」
「わかった、エルフたちを指揮して救助にあたってくれ。俺が先導する」
キースはマントをひるがえして、燃える森に向かってふうっと息を吹いた。
煌びやかな氷の粒の交じった吐息は、瞬く間に燃える森を凍りつかせた。
「魔王様……今のは……?」
フィオーレは目を丸くしてキースに尋ねる。
「友人の置き土産だ」
それは氷精の里にあるダンジョン、その底に眠るフロストドラゴンから受けついだスキル【凍える息】だった。
「アレイラ、他の徒の里を回って、ヒーラーを集めてくれ」
「了解しましたっ!」
アレイラは呪文を唱え、ゲートの闇の中へ消えていく。
「救出に来られる者はついてきてくれ」
キースは里へ続く坂を上った。
ギンロウやフィオーレたちがそれに続く。
里は地獄の様相を呈していた。
助けを呼ぶ声が、あちらこちらから聞こえてくる。
道には割れ目ができていて、溶岩が赤い光を放ちながら波打っていた。
溶岩の向こうには、身動きの取れないエルフたちが子供を抱えていた。
両側の家屋は激しく燃え上がり、今にも崩れそうだ。
「あれのせいで、迂回路を取らざるを得ないのです!」
「待っていろ、すぐに終わる」
キースは、溶岩の川に向かって【凍える息】を吹いた。
溶岩の川は黒々と波打つ黒鉛のように固まった。
「ギンロウ、家屋に取り残されたエルフたちを頼んだ」
「御意」
ギンロウは凍った溶岩の川を踏みしめて、進んでいく。
その後ろに、エルフたちが続いた。
子供を抱いたエルフたちは、それを見てようやく固まった川を渡り、広場へと向かう。
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
キースは頷きながらフィオーレに言った。
「救出路を案内してくれ。邪魔な溶岩は俺が凍らせる」
「はい! 承知しました!」
フィオーレの後に続きながら、キースは【凍える息】で家屋の火を消しつつ進む。
どこもかしこも【凍える息】で凍らせるわけにはいかない。
家屋にエルフが残っていた場合、凍死しかねないからだ。
(しかしこの状況……火炎魔法を使ったのか?)
キースはかつての旅の仲間――と呼べるかはわからないが、メラルダの好んで使っていた【ファイア】を思い出す。
しかし人間の魔術師に、これだけの災厄を起こせるとは想像し難い。
人間を超えた、何者かが絡んでいる。
「逃げ遅れた者は声を上げよ!!」
ギンロウの大音声が、ここまで聞こえてくる。
キースは身を屈めて、地面に手をついた。
――【気配察知】。
久しぶりに使う、怪盗のスキルだ。
キースはまさに今崩れんとする家屋の中に、気配を感じた。
地面から手を離すと、即座に家屋へと走った。
「待ってろ!!」
燃えるドアをぶち破り、中に入るともう火の海だ。
姉妹と思われるエルフは、口もとに布を当てて、ぐったりとしていた。
ふたりの上に、燃える梁が崩れ落ちてくるその瞬間、キースの【凍える息】が天井を凍りつかせた。
周囲の柱も凍らせて、できる限り倒壊を防ぐ。
「魔王……様……?」
キースは腰が抜けて動けない姉妹を担いで、家屋の外に出る。
外へ出た瞬間、氷と炎の混じり合った家屋は、音を立てて崩れ落ちた。
「フィオーレ、このふたりを頼む」
「承知しました! ……ふたりとも、立てる?」
案内役がいなくなった以上、片っ端から火を消し、溶岩を固めていくしかない。
キースは次々と火の川を凍りつかせ、エルフの里を巡った。
そろそろ回りきったかと思った頃、ギンロウと鉢合わせた。
ギンロウは5人のエルフを肩に担いでいる。
「そろそろ広場に戻り、いちど点呼を取ることを具申いたします」
「ああ、それが良さそうだ。俺は残った火を消してから向かう」
キースは再び【走査】で、逃げ遅れたエルフがいないかを確認した。
それから立ち上る炎と、揺らぐ溶岩の川に【凍える息】を吹きかけていった。
キースが広場に戻ると、点呼が終わったところらしかった。
ヒーラーを連れたアレイラも戻ってきていて、順に火傷の治療がなされていた。
里の長がキースの元に進み出た。
「申し上げます。この度の火事における死者はおりません」
それを聞いて、キースは心からホッとした。
【凍える息】がなければどうなっていたことか。
キースは心の中で、フロストドラゴンに感謝を捧げた。
「すべては魔王様のご尽力の賜でございます。なんとお礼を申し上げて良いものか……」
「礼はいい。君たちは俺の徒だ。君たちの生死の責任は俺にある」
「もったいなきお言葉でございます」
長は深く頭を垂れた。
「ですが魔王様……問題、というか……不可解なことが……」
「というと」
「ひとり、多いのです……案内いたします」
その少女は、大きな木の根にもたれるように座らされていた。
「うう……うっ……うっ……」
少女は嗚咽を漏らしながら、必死に痛みを耐えている。
腕にひどい火傷を負っていた。
【ヒール】の番がまだ回ってこないだろう。
しかしそれ以上に目を引いたのは。
――少女の、可愛らしい丸い耳だった。
「彼女は……人間……?」
疑問は尽きない、しかしとにかく治療だ。
キースは少女の腕を取って、小さく【凍える息】を吹きかけた。
ヒーラーが来るまでの痛み止めにはなるだろう。
痛みが治まったからか、少女は涙を流すのをやめた。
しかし、その顔は青ざめている。
一見、火事のショックによるものに見えるが、キースはそうでないことを知っている。
先代魔王討伐の旅の中で、マリィが同じ症状に陥っているのを見たことがあるからだ。
――MP切れだ。
原因不明の大火事の中、たったひとりの人間がMP切れを起こしている。
嫌疑をかける材料としては充分だ。
こんなあどけない少女があんな大災害を引き起こせるはずはないのだが、そもそもエルフには人間に対する嫌悪感がある。
「君は、治療の指揮を頼む」
「承知しました」
キースはエルフの長をさがらせ、少女に密かにMPを分け与えた。
少女の顔色が、徐々に赤身を帯びてくる。
キースはエルフから水筒を借りてきて、水を飲ませた。
リュカと同じくらいの年齢だろうか。
大きな緑色の瞳に、つんとした小鼻。
整った顔立ちをした少女だった。
青色の髪は、後ろで金色のバレッタで止められている。
火傷の痛みが完全に消えたわけではないだろうに、少女は奇妙なほどに冷静さを取り戻していた。
「キースさん!」
走り寄ってきたのは、マリィだった。
“聖女”マリィは【ヒール】のスペシャリストだ。
アレイラが【ゲート】で連れてきたのだろう。
最初から連れてくるべきだったと、キースは密かに後悔した。
どこかまだ、マリィを危険から遠ざけなければという気持ちが自分の中にある。
ただでさえ、無茶をしがちなマリィだから尚更だ。
しかし、仲間の力を無駄にするのは、支配者のすべきことではない。
「彼女の治療を頼む……」
マリィが杖からふわりと現れた緑色の光は、瞬く間に少女の火傷を癒やした。
「もう大丈夫だ。怖かったな」
キースが声をかけると、少女は何も言わずにキースの腕に抱きついた。
「キースさん、すっかり懐かれちゃったみたいですね」
「そりゃ光栄だ。しかし君はどうして、こんな所にいるんだ?」
そう尋ねると、少女はしばらく首を捻っていた。
しばらく経ってから、キースの顔を見上げた。
「……わからない」
「わからないじゃ、しょうがないか」
キースが立ち上がると、少女は腕にしがみついたまま一緒に立ち上がった。
「マリィ、みんなの治療は」
「はい、すべての方が完治しています。あとは休養を取るだけですね」
「彼らの住居を考えなくちゃいけないな。ドワーフを呼んで仮の住まいを作るか」
キースはアレイラの【ゲート】でドワーフの里へ向かい、長たちに事情を説明した。
「エルフの連中は正直好きになれませんが、こういうときはお互い様でございましょう」
ドワーフは道具と人足を集めて、再び【ゲート】でエルフの里へと向かった。
アレイラはヒーラーたちをそれぞれの里へ帰した。
「さて、この子をどうしたものか……」
キースは腕にしがみついて離れない、青い髪の少女を見下ろした。
「親御さんも見当たりませんし、城に連れ帰るしかないんじゃないでしょうか?」
「だよなあ。エルフに預けるわけにもいかない。一緒に来るか?」
少女は顔を上げて、こくこくと頷いた。
「そうか、じゃあ淑女を迎え入れる準備をしないとな」
そうしてようやくキースたちは魔王城へと帰ることができた。
魔王城に戻ると、もう夜だ。
キースの帰還をいちばん待っていたのは、もちろんディアナだ。
しかしキースの姿を見ると、喜びが困惑へと変わる。
「お帰りなさいまし……その小娘は一体?」
「それが俺にもよくわからなくてね」
少女はキースの腕にすりすりと頬をすりつけている。
ディアナの整った眉が、ピクリと動いた。
「畏れながら。人間の分際でそのような態度を取らせるのは、いささか度が過ぎているかと」
「今更じゃないか、ウチにはリュカもいることだし」
「それは……仰る通りでございます……見当違いの愚考をお許しくださいまし……」
ディアナは深く頭を下げながら、プラチナブロンドの髪の隙間から少女を睨んでいる。
キースは苦笑いを浮かべるしかない。
「ディアナ、ジョセフに立食パーティーの準備を頼んでくれないか」
「万事整ってございます」
徒たちの長も、腹を空かせてキースたちの帰りを待っていた。
「じゃあ、食事にしようか、君も腹が減ってるんじゃないのか」
少女は上目遣いに、こくこくと頷いた。
しがみつかれたまま、エントランスを抜けて食堂へと向かう。
「……そういえば、名前を聞いてなかったな」
キースは少女に微笑みかけた。
「俺はキースだ。君は?」
「私は……」
少女はキースの顔を見上げて、小さなくちびるを開いた。
「私は……ゆうしゃ」
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