25.「な、なんか、扉が開かないんだけど……?」
「ごめん。夢だと思って調子に乗った」
さすがにばつが悪いのか、アルベールもレイラと視線を合わせずにそう謝った。
アルベールはベッドの中で身体を横たえた状態で、レイラはベッドの側に椅子を持ってきてそこに座っている。彼は天井を見上げながら、ははは、と乾いた笑みを漏らした。
「どうりで、いつもの夢よりリアルだと思ったんだよね」
「いつもの夢って。夢でいつも何してるのよ……」
「……聞きたい?」
「き、聞きたくない!」
レイラは慌てて耳を塞いだ。
そんなの、聞かなくたってわかる。わかってしまう。きっと先ほどレイラにしたようなことを夢でしているのだろう。もしかしたらもっと進んだことをしているのかもしれないと思ったが、それ以上は経験不足で想像すら出来なかった。レイラは恨めしげな声を出す。
「アルのえっち……」
「うん」
(肯定!?)
まさか肯定されると思わなくてレイラが固まっていると、アルベールはまったく恥ずかしがることなく「男の子だからね」と言葉を付け足した。それになにをどう返せば良いのかわからないレイラは、まるで酸欠の金魚のように口をパクパクとさせる。
「レイラ、かわい――」
可愛いと言いかけて、アルベールが咳き込んだ。顔を赤くしていたレイラもこれにははっとしたような表情になり、彼の背中を撫でた。
「大丈夫?」
「うん、平気」
「本当に?」
「平気じゃなくても、レイラが来てくれたんだから、きっとすぐに平気になるよ」
アルベールは、目を細めながら優しく笑う。その表情にレイラの心臓がおかしな音をたてた。そして同時に、ダミアンの言葉が頭に蘇ってくる。
『なぁ、お前、アルベールの事好きなのか?』
『今まで、アイツに振り回されて恋人役とかなんとかしてるんだと思ってたんだけど、なんか最近マジで仲がいいし。迫られてるの見ても、お前もまんざらじゃないって言うか……』
(いやいやいやいや! 確かに、さっきのも嫌とかじゃなかったけどさ!)
否定したい気持ちがあるのに、否定できる要素がない。状況は限りなく『好き』に傾いているのだが、これといって決め手がないのも確かなのだ。
「と言うか、一人でここまで来たの?」
アルベールの質問にレイラは我に返る。そして「うん」と頷いた。
「ダミアンがついていこうかって言ってくれたんだけど、なんだか申し訳なかったし……」
(それに、ダミアンとお見舞いに来たら、アル、ヤキモチ妬きそうだしね……)
言葉には出せないが、レイラなりに気を遣ったつもりだ。なのに、そんな彼女の思いとは裏腹にアルベールは声を低くした。
「今度から一人でこっちには来ないでね。ダミアンでも誰でも良いから、誰かと一緒に来て」
「へ、どうして?」
「どうしても」
「理由がないと従えないわよ」
アルベールはその言葉に暫く黙った後、「怖がらせたいわけじゃないんだけど」と前置きをした。
「例えば、この学園に悪い男子生徒がいたとする。その男子生徒が男子寮の廊下を一人で歩いているレイラを見かけたら、部屋に無理矢理連れ込もうとするかもしれない」
「あ」
正直、そこまで考えていなかった。
アルベールは膝の上に置いてあったレイラの手を取ると、指を絡ませてきた。
「僕はレイラを傷つけたいわけじゃないし、人を殺したいわけじゃない」
「えっと、……殺すの?」
「殺す。できるだけ残虐な殺し方で殺す」
淡々と真面目なトーンでそう言う辺りが、彼の本気さを伝えてくる。アルベールが怒りっぽいと感じたことはないが、ことレイラのことに関してのみ沸点がヘリウム並になってしまうような気がする。
「あんまり危ないことしないで。僕の部屋に入りたいなら、僕と一緒にいるときにして」
「もしかして、来ない方がよかった?」
「ううん。来てくれて嬉しいよ」
指の腹で手の甲を撫でられる。
たったそれだけのことなのに妙に恥ずかしくなって、レイラは慌てたようにサイドテーブルに置いていた紙袋を引き寄せた。中にはりんごと、りんごを切るためのナイフ。それと食堂から借りてきた皿とフォークが入っていた。
「り、りんご持ってきたよ! 切ってあげるね!」
「りんご?」
「うん! おかゆとかも考えたんだけど、アルが寝てたら冷えちゃうと思って!」
レイラは持ってきた皿をサイドテーブルに置き、まな板代わりに紙袋を敷く。そして、りんごに刃を当てた。
「おかゆ、か」
「あれ? アル、おかゆ食べたかった? もしあれだったら作ってきてあげようか?」
「うん。後からで良いから、久しぶりにレイラの作ったおかゆが食べたいな」
「久しぶり?」
「あ……初めてだっけ? なんか夢で何度も作ってもらっていた気がしてた」
誤魔化すようにそう言って、アルベールはレイラから視線を外した。その仕草を見ながら、レイラは今朝見た夢のことを思い出していた。
川のほとりで見つけた『アル』という少年。彼はアルベールじゃない。アルベールではないと思うのだが、もしアルベールだったとして、きっと彼はそれを否定するだろう。おそらく彼は、その過去をレイラに思い出して欲しいと思っていない。
なんとなく、そんな気がする。
りんごを切りながらレイラがそんなことを考えていると、アルベールがしみじみとした声を出した。
「風邪って良いね。誰かが駆けつけてくれるのって、なんだかくすぐったい。こんなのはじめてだ」
「はじめて?」
「セレラーナじゃ、誰も僕には近寄ろうともしなかったからね」
その告白に、レイラはりんごを切っていた手を思わず止めた。アルベールは自嘲気味にふっと息を吐き出す。
「医者でさえも触れてこなかったよ。ま、別に良いんだけどさ。薬さえくれれば……」
「寂しかった?」
「どうだろ。レイラと知り合うまでは、それが普通だったからな。人間ってさ、不思議なもので、甘いものを与えられるまで、この世に甘いものが存在するなんてこと想像が出来ないんだよ。熱を測ってもらうときの手のひらの感触とか。心配しているときの相手の表情とか。気遣ってくれる言葉とか。温かいおかゆとか。全部、レイラに会うまで知らなかったんだ。……だから、よくわからない。何かずっと物足りない気はしていたけどね」
「それは、寂しかったんじゃないかな」
「寂しかったのかな」
本当にわからないのだろう、彼は首を捻りながら苦笑いを浮かべる。
「今は寂しくない?」
「レイラと出会ってから、寂しくないよ」
そこまで言ってから、アルベールは「なんか今日は変なことばっかり言ってる気がするな」と困ったような顔をした。
「なんか、今後すごく不幸になる気がする……」
「どうして?」
「最近、幸せすぎるから。なんか、一生分の運を使ってる気がする」
レイラは「そんなわけないでしょ」と笑って、剥いていたりんごの最後の一かけをお皿に載せた。
「はい、むけたよ」
「わ。ウサギだ」
「りんごのウサギ、もしかして、はじめて?」
「はじめてだって言ったら、笑う?」
「笑わない」
身体を起こしたアルベールの口角が上がる。その表情がなんだか子どものように見えて、レイラは思わず、りんごのウサギを手に取り、彼に差し出していた。
「はい。あーん」
「え?」
「あ、えっと……」
そこで固まられると、なんだかいたたまれない気持ちになってくる。別にこれに深い意味はないのだ。相手は病人だし、喜んでくれてるし、子どもみたいだし。なんというか、してあげたくなっただけなのだ。
いつまで経っても固まっているアルベールに、レイラは差し出していた手を戻しそうになる。しかしその直前でアルベールに手首を掴まれた。彼はレイラの手首ごとりんごを口元に寄せて齧り付く。そのまま二口、三口、と彼は齧り付いて、とうとうレイラが手で持っているところしかなくなってしまう。
(も、もしかして、指ごと食べられるなんてことは……!)
レイラがそう緊張していると、アルベールはあーんと口を開けた。どうやら、いれて、ということらしい。レイラは最後の一かけをアルベールの口の中に転がした。アルベールの口が閉まる直前、彼の唇がレイラの指先に当たり、電気が走る。
「いつもと逆だね。ありがとう、美味しかった」
手首を掴んだまま、彼はそう言って微笑んだ。
瞬間、レイラの呼吸は浅くなる。
(なんか、いろいろとやばい気がする)
どう説明すれば良いのかわからないが、なんかやばい気がするのだ。やばい。
感情の蓋が開いた、と表現するのが良いのだろうか。それとも、穴に落ちそうという感じだろうか。もしくは何かが芽吹きそうな気がする。やばい。とにかく落ち着かないとやばい。
やばいやばいやばい。
「私、そろそろおかゆ作ってくるね!」
気がついたら、弾かれるように立ち上がっていた。勘の悪い彼が「レイラ?」と首を捻るが、あえてレイラはそれを無視した。いまはちょっと、いろんなことに反応が出来ない。
しかし、ドアノブに手をかけた瞬間、レイラはすぐさま冷静さを取り戻した。
「あれ?」
「ん?」
「な、なんか、扉が開かないんだけど……?」
アルベールが「え?」とらしくない声を上げる。
二人の視線の先にある扉のドアノブは、何故か金色から黒色へと変化してしまっていた。
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