5.「巻き添えにしてごめんなさい」
「あんなこと言われたら、どう反応して良いかわからないわよね……」
レイラがそう呟いたのは、夕方のことだった。夕方と言っても放課後になったばかりで、彼女が歩いている廊下にも多くの生徒がいる。授業が終わったばかりだからか、みんな心なしか表情が緩んでおり、心なしか楽しそうに見えた。そんな喧騒を横目に見ながら、レイラはその日使った教科書を胸に抱え、昼間のアルベールとのやり取りを思い出していた。
『僕がレイラのことを好きになった理由は、いくら相手がレイラだとしても、秘密だよ』
『それを話すなら、僕は僕の情けない過去を君に話さなくっちゃならなくなる。とびっきり情けない過去をね。そんなことを話したら君は、僕のことを嫌いになってしまうかもしれないじゃないか。だから話したくない』
何を隠しているんだろう、と思う。
嫌われてしまうと恐れるぐらいの、アルベールの情けない過去。
レイラに執着してしまうようになった原因。
話を聞きたいと思うのに、拒絶の感情が混じった彼の笑みを思い出し、どうしたらいいのかわからなくなる。触れてほしくないということは分かった。でも本当に自分は、このまま何も知らなくていいのだろうか。このまま何も知らず、彼のヤンデレを治すことは、出来るのだろうか。
「どうしたらいいのかなぁ……」
レイラがそう呟いた時だった。彼女の足が突然、床を滑った。 後ろにひっくり返りそうになった身体は一瞬だけ浮き、すぐに重力を取り戻す。 視線の先には階段があった。
(やば――)
落ちちゃう! そう思った瞬間、手がどこかに伸びていた。とっさに掴んだのは、そばにいた男子生徒の袖。彼は「はぁ!?」とひっくり返った声を上げながら、突然のことに目を白黒させている。このままでは彼を巻き込んでしまうと、レイラは彼の袖から手を離そうとしたのだが、恐怖で固まった手のひらは彼女の意思とは関係なく全く動いてくれなかった。
視線の先にある階段は、そこそこ長い。落ちれば、確実に怪我をしてしまうだろう。もしかすると、怪我ではすまない事態になってしまうかもしれない。
(せめて、彼だけでも――)
巻き込んでしまった彼だけは助けたい。しかし、その気持ちがあるだけで、現状はどうにも出来なかった。内臓が浮き上がるような気持ち悪い感覚がレイラを襲う。次にやってくるのはきっと階段に打ち付けられる衝撃だ。
レイラは、やってくる衝撃に耐えるように、ぎゅっと目をつむった。
「大丈夫、レイラ?」
その声が聞こえたのは、その直後だった。
やってくると思っていた衝撃はいつまでたってもやってこず、代わりにやってきたのは何か温かいものに包まれる感覚。目を開ければ、レイラの身体は浮遊していた。
「へ?」
思わず呆けた声が出る。これはきっと風の魔法だろう。暖かい風かレイラを優しく包んでいる。そして、その側には――
「アルベール、様……?」
「レイラは僕のものなんだから、勝手に怪我をするのは許さないよ?」
アルベールがいた。彼は指先をまるで杖のように振る。するとレイラの身体はゆっくりと移動して、彼が広げた腕の上で途端に重力を取り戻した。落ちてきたレイラをアルベールは優しく抱き留める。
「怖かったね。もう大丈夫だよ」
彼は優しくそう言って、すりっ、と頭をすり寄せてきた。そのくすぐったさに頬が熱くなる。「ありがとうございます」と声を上ずらせれば、彼は嬉しそうにはにかんだ。そして、レイラを優しく地面に降ろす。
「大丈夫? 怪我はない? 痛いところは?」
「はい! 平気です。痛いところも……ありません」
「そう。それならよかった」
アルベールのほっとした表情に、レイラは彼に心配をかけていた事実を知る。なんだか申し訳なくなってしまい俯いていると、彼は柔和な表情のままレイラを覗き込んだ。
「今回は初めてだから大目に見るけど、あんまり怪我をするようなら、保護しちゃうからね?」
「ほ、保護?」
「僕はね、レイラ。大事な宝石は、身につけるより、宝箱にしまっておく派なんだ。だってほら、身につけて誰かに傷をつけられたら嫌だろう? 欲しがられても困るし、誰かに取られてしまうなんてことになったら、目も当てられないだろう? 誰かの死体なんて、レイラも見たくないだろうし」
「あ、目も当てられないって、そっちですか……」
思わずそんな声が漏れた。事態に目が当てられないのではなく、物理的に見たくないものができあがってしまうという話だった。
「だから僕は、大事に大事に宝箱にしまっておく。誰にも見せないように、傷つけられないように。でもそれをレイラが望まないというのもわかっているからね。今は大目に見てるんだよ? 安全な場所に縛り付けられたくなかったら、今後も自分の身は大切にしようね?」
二度目はないぞというすごみを見せながら、彼はにっこりと微笑んだ。それを見てレイラも「はい」と頷く。彼の言う保護は、軟禁と同義だ。そんなことされては叶わない。
そうやって話していると、階段の下の方で「うぅ……」と呻き声が聞こえた。視線をやると、先ほどレイラが巻き込んでしまった男子生徒が倒れているではないか。レイラは驚いて目を見張る。てっきりアルベールがレイラと一緒に助けてくれたのだとばかり思っていたのだ。
「だ、大丈夫ですか!?」
レイラは慌てて階段を押して彼に近づこうとする。しかし、それはアルベールの腕に阻まれてしまった。
「レイラ、行かないで」
「どうして?」
「僕が近づいてほしくないから」
「今、そんなこと言ってる暇は――」
そこでふと気がついた。どうしてアルベールは彼を助けなかったんだろうと。レイラを助けたときの余裕から考えて、一緒に落ちる男子生徒を助けるのなんて彼には造作もないはずだ。なのに、アルベールはレイラしか助けなかった。その理由は――
「あの、アルベール様。もしかしてわざと彼を助けなかったんですか?」
レイラのその問いに、アルベールは微笑むだけで否定も肯定もしなかった。そんな彼の様子にレイラは齧りつく。
「アルベール様!」
「……僕はね、レイラ以外はどうでもいいんだよ。レイラだけが特別なんだ。あの男子生徒のことは名前も知らなければ、興味もない」
やっと彼の口から転がり出たその言葉に、レイラはアルベールがわざと彼を助けなかったことを知った。瞬間、頭にカッと血が上る。
「そんなことされても嬉しくない!」
「レイラ?」
「助けてくださったのは、本当に助かりましたけど、そういうのは嫌です! そういうことで特別感を出されても、私は嬉しくない!」
突然怒りだしたレイラを宥めようとしたのか、アルベールの手が彼女に伸びてくる。それをレイラは振り払った。二人の手が当たり、パチン、という乾いた音が廊下に広がる。
「もう当分近づかないでください!」
怒りのままそう言い、レイラは階段を駆け下りた。そして階段の下で蹲っている男子生徒を助け起こし、肩を貸す。男子生徒は幸いにも怪我はしていないようだった。立っている様を見ても骨が折れている様子はない。
「巻き添えにしてごめんなさい」
レイラは助け起こした生徒に深々と頭を下げる。すると、男子生徒はなぜか一瞬狼狽えた後、それを振り切るように声を荒らげた。
「まったくだよ! 本当に迷惑な奴だな、お前!」
「……ごめんなさい」
レイラは再び頭を下げる。
医務室に向かう道すがら、レイラは一度だけ後ろを振り返った。視線の先にはレイラのことをじっと見つめるアルベールの姿がある。心許なげに立ち尽くす彼を一瞬だけ可哀想だと思ったが、レイラは彼に声をかけることなく、男子生徒と一緒に医務室を目指すのだった。
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