63話 レネー、魔王城へ
魔王城謁見の間。
キースは王座で、膝の上に指を組んでいた。
「ついてきちゃったか……」
ギンロウが答える。
「ええ、止めはしたのですが。強情にも」
ギンロウは横に目をやる。
その傍らで同じく膝をついているのは、氷精のレネーだ。
「この度は、我々一族を救ってくださったこと、心より感謝申し上げます」
レネーは顔を上げた。
その端正な顔に浮かぶのは、悲壮な決意だ。
「その御礼に参りました」
「お礼というと……」
「わが命です」
先代魔王が生け贄を求めて、ギンロウを北方に向かわせたことは聞いている。
氷精にとって魔王の存在は、先代の頃と何も変わっていないのだろう。
救いは、必ず代償を伴う。
レネーは心からそう信じている。
「なあ、レネー」
キースは王座から身を乗り出した。
「俺は君がやったことを、とても評価してる。自分の命も顧みず、仲間に追放されてまで、やるべきことをやり切った」
キースの心に浮かぶのは、盗賊として勇者パーティーで働いていたあの日々だ。
仲間に邪険に扱われながらも、キースは家族のために、黙々と自分の仕事をこなした。
マリィはいつも味方でいてくれたが、一方レネーはずっとひとりきりだった。
ひとりでキースたちと交渉し、追放され、そして待ち続けた。
「知恵も勇気もある君を、むざむざ生け贄にしてしまうのは心苦しい……と言ったら、魔王らしく聞こえるかな」
もう生け贄は取らないことにしたと言うよりも、レネーにはこういう言い方の方がしっくりくるに違いない。
「では魔王様は何をお望みなのでしょうか」
過去にギンロウを助けてもらった恩返しというだけでは、レネーはきっと納得しないのだろう。
彼女は何か身を捧げることを必要としている。
「そうだな……」
キースがおとがいに指を当てて考え込んでいるそのとき――。
「失礼いたします、魔王様」
入口の向こうから、ディアナの声が聞こえた。
「入ってくれ」
ディアナは謁見の間に入ると、王座の下で膝をついた。
「報告致します。オオカミの斥候が、敵の侵攻をキャッチしました。数はおよそ25000、聖騎士どもと武器を取った群衆の混成軍です」
「魔物を恐れずに来たか……マリィを取り返しに来たのか、それともあのオッサンがそれなりに慕われてたってことかな」
キースの言葉に、ディアナは顔を上げた。
「その魔物ですが、生け贄を取ることをやめたことで増産ができず、数を減らしています。このままでは敵が魔王城に到達する可能性が……」
ギンロウが言葉を継いだ。
「魔王様、ただちに徒の軍を編制、ンボーン砦での出撃準備を具申致します」
レネーの処遇は、先送りだ。
「まず状況が見たいな。アレイラ!」
『はいはーい!』
謁見の間に黒雲のような【ゲート】が現われ、そこからアレイラが飛び出してきた。
「御用でしょうか、魔王様!」
「いま領内に敵が入ってきてる。【スカウト】と【プロジェクション】で様子を見たい」
「畏まりましたー!」
アレイラが【スカウト】の呪文を詠唱すると、禍々しい杖に嵌め込まれた大きな目玉が飛び出した。
「どのような御用でございましょうか」
目玉の低い声が響く。
「魔王領のふもとに敵が来てるらしいから見てきてー!」
「御意」
コウモリのような翼をはためかせ、目玉は魔王城を出て行った。
そしてアレイラは続いて【プロジェクション】を発動させる。
魔法の松明の灯が消え、謁見の間の壁に、目玉の見ている光景が映し出された。
風景は荒地を抜け、草原を通り、深い森の遥か下へ――。
………………。
…………。
……。
聖騎士たちと、武装した群衆による混成軍は、通常では考えられないスピードで行軍していた。
宗教的支えであった聖女がさらわれ、信徒の主導者である大神官が殺害されたのだ。
もちろん大神官の悪行や、マリィの本心など知ろうはずもない。
彼らの怒りはすさまじかった。
駐屯所の衛兵たちが止めるのも聞かず、どんどん魔王領へ侵攻していく。
待ち構えているのは数々の魔物だ。
しかし彼らは怯まなかった。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
剣を持った民兵が、巨大な蛇に斬りかかる。
斬撃はウロコを軽く削ったが、蛇は怯みもしない。
久々の活きの良いエサを見つけて、蛇は巨大な身体で民兵に巻き付く。
「あが……ご……ぎいいい……」
メキメキと骨の砕ける音が聞こえる。
そこに向かって民兵たちは、槍で仲間ごと蛇を貫いた。
「よし!!」
勇者でもない彼らに、魔物を次々と倒すような力はない。
しかし魔物1体につき何人かを犠牲にすれば、先に進むことができる。
死んだ仲間は神の御許に召されるのだ。
それを恐れるものは、神を信じぬ不心得者だ。
多くの犠牲を出しながら、怒りの軍勢は突き進む。
軍勢の先頭は森を抜け、草原になだれ込んだ。
「………………?」
最初に気づいたのは誰だっただろうか。
少しひやりとした風が、空から吹き付けてくる――最初はそんな予感のようなものだ。
ひとりが鼻先に冷たさを感じた。
はらり、はらり。
――雪の結晶だ。
それらは次第に数を増していった。
兵たちは思わず空を見上げる。
――目に映ったのは、白い影だった。
「新手の魔物かッ!?」
「違うぞあれは……!!」
よく見ると人の形をしている。
その数は50を超えていた。
「なんだあれは!? 魔王の軍勢か!?」
「……それは解釈次第だ」
白い影の一団は、空で白い衣をたなびかせていた。
男の声が草原に響く。
「人間ども……命が惜しくば今すぐ引き返せ……」
「命を惜しむものなどここにはいないッ!!」
聖騎士が声を張り上げた。
「では致し方なし……」
白い影の軍勢が、一斉に手のひらを地上へ向ける。
冷風が吹き下ろしてくる、それを感じたその瞬間――。
「………………!」
兵たちの視界は真っ白に覆われた。
1メートル先も見えない猛吹雪だ。
「何が……何が起こってる……!?」
「本隊はどこだ……!?」
「足が動かない! 誰か! 誰かーッ!!」
「見えない! 何も見えないッ!!」
軍勢は大混乱に陥った。
いくら前に進む意志があっても、視界が奪われればどうしようもない。
さらに猛吹雪は、どんどん軍の体力を削っていく。
雪はいよいよ積もり、膝まで達した。
それもただの雪ではない。
まるで吸いつくように、身体から体温を奪っていく。
何も見えない中で、ドサリ、ドサリ、と仲間たちの倒れる音が微かに聞こえる。
聖騎士のヨロイは凍りつき、皮膚に張り付いた。
歩けば皮が剥がれ、血が流れて、それすらも凍りつく。
「貴様ら……ッ!!」
聖騎士が叫んだ。
「貴様ら……一体何者だ……ッ!!」
声は吹雪の中に吸い込まれる。
男の声は、風に乗って軍勢すべての耳に届いた。
「我らは氷を司る一族……魔王様のもとへ辿り着きたくば、我らが試練を越えてゆけ……」
軍勢に雪山を行軍する装備などない。
吹雪の中で散り散りになり、やがて凍え、動かなくなっていった。
「ほう、これは……」
男は、コウモリの羽を持つ目玉を、上空に発見した。
アレイラの【スカウト】だ。
「……これが、我ら氷精の答えにございます」
手のひらから大地に豪雪を吹き付けながら、氷精の長老は目玉に向けて言った。
「我ら氷精一同、魔王様に忠誠を誓い申し上げます。受けた御恩は必ずお返しするのが、我々の矜持でございます故」
その言葉ははっきりとキースたちのもとへ届いた。
「すさまじいな……」
一面銀色に染まった世界を見て、キースは目を丸くした。
「氷精が力を取り戻すと、これほどの力を発揮するのか。ギンロウが追い詰められたのも頷けるな」
「………………」
ギンロウは黙って深く頭を下げる。
「………………」
レネーは【プロジェクション】の映像を見ながら、密かに涙を流した。
一時は自分を追放してまで魔王をはねつけた仲間たちが、今は魔王城を守るために力を合わせている。
(やっぱり……やっぱり私は間違ってなかったんだ……)
アレイラの【プロジェクション】は、もはや氷精さえ見えないほどの吹雪を映している。
「レネー」
キースは王座から声をかけた。
「俺の望みはこれだよ。生け贄なんか要らないんだ。俺はただ、君たちの力を借りたい。魔王国を守るために」
「ありがとう……ございます……」
レネーの頬から零れ落ちた涙は、大理石の床に、きれいな結晶を作った。
映像は完全に白く染まり、もはや動く者はひとりもなくなった。
氷精たちが引き揚げていく。
「魔王様、氷精たちはこっちに向かってますよー!」
「わかった。ディアナ、彼らが到着したら代表者をここへ通してくれ。話がしたい」
「畏まりました。到着次第、連れて参りますわ」
アレイラの目玉が戻ってきてしばらくすると、謁見の間に長老とふたりの男女が通された。
3人は、王座の前で跪いた。
「ありがたい、本当に助かったよ」
キースは言った。
「しかしよく敵の侵攻がわかったな。それによく間に合ったもんだ。北方からはずいぶん距離があるはずだけど」
「風は我らが眼、我らが耳、我らが足、そして我らが牙……遠方の敵を察知し、迎撃することにかけて我らを凌ぐ種族はおりますまい」
「どうして先代魔王が、あれほど君たちを欲しがったのかがわかったよ」
長老は深くこうべを垂れた。
「魔王様、すべての氷精を救ってくださった恩義に応え、我々一族は魔王様に恭順することを誓います……ただ」
長老は、ちらりとレネーに目をやった。
「レネーは一族より追放した者でございます」
レネーはそれを聞いて俯いた。
魔王が氷精を救ったからといって、一族追放が解けたわけではないのだ。
もはや氷精一族のひとりではない。
里から追い出されたときに受け入れたつもりだったが、それでもレネーも胸は痛んだ。
「それ故……」
長老は顔を上げた。
「それ故、生け贄を取ることがあらば、レネーを除く他の者にしていただけるよう、切にお願い申し上げます」
長老は床にひたいをすりつけんばかりに、頭を下げる。
「私は愚か者でございます。レネーは一族のために、そのすべてを賭け、すべてを捧げました。それを私は……」
キースは高い王座の上から、長老の言葉を黙って聞いていた。
レネーは微かに笑みを浮かべ、ゆっくりと首を振る。
「氷精の一族として当然のことをしたまでです」
そこでギンロウが言った。
「魔王様、提案がございます。先ほどご覧になられたように、氷精の力は非常に有用です」
そして再びレネーに目を向ける。
「その上レネーは、固陋に囚われぬ冷静な判断力と、判断を実行に移すだけの行動力があります。そして、この女の処遇は未だ決まっておりませぬ」
ギンロウは顔を上げた。
キースはその水銀のような目を見つめ返す。
「何か言いたいことがあるんだな、ギンロウ」
「はい。この女を魔王城へ迎えるべきかと具申いたします」
「………………!」
レネーはアクアマリンの目を見開いた。
ギンロウは続ける。
「一時は生け贄となる覚悟さえした者です。必ずや魔王様のお役に立つかと存じます」
「確かにそうだが……それはレネー次第だ。それに温暖な地域に長くいるのは彼女にとって毒なんじゃ……」
「はいはい魔王様ー! 私とっても寒い部屋作れますよー! そこで寝れば、氷精の身体に問題は起きないはずです!」
アレイラは黒魔導士だ。
各種族の生態について深い知識を持っている。
彼女に任せておけば問題はないだろう。
「……ということだ、レネー。俺としては、君を歓迎するつもりでいる。あとは君次第だ」
「はい」
レネーは胸に手を当てた。
「拝命、心よりお受け致します」
キースはレネーに笑顔を向ける。
「顔を上げてくれ。今日から君は俺たちの仲間だ。よろしくな」
「こちらこそ、よろしくお願い申し上げます」
レネーの表情に、不安はない。
わずかに弧を描く桃色のくちびるには、新しい生活への期待さえ感じられる。
こうしてレネーは、魔王城に住むことが決まった。
長老たちは再び深く頭を下げた。
キースも礼を返す。
また氷精の力を借りることもあるだろう。
「それではレネーを……よろしくお願い申し上げます」
長老はそう言葉を残して、去って行った。
「……アレイラ」
「はい魔王様! レネーちゃんのお部屋造りですか?」
「それも頼みたいんだが、その前に聞きたいことがある」
キースはアレイラの燃えるような赤い瞳を見た。
「マリィの容態についてだ」





