23.「お見舞い、行こうかなぁ」
そうだ、彼と出会ったのは叔父さんの家に預けられているときだった。
川のほとりで見つけた『アル』という名前だけしか知らない少年。顔はまだ思い出せないけれど、優しくて落ち着いた声だけは思い出せる。
『レイラって、料理ができるんだね』
ベッドから上半身を起こしたアルの手には、木のボールに入ったおかゆが握られていた。それはレイラが小屋の中にあるかまどで作ったもので、彼女の初めての料理だった。
アルはおかゆをひとさじ掬うと、口に運ぶ。そして『うん、美味しい』と頬を緩ませた。
『本当に美味しい?』
『美味しいよ』
『ほんとのほんとう?』
『うん。本当の本当』
レイラが作ったおかゆは水っぽくてペチャペチャしていて、お米もふっくらとしていない。なのに、混ぜ方が悪かったのか底の方は焦げていて、味見をするとちょっと苦みも感じた。
『僕より小さいのに、すごいね』
アルはそんなことなど気にせず、おかゆを口に運ぶ。『おいしい』と言っている彼の声は決して無理などしておらず、咀嚼する口角は常に上がっていた。
(また作ってきてあげよう)
彼の嬉しそうな顔を見ながら、レイラは出来損ないのおかゆに恥じらいを感じながらも、そんな風に思っていた。
レイラは寮のベッドで目を覚ました。先ほどまでの映像が夢だと言うことは起きてすぐに理解できて、それが過去の記憶だろうということもなんとなくだが認識できた。
ここ最近、なぜかこれと同じような夢ばかり見るのだ。アルの夢、過去の記憶。
忘却していた記憶が蘇っているのだろうとは思うのだが、その理由だけはわからなかった。
「どうして最近になって思い出すようになったんだろ……」
レイラは上半身を起こしそうぼやく。
何かの予感を感じさせるように、窓から入った風で白いカーテンがふわりと揺れた。
..◆◇◆
「えぇ!? アルがお休み?」
ロマンとの話し合いがあってから一週間後。レイラがその話を聞いたのは、ダミアンからだった。登校してきたばかりの彼女は、ダミアンの言葉に目を丸くする。
「みたいだぞ? 寮で噂になってた」
「そっか。だから今朝、迎えに来なかったんだ……」
レイラは妙に納得したような声を出す。いつもなら寮の前で待っているアルベールが今日に限っては見当たらず、もしかしたら先に登校したのかもしれないと、彼女は一人、教室まで歩いてきたのだ。
「なんか体調を崩したらしいぞ」
「体調を?」
「先生たちがそんな話してたらしい」
レイラはダミアンの隣に荷物を置きながら「そっかー」と声を漏らした。その声はどこかそわそわとして落ち着きがない。そんな声を聞いたからか、それとも前々からそう思っていたのか、ダミアンはこちらに向かって身を乗り出してきた。
「なぁ、お前。アルベールの事、好きなのか?」
「へ!?」
「今まで、アイツに振り回されて恋人役とかなんとかしてるんだと思ってたんだけど、なんか最近マジで仲がいいし。迫られてるの見ても、お前もまんざらじゃないって言うか……」
「そ、そんなわけ……」
そう否定の言葉を口にしかけたが、続かなかった。なぜなら、レイラ自身も自分の気持ちがわからなくなってきていたからだ。特に、アルベールとキスをしてしまってから、わからなさに拍車がかかった。だってキスがいやじゃなかったのだ。恥ずかしかったし、緊張したし、びっくりはしたけれど、少しもいやじゃなかった。
キスがいやじゃない相手。それはもう、好意がある相手、じゃないのだろうか。それとも、レイラの中であれはキスにカウントしていないのだろうか。確かにキスと言うよりは救命処置と言った方が適切かもしれないが、嫌いな人から同じような救命処置を受けたら、多少はモヤモヤが残るんじゃないのだろうか。
「どうなんだろ」
「俺に聞くなよ。自分の気持ちだろ?」
「そう、なんだけど……」
レイラはしばらくうつむいて考えた後、かぶりを振った。こんなもの長々と考えていても仕方がない。一日考えて答えが出ないものは、どれだけ考えても答えが出ないのだ。いつか勝手に答えが出る、とまではいかないが、もしかしたらまだ答えを出すタイミングではないのかもしれない。
レイラはため息一つで気持ちを切り替えた後窓の外に視線を移したそこにはアルベールがいるだろう、寮が見える。
(アル、大丈夫かな……)
年上のことをとやかく言うのはあれだが、アルベールは、人に頼る、とか、お願いする、といった行為がとても苦手そうだ。風邪なのに一人で部屋に閉じこもって『寝てれば治る』を徹底し、しんどい思いをしていそうである。
「お見舞い、行こうかなぁ」
「はぁ!?」と声を荒らげたのは隣のダミアンだった。どこで話を聞いていたのか、後ろからミアも話に割って入ってくる。
「お姉様! アルベールさんのお見舞い行くんですか!? 危険です! あんな独占欲が服を着て歩いているような人の部屋、行かせられません! ミアは反対です。いくら風邪で弱っていても、男は狼なんですよ!? 今度はキスじゃすまないかも!」
「ちょっと! ミア、声大きいって!」
人差し指を立てて、しっ、と声を出す。幸いなことに朝の喧噪に紛れて彼女の声は他の人に届いていないようだった。しかし隣にいたダミアンにはバッチリ届いていたようで、彼は頬を引きつらせた。
「キスってお前……」
「ち、違うの! あれは人工呼吸みたいなもので!」
「人工呼吸、ねぇ?」
「ほ、本当だからね! 現にアルだって、まったくなんとも思ってない感じだったし!」
「でも、結構しっかりしてましたよね?」
「ミアは黙ってて……」
頬を染めながらそういえばミアは「わかりましたよぉ」と口を閉ざした。
「アイツはどんなことしても顔には出ないだろ?」
「そんなことないよ? 結構、顔赤らめたりするし……」
「はぁ? あのアルベールが!?」
信じられないというような声を出しながらダミアンは慄いた。
「だからまぁ、アルは気にしてないと思う」
「と言うことは、お前は気にしてんじゃねぇか」
「それは、…………まぁ」
視線を逸らすレイラにダミアンは意味ありげに「なるほどな」と呟く。
「でもまぁ。見舞いに行くなら、クラスに寄ってけば? 届けなきゃなんねぇものとか一緒に持って行ってやれよ」
「うん。そうだね」
頷いたレイラの顔を、ダミアンはこちらをじっと見つめる。
「お前、マジで行くのか?」
「え、うん。そのつもりだけど」
「……なんか、はじめてアイツに同情したくなったな」
ダミアンのため息と言葉の意味がわからず、レイラは一限目の準備をしながら首を捻るのだった。
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