34話 怪盗魔王、帝国軍を殲滅する
ンボーンの背中に建設された砦から、エルフが一斉に弓を放つ。
敵の弓隊からも、お返しとばかりに矢が飛んでくるが、砦の存在、そしてその高低差は圧倒的な戦力の違いとして表われる。
平野から放たれる矢は、城壁を叩き、虚空を飛び去る。
それに対して、エルフの矢は確実に敵歩兵を射貫いていった。
その横に立ち、戦場を眺めるのはアレイラだ。
「人間がどんどん死んでいくわ! 素敵! よーし私も行くぞー!」
赤い瞳は、戦場を前にしてらんらんと輝いていた。
アレイラは杖を掲げ、呪文の詠唱を始める。
「闇を纏いし連綿の、継ぎに継ぎたる時の業、空を覆いて陽を閉じよ、その孕めるは裁きの胎……」
にわかに暗雲が立ちこめ、帝国軍の上空を覆う。
「なんだ……空が……!?」
「太陽が消えた……!」
帝国軍のどよめきは、砦まで届いてくる。
しかしエルフの矢も、アレイラの詠唱も止まらない。
「空裂き地を灼け……【ライトニングボルト】!」
ダカァーン――!
耳をつんざく轟音とともに、無数のイナズマが帝国軍めがけて閃いた。
悲鳴が上がるのは、焼き焦げた仲間の死体を目の当たりにしてからだ。
大地からは煙が上がり、暗雲と混ざり合う。
そして第2の雷鳴。
ダカァーン――!
帝国軍の兵たちは、煙を上げてくずおれる仲間の死体をすり抜けて、力の限りに走る。
走る――彼らはもはや走るしかなかった。
「あっはー! 人間の焼ける臭いがここまで昇ってくる! テンション上がるぅ!」
アレイラは、飛び跳ねて喜んでいる。
一方、キースは砦の最上階から戦場を見下ろしていた。
「ンボーン! 少しずつ右に曲がって進め!」
ンボオオオオオオオオオオン……
ンボーンはキースの指示に従って、ゆっくりと向きを変える。
エルフの矢とアレイラの雷に追われ、帝国軍の兵はカレブの町の側面に回り込んだ。
大隊長が叫ぶ。
「このまま町に入れ! 混戦になればあの砦も手出しできまい!」
兵たちは町に入り、石畳の道をひた走る。
その先に見えるのは、盾と槍の輝き――金属の光だ。
トリストラム王国兵ではない。
しかしこちらに槍を向けている以上、敵兵であることに間違いはなかった。
「突っ込めーッ!!」
砦からの攻撃で混乱しているといえども、帝国軍は訓練された精強な兵。
たちまち隊列を整えて、待ち受ける敵兵へと突っ込んでいった。
「…………!?」
異形の敵影――。
恐ろしく背が高い兵の下に、子供ほどの背丈の兵。
「おい見ろ……あれは人間じゃないッ!!」
オークとドワーフ――その2種族が構成する密集陣形は上下2段!
ただでも人間を超える力を持つとされる2種族は、キースが新たに生み出した絶対不動の体勢で待ち受けていた。
陣を組んで走り出した歩兵は止まることができない。
帝国軍と魔王軍は、真正面から衝突した!
ダガァン!
金属製の盾と盾とがぶつかり合い、火花を散らす。
両者の雄叫びが町中に響いた。
「うおおおおおおおおおっ!!」
帝国軍の持つ巨大な盾といえども、足もとには隙がある。
露出した兵の足首を、ドワーフのたちの斧が一斉に叩き斬った。
「ぐああっ!!」
そこの隙を逃さず、オークの後ろに控えていたトリストラム王国軍の槍が、帝国兵の胸を突き刺す。
「ぎゃあっ!!」
「がっっ!!」
「引くな……引くなぁッ!!」
さらにエルフの弓兵は町にもいる。
町の弓兵たちを指揮しているのはフィオーレ――魔王とともに夜を過ごした胆力を買われての抜擢だ。
「放てぇっ!!」
シュドカカカカカカカカカッ
その矢は後ろに控える兵を次々と射貫いていった。
帝国軍は総崩れとなり、とうとう敗走が始まった。
「撃ち方やめ!」
「騎兵隊!! 追撃を始めよ!!」
魔王軍総司令官、ギンロウの大音声が響き渡る。
騎兵――当然、ただの騎兵ではない。
ディアナが召喚したオオカミに乗ったコボルドたちだ。
「追い込め追い込め! お仕事のお時間だぜ!!」
「「ウォロロロロロロロロロロロロ!!」」
ときの声を上げながら、槍や弓を持ったコボルドは前傾姿勢でオオカミを駆る。
敗走する背中が、次々と屠られる。
「相手は騎兵だ! 森に向かえ!!」
敗走中とはいえ、まだ数の上では帝国軍が勝っている。
大隊長は、森に逃げ込んで隊列を組み直せば、まだ勝機は見えると踏んだ。
司令官に伝令を送る隙も作ることができるだろう。
帝国軍は必死に走って、薄暗い森の中へと入っていった。
コボルドたちは深追いをせず、早々にオオカミを止める。
「よーっし、ここで待機だ!!」
森の中へ騎兵で突入するような無茶は、キースから厳しく禁じられていた。
――つまり、ここまで完全にキースのもくろみ通りに進んでいるということだ。
「各中隊長、隊列を整えさせろ!」
再び町に突入するために、帝国軍は再び形を取り戻そうとしていた。
森のあちこちで光る目に、気づくものはだれもいなかった。
「伝令! 司令官への報告だ! いいか……」
大隊長が指令を伝えようとしたその瞬間――。
ズザザザザザザザザザザザザザ
小さな影が、一斉に立ち上がった。
「イヒヒヒヒヒヒヒヒ……」
「ケケケケケケケ……」
「ギュフフフフフ……」
この森の中に、どうしてこれだけの数が隠れていられたのだろう。
深い闇の奥に光る無数の目――。
「なんだ……!?」
「何かがいるぞ……ッ!?」
一斉に立ち上がった緑色の影。
その数と隠密性を有利とする種族――ゴブリンの群れだった。
「なんでこんな所にゴブリンが!?」
「どうなってやがる!?」
「奴ら武装してるぞッ!!」
キースはゴブリンを、金属製のヨロイで武装させ、短槍を持った散兵とした。
帝国軍は防御態勢に入ろうとするが、隊列を整えようと移動中だった兵に充分な時間はなかった。
「イヒヒ……かかれえッ! 皆殺しッ!」
「「ギキィイイイイイイイイイイイイイイイ!!」」
あとはもう、一方的な殺戮が繰り広げられた。
金属製の武器を持たされた上に、キースから“知性”を与えられ、厳しい訓練を受けてきた者どもだ。
それに、深い森の中で、ゴブリンのように縦横無尽に動ける種族は存在しない。
命からがら森から逃げ出した兵たちも、待ち受けているコボルド騎兵にとどめを刺された。
そこからどうにか逃げ出したのは、伝令の1騎だけだった。
………………。
…………。
……。
大隊で一気に押し潰す作戦だったので、本陣に残るのは2000人程度。
その半分は天幕で待機している。
そこに、ふらりとひとつの人影が現われた。
「敵の使者か?」
「いや……騎乗してないぞ。なんだあいつは?」
たったひとりの人間が、馬にも乗らずゆっくりと歩いてくる。
戦場にあっては、不気味な光景だ。
「お前、確認してこい」
「はっ」
命令を受けた騎兵は、人影に向かって走った。
「なんだお前は? ここは戦場だ。一刻も早く離れ……」
馬上からそう言いかけて、兵は固まった。
男の頭にある2本のツノ。
はためく黒いマントに片眼鏡。
「まさか貴様は……魔」
最後まで言い切ることはできなかった。
キースの手のひらが、兵の片足に触れたからだ。
「ぐあ……がああ……ッ!!」
すべてのスキルとステータス、そして“意識”を盗まれ、兵は気を失い落馬した。
それを目の当たりにした、部隊長の判断は素早かった。
「囲め、全員で囲め!! 相手は人間じゃないッ!!」
1000人の部隊がキースを包囲し、さらに待機していた1000人が、おっとり刀で駆けつける。
「なんだ……何があった?」
騒ぎを聞きつけて、司令官デュッセルも天幕から出てきた。
「司令官、魔王です! 魔王が単騎で現われました!!」
「なんだと……!?」
次から次へとやってくる予想外の報告に、司令官デュッセルは顔を青くした。
「ええい! 相手はひとりだ、全員でかかれば魔王と言えど……」
そのとき、怪盗魔王の声が朗々と平原に響き渡った。
「今すぐこの軍を統べる長を差し出せば、ここにいる全員を生きて帰す!!」
キースは手を広げて叫んだ。
「それができないならば、ひとり残らず! 命の覚悟をしてもらう!!」
「たったひとりに何ができる! かかれぇッ!!」
司令官デュッセルの号令とともに、2000の兵がキースひとりに向かって押し寄せた。
先頭の兵の槍が、キースに突き刺さる――かと思われた。
バキィン
槍の穂先は、まるで岩を突いたようにへし折れた。
「な……!?」
無数の兵の“防御力”を盗んできたキースの身体は、もはや鉄塊に等しかった。
「素直に言うことを聞けないらしいな……」
キースは地面に手のひらを当てた。
【確信の片眼鏡】に映る情報は、膨大なものになっている。
そのひとつを――盗んだ。
「………………!?」
2000の軍隊が、歩みを止めた。
軍は――徐々に宙に浮き始めた。
とっさに岩にしがみついた兵士は、岩ごと浮かび上がった。
木の枝に引っかかった兵士は、根元から引き抜かれた木と一緒に空へ舞い上がる。
「なんだ……!?」
「何が起こってるッ!?」
「盗んだんだよ……“重力”をな……」
威力は、アレイラの魔法【グラヴィティ】の比ではない。
キースの足もとだけを残して、平野一帯から重力が失われていた。
本陣の天幕が空に浮く。
地面には何ひとつ残っていない。
「リリース……」
キースが呟いた瞬間、空高くにある全てのものが、いちどきに落下した。
ズドォン!
地面に衝突した衝撃で、2000の悲鳴が響き渡る。
「ぐあっ!!」
「げふっ!!」
「がぁっ!!」
兵の半数が死に、もう半数は半死半生でヒュウヒュウと息をついていた。
――立てる者など、誰ひとりいない。
キースはその中を、悠々と歩いた。
生き残った者からは、スキルとステータスを片っ端から盗んでいく。
そうして最後に、口の端から血を流している司令官デュッセルの前で足を止めた。
「判断ミスだったな。状況がわかっていれば、連中は死なずに済んだ……」
キースの口調は、どこか自分に言い聞かせるような調子を帯びている。
その力、その異様を目の当たりにした司令官デュッセルは、とうとう気を失った。
………………。
…………。
……。
第15師団の全滅と、魔王軍による司令官デュッセルの捕縛は、ただちにアシュトラン帝国皇帝へと伝えられた。
玉座に座る皇帝の、神経質そうな顔に脂汗が流れた。
「それは……まことか……?」
あり得ない――アシュトランの兵が、それも一個師団が、トリストラム相手に敗れるなどということは。
決して、あってはならないことだった。
「帰投した兵はございません……司令官が捕虜となったことは、敵方からの通達でございます……」
「わかった……下がれ……」
伝令を下がらせると、皇帝は汗ばんだ手が真っ白になるほどに、王杖を握りしめた。
「魔王……化け物どもめ……ッ!!」
いま皇帝が恐怖しているのは、遠く離れた地での合戦のことだ。
この男はまだ知らない――そののど元に伸びている刃のことを。





