24.(あ、押し倒されてる……)
放課後、レイラの姿はアルベールの部屋の前にあった。
セントチェスター・カレッジの学生寮は男女寮で、一階に談話室や図書室、小食堂や簡単な炊事場などといった共用のスペースがあり、二階に上がる階段から男女に別れている。入り口から見て右の階段が女子寮に通じていて、左の階段が男子寮に通じている感じだ。本当はそれぞれの寮に異性が入ることは禁じられているのだが、先生が常に見張っている状況ではないので、禁止も形骸化してきているのが現状である。それでも見つかると結構なお叱りと罰が待っているし、抜き打ちで先生も来たりするので、みんなほどほどにきちんと節度は守っている感じである。
部屋の位置はあらかじめダミアンに聞いていたので迷うことなどなかったが、こうして扉を前にするとなんだか妙に緊張するし、躊躇してしまう。なんて言ったって、目の前にあるのは男性の部屋なのだ。異性の部屋に入るなんて、前世通してはじめての経験である。
(迷惑だったら、どうしよう……)
ノックするために掲げた手を握りしめ、レイラはじっと目の前の扉を見つめる。しかし、そうしていても何も始まらないと、彼女は思い切って目の前の扉をノックした。
二回。返事はない。
もう二回。やっぱりなにも反応がない。
(あれ、もしかして留守かな? それとも中で寝てるとか? ……倒れているとかは、ない、わよね?)
一度頭にそんな考えが浮かぶと、心配でそわそわと落ち着かなくなる。寝てるのならばいいが、倒れているのなら一大事だ。アルベールの見舞いに来る人間が他にいるとは思えないし、ここでレイラがほうっておいたら、彼は倒れていても誰にも見つけてもらえないということになってしまう。
レイラはドアノブに手をかけ、呼吸を整える。
きっと部屋には鍵がかかっているだろう。そうしたら諦めればいい。鍵を壊してまで部屋の中に入ることはないのだから。
そんな逃げ道を作りながら、レイラはドアノブを回した。すると彼女の考えとは裏腹に扉は素直に開いてしまう。もうこれは、入って確かめるしかないだろう。
「お邪魔します……」
レイラは小さな声でそう言いながらアルベールの部屋に入った。部屋の大きさはレイラの部屋と同じぐらいで、間取りも、置いてあるものもさほど変わらない。ベッドとサイドテーブル。勉強をするための机に、大きめのクローゼット。一人掛け用のソファーに、壁には本棚。
レイラは無意識に息を殺し、部屋の中に入ると、ベッドに目を向けた。そこには、思った通りにアルベールが眠っている。額にはわずかに汗が浮かび、少し寝苦しそうにしていた。
(しんどそう……)
ひとまず倒れていなかったことに安心したが、どう見ても無事そうには見えない。レイラはベッドにいるアルベールをのぞき込み、額に手を当てた。
(熱いな)
ピークは過ぎた感じだが、まだ平熱ではない。これは頭を冷やすようなものを持ってきた方がいいかもしれない。ベッドの隣にあるサイドテーブルには水差しと、水を飲んだ後のコップしか置いてなかった。水の入った桶とタオルぐらいはあとから持ってきた方がいいだろう。
そんな風に考えながらアルベールの額から手を退かそうとしたときだった。いきなりレイラは布団から伸びてきた手に手首を取られた。手首を掴んだのは当然アルベールで、その力は手首の骨が軋むほど強い。
「いっ――」
「……なんだ、レイラか」
手首を掴んでいた手が一瞬にして握力をなくす。アルベールを見れば、彼は薄く目を開いていた。まだ完全に覚醒しているわけではないらしく、目の焦点は定まっていない。
「アル、大丈夫?」
「んー……」
まったりとした声を出し、アルベールは手首を掴んでいた手を今度はレイラの頬に伸ばした。そして頬を二、三度撫でた後、今度は耳の方に手を伸ばし、指の腹で形を確かめる。
「アル?」
「すっごい、リアルな夢」
「もしかして、ねぼ――」
寝惚けてる? そう聞くはずだったのに、最後まで音にならなかった。気がついたらレイラは布団の中に引きずり込まれていた。腹部と肩の方に回る力強い腕。背中の方からは、いつもより高い体温と、いつもより荒い呼吸を感じる。
「レイラ、冷たくて気持ちが良い」
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょ! どこ触ってるの!?」
後ろから頬ずりをされ、脇腹の方をさすられた。シャツの着崩れたところから指が入り込んで素肌を撫でられる。絡んでくる足が、ただひたすらに恥ずかしくて、ちょっとなきそうになった。まるでアルベールの体温が移ったかのようにレイラの体温が急上昇する。
やばい。これはなんとなく、いろいろとやばい気がする。
「ちょ、ちょっと、アル。これは――」
「ねぇレイラ、キスしよ」
「へ?」
「あと、キスの続きも」
(キスの続きってなに――!?)
レイラは声にならない叫び声を上げた。もう何が何だかわからない。どう反応するのが正解なのかもわからない。アルベールはレイラの耳に甘えるような声を落とす。
「一回したんだからいいでしょ?」
「あ、あれはキスじゃなくて、人工呼吸みたいなものだって――!」
「あれはキスだよ」
「でも!」
「レイラ、知ってる? 魔力なら、口以外からでも送れるんだよ?」
思いも寄らない暴露に、レイラの口から「へ?」という間抜けな音が漏れた。
「可愛い、レイラ。騙されて、可愛い。僕の可愛い、レイラ」
うわごとのようにそう言って、アルベールはいつの間にかレイラの上に来ていた。
……上に来ていた。
…………上。
(あ、押し倒されてる……)
これには呼吸が止まった。
彼の両腕はレイラの顔の横にあり、アルベールはじっとレイラを見下ろしている。なんとなく、なんとなくだが、これは結構な貞操の危機な気がする。
「やっぱり隠しちゃいたいなぁ。こんなの見たら誰だって好きになっちゃうもんね? みんなレイラのことが好きになっちゃうよ」
「そんな……」
「手枷は痛くないのが良いよね。足枷も、レイラの足が傷つかないのがいいし。部屋は、地下室がいい? 塔みたいな高いところがいい? それとも隠し部屋かな? 僕だけしか入れない部屋って最高だよね」
いつも通りのヤンデレ発言だが、状況が状況なだけになんだか生々しい。
アルベールは更にレイラと距離を詰めてくる。さっきまで手のひらがあった場所に彼は今度は肘をついて、レイラを覗き込む。もういつでもキスできる距離だ。
「レイラは誰にだって優しいんだけど、僕はそれが心配だよ」
「あ、あの、アル!?」
「ねぇ、レイラ。僕以外の誰にも触らせないで」
「へ?」
「誰とも話さないで。誰にも微笑みかけないで。誰にも感情を動かされないで。誰のことも助けようとはしないで。誰にも優しくしないで」
彼の両手がレイラの頭をそっと固定した。
「僕以外の誰も、心に入れないで」
(わああぁあぁぁあぁ!)
もう無理だ。これはもう無理。本当に無理。
恥ずかしいし、苦しいし、緊張でどうにかなってしまいそうだ。心臓だって、さっきからおかしな速度で脈打っているし、変な汗ばかりが出てくる。もしかしたら、このまま爆発してしまうのかもしれないな、なんて変なことを考えてしまうが、でもやっぱりこれは爆発してしまう。どっかんだ。どかーん!
「大好きだよ、レイラ。大好き。大好き。すごく好き」
唇にアルベールの吐息を感じた。もう数センチという距離にお互いの唇がある。
(アル、寝惚けてるんだよね!? 寝惚けたままキスしちゃうの? え? それって――)
「ねぇ、レイラ。いい?」
「いい…………わけがないでしょ!」
レイラは顎を引き、思いっきりアルベールに頭突きを食らわせた。
ごっ、といい音がして、アルベールは一瞬のけぞる。そしてそのまま身体が落ちてきた。彼の下から抜け出したところで、額を赤くしたアルベールがレイラの方を向く。その焦点は今度はしっかりと合っている。彼は珍しく驚いたような顔をしていた。
「えっと。もしかして、夢じゃ、ない?」
「ゆ、夢なわけないでしょ!」
レイラは自分の身体を抱きしめるようにしてそう叫んだ。
面白かった時のみで構いませんので、評価やブクマ等していただけると、
今後の更新の励みになります。
どうぞよろしくお願いします!




