30.「それなら、どうすればいいか、君はもうわかってるよね?」
時間は少し前に遡る。
アルベールがその異変に気がついたのは、レイラに背を向けて数歩歩いたときだった。背後で確かにしていたレイラの気配が、突然消えたのだ。振り返るとやっぱりレイラはいなくなっていて、辺りを見回しても見つけることが出来なかった。
「レイラ?」
声がわずかに震える。呼吸が浅くなり、体温が一気に下がったような心地になる。
急いでベンチに戻ると、かすかに魔法の痕跡を感じた。これはもしかして、もしかしなくても、誰かがレイラを攫ったと言うことだろうか。アルベールは慌てて追跡魔法で探そうとするが、それも何者かの手によって剥がされてしまっていたあとだった。
あまりの出来事に止まりかけた思考を無理矢理動かす。視線を巡らせば、魔道具屋に目が止まった。店頭で大々的に売っているのは、鳥形の灯り――ワゾーである。
アルベールは店に駆け寄り、カウンターを叩く。店主がびっくりしたような顔でアルベールを見た。
「これを全部売ってくれ」
「へ?」
「金は払う。これを全部売ってくれ」
「いや、うちはお金さえもらえりゃ良いけど……」
気圧されたように店主がそういう。アルベールは懐から出した財布を乱暴にカウンターに置くと、かごの中に入ったワゾーを全て持ち出す。まだ起動していないワゾーはどこからどう見てもただの鳥のおもちゃだ。本当ならば一つ一つスイッチを押して起動させるのだが、アルベールはそんなことなどせず、それらに命令した。
『起きろ』
魔力を込めたのだろう。アルベールの目がわずかに発光し、髪の毛が浮いた。瞬間、かごに入っていたワゾーたちが一瞬で目覚め、次々と飛び立っていく。彼らはアルベールのところ留まることなく、四方八方に散っていった。
光を纏った鳥が一斉に飛び立つ。その光景を観光客たちはどうやらショーと勘違いしたらしく、一斉に声を上げていた。
アルベールはそんな声に構うことなく片目を隠す。上空を飛ぶワゾーたちと視界を共有しているのだ。
レイラを見つけたのは、ワゾーを飛ばしてから数十秒後だった。アルベールから少し離れた寂れた教会の敷地内で、レイラが倒れている。走って行けばここから五分とかからない場所だ。行ったことがある場所ではないので、転移魔法は使えない。
レイラのいる場所を確認した直後、アルベールは人混みをかき分けるように走り出した。
レイラの元にたどり着いたのはそれからすぐのことだった。大通りからそんなに離れてはいないものの、祭りで人が広場に集中しているからか、それとも人払いの魔法をかけているからか、教会の近くに人はいなかった。
アルベールは教会の敷地に入り、レイラに駆け寄る。
「レイラ!」
レイラは気絶しているだけに見えた。外傷はないし、魔力値も安定している。こんなところで倒れていなかったら眠っているだけと勘違いしたかもしれない。それぐらいなんともなかった。
アルベールはレイラの身体をぎゅっと抱き寄せる。安堵はしていないが、とりあえず彼女が生きていた事実に涙が出そうなぐらい安心した。そうしていると、背後で何者かの気配がした。アルベールはレイラを抱きしめたまま立ち上がり、気配のした方向をむいた。
「久しぶりだね、アルベール。会いたかったよ」
そこには、ニコラがいた。久しぶり、と言ったのは外交関係で何度か顔を合わせたことがあるからだろう。しゃべったことはほとんどないのだが。ニコラはロマンと同じ金髪を後ろで括り、すごく嬉しそうな笑みを浮かべている。それはまるで、欲しかったおもちゃをようやく手にした、子供の笑みのように見えた。
アルベールはニコラの言葉に応えることなく、黙ったまま彼を睨み付ける。それでもニコラの笑みは崩れない。
「風の噂で、一人の女の子にご執心だって聞いたんだけど、君、そういう感じの子がよかったんだね。意外だよ。もっと美人系が好みなのかなって思ったのに」
「……レイラに何をした?」
「怪我はさせてないよ。見ればわかるだろう?」
おっとりとした声にいらだちが募る。怒りが全身を巡り、行き場をなくして手のひらに籠もった。握り締めた拳はわずかに震えてしまっている。
「暢気に話す気分じゃないんだ。聞いた事柄にだけ答えろ。レイラに何をした?」
脅すようにそういえば、ようやくニコラも肩をすくめた。そうして口が開く。
「ちょっと薬を身体の中に入れただけだよ?」
「薬?」
「遅効性の魔法薬だよ。もちろん死んじゃうやつね。いろいろ混ぜてるから症状もいっぱい出るんだけど、……聞きたい?」
「……」
「そうだよねぇ、もちろん聞きたいよねぇ。症状がわからないと解毒も難しいもんねぇ実は僕も全部は把握してないんだ。でも、アルベールのためにしっかり思い出すね!」
ニコルはおどけた調子で顎に手をやり「うーん。えっとねぇ」とわざとらしく演技をして見せた。
「そうだな。身体がしびれて、内臓が溶けて、手足の筋肉が断絶して、喉が潰れる。そんな薬だったよ。囚人で何度も確かめたんだ。痛くて苦しいのに悲鳴も上げられなくて、最後には潰れた喉で必死に『もう殺してください』って何度も懇願するんだ。でも殺してあげないんだけどね。……ね? いい薬だろ? 自信作なんだ」
はしゃいだようにそう言うニコラに、アルベールの目ははだんだんと死んでいく。
光という光をなくした目には、絶望が映っているかのようだった。
「ふふふ、いくら君が天才だからって、ここまで薬を混ぜたら解毒できないでしょ? 頭で理解できないもの以外はどうにも出来ないもんね? あぁ、わかってると思うけど、これは現し身だよ? 今ここに居る僕を殺したって、本体には何の影響もないからね?」
「……僕に何をさせたいんだ?」
「ん?」
「僕に何かをさせたいからこんなことをしてるんだろう?」
「そう、正解」
ニコルは手を叩き、懐から白くて小さな包みを取り出す。それを広げれば、赤い小さな玉が入っていた。
「これは薬だよ。ほら、君の学友が飲んだ、強制的に暴走を引き起こす薬。これは、それのすごく強いやつ。アルベールには、これを今夜八時、祭りが最高潮になったときに広場で飲んで欲しいんだ」
「……」
「君の暴走、とっても素敵だと思うな。広場の中心で暴走したら一体何人が死ぬんだろうね」
「……何が目的なんだ?」
「僕はこの国の王族だからね。望むのは唯一つ。国民の幸福だよ」
さも当たり前のようにそう言って、彼は両手を広げてみせる。
「この国の人間、君のところの国民に比べてたるんでると思わない? それもそうだよね、この国で起こった最後の戦争がもう五十年も前なんだから。みんな戦争を知らないし、この国は平和だと思い混んでいる。ずっと戦争が起こらないと思い込んでいる。でもそれじゃダメだと思わないか? もし隣国に、それこそ君の国に攻め入られたら、この国はひとたまりもない。兵の熟練度はたりないし、国民の士気だって低い。十中八九負けてしまうだろう?」
本当に戦争が国民のためになると思っているのだろう、ニコラの弁は熱い。
「だから僕らは定期的に戦争をする必要がある! いざというときに国を守れるように、危機感を身につけておかないといけないんだ。それに、戦争は経済を回す。仕事のないところに仕事が生まれるんだ。最高だとは思わないか? 国民を守ることが出来る上に経済も回せる。そして、あわよくば土地も手に入るんだ! 戦争は利益しかもたらさないんだよ? 僕はもっとこの国に戦争をしてもらいたいと思っているんだ」
「つまり、僕を戦争の引き金にするのか?」
「うん、そういうこと。話が早くて助かるよ」
どこまでも陽気に、どこまでも軽く、彼はそう頷いた。
「君が大暴れすることによって、広場にいる何の罪もない人間が大勢死ぬ。僕はそれを理由に君の国に攻め入って、罪のない君のところの国民を沢山殺そう。そしたらほら、なかなか終わらない戦争の完成だ! しかも、戦争の舞台は君の国だから、僕らの土地は穢さずにすむ。その上、こちらには大義名分がある。周辺諸国だって協力してくれるかもしれない。絆だって深める事が出来るんだよ」
「……」
「なんで僕なんだって顔だね。だって、君がいるセレラーナに勝てる気がしないじゃないか。僕は負け戦をする気はないんだ。沢山殺して、沢山殺されて、長く長く続く戦争をしたい。だから、すぐに戦争を終わらせてしまいそうな君の存在は、とても邪魔なんだよ」
アルベールは奥歯を噛みしめながら唸るような声を出す。
「でも、君が彼女に執心でよかったよ。本当はさ、君に直接暴走する薬を打ち込む予定だったんだ。でもほら、失敗して返り討ちに遭いそうじゃない? その点、彼女は普通の人間だからね。君の目を盗む必要はあったけど、比較的簡単だったよ」
「……」
「おいおい、そんな怖い目で睨まないでくれよ。これは君が悪いんじゃないか。彼女に入れ込んでしまった君が悪い。あんなに堂々とアキレス腱を見せつけられたら、切らないわけにはいかないじゃないか」
「……レイラはどうやったら助かるんだ?」
「言っただろう、薬は遅効性だって。今からだと、ちょうど八時過ぎぐらいに彼女の身体に毒が回り始める。君が薬を飲んでくれたら、僕の手のものが彼女に解毒薬を渡そう。信用できないのなら、そういう魔法契約を結んでも構わないよ。約束を守らなかったら、僕が死ぬような魔法契約でも構わない」
アルベールはぎゅっとレイラの身体を抱き寄せる。骨が軋みそうなぐらいに抱き寄せているのに、彼女の目は一向に開かない。もしかしたらこのまま彼女の目が開かないんじゃないかと思ったら、足元から崩れ落ちそうになる。
「まぁ、いろいろと考えを纏めときたいよね? 約束の時間まで待っていてあげる。君が八時までにここに来なかったら、契約が不成立、彼女は死ぬよ」
「レイラは殺させない」
「それなら、どうすればいいか、君はもうわかってるよね?」
ニコラはいうだけ言ってアルベールに背を向けた。そのまま数歩進んで、何かを思い出したかのように「あぁ、そうそう」と声を上げて、彼は振り返る。
「優しい僕からのアドバイス。彼女の記憶はなんとかしておいた方がいいんじゃないかな? 大罪人として処刑される君と仲良くしてたなんて、さすがの僕でも同情しちゃうからさ。じゃぁ、また後でね、アルベール」
ニコラはどこまでも機嫌よくそう言って、片手を上げる。転移魔法でも使ったのだろう、そのまま、どこかへ消えてしまった。
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