33.「助けに来たよ!」
アルベールが教会に戻ってきたのは、約束の時間の三十分ほど前だった。先についていた
ニコラは、約束通りにやってきた彼の姿を見て、うれしそうに口角を上げる。
「ちゃんと一人で来たんだね。えらいえらい」
まるでおさなごを褒めるようにそう言ってニコラは手を叩く。アルベールはそんな彼に感情を動かすことなく、ただただ暗い瞳をむけていた。
「きちんとあの子の記憶は消しておいた?」
「あぁ」
「レイラちゃんもいい恋人を持ったね」
ニコラは懐から白い包みに入った薬を取り出す。そして、アルベールに投げてよこした。
「それが薬だよ。飲むととっても辛くて苦しいらしいんだけど、一時間ぐらいしたら僕と討伐隊が君のことを殺しにいくから、それまでの辛抱だよ」
「……それを実験していたのか?」
「実験?」
「学園の生徒で、だ。その時間を計るために彼らに薬を飲ませていたのか?」
「あぁ、うん。そうだよ。まぁ、実験に使ったのは学園の生徒だけじゃないけどね」
ニコラは笑みを崩すことなく、事もなげにそう言ってみせる。
「どのぐらいの時間、暴走状態にあるのかというのは正確に把握しておきたかったからね。実験結果としては、魔力の多い少ないにかかわらず、一時間が限界みたい。後は抜け殻のようになってしまって、普通の魔法使いでも簡単に処理できるって感じだったよ」
「処理、か」
「大丈夫。殺すときはひと思いにしてあげるから、君は何も心配することないよ。本当はいたぶりたいんだけど、みんな怖がっちゃうからね。優しくしてあげる」
「……」
「その顔、たまらないね。早く君が沢山の人を殺すところを見たいよ」
「その前に、お前がレイラを救うという約束が欲しい」
「確かに。契約はちゃんとしておかないとね。大丈夫。準備はちゃんとしているよ。確認してくれて構わない」
そう言ってニコラは杖を取り出して一振りする。すると、なにもないところから丸められた羊皮紙が現われた。それは魔法契約書という、約束事を魔法を介して行うためのものだった。約束を破れば、その契約書に込められている魔法が発動し、約束を破った相手に罰が行く仕組みだ。つまり、分類的には魔道具である。
アルベールはその契約書をニコラから受け取り、中身を確認する。それと同時にニコラが契約の内容を簡単に説明した。
「君は八時までにモンドスの街のどこかで薬を飲む。僕は君が薬を飲んだ十分以内に、僕自身、もしくは僕の指示でレイラちゃんに解毒薬を飲ませる。僕が約束を守れなかった場合、僕の心臓は止まる。そういう契約だよ。僕の方はもうサインをしてあるから、その内容でよかったらサインをしておいてね」
アルベールは無言で契約書に目を滑らせると胸ポケットからペンを取り出し、ためらうことなくその書類にサインをした。すると羊皮紙はひとりでにくるくると巻き取られ、ぱん、とはじけ飛んだ。同時に金色の光が二人に降り注ぐ。
「これで契約成立だね。どうだい? 僕って結構フェアだろう?」
「どの口が言うんだ?」
「そりゃ、多少汚い手も使うさ。なんてたって相手が君だからね。……あ、わかってると思うけど、僕を殺そうとは思わないことだよ? 僕を殺したら、確実に君のかわいこちゃんは死ぬんだ。それは君も望むところではないだろう?」
契約ではアルベールが薬を飲んだ後に、ニコラが直接手渡すか、彼の指示でレイラに薬が渡らないといけない。だから、殺すならばアルベールが薬を飲んだ後で、尚且つ、ニコラがレイラに薬を渡した後と言うことになる。しかし、ニコラはアルベールが薬を飲んですぐ、レイラに薬を渡すわけではないだろう。渡すとして確実に狂った後である。
狂った状態でアルベールはニコルを狙って殺せるか。おそらくそれは無理だろう。
「僕もちゃんと命をかけるんだ。君もちゃんと約束を守ってよね」
「お前とレイラの命を同等に扱うな」
「そうだね。同等なんかじゃなかったね。僕の命に比べたら、あんな小娘の命なんて畜生レベルだからね」
その言葉にアルベールはニコラを睨む。背筋まで凍り付いてしまうような絶対零度の瞳に睨まれても、ニコラは実に飄々としていた。
「まぁ、後二十分ほどの命だ。好きなようにしたら良いよ。泣くなり、叫ぶなり、怒るなり、お好きにどうぞ。僕はここで君が悲しんでるのを見守らせてもらうとするよ」
「だれが泣き叫ぶんだ」
そう言ってアルベールは少しも迷うことなく薬を口に含んだ。そしてそのままかみ砕くこともなく飲み込む。
「なっ」
「たった二十分程度を惜しむわけがないだろう?」
「まさかここで飲むとはね。もしかして、ここで飲んで僕のことを巻き添えにしようとしてる? でもそうしたら、僕が死んじゃってレイラちゃんは助からないよ?」
「暴走なんかするはずがない」
「は?」
「僕に暴走する魔力なんて残ってるわけないだろう」
アルベールはシャツを緩ませると、ニコラに首筋を見せた。彼の首筋から胸のあたりにかけて、そこには紫色に浮かび上がる魔方陣のようなものがある。その刻印を見た瞬間、それまで飄々としていたニコラの顔色も変わった。
「――禁呪の刻印!」
それは、本来ならば魔法を使える犯罪者にする刻印だ。一度刻むと剥がすことは出来ずに、一生その刻印に魔力を吸われ続ける。
「あははは、ばかだな! それだと暴走しなくても死ぬぞ! お前だって知ってるだろ? 禁呪の刻印と暴走状態は限りなく相性が悪いんだ」
「だからどうした? 元々殺される予定だったんだ。そんなもの、怖いわけがない」
アルベールの覚悟を決めた言葉に、さすがのニコラも奥歯を噛みしめた。
「さぁ、レイラに解毒剤を渡すんだ。こっちは約束を守ったんだ。このままだとお前も死ぬぞ?」
ニコラは「あぁくそっ!」と今までにない荒々しい声を上げた後、つけていたピアスを軽く叩いた。どうやらそれは魔道具だったらしく、彼は誰かと話し始める。
「例の女に薬を渡せ。……四の五の言うな、良いから渡せ! いないなら探して渡すんだ!」
そう荒れた声を出した後、彼はもう一度ピアスを叩いた。そして、憎々しげな声を出す。
「これで勝ったつもりか?」
「少なくとも負けてはいない」
「あはは、お前は死ぬのにか?」
「でも、戦争は起こらない」
「……くだらない。もうちょっと遊べる玩具だと思っていたんだけどな」
ニコラはその場で片手を上げた。すると、数人の兵士が建物の陰や木の陰から出てくる。きっとアルベールが来る前に潜ませていたのだろう。彼らは杖をピンと伸ばし、アルベールに構えていた。
「いくらお前といえども、禁呪の刻印をきざんでる状態で、これは防げないだろう?」
ニコラが目配せをすると、兵士たちの杖の先に火球が出来る。それは、ただ単に火のマナを集めただけではない。その火球には何倍もの火のマナが圧縮されていた。炎が渦巻く。それはまるで一つ一つが小さな太陽のようだった。
「もういらない。お前は死ね」
ニコラが上げた手を振り下ろす。それを合図に兵士たちはアルベールに向かって火球を発射した。
「く――!」
四方八方から一直線に小さな太陽がアルベールを襲う。
「アル――!」
甲高い女性の声。同時に太陽同士がぶつかり合い、その場が目も開けられないほどの光に包まれる。周りに立っていた木の葉が突然燃え出すほどの熱風が辺りを覆い。しかし、何故かそれが一瞬にして消え失せた。
「助けに来たよ!」
光が消え失せるのと同時に聞こえたその声に、アルベールは自分の耳を疑った。
自分を守るようにして立っている一人の少女。
「レイラ……!」
彼女はアルベールを振り返ると、にっ、と笑みを見せた。
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