64話 怪盗魔王、マリィを見舞う
マリィの容態を尋ねると、アレイラはキースたちを自分の研究室に案内した。
広い部屋の壁には、魔法の赤い松明が燃えている。
中央には大きなテーブルがあり、所狭しと奇妙な道具が並べられていた。
口の中に火を灯した銀色のドクロ、謎の液体が並ぶ試験管立て。
瓶詰めにされた大小の目玉に、ブクブクと泡を立てるビーカーにはネズミの死骸が浮かんでいる。
山積みにされた、キースには読めない文字で書かれた魔導書、その他もろもろ。
この怪しげな部屋の片隅で、マリィは宙に浮かぶベッドに寝かされていた。
相変わらずその瞳に光はなく、表情はどんな感情をも示さない。
マリィの身体からは草のツルが這い出ていて、複雑な機械に繋がれている。
機械が吐き出す数枚の羊皮紙には、ギザギザの波が描かれていた。
【確信の片眼鏡】でステータスを確認すると、一番下に青い文字で【精神凍結】とあった。
「マリィ、聞こえるか? 俺だ、キースだ」
マリィの表情は動かない。
そっと手のひらに触れてみたが、やはり変化はなかった。
身体を揺さぶるのははばかられる。
そっと頬に触れても、目の光は失われたままだ。
何を試しても、マリィから反応を引き出すことはできない。
肩を落とすキースをフォローするようにアレイラが言った。
「この子は聞こえてるし、感じてるはずです。その、なんというか、理論上はですけど」
マリィに意識はあるということだ。
何の表情も浮かべていないマリィが、自分の声を聞き、指を感じている。
それを考えると、キースは胸が絞めつけられるような気がした。
「………………」
アレイラは、波が描かれているスクロールを次々とナイフで切り取って、テーブルに並べた。
「見ての通り、マリィちゃんのバイタルは大丈夫です。いたって健康体。ただ問題は精神ですね。これがこの子の感情を表わすサインです」
1枚の羊皮紙を広げると、そこには1本の線が引かれていた。
なんの波もない、冷徹な1本の線。
「完全にお人形さん状態。感情が凍っちゃってるって感じです。【冷徹の冠】の影響なのは確実ですね」
アレイラの言葉を聞いて、レネーの顔が曇った。
「私たちの秘宝が、人をこんなにしてしまうなんて……」
「元はと言えば俺のせいだ」
キースは自分の手のひらを見つめた。
「俺がマリィに、大量の最大魔力量を与えた。それで教会の連中に目をつけられて、【冷徹の冠】を被らされるような羽目になったんだ……」
戦場のンボーン砦で、ふたりで過ごした夜を思い出す。
キースは少しでもマリィの役に立ちたいと思って、最大魔力量を分け与えた。
それがこんなことに繋がるなんて、まるで想像もしなかったことだ。
マリィに少しでも恩返しがしたかった――その気持ちが、完全に裏目に出てしまった。
キースは後悔に打ちのめされそうになったが、今は自己憐憫に浸っている場合ではない。
「対処法はないのか? たとえば俺の能力で熱を与えるとか、あるいは【精神凍結】を盗むとか……」
キースの言葉に、アレイラは首を振って答えた。
「人間の精神は繊細ですから、あまり無茶をすると壊れて元に戻らなくなっちゃいます。病気とは状態がちょっと違うんです」
ペガトンの病気を盗んだのと、同じようにはいかないらしい。
「怪盗魔王なんていって、無力なもんだな……」
キースは自分のしばらく自分の手のひらを見つめていたが、やがて顔を上げた。
「なんでもいい……何か手段はないのか。どんなことでもいいんだ。マリィの心を取り戻したい」
キースはアレイラの燃えるような赤い瞳を見た。
するとアレイラは、ちょっと気まずそうに俯いた。
「それは……その……無いというかその……基本的には無いという……」
さっきまでスラスラと状況を説明していたのが、急にしどろもどろになる。
それをディアナは見逃さなかった。
「魔王様」
ディアナはアレイラを見上げて言った。
「結果だけがすべてとは申しません。魔王様のお心遣いは彼女の心に届いたことでしょう。しかしいま結果を求めるのであれば、まだ魔王様には、できることがあるのではないかと存じますわ」
「……なんでもする覚悟はある。方法があるのか?」
キースは沈痛な面持ちで、ディアナを見下ろした。
ディアナは変わらずアレイラの顔を見上げている。
アレイラは、露骨に顔を背けていた。
「少々お待ちください、聞き出します。アレイラ」
「な、なにっ!? 意味わからないんだけど!!」
「まだ何も言っていないわ」
薄暗い部屋で、ディアナの紫色の瞳が光を帯びた。
「彼女を助ける方法があるのでしょう?」
「そう聞かれると困るけど、その、基本的にはっていうか……ないっていうか……」
アレイラは人差し指をちょんちょん突き合わせながら、あちこちに視線を移して答える。
ディアナの瞳の光が増した。
「あるのでしょう?」
「ねえディアナ、怖い目するのやめようよー!」
「いいわ、身体に聞きましょう」
研究室の床に、紫色に光る雲が現われた。
そこからズズズズズ――と、ヌメヌメした触手を持つ魔物が――。
「わかった! わかったから! アルテーミアは帰らせて!!」
「聞き分けの良い子は好きよ」
ディアナが赤いくちびるで弧を描くと、魔物は再び雲の中に沈んでいった。
「で、方法というのは?」
「あのね……その……魔王様……」
アレイラは、言いづらそうに口を開いた。
「“いばらの三姉妹”っていう魔女たちがいるんです」
キースが頷くと、アレイラは続けた。
「トリストラム王国の、ある森の奥に、魔女の三姉妹が住んでるんです。お願いすればなんでも叶えてくれる、強力な魔女たちなんですけれど……」
アレイラは次々と、いばらの三姉妹のエピソードを語り始めた。
まずひとつ。
ある村を流行り病が襲った。
村の者が三姉妹に助けを乞うと、彼女たちはあっという間に疫病を追い払ってくれたという。
「心強い話じゃないか」
「それで終わらないんです!」
村から疫病はなくなった。
しかしその翌日、村の男たちはすべて消えていたという。
「タチの悪いおとぎ話みたいだな」
「こんなのもありますよ!」
あるところに貧しい貴族がいた。
あまりの困窮に追い詰められて、貴族は三姉妹に助けを求めた。
すると、領内の鉱山から莫大な量の金が出た。
貴族は喜んだが、その金山を巡って戦乱が起き、貴族はその中で家族をすべて失ったという。
「なんというか……必ずオチがあるんです! 性格悪いんです! 確かに三姉妹はなんでも解決できます! でも必ず良くないことが起こるんですよう!」
アレイラは、よほどその三姉妹を苦手としているらしい。
しかしキースとしては、藁をも掴みたい状況だ。
「会ってみる価値はあるな……」
キースは四天王とレネーに、次々と命令を下した。
「アレイラ、道案内を頼む。それとディアナだ。マリィを運ぶのに召喚獣を使いたい」
「わ……わかりました……」
「畏まりましたわ、魔王さま」
アレイラは口を尖らせてぺこりと頭を下げ、ディアナは優雅にスカートを広げて、爪先をトンと鳴らした。
「それと、これは別件になるが……」
キースは魔王だ。
今はマリィのことだけを考えていたいのだが、そういうわけにもいかない。
「大神官を倒してマリィを連れ帰ったことが、いま世界で問題になってる。各国の情勢は、完全に反魔王だ。特に新政権が統治するアシュトランじゃ、いつ革命が起こってもおかしくない。ヴィクトル、お前にはもういちどアシュトランに行ってもらいたい。今度はエラーダを連れてだ」
「畏まりました……」
ヴィクトルは帽子を押さえて一礼した。
クーデターを成功させた功績のあるヴィクトルだが、複雑な情勢の中にひとり放り込むのは不安が残る。
しかしエラーダがいれば、柔軟な対応が期待できるだろう。
「そしてギンロウ。この間のように、また魔王城に攻め込もうとする連中が出てくるかもしれない。お前には警備を頼みたい」
「仰せのままに」
ギンロウは、銀色の巨体を深くかがめた。
「レネー、君にはギンロウの補佐をお願いしたい。いざというときは氷精の力を借りることもあるだろう」
「わかりました、お任せください」
レネーは胸に手を当てて、こうべを垂れる。
「アレイラ、マリィを頼む」
「はい……」
アレイラはまだ不安そうにして、浮いたベッドの取っ手を握った。
7人は、薄暗い研究室を後にした。
「……マリィ、必ず助けるからな」
キースはベッドのマリィに話しかけるが、相変わらず反応はなく、そのベッドを押しているアレイラの顔色は優れない。
魔王城の外に出ると、ディアナは指をパチリと鳴らした。
地面に紫色の雲が現われ、ズズズズズ――と立派な馬車が現われる。
馬車といっても、荷台を引くのは巨大なオオカミだ。
アレイラが呪文を詠唱すると、黒々とした【ゲート】が開いた。
【ゲート】が通じるということは――やはりアレイラは“いばらの三姉妹”に会ったことがあるということだ。
「じゃあ、行こう」
キースはベッドからマリィを抱え上げて、馬車の中に座らせた。
アレイラが向かいに座り、ディアナは御者席だ。
ディアナが軽く手綱を引くと、オオカミは馬車を引き、【ゲート】の中へと吸い込まれていった。





