4.「理由なんてわからなくても、僕は君が大好きだよ」
「アルベール様は、どうして私のことを好きになってくださったんですか?」
「は?」
「って、聞いてもいいと思う?」
レイラがそう相談を持ちかけたのは、ダミアンだった。レイラの話を聞いた後、彼は「あぁ、そういうこと」とひとつ頷いて、机に肘をつく。
時間は、朝の三コマが終わった後の二十分休憩。最近は昼休みをアルベールと過ごしているので、この時間しかダミアンとまともに話す時間がないのである。
「別に良いんじゃないか?」
「でも、直接聞くのって、やっぱりなんだかちょっと気が引けちゃうんだよね……」
「なんで?」
「自意識過剰って感じじゃない?」
「いやまぁ、言いたいことはわかるけどよ」
ダミアンは難しい顔で首をひねる。
本当は、こういうことを異性に相談するのは気が引けるのだが、この学校で友達と呼べる人間はまだ彼しかいないし、別の人に相談しても、ただの惚気だと思われてしまう可能性だってある。その点彼は、妙な求婚を受けた時からレイラの事情は知っているし、からっとした性格なので妙な邪推はしない。本当にありがたい友人である。
「でも、あの状況じゃ仕方ないんじゃね? 傍から見ても、あの無愛想を極めたようなアルベールがお前のことを特別視してるのは、わかるわけだしさ。お前自身に心当たりがないなら、直接聞くのが一番だろう?」
「そう、なんだよねぇ」
この学園に入学以降、どこかでアルベールと接触したかもしれないとレイラは何度か記憶の中を探ってみたのだが、やっぱりあの前世の記憶を思い出した監禁事件まで、一度もアルベールとは会ったことがなかった。話したこともなかったはずである。
「もしかしたら、この学園以外で会ってるのかもしれないぞ?」
「この学園以外で?」
「例えば、街ですれ違ったとか? どこかでたまたま一緒になったとか?」
「相手は王子様なんだよ? 街ですれ違うとか、どこかでたまたま一緒になるとか、そういうことあると思う?」
「それは……ないか」
「でしょう?」
ダミアンは興味がなさそうにあくびをする。
「なら、尚更聞いてみなきゃわかんねぇだろ。どうせ、今日の昼も一緒に食べるんだろ? その時聞いてみればいいじゃねえか。もしかしたらアルベールだって、どうやって言おうか考えてるのかもしれないし」
「そう、だよね」
レイラに言いたいことが言えなくて悩んでいるアルベールというのも想像ができないが。あんなに何もかも詳らかにする彼が今まで何も言ってこなかったのだ。もしかするともしかするかもしれない。
「それよりも俺は、アルベールのお前以外に興味がない態度を何とかしてほしいね」
「……そんなにひどいの?」
「ま、お前にはわかんないかもしんないけどさ。なんて言うか、もはや人形なんだよなー。決められた言葉しか返ってこない人形って感じ? 俺も先生に頼まれて何度か話しかけに行ったことあるけどさ、言葉が届いてる感じが全くしないんだよなぁ」
正直、レイラには『決められた言葉しか返ってこない人形』のアルベールの方が信じられない。だって、レイラといる時の彼は表情も感情も豊かだし、どちらかといえばおしゃべりだ。
「お前、仮にも恋人なら、なんとか言ってやってくれよ。俺たちは別に話しかけなかったらいいだけの話だけどさ。なんかもう先生がかわいそうで……」
「ダミアンって、本当に面倒見がいいよね。先生まで気にかけてあげてるし」
「どうしようもない女友達の惚気話も聞いてやるしな?」
「いやだから! これはのろけ話じゃなくて!」
レイラがそう必死に否定をすると、ダミアンは「わかってるよ」と肩を揺らす。
「とにかく、昼休み頑張れよ」
「うん!」
ダミアンに背中を押され、レイラはアルベールに直接話を聞いてみることにしたのだが……
「アルベール様、何をしてるんですか?」
昼休み、レイラはアルベールに後ろから抱きしめられていた。いつものベンチで、いつものように半ば無理矢理膝の上に座らされたところで、後ろから抱えられて彼は動かなくなってしまった。ぎゅっと身体を引き寄せられ、レイラの頬も熱くなる。アルベールはレイラの肩に後ろから顔を埋めると、思いっきり息を吸った後「はぁあぁ……」と肺の空気を全て出すような長い息を吐いた。
(な、なにか吸われた!)
まごうことなき深呼吸である。
アルベールはそれから二、三度同じように猫吸いならぬレイラ吸いを繰り返す。
何度繰り返しても終わらない深呼吸に、レイラは暫く視線を泳がした後、恐る恐る後ろを振り返った。
「あの。アルベー……」
「ちょっと待って。まだレイラを補給しきれてないから」
「えっと――」
「僕、定期的にレイラを補給しないと死んじゃう身体になったみたいなんだ」
また意味のわからないことを、うっとりするような顔で言う男である。しかも、今回はちょっと憂いを帯びている表情が、いつもと違ってまたいい感じだ。長い睫毛が、彼の揺らめくラピスラズリに影を落とす。それが彼の色っぽさに拍車をかけていた。
だがしかし、顔がいいからといって、このままされるがままでいいはずがない。
「あの、冗談を言ってないで、離してください!」
「ごめん。もうちょっと」
甘えるようにそう言って、アルベールはまた肩口に顔を埋めた。それと同時に彼の前髪が首筋にかかり、レイラは「ひゃっ!」と声を上げてしまう。
「ふふふ。かわいい声」
「ちょっとあの! 本当に恥ずかしいので、やめてください!」
「やーだ」
「やーだ、って……」
まるで駄々っ子のようなことを言うアルベールを、レイラは赤い顔のままじっと見つめる。するとレイラの視線に気がついたのか、アルベールは肩口から顔を上げた。すると、二人の顔が鼻先が触れ合うぐらいに近くなる。そのあまりの至近距離に、レイラはとっさに距離を取ろうとアルベールの身体を押すが、腹部に回っている彼の腕がレイラが離れることを許してくれなかった。
鼻先を近づけた状態で、アルベールは丸い声を出す。
「昨日は学園が休みで会えなかったでしょ? だからちょっとレイラが不足気味だったんだ。毎日会ってなかった時は離れていても全然耐えれたのに、毎日会うようになってから駄目だね。少しでも離れてると会いたくて仕方がなくなる」
彼の腹部に回った腕がさらにぎゅっと力を増した。
「最初はどうしてこんなプロセスを踏むのか不思議だったけど、最近は考えを改めたよ。なんだか恋人っていうのは良いね。こういうことをしても許される間柄なんだから」
(この人、ちょっと前まで手を握ったぐらいで頬を染めてた人と同じ人よね!?)
『恋人』という立場がそうさせているのかもしれないが、お昼を一緒に食べるようになってから、明らかにスキンシップが過剰になっている。彼に触れられるのが嫌というわけではないが、ちょっとここまで来ると恥ずかしさでどうにかなってしまいそうだ。顔から火が吹き出そうだし、さっきから心臓もうるさい。身体が火照っているせいか、妙に汗も滲んでくる。
お昼を食べようと思ってここに来たのに、なんだかこのままではレイラの方が食べられてしまいそうな気配がある。
レイラはアルベールから視線を外した。これ以上彼の顔が間近にあるのが耐えられなかったのだ。その恥じらっている様子が気に入ったのか、彼は機嫌よさげにふっと笑う。その吐息が耳にかかり、レイラは思わず飛び上がった。
「ひっ――」
「あれ? もしかしてレイラ、耳弱いの?」
アルベールの笑んだ声と近づいてくる顔面に、彼の企みを知った気がして、レイラは慌てて両耳を押さえた。そして必死に首を振る。
「や、やだやだやだ!」
「大丈夫。何もしないよ」
「う、うそ! 絶対何か企んでましたよね!?」
「ふふ、レイラってば、やっぱりかわいいなぁ」
アルベールと出会ってから、『かわいい』と言われすぎていて『かわいい』がゲシュタルト崩壊を起こしかけている。少なくとも彼に出会うまでレイラは両親以外に容姿を褒められたことはなかったし、両親だってここまで何度も重ねて褒めてくれるようなことはなかった。レイラは自分の事をブサイクだと思っていないが、美人だとか可愛いとも思ったことはない。
「わ、私なんて、かわいくないですよ」
「僕のレイラを『なんて』なんて、言わないでもらえるかな?」
「僕のって……」
「僕のだよ。誰がなんと言おうと、レイラは僕のものだ」
もの扱いされていることはあれだが、それ以上に彼の低くなった声色が物騒だ。レイラは顔を背けた。
「わ、私以上に可愛い人なんていっぱいいますし……」
「自分に自信がないんだね。そういうレイラも、僕はかわいくて好きだよ」
アルベールのその言葉でレイラははっと顔を跳ね上げた。彼の奇行ですっかり忘れていたが、今日は彼に聞くことがあったのだ。
「あ、あの! アルベール様! ちょっと聞きたい事があるんですが、いいですか?」
「ん? 何かな?」
「えっと、すごく聞きにくい事を聞くんですが。アルベール様は、どうして私のことを好きになってくださったんですか?」
その質問を投げた瞬間、アルベールは目を見開いたまま固まった。 レイラはそんな彼を尻目にさらに言葉を重ねる。
「間違っていたら申し訳ないんですが、私達、つい先日まで話したことありませんでしたよね? だから、なんでかなぁと思いまして……」
「なんでだと思う?」
「え?」
「どうして僕はレイラのことが好きなんだと思う?」
アルベールの声色はレイラのことを試しているようにも聞こえた。質問を質問で返されて彼女は困惑した表情を浮かべたまま逡巡する。
「もしかして私達、どこかで会ったことありますか? それとも、何か私にしかない特徴を気に入ってくださったとか? あとは……」
「秘密」
「え?」
「僕がレイラのことを好きになった理由は、いくら相手がレイラだとしても、秘密だよ」
アルベールはすらりと長い人差し指を、自身の口元に当てる。
「それを話すなら、僕は僕の情けない過去を君に話さなくっちゃならなくなる。とびっきり情けない過去をね。そんなことを話したら君は、僕のことを嫌いになってしまうかもしれないじゃないか。だから話したくない」
「そんな――」
「レイラ。このまま理由なんて考えず、僕に好かれていて。そしていつか、君も僕に気持ちを返してくれると嬉しいな」
自分勝手にそう言って、アルベールはレイラの頬に手を当てた。彼の唇は弧を描いているが、それは笑っているという感じではなくて、その裏にある感情を隠すために貼り付けられた笑顔、という感じに見える。
「大丈夫。理由なんてわからなくても、僕は君が大好きだよ」
言うことを聞かない子供に言い聞かせるように、彼はゆっくりとそう言葉を紡いだ。
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