26.「レイラからしてくれるんでしょ? 見たいな」
「えっと、話を整理するね。つまり、体調不良のせいで、アルの魔力が軽く暴走状態になっちゃっていて、私たちをここに閉じ込めたってこと?」
「暴走って言うか、暴走のだいぶ前段階だけどね。ちょっと制御が効かなくなってる感じで。ほら、体調が悪いときに魔法を使おうとするとなんか変な方向に飛んでいったりするでしょ? 状況的にはあれと同じ、なんだけど」
「魔法が変な方向に向かうのと、閉じ込められるのが同じ状況……」
レイラの心象風景に宇宙が広がる。なるほど、意味がわからない。
「でもなんで、閉じ込められるって話に……」
「前に僕が暴走の話をしたの、レイラは憶えてる?」
「え?」
「ほら、シモンが体調を崩したとき」
「あぁ……」
レイラの脳裏にその時のアルベールの言葉が蘇る。あれは確か、倒れているシモンを医務室に連れて行ったときの会話だ。
『魔法は、魔力値が高い人間ほど体調や感情の変化に左右されやすいからね。シモンの魔力値は扱いに気をつけないといけないレベルだと思う』
「その時も言ったように、魔法は体調と感情に左右されるんだよね。で、見ての通り、僕はいま体調があまりよくなくて、それで、いつも以上にレイラに帰らないで欲しいと思ってる」
「……はい?」
「ついでに言うと、閉じ込めて誰にも見せたくないとは、常に思ってる」
「……つまり?」
「暴走ぎみの魔力が、僕の願うとおりの部屋をつくちゃったってこと、かな?」
願望が具現化した部屋、ということか。閉じ込められた事実も恥ずかしいが、部屋の成り立ちを聞くとますます恥ずかしくなってくる。
「えっと、どうやったら開くのかはわかる?」
「これは、君のことを独り占めしたいとか、外に出したくないとか、そういう僕の願望が作った部屋だから、多分その辺が満たされれば勝手に開くと思うんだけど……」
「その辺が満たされれば?」
「キスでもしてくれたら、開くんじゃないかな?」
「……」
完全に『○○しないと出られない部屋』である。まさかこんなツブヤイッターに流れる二次創作漫画みたいな展開が自分の身に降りかかるなんて、思ってもみなかった。
軽くめまいを覚え、レイラは頭を抱えた。何というか、今日一日でいろいろいっぱいいっぱいになっている気がする。疲れた様子のレイラに、アルベールは申し訳なさそうな顔になった。
「なんか、ごめん」
「え?」
「最初はさ、ただ一緒にいられればよかったんだ」
「最初?」
「結婚しようっていった時のこと」
旧校舎で縛られて、いきなりプロポーズされたときの話だ。そんなに前の話でもないのに、レイラは「あぁ」と懐かしむ声を出した。
「ただ一緒にいたくて、見返りなんてそれ以上なにも求めていなかったはずなんだけど。最近レイラが近い気がしてさ、ちょっと欲張りになってたみたい」
アルベールはそこまで話すと、ベッドから降りようとした。
「ごめんね。すぐに出してあげるから」
「え? 出れるの?」
「うん。元々、これは僕の魔力だからね。少し、無理をすれば問題なく開けられるよ」
「少し、無理を……?」
(ただでさえ、体調が悪いのに?)
レイラははっとして、立ち上がろうとしていたアルベールを再びベッドに座らせた。そして彼の肩を押して、ベッドに彼の背中を押しつける。思いも寄らぬレイラの行動にアルベールは目を見開いていた。
「レイラ?」
「大丈夫! アルは寝てて!」
「でも……」
「いま無理する必要はないよ! ほら、寝てたら状況がよくなるかもしれないし! そもそもこれって体調がよくなれば良いんでしょ?」
「でも、このままじゃ帰れないかも……」
「門限までにはなんとかなるでしょ! それまで、お話ししていよう?」
いつにないレイラの強硬な姿勢に、アルベールは身体の力を抜いた。とりあえず、その案で納得してくれたらしい。レイラはアルベールに布団をかけ直しながら、「そういえばさ……」と前々から思ってたことを切り出した。
「どうしてアルは結婚にこだわるの? 最初の時もいきなり『結婚しよう』って」
「それはもちろん、レイラのことが好きだからだよ」
「でも、それにしては恋人にはならなくてもいいとか言ってなかった?」
「恋人にならなくていいとは言ってないよ。そのプロセスが不必要だと言ってたんだ。ま、今は恋人になれてよかったと思ってるけどね」
「恋人、ね」
「わかってるよ。レイラが別に、僕をそういう意味で好きじゃないことぐらい」
だから大丈夫、というようにアルベールは笑う。その表情はレイラの気持ちが自分に向いてるかもしれないなんて少しも思っていなさそうだ。
「ただそうだね、僕が君と結婚したい理由だけど。それが僕の考えうる、君を幸せにする方法だから、かな?」
「アルと結婚したら必ず幸せになれるってこと?」
「ふふふ、もちろんそうなれるように努力はするけどね」
「違うの?」
「僕はこう見えて裕福なんだ」
「はい?」
そんなの王子様なんだから当然だろう。そう思っている隣で彼は訥々と語り出す。
「もし、次に戦争が起きたとき、僕は前と同じように前線にかり出されると思う」
「へ。戦争?」
「その戦争が終わって次の戦争が始まっても前線に向かわされるし、大きな内紛があっても駆り出されるだろう。小競り合いぐらいならあれだけど、民族紛争が激化してもそうだし、もし誰かを暗殺するって話になっても、もしかしたら向かわされるかもしれない」
まったく見えてこない話にレイラは「えっと、だから?」と困惑したような声を出した。
「僕は父と約束してるんだ。僕が死んだ時もし家族がいたら、その家族に多額の報奨金を出して、その後の人生は干渉しないでやって欲しいって。母も早くに亡くなっているし、兄弟もいない。ま、腹違いの兄はいるけどね。……レイラと結婚していたら、僕が死んだ時のお金や財産は全て君のものだろう?」
「……そんな」
「僕は他に何も持ってないんだ。人との繋がりは皆無だし、名声もない。王族という身分も、相手が僕だからね。枷にはなっても得にはならないだろう? だから、これが君に渡せる全てなんだ。僕は僕の全部を使って、君を幸せにしたかったんだ」
淡々と悲壮感など全くなく。むしろ楽しい未来の話をするように彼は語る。その未来予想図には自分はいないのに、彼はどこまでも満足そうだった。
「そ、そんなの嬉しくない! アルが死んだときのお金で裕福になっても全然嬉しくない!」
「レイラは優しいね」
「こういうのは優しい優しくないの話じゃないでしょう?」
何故か泣きそうな顔になってしまったレイラに、アルベールはますます優しい顔つきになる。
「大丈夫だよ。レイラの幸せが僕の幸せだから」
「私はアルも一緒に幸せになりたいよ?」
「レイラはいつもそうやって、僕のことを幸せにしてくれるよね」
「あのね――」
レイラの声は、大きな鐘の音にかき消された。時計を見れば、もうすぐ十九時になろうとしていた。そろそろ夜の点呼の時間だ。さすがにこの時間に寮にいないのはまずい。特にレイラは特待生だ。夜の点呼の時間に男子生徒の部屋にいました、は非常にまずい。
アルベールは身体を起こし、「どうする?」と聞いてくる。アルベールに無理をしてもらって開けてもらうか、レイラがここでキスをするか、その二択の『どうする?』だ。
「キス、したら出られるの?」
「多分? ……してくれるの?」
「で、出られないの困るし……」
「赤くなってるレイラ可愛い」
「そういうこと言う、アルは嫌いよ」
レイラは立ち上がり、アルベールを見下ろす。こちらを見上げてくる彼の顔の輪郭に指先を這わすと、なんだか手のひらがピリピリしてくる。
「というか、アルからするんじゃダメなの?」
「していいの?」
「するよりは、恥ずかしくないもの」
「ごめん。実はいま、とってもしてもらいたい気分なんだ」
「なんでそんな気分になってるのよ……」
願望が具現化しているのならば、アルベールからのキスでは開かない可能性がある。
もうこれで本当に逃げ場がなくなった。
レイラは意を決したようにアルベールの頬を両手で包んだ。アルベールは更にその上から彼女の手を包む。
「目、瞑ってよ」
「やだ」
「なんで?」
「レイラからしてくれるんでしょ? 見たいな」
「見せたくない!」
「でも見る」
まるで子供が駄々をこねるようにアルベールはそう言ってレイラをじっと見上げた。どうやら本当に目を瞑る気がないようだ。
レイラは暫く迷った後、ゆっくりと顔を近づけた。アルベールはこちらを見ているけれど、レイラは彼のことを直視できなくて、ぎゅっと目を瞑ってしまう。アルベールの気配が近くなって、わずかな呼吸音が耳をかすめた。目を瞑っているのでわからないが、きっともうアルベールの顔はすぐそこまで迫ってきているだろう。
唇に彼の吐息を感じる。
レイラが息を呑んだその時――
「お姉様! ご無事ですか!! って、…………あ」
扉が勢いよく開く音とともに、ミアのそんな声が聞こえた。アルベールの顔を掴んだまま声のした方向に視線を向ける。そこには、やっぱりミアがいた。しかも更に最悪なことに、その後ろには頬を染めるダミアンとシモンまでいる。
「悪い。まさか本当にそんなことになってるとは」
「ぼ、僕は誘われたから……」
「わ、私のお姉様が!」
彼らは三者三様の反応を見せながら、明らかに良い雰囲気だっただろう二人から視線を外した。一方のレイラは、まるでさび付いたブリキのような緩慢な動きで、アルベールに視線を戻す。そして、これ以上ないぐらいの震えた声を出した。
「アル、どういうこと?」
「ごめん。どこかの段階で、ある程度満たされちゃったらしい」
身体が震えたのは、怒りからか、それとも羞恥からか。レイラはアルベールの顔を離すと、彼から数歩距離を取った。そして、しっかり肺と腹に空気を溜めてから、こう大きな声を出す。
「アルのばかぁあぁぁ!」
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