25話 アレイラ、暗殺者を拷問する
ラデン公国の抜け道をマッピングしながら、ついに暗殺者の3人は魔王国領のふもとへとたどり着いた。
この先は人間の領域ではない――。
アビゲイル、エラーダ、ゼルキンの3人は、神経を尖らせながら慎重に、しかし迅速に足を運んだ。
「………………」
森の中に入って、しばらく進む。
コォン……コォン……と遠くから響く物音に、アビゲイルは足を止めた。
「エラーダ、偵察だ」
「了解」
エラーダは猫のように身体をしならせて、深い森を音もなく進む。
しばらく待つと、アビゲイルの元へ戻ってきた。
「エルフが砦を建設しております。ドワーフ、オークの姿もありました」
エラーダは、彼らが歌っていたアルドベルグ盗賊団とやらの歌が気になっていたが、これは報告するようなことではない。
「ドワーフとエルフは敵対関係にあったはず……奇妙なことだ」
2つの種族の間を取り持ったのは、知性に目覚めたオークだ。
それが石工技術に優れたドワーフとエルフとの共同作業を可能としているのだが、そんなことをアビゲイルが知るよしもない。
「なんにせよ、迂回するしかあるまい」
魔王城までの地図というのは、きわめて古いものしか現存していない。
アビゲイルはその写しを広げた。
「かなり地形が悪いが、このルートを取るしかないだろう……」
勇者パーティーは、夜にひときわ輝く星の導きで旅を進める。
だから勇者パーティーにマッパーは必要なかった――この暗殺部隊と違う点のひとつだ。
暗殺部隊は、星と太陽を用いた測量を繰り返しながら少しずつ進んでいく。
旅は長きに渡った。
砦を建設していたのはエルフばかりではない。
ドワーフの村はもちろんのこと、コボルドにゴブリンさえも、その建設に取り掛かっていた。
(まるで我々のような存在を予期していたかのようだ……気味の悪い話だ)
相手は魔王だ。
敵を察知するためのどんな手段を持っているかもわからない。
部下には聞かせられないが、アビゲイルはそんなことを考えた。
峻険な崖を上り、深い森の中で魔物から身を隠し、不毛の岩場を抜けて――。
アシュトラン帝国第13軍団、暗殺部隊はとうとう魔王城のふもとへとたどり着いた。
「やはり砦があるな……あれはもう完成している」
高い塔を持った砦が、正面からの侵入を阻んでいる。
地形の不利を殺す、絶妙な位置に建てられていた。
「私とゼルキンが先行する。私は西から、ゼルキンは東から侵入しろ。エラーダ、異常があれば鳥笛で知らせろ」
鳥笛はその名の通り、捻ると鳥そっくりの音を出すおもちゃのようなものだ。
しかし野鳥の歌とその音色を聞き分けられるのは、訓練された暗殺者ぐらいのものだろう。
「了解」
「……了解」
ゼルキンはニヤリと笑った。
退屈な長旅から解放されて、ようやく本業の“殺し”に専念できる。
鍛え上げられた、たくましい腕に思わず力が入る。
ゼルキンは殺人が好きだ。
第13軍団にスカウトされる以前にも、楽しみのために殺してきた人間は数知れない。
暗殺者はゼルキンの天職だった。
最優先は魔王の暗殺。
そのためには無辜の民を殺すことすら許される。
しかし魔族の巣窟である以上、そういう気軽に殺せる相手がいないだろうというのは、残念なところだ。
岩場の陰から陰へと、ゼルキンは姿勢を低くして疾走した。
確実に砦から見えないルートを取りながら、魔王城へと近づいていく。
そうしてついに、異形の黒い城までやってきた。
外壁のいびつな柱に隠れ、徐々に入口へと近づいていく。
人の気配がないことを確認すると、ゼルキンは開かれた扉からエントランスへと侵入した。
(人間の城と較べて随分ウェルカムだな……それだけ自信があるのか、傲岸不遜の表れか……)
城の中を進んでいくと、どこからか鼻歌が聴こえてきた。
女だ。
「ふんふ~ん、ふんふん、アルドベルグ盗賊団♪」
どこかで聞いた気がする歌だが、そんなことを気にしている場合ではない。
柱の陰から覗いてみると、杖を持った女が歩いていた。
(魔術師か……見たところ人間にしか見えないが……しかしいいケツしてやがる)
ぴったりとした紫のドレスが描くなまめかしい曲線を見て、ゼルキンは舌なめずりをした。
(殺してから“楽しむ”のも悪くはないかもしれねえな)
そんなことを思いつつ、ダガーを腰から抜く。
暗殺とは一瞬で終わるもの――痛みを感じる暇もない。
(あばよ、エロい姉ちゃん……)
ゼルキン音もなく、女の背後へと飛びかかった。
鋭く砥がれたダガーが閃く。
その瞬間――。
カツッ
空気を裂いて振り下ろされた刃は、女が後ろ手に持った杖に阻まれた。
杖に嵌め込まれた巨大な眼球が、ゼルキンを見つめている。
「な…………!」
ゼルキンは思わず後ずさった。
「……久しぶりの、お客さんみたいだね~」
女はゆっくりと振り向いた。
赤い瞳の輝く、見たこともないほど美しい女だった。
「ボク? 今お姉さんを殺そうとしたよね?」
明らかに自分より年下の女にそう呼ばれて、ゼルキンのこめかみがぴくりと動いた。
もちろん、冷静さを欠くほどのことではない。
魔術師を相手にするには、呪文を詠唱させないこと――つまり即座の連撃!
ゼルキンは再び跳躍し、ダガーを振るった。
「ほらー、やっぱり殺そうとしてるー!」
女は愉快そうに杖を振るい、ダガーを弾き返す。
その笑顔には、一切の隙がない。
「じゃあ、ちょっと試してみようかな……【フリーズ】」
女がそう呟いた瞬間、ゼルキンはその場から一歩も動けなくなった。
筋肉がいうことをきかない。
指先を曲げることすら叶わなかった。
「へえ、低級魔法への耐性もないのかー。ということは勇者様ご一行じゃないわけね」
女のくちびるが、にいっと広がった。
「いいおもちゃ見つけちゃった」
女はゼルキンのあごを軽くなでた。
「私はアレイラクォリエータ、よろしくね。アレイラでいいよ!」
あごに触れられた途端、ゼルキンの口だけは動くようになった。
すべては自分の慢心が招いた事態だ。
――もう覚悟はできている。
「……殺せ」
「えー、簡単には殺さないよー、もったいない!」
アレイラはそう言って、盛り上がった筋肉をピタピタと触った。
「いろいろ、試してみたいじゃない? あとジンモン? とかもたぶんしないといけないし」
「……俺が何かを喋ると思ったら大間違いだぞ」
ゼルキンにも、暗殺者としての覚悟がある。
「いやいや喋ってるじゃん! ……【バルーン】」
女がそう唱えると、 ゼルキンの腹が少しずつ膨らみ始めた。
「………………!!」
少しずつ、少しずつ。
しかし確実に膨らんでいく。
吐き気が込み上げてくる。
最期の姿が、脳裏に浮かぶ。
冷や汗が止まらない。
ただ殺されるのではないのだ。
――ただの拷問ではない。
「このまま膨らみ続けたらどうなるかはわかるよね? 個人的にはそういうの見るの大好きなんだけど……一応聞くね」
女はゼルキンの頬を両手で挟んだ。
「ボクはどこから来たのかな~?」
「………………」
「あ、黙っちゃうんだ……【バルーンレベル2】」
「………………!!」
身体の膨張が一気に加速した。
鍛え上げ、絞られた身体が、まるでボールのように膨らんでいく。
「ま、まっへくえ、言う、言う!!」
ゼルキンのこめかみから、滝のような汗が流れる。
口から舌が飛び出してくる。
ゼルキンは優れた暗殺者だ。
拷問に耐える訓練は受けている。
しかし、こんな目に遭うなんて、誰が予想できただろう。
プロとしての矜持を、魔術師への恐怖が塗りつぶしていく。
「……しゃべう……ふべて、ふべてしゃべう!」
ゼルキンの心は、とうとう折れた。
――しかし。
「えー、なんかもういいや。見てる方が楽しくなってきちゃった」
絶望がゼルキンを襲った。
この女は――楽しんでいるだけだ。
最初から、本気で何かを聞き出そうなんて思ってやしなかった。
ただ、殺人を楽しんでいる。
ゼルキンのようにではない――じわりじわりと人が死んでいくのを楽しんでいる。
「いやら……いや……死にたくなひ……」
「がんばれ♪ がんばれ♪」
アレイラが手を叩くたびに、ゼルキンの身体はどんどん膨らんでいく。
皮膚に血管が浮かび上がる。
ブチブチと、体内で何かが千切れる音が聞こえてくる。
どんどん涙がこぼれてきた。
今まで殺してきた人間の顔が頭に浮かんでくる。
――死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない!!
「なんでもふう! らんでもふう! らかあ、たふけへ! らんれも!」
「なんでもしてくれるんだ……」
アレイラは、白い歯を見せて笑った。
赤い瞳がらんらんと輝いている。
「じゃあ最高の死にざま、お姉さんに見せて?」
――視界が真っ暗になった。
真っ暗な世界で、身体とともに恐怖が膨らんでいく。
「ひにたくなひ……!」
「じゃあ、カウントダウンするよー♪」
嬉しそうにリズムよく手を叩きながら、アレイラは言った。
「はーい、5……4……3……2……」
ゼルキンの身体は、もう球体に近かった。
「た……たひゅけて……」
「ぜーろ♪」
パンッ
ゼルキンは血と内臓をまき散らし、暗殺者としての生涯を終えた。
「やっぱりジンモンした方が良かったかなー、まあいっか! 楽しかったし!」
一方、ゼルキンの悲惨な死のことなど知るよしもないアビゲイルは、魔王城に侵入するために険しい崖を登っていた。
――その先に待ち受ける運命も知らずに。





