6.「つまり、ちゃんと口止めしとかないと、だな」
レイラがはじめてアルベールを拒絶した、数日後。
「で、マジで来なくなるんだもんなー。びっくりだわ」
ダミアンはそう言いながら頭の後ろで手を組んだ。二人がいるのは学園の校庭。基礎魔法学の実習中なので周りは騒がしく、二人の私語を聞いている者は誰一人としていなかった。
あれから、アルベールはレイラの前に姿を現さなくなった。数日前まではアルベールがレイラの寮の前まで迎えに来て、一緒に登校し、昼食も一緒に食べて、またアルベールが教室まで迎えに来て、一緒に下校するというのが一日の流れだった。しかし今は、朝も迎えに来ないし、昼も一緒に食べない。下校するときだって彼はレイラの教室に顔を出さなくなった。
(これでバッドエンドから逃れられたんだから、喜んで良いはずなのに……)
なのに、レイラの胸の中には妙なモヤモヤが残っていた。そのモヤモヤの原因はわからない。寂しいわけではないのだが、なんだか妙な喪失感があるのだ。それに、彼の最後の表情も気になった。
ダミアンと二人一組になったレイラは人差し指と親指でつまんだ杖を軽く振って、己の属性のマナを収束させる。レイラの属性は水だ。神経を研ぎ澄ませると、目の前に小さな水の玉が現われる。ダミアンの前にもこぶし大の炎の玉が現われていた。レイラの者よりもずいぶんと大きい。
「ま、でもあれはアルベールの自業自得だわな」
「ダミアンも見てたんだね」
「まぁ、それなりに騒ぎになってたしな。俺が見たのは、もうお前がアルベールに助けてもらった後だったけど」
レイラは黙ったまま実習を続ける。数日前の騒ぎは、結構な人数が目撃していたのにもかかわらず、レイラのことを批判する人間はほとんどいなかった。いつも不遜な態度を取っているアルベールが痛い目を見て喜んでいる生徒もいたし、ダミアンと同じように今回のことはアルベールが悪いと考えている生徒が多かったからだ。
(でも……)
「でも、お前もあそこまで怒ることはなかったんじゃないか?」
レイラの心を掬ったようにダミアンがそう口を開いた。顔を上げると、彼はレイラの心をそのままを口にする。
「アルベールが男子生徒を助けなかったのは確かに悪いけどさ。元を正せば、レイラが足を滑らせたのがいけないんだろ? お前の話を聞くに、男子生徒だってお前が巻き添えにしたみたいだし。自分だけ助けてもらって罪悪感があるのはわかるけど、あんまり他人を責めすぎるなよな」
「……ダミアンって、厳しいね」
「お前だって、心の底では同じようなこと思ってるんだろ? だから俺も言ってんだ」
彼はそこで言葉を切ると、レイラから視線を外す。
「俺だって、むやみやたらに嫌われたいわけじゃねぇからな」
「ダミアン……」
ダミアンの言葉にレイラは感動したような声を出した。彼に信用されているという事実に、胸がジンと熱くなる。
「レイラ! レイラ・ド・ブリュネ!」
その時、レイラの背中に基礎魔法学を教えているエマニュエル先生の声が突き刺さる。エマニュエル先生は背中に一本芯が入っているような女性の先生だ。確か、年齢は七十を越えているはずだが、彼女の見た目は常に若々しく、醸し出す覇気は若い人にも引けを取らない。真っ白い髪の毛は常にワックスで整えられていて、背筋は常に伸びている。纏っている黒いローブにはシミ一つなかった。
「貴女に私語をしている時間があると思っているんですか? 基礎魔法学、座学は問題ありませんが、貴方の実習の成績はこのクラスでも一番悪いですよ? 私語をしている暇があったら、もうちょっと真剣に取り組みなさい」
「はい! すみません」
レイラが背筋を伸ばしながらそう返事をすると、エマニュエル先生はフンと鼻を鳴らしレイラに背を向けた。そして他の生徒の指導をはじめる。
そんな彼女の背中を見届けて、ダミアンはレイラに声を潜ませた。
「お前、気をつけろよ。エマニュエル先生に目をつけられてんぞ?」
「あはは……。気をつける」
レイラが苦笑いでそう言うと、ダミアンは片眉を上げた。
「とにかく! お前はもう一度、アルベールと話し合ってみろよ。……誰もお前のそんな顔、見たいわけじゃないからさ」
その言葉にレイラは繕っていた表情までも、ダミアンに悟られていたことを知った。
..◆◇◆
レイラが動いたのは、その日の放課後のことだった。ダミアンに事情を話し、一人でアルベールのことを探しに出たは良いものの、食堂にも、教室にも、お昼に使っているいつものベンチにも、彼の姿はなかった。同じ学年の人にも聞いてはみたのだが、「知らないなぁ」「わからないなぁ」がくり返されるばっかりで、特に情報という情報は得られなかった。
「アルベールって、普段どこにいるんだろ」
校舎を探し終わったレイラは、今度は校庭を歩きながらそうぼやく。今まではアルベールから会いに来てくれたのでレイラが彼を探すということはなかった。だからいざアルベールを探すとなると、どこをどう探せば良いのかわからないのだ。こうして考えてみると、レイラはアルベールのことをほとんど何も知らないのだと実感させられる。
(アルベールはどうやって私のことを探していたのかな。……ってか、私は彼にあったら何を言うつもりなんだろ)
謝るのは違う気がするし、だからといって、これ以上責め立てる気も全くない。仲直りしたいのかと自分の心に探りを入れてみたけれど、やっぱり答えが出ずに、だけどそれが一番近い感情のような気もしている。
でも、このままアルベールが諦めてくれた方がレイラ的には都合が良いはずなのだ。まだ来てもいない未来に怯えることもない上に、彼のヤンデレを直す必要もなくなる。昼休みに恥ずかしい想いをしなくても良いし、あんなに歯の浮くような台詞を言われなくても済む。あんなにデロデロに甘やかされたら人間的に駄目になってしまうと正直心配していたのだ。
心配、していたんだ。
(未練があるの、かな……)
好きになったというのは、おそらくない。悪くないなと思っていたし、彼の顔面にやられぎみだったのも確かだが、そこにはまだ恋愛感情というものは生まれてなかった。
まだ。そう、まだ。
その時だ。視界の端に見知った人が映った。しかし、それはアルベールではない。階段から転落した時に、巻き添えにしてしまったあの男子生徒だった。保健室に連れて行ってから会うのを拒絶されていたので、あれからどうなったのか気になっていたのだ。風の噂では大した怪我もなくすぐに回復したと聞いていたのだが、本当だろうか。
レイラは慌てて彼の背中を追った。男子生徒は校舎裏につながる狭い道を入っていき、少しだけ開けた場所で足を止めた。レイラは彼に声をかけようと細い道から身体を躍らせようとしたのだが――
「ピエールじゃん! お疲れー」
「身体の調子はどんな感じ?」
その言葉で彼以外の誰かがその場にいると知り、レイラは再び身を隠した。 そしてそのままの状態で彼らの会話を聞いてしまう。
「平気だよ。落ちた時は痛かったけど、大して変な所打たなかったしな」
「マジで今回は散々だったよなー」
「ホント、ホント!」
彼らの話題はレイラが巻き込んでしまった階段転落事故のようだった。ピエールと呼ばれた彼は、ガタイが大きい男子生徒と少し浮かれた雰囲気のある女子生徒の二人と会話をしている。おそらく、ここが彼らのたまり場になっているのだろう。
「でもまさか、お前が巻き込まれるとはなー。あのときは焦ったわ」
「マジで! ルイーズの頼みだから受けたけどさ。階段から落ちた時はさすがにちょっと後悔したわ」
「ありがとね、ピエール。すごくすっきりしちゃった! マチューもフォローありがと!」
「ま、ルイーズの頼みなら女一人を階段から突き落とすのなんて造作もないしな!」
「そうだな! また何かあったら言ってくれよ!」
(え?)
「途中まではうまくいってたんだけどなー」
「そうそう。風と水の魔法で足を滑らしたところまでは良かったんだけど、まさかアイツが袖を掴んでくるとは思わなくてさー。正直バレたんだと思って焦ったわ」
「結果的には落ちなかったけど。ま、アルベール様と喧嘩したみたいだし、作戦としては成功よね」
(はああぁぁぁぁ!?)
レイラは唇から溢れそうになる叫び声を手で押さえて飲み込んだ。この話が本当だとすると、レイラを落とそうとした犯人はレイラが巻き込んでしまったあの男子生徒、ピエールということになってしまう。ついでに言うならマチューというあの大柄の生徒も犯人だ。
その時、レイラの脳内にアルベールとのやりとりが蘇ってきた。あれは確か、レイラが階段から落ちたピエールに駆け寄ろうとしたときだった。
『レイラ、行かないで』
『どうして?』
『僕が近づいてほしくないから』
もしかしてあれは嫉妬などではなく、ピエールがレイラを落とした犯人だから近寄るなと言いたかったのだろうか。
(でもそれなら、言ってくれれば……)
「あの子、新入生だってのにアルベール様の側をうろちょろして、生意気だったのよね。別に可愛くもないし、何が出来るってわけじゃないのにさー」
「しかもアイツ、噂の特待生だろ? 学費免除の。まったく、貧乏人がうちの学園に来るなって話だよなー」
「でも聞いたか? アイツ特待生のくせに――」
レイラの悪口で彼らの会話にわっと花が咲く。それを聞きながら、レイラはアルベールが自分に何も言わなかった理由を知った気がした。きっとアルベールは彼らのこんな会話をレイラに聞かせたくなかったのだ。自分が嫌われているかもしれないなんて、そんなの聞いても傷つくだけである。
(アルベールに謝らないと!)
驚くほど素直に、なんの抵抗もなくそう思えた。レイラはその場から踵を返し、再びアルベールを探しに行こうとする。しかし、急いだ気持ちがいけなかったのか、レイラはその場にあった金属製のバケツを思いっきり蹴ってしまう。
響き渡る金属音。バケツの側に置いてあった数本の箒も同時に倒れて、更にその場の空気を揺らした。
「ん。誰かいるのか? ――って、お前っ!」
背中にそんな声が突き刺さる。振り返れば、ピエールたちが彼女を見て固まっていた。レイラは思わずその場から逃げ出してしまう。
「おい、待て!」
ピエールが胸のポケットに挿していた杖を振る。その瞬間、目の前にレイラの身長の高さほどの壁が現われた。レイラは目の前に突然現われた土の壁に驚き、その場に尻餅をついてしまう。
「おい、お前どうするんだよ。アルベールから、この女には近寄るな、って釘刺されてるんだろ? このまま逃がしたほうが良いんじゃないか?」
「でもこのままじゃ、俺たちだけじゃなくてルイーズが関わってたことが知られちまうだろ?」
「それは確かに……」
マチューも胸ポケットから杖を取り出す。そして、ピエールとともにレイラににじり寄ってきた。レイラは地面に尻をつけたまま、ズリズリと彼らから後ずさる。
「つまり、ちゃんと口止めしとかないと、だな」
「そういうこと」
「二人ともがんばってー」
彼らのやりとりを聞きながらレイラは全身から冷や汗を噴き出させる。胸についている校章を見る限り、彼らは二年生だ。まだ魔法の基礎の基礎しか習っていないレイラが太刀打ちできる相手ではない。
レイラはその場から立ち上がると、背を向けて走り出した。このままでは何をされるかわかったものじゃない。とりあえず人目があるところまで逃げれば彼らも無体なことはしないはずだ。そう思い、小道から飛び出そうとしたのだが――
「――っ!」
一瞬にして現われた炎がレイラの行く手を遮った。炎に飛び込むわけにもいかず、レイラがその場で足を止めると、背後に三人の気配を感じる。レイラは恐る恐る振り返った。
「えぇっと。さっき聞いたことは誰にも言いませんから……」
「んなこと信じられると思ってんのか?」
そう言ってピエールが再び杖を振る。すると一瞬にして、レイラの身体が大きな水の玉に包まれた。いきなりのことで混乱して、レイラはその場で口の中にたまっていた空気を全て吐き出してしまう。ごぽ、と異様な音がして大きな泡が頭上へ上がっていく。
『おい! さすがに殺すなよ!』
『殺さねぇよ。でも、忘却薬は持ってきてないし、身体に憶えさすしかないだろ』
水の中だからか、男たち二人の声が遠くに聞こえる。ルイーズと呼ばれていた女生徒は興味がなさそうに壁に背をつけたままレイラのことを見つめていた。
(このままじゃ――)
完全に窒息してしまう。マズい。
レイラは水の檻から外に出ようと手足を動かそうとした。しかし――
(どうして……)
身体にまったく力が入らない。手のひらを見ると、なぜだか小刻みに震えてしまっている。確かに水に包まれていることは怖い。だけど胸からせり上がってくるこの恐怖はそれだけではない気がした。そうしている間に今度は身体中が震え出す。襲ってくる恐怖に思わず自分の身体を抱きしめると、身体の中に残っていた最後の空気が唇の端から外に出て行った。
ごぽっ、と命の泡がまた浮かんで消える。
(やばいやばいやばい)
身体が震えているからか、血中の酸素がなくなっていくのが早い気がする。頭もぼーっとしてきて手足の感覚がだんだんと遠くなっていく。
(あ……)
もうダメだと思ったときには身体に全く力が入らなくなっていた。震えも止まる。それと同時にレイラの意識は深い闇の中に消えていくのだった。
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