65話 怪盗魔王、アリナミ村へ
「魔王ってやつだけは許せねえ! こともあろうに聖女様をよう!」
トリストラム王国南西部、リュノワの森近くにあるアリナミ村。
行商人が通ることもあるので、それなりに発展した明るい村だ。
大神官を殺め、聖女をさらった魔王の悪行は、こんなところにも届いている。
村人たちは丸太に座って、昼飯の固いパンを食べながら、口々に魔王について言い合っていた。
「聞くところによりゃあ、魔王ってのはどこにでも現われるらしいじゃねえか!」
男のひとりがツバを飛ばした。
「この村に出てきてくれりゃあよう、クワで頭叩き割ってやるのによ!」
「ちげえねえや!」
魔王領から遠く離れたアリナミ村では、魔王の脅威も飯どきの話題に過ぎない。
「うちには死んだ爺さんが使ってた剣があるでよ、スパッとツノォ切り落としてェ……」
「なにがスパッとだァ、飾ってあるのを見たがありゃあすっかり錆びついてんじゃねえか」
村人たちに笑い声が上がった。
男はムキになって言い返す。
「そりゃ魔王が現われたらシャーッと研いでだな。シャーッと。だいたい爺さんはちったあ名の知れた冒険者で……」
「もうそんな昔のこと話してもしょうがないじゃないの」
そのとき、村人たちの前で、ざあっと一陣の風が吹いた。
風は渦を巻き、宙空の一点へと吸い込まれる。
その中心に現われたのは、何よりも深い闇。
村人たちのお喋りが止んだ。
闇は膨れ上がる。
やがて雷を纏う雲によって縁取られた、大きな穴になった。
「なんだァ……?」
その闇から、馬車が現われた。
ただの馬車ではない。
荷台を引いているのは、巨大なオオカミだ。
村人たちが固唾を呑んで見つめる中、馬車のドアが開いた。
――いくら魔王領から遠く離れた村であっても、その容姿くらいは伝わっている。
頭には2本のツノ。
金縁の片眼鏡。
漆黒のマントが風にひるがえる。
「ま……まままま……」
村人たちは、パンを取り落とした。
「ま……魔王……なんで……なんでこげな村に……」
「この馬鹿ッ! 魔王様だよッ!!」
魔王に続いて馬車から降りてきたのは、黒いワンピースを着た幼い少女と、紫のドレスを身に纏う絶世の美女。
村人たちは慌てて地べたに這いつくばった。
「俺たち、悪気があったわけじゃねえ! ちいと、ちいと口が滑ってその……」
「頭かち割るなんて言ったのは、そこの奴でさ! どうか俺の命だけは!」
「汚ねえ! おめえだって剣でツノ切り落とすだとかなんとか言ってたじゃねえか!」
紫のドレスの美女が、なんでもないことのように言った。
「こいつら魔王様の悪口言ってたみたいですよ。でも正直に話したから苦しませずに殺します?」
「ひいいッ! どうかご勘弁をッ!」
村人たちの真っ青な顔から、さらに血の気が引いていく。
「俺の評判なんて、今じゃどこへ行っても同じようなもんさ」
魔王の声色は、思いのほか柔らかい。
「みんな、顔を上げてくれ。別にあんたらをどうこうしに来たわけじゃない」
男たちは、おそるおそる魔王を見上げた。
「俺たちが用があるのは“いばらの三姉妹”だ」
このひとことを聞いて、村人たちの反応はまちまちだった。
まず男たちは、何か熱が冷めたようにすっと顔を逸らして言った。
「そのことはまあ、女連中に聞いてくだすったらええかと……」
どこか悲しげに、男たちは顔を見合わせている。
一方、女たちは――。
「いばらの三姉妹の皆さまには、それはもう、良くしていただいています。あまり欲深いことさえ言わなければ、旦那を貸し出すだけで大抵のお願いは聞いてくださるんです」
若い女が言った。
「そうだわ! 最近日照りがあまり良くなくて、作物の育ちが悪いのよね。またいばらの三姉妹にお願いして……」
「そいつはやめてくれェ!!」
その夫らしき男が言った。
「なあ、育ちが悪いったって枯れてるわけじゃねえだろう? あんまりホイホイものを頼むもんじゃねえよ!」
夫は必死な様子だが、妻は首を傾げている。
「ちょいとあんたを貸し出せば済むことじゃないの。土いじりのお手伝いでもしてるんでしょう?」
「そ、それは……それはなんだ……なんちゅうか……なあ……?」
夫は他の男と顔を見合わせた。
その男も、必死でこくこくと頷いた。
「そうだ、あんまりいばらの三姉妹のお力を借りるのは良くねえ……本当に、本当にこれは良くねえんだ……お願いだ……」
男たちは必死で女を止めているが、女たちはなんということもない様子だ。
いつの間にか、村人たちからは魔王への恐怖が薄れているようだった。
それだけいばらの三姉妹の力が強大――ということだろうか。
「………………」
村人たちがいろいろと言い合うのをよそにして、キースはアレイラに尋ねた。
「なぜ直接いばらの三姉妹のもとに【ゲート】を繋がなかったんだ?」
アレイラは美しい眉を寄せて答える。
「いばらの三姉妹は礼儀にめちゃんこうるさいんです……まずは遣いを出さないと、迎えてくれないんですよ……」
そう言ってアレイラは杖を掲げた。
「我が眼は隼――【スカウト】」
そう詠唱すると、杖に嵌め込まれた大きな目玉が飛び出した。
目玉はコウモリのような羽を生やしてはばたく。
「どのようなご用でございましょうか」
低い声でそう問うた目玉に、アレイラは命令した。
「いばらの三姉妹にアポイントメントを取ってきなさい……その、くれぐれも失礼のないように!」
「御意」
目玉は、森の奥へ向かって飛んでいった。
「これで、明日には返事が来るかと……」
アレイラには、いつもの元気がない。
それだけ、いばらの三姉妹が苦手らしい。
村の男たちが恐れ、アレイラが恐れ、一方、村の女たちは頼りにしている――いばらの三姉妹というのはどんな存在なのだろうか。
「ともかく、今夜は宿を取りましょう。魔王様」
ディアナは村人たちに言った。
「この村に宿があれば教えてもらいたいのですけれど」
村人のひとりが、おそるおそるといった様子で手を挙げた。
「大した宿じゃあねえんですが、ウチで宿をやっとります。3名様でしたらまったく問題なく……」
「いや、もうひとりいる……」
キースは馬車の中から、マリィの身体を抱え上げた。
村人たちはその姿を見てぎょっとする。
もちろんこんな片田舎の村人が、聖女の顔など知るはずもない。
しかし気を失ったように見える美少女を、魔王が抱えている様子は、何か生け贄めいたものを思わせた。
「俺たちは合わせて4人だ」
「か、かしこまりましてごぜえます……」
そのままキースたちは、案内されるまま宿へと向かった。
アレイラの飛ばした目玉は、夕食の前には戻ってきた。
「大丈夫? 行儀良くできた? 怒らせなかった?」
アレイラは必死の表情で、空飛ぶ目玉に尋ねる。
「問題は無きかと」
「そう……」
目玉は、またアレイラの杖に収まった。
「これで上手くいけばいいんですけれど……」
ほうとため息をつく。
アレイラのため息を聞いたのは初めてかもしれない。
「よっぽどの相手なんだな……」
「そうです! よっぽどなんです! 魔王様、油断しないでくださいね!」
「わかったよ」
結局のところ、会ってみなければ何もわからない。
下手に恐れていたところで仕方がないだろう。
キースは宿屋の2階に上がり、ベッドにマリィを寝かせた。
「君は、まるで…………」
人形だ――という声はのどから出てこなかった。
光の失われた黒目がちの瞳は、ただ天井を見つめて、少しも動く様子がない。
「………………」
一緒に冒険をしたときの――そしてンボーン砦で語り合ったときのマリィが思い出される。
そのときの生き生きとした姿を、目の前のマリィに重ねると、目の奥が熱くなってくる。
『キースさんは魔王です。その魔王の中に、人間キースがいる。どちらかになりきる必要はないんですよ。そのままのキースさんを、みんなが慕っているんですから……』
小さく閉じられた淡い色のくちびるが、かつてそんな言葉をキースにかけてくれたのだ。
だからキースは魔王として、人間として立ち直り、今ここにいる。
胸が――強く痛んだ。
「失礼致します、魔王様」
背後に、ディアナがいた。
彼女の紫色の瞳は、ベッドに寝かされたマリィに注がれている。
かつては自分を倒した勇者パーティーのひとり。
だがそれは、キースとて同じ事だ。
「まだお前には話してなかったな」
マリィを見つめたまま、キースは言った。
「俺が魔王になったのは、実は彼女のおかげなんだ。マリィが、このマントを俺にくれたんだよ」
キースは漆黒のマントの裾を握った。
「優しい子なんだ。俺の取り分が少ないからって、いちばん良いアイテムを俺にくれた……四天王としては、あまり気持ちの良い話じゃないかな……」
「そんなことはございませんわ。いま魔王様にお仕えできる幸福は、すべてに勝るものですから」
「そう言ってくれるとありがたいよ」
そう答えて、キースは言った。
「マリィは優しい子だ。だからこそ、俺のことを許してはくれないかもしれないな……」
ため息を、ひとつ。
「どんな理由があれ、俺は大神官を殺したんだ。マリィからすれば、大事な先達だったに違いない。【冷徹の冠】を被ったのだって、マリィの自己犠牲だったかもしれないんだ。氷精の秘宝だなんて、知らないだろうからな」
再び背後で足音――アレイラだ。
アレイラは、キースのもとに駆け寄ってきた。
「魔王様。本当にいばらの三姉妹を頼っても良いんですか? この神官を助けるために……」
アレイラは、胸元に強く杖を抱いた。
「枯れた作物を元気にするくらいなら大したことありません! でも凍りついた意識を取り戻すとなると、きっといばらの三姉妹は大きな代償を要求してきます! そこまでして、魔王様はこの神官を助ける必要があるんですか? ここまで来て……ですけど……」
燃えるような赤い瞳は、少しうるんでいた。
これはいばらの三姉妹への恐怖というよりは、キースを心配してのことだろう。
しかしキースは答えた。
「マリィは俺の大切な友人で、命の恩人で……それに、みんなの支えになる優しい子だ。俺は、必ず助けると約束した。約束は必ず果たす」
キースはマリィの身体に毛布をかけると、部屋を後にした。
………………。
…………。
……。
やがて夜が更け、キースは自室で窓の外を眺めていた。
大きな月が出ている。
キースは少し風を浴びようと、窓を開けた。
バサバサバサバサッ
急な羽音とともに、でっぷりとしたフクロウが窓枠に止まった。
フクロウは鳴きもせずに、じっとキースの顔を眺めている。
「………………!」
フクロウの足には、ブリキの筒が取り付けられていた。
そっと手を伸ばしてフタを開けると、中から丸められた薄紅色の便箋が出てきた。
便箋にはこうあった。
『怪盗魔王キース様へ。
明日のお昼にお越しくださいませ。
姉妹一同お待ち申し上げております。
愛を込めて――バロン・アンリエット』





