57話 思惑を邂逅へ
続きを投稿します。
お楽しみ頂ければ幸いです。
「長社には直接赴かない?」
牛時日中の行軍最中。
中牟を抜ける前に発した神坂の言葉に、趙雲は疑問を投げた。
「ああ。皇甫中郎将が今夜の火計で長社を脱出し、黄巾軍を撃破するなら態々長社に往く必要が無いし」
「しかし、目下の目的は長社への援軍だったのでは」
「勿論援軍として往くとも。建前としては、だけど」
神坂の言でいよいよ趙雲は怪訝な顔を見せ、そんな彼女に神坂は苦笑。
「そもそも、詠さんも俺も一言たりとも皇甫中郎将救けるなんて言ってないし、長社に赴くと言った覚えさえないよ」
「何を仰る。軍を分ける際、賈駆殿も神坂殿も、頴川に援軍をとその言を発し―――…」
言葉を紡ぎ、はてと視線を逸らして思案。
そういえば。
そもそも賈駆は、神坂は何と言っていた?
『皇甫中郎将と連携して賊の討伐』
『長社で黄巾賊に包囲され、皇甫中郎将は危機的状況』
『頴川郡に援軍を派兵』
『明日の夜に到着する様、行軍を調整』
……一つも、一言たりとも。
長社の皇甫中郎将を救けると、言っていない。
「詠さんは暗にこう言ってるんだ。"皇甫中郎将を救ける事になる、戦功を立てて来い"。月さんは兎も角、詠さんは分かってたんじゃないかな。結局は皇甫中郎将が敗北しない、って」
「ま、さか」
「そうだね。ぶっちゃけて言えば、他の人出し抜いてデカイ手柄掻っ攫って来い、って訳。例えば、混乱に乗じて敵の司令官を討つとか」
「なんと」
趙雲だけでなく、隣の馬超、馬岱も互いに顔を見合わせ まさかという表情。
確かに一言も彼を救けるとは言っていない。援軍とは行ったが、長社に往けとも、皇甫中郎将を救けろと言っていなかった。
派兵を容認した、姜維でさえも。
命令を心得ただけで、具体的に何を承知したか口に出していなかった。
「姜維殿も、知っておられたのか」
「はい。そもそも、二千で援軍に赴けという事自体が無謀でしたから。少し考えれば答えは導き出されます」
「うへぇ、あたしにはとても理解出来ない世界だ」
馬超の言に同意する様に、馬岱も感嘆の声を漏らす。
今も少し驚いたように目を見開く程立を、趙雲は見た事がない。
唯一高順だけが、関心無さそうに「ふーん」と反応するのみ。
だが。
だがしかし、これは。
「余りにも、義に悖る」
そう発せずには、いられない。
「成程、義人らしい精神。でも綺麗事で切り抜けれる程、世の中甘くないし世人は清廉でもない。己の誇りに固執して大局を逃せば、ただの愚人と思わない?」
「……分かっておりますとも」
「あれ素直」
「私とて、そこまで頑なでは御座らぬ。然れど、理解と納得は別ですが」
「それで良いんじゃない。人の思想に文句言う権利なんて、誰にも無い訳だし」
「左様で御座いますな」
そこまで言い、さてと神坂は区切る。
「頴川黄巾軍の司令官、波才を討つのは何処の地が良いかな」
「おや、神坂のお兄さんは長社では討たれないとお考えですか」
「まあね。長社で火計を受け、想定外な事態が起きても、多分波才は陽翟まで退くと思う」
「そのお心はー?」
「曲がりなりにも頴川の黄巾軍を統べる司令官だから、意固地にならず退却までの判断が早いだろうというのが一つ。そして、陽翟が長社から一番近い黄巾軍の駐屯地だからが二つ」
「そですねー、確かに」
何か、程立に試された感が否めない神坂だったが、今は気にするのを止めた。
とすれば、と、今度は姜維に視線。
「陽翟に退くまでの道程、波才ならどの道を経由するかな」
「戦の後で、人の目に触れず密やかに退却するという事を考慮すれば……陽翟に通ずる間道でしょう」
「でも間道は幾つもあるよ、通過地点を見極めるのは難しい」
「いえ、速やかにして密やかな退却ならば、道程は近道と限られます。ともすれば」
「予測は案外簡単、か」
頷き合う二人に、今度こそ程立と高順を除く全員が呆然としかけた。
何処まで、先が見えているのだろうか。
神坂のみならず姜維の先見の明が、恐ろしい。
「さて、じゃあ頴川黄巾軍の命脈は睡蓮さんに絶ってもらおうかな。優勢な頴川黄巾軍が一夜で壊滅し、一日で黄巾全体主力の一つを失うという、笑えない事態を引き起こそうか」
微笑みを浮かべる彼に、敬服と同時に慄然にも似た感情が沸き起こるのを禁じ得なかった。
「公偉、無事であったか。お主が賊に討たれたのではと肝を冷やしたぞ」
「なんの、兵を半分近く失いはしたが、俺もそこまで柔ではない。落ち延び、包囲されたお主を助けんと機を伺っていたが……今思えば、あの時義真の言う通りにしておれば良かったと後悔しているがな」
「さもありなん。だが、互いに無事で何より」
丑時過ぎ去り、月下の残火が勝利を祝うようにして音音が鳴る中、がちりと両の手を交わす二人。
ぐるりと見渡せば周囲には黄巾軍の陣営を焼き払い、躯も黄巾兵が殆ど。人肉が焼け焦げ、夥しい血糊の所為で血臭が鼻を掠めるが、勝利の証と言わんばかりに気に留めず。
「しかし頴川黄巾軍、やはり手強かった。あの刻に強風が吹かねば、公偉と曹騎都尉が居らねば苦戦を強いられていたであろう」
「うむ。聞けば曹騎都尉は援軍に駆け付けた上、お主の部下が賊将、黄邵を討ったとか。まこと、大義である」
「はっ、恐れ仕ります」
曹操が軍礼をすると部下の夏侯姉妹、軍師の荀彧もそれに倣う。
手柄には違いないだろうが、曹操の顔に喜びの色は無く。
「とはいえ、敵司令官の波才を取り逃がしたのが心残りではあるが」
「零すな義真。一晩で危機より転じ、万余の首級を上げただけでも大戦果だ。敵主力を欠いた今、波才など後に討っても遅く無い」
そう、逃げられたのだ。
夏侯惇が後一引という所で波才に馬に乗られ、そして黄巾兵の思わぬ邪魔に遭い、敵は九死に一生を得た。
それが、それだけが。
頴川黄巾軍の司令官の首という大功を、逸してしまった事だけが曹操にとっての心残り。
「しかし奴が逃げたのは西だ。もし陽翟で持ち直されれば、後々に面倒となるぞ」
「む……ならば、今直ぐに追撃を出すか」
「今更遅かろう。それに、我が軍も公偉の軍も疲弊していよう。数日休息させ、兵を再編成しておこう」
しかる後に、と言いかけ、物見兵が駆け込んできた。
手早く礼を済ますと、曰く。
「天水の董中郎将の軍将らが、お目通りを願っております」
「む? もしや、救援の件でか。既に終わったのだが……ふむ、折角だ。通せ」
「御意に」
「今更になって駆け付けるとは、まるで戦が終わるのを見計らっていたと言わんばかりだな。よもや、兵を温存する心算ではあるまいな」
「公偉」
思わず皇甫嵩が窘めるが、朱儁は鼻で笑い余所を向く。
曹操は我関せずを決め込んでいたが、傍に居た荀彧は「男は馬鹿ね」と彼等には見えない様、毒を吐いていた。
やがて暗闇より歩み寄る足音と篝火の影に目を向け、その人物を見た。
先頭に変わった剣を佩く男。
両脇を挟む様に斧槍を持つ女と、三尖槍を持ち縄を引き摺る女。
そして眉が太めで顔立ちがどことなく似ている二人の女。
それらが皇甫嵩の前まで来ると、軍礼。
「董中郎将が副軍師、神坂が皇甫中郎将、朱中郎将に謁見致します」
「じ、従事中郎馬騰が娘、馬超も謁見致します」
「うむ、左中郎将 皇甫嵩だ」
「……右中郎将 朱儁」
「皇甫中郎将と朱中郎将に此度の戦勝、お祝い申し上げます」
頭は下げず、抱拳礼で真っ直ぐと二人を見つめると皇甫嵩は うむと頷き礼を返し、朱儁も口元を結びながらも礼を返す。
あれが、天水の麒麟児の一人。
聡明そうな顔立ちはしているが、それだけ。他には、武の香りが少しする程度。
他の者達は一騎当千の者に違いないが、本当にこの男がそうなのかと、曹操は疑問。
「神坂殿、で宜しかったか。終わったとはいえ、私の救援に駆け付けて頂きお礼申し上げる」
「いえ、皇甫中郎将の危機に際し、参戦及ばなかった己へ忸怩たる思いです」
「まこと、貴殿の言葉が本心であると信じたいものだな」
「公偉ッ」
朱儁の言でまた皇甫嵩が窘めるが、本人に訂正する気は無い。
曹操も口は挟まず静観の構えであった。
しかし、神坂に不快な表情は浮かんでおらず。
「勿論本心でありますとも。その証拠に、お二方に見て頂きたいモノが御座います」
「ほう、何だ」
「睡蓮さん」
「はい。こちらです」
返事と共に引き摺っていた縄を手繰り寄せ、皇甫嵩と朱儁の前に引き出す。
「頴川黄巾軍が司令官、波才の遺骸で御座います」
目を向け、そして互いに顔を見合わせた。
見間違うはずが無い、敵司令官の波才であった。
曹操の部下、夏侯惇も直前で取り逃がした者を前に、思わず声を漏らした。
まさか、と曹操は思ったが夏侯惇の反応で本物と分かり、動揺を抑えた。
「微力ながらも力を尽くし、私が討ち取らせて頂きました」
「なんと」
「む、む……」
眼前に出された波才の遺骸に、感心よりも先に呆けてしまい、咳払い。
まじまじと見るが、やはり遠目で確認したあの波才。
しかし、
「お主、名は」
「姜維で御座います」
「姜維、何故首だけを持参せぬ」
「賊将とはいえ、この者は忠烈の士。私なりの敬意を表したまで」
朱儁が姜維の目を見つめ、彼女も逸らすことはしない。
同情や虚言ではない、と察した。
「しかしどの道、朝廷に首級を献上せねばならぬ。身体毎献上する訳にもいくまい」
「存じております。朝廷に献上する際は、私自身が塩漬けに致します」
「結構」
うむと朱儁が頷くと、皇甫嵩は手を叩き、破顔。
「敵司令官の波才を討ち取った手腕、見事!」
「敗走の際を偶々襲撃したに過ぎませんが、お褒めの言葉、恐れ入ります」
「しかし大功は大功。公偉よ、これで下手な勘繰りはすまいな」
「……取り敢えずは、だがな」
憮然にも似た態度で言うが、神坂、姜維らは顔を見合わせて表情を綻ばせている。
あれが、もう一人の麒麟児、姜維。
中々に整った顔立ちに、智勇秀で義にも厚い良将。
曹操の瞳に妖しい火が灯り、口元に笑みが浮かび上がってくる。
「して神坂殿、董中郎将は」
「は、董中郎将は未だ馬騰殿と共に司隷周辺の黄巾軍と交戦中故、私共が先行して駆け付けた次第で御座います」
「引き連れた兵馬の数は」
「我が軍が軽騎兵が千、歩兵が五百の千五百。そして」
「あたしの軍は軽騎兵五百です」
「計二千か。……では、司令官を討ったとは言えまだ頴川には残党が居る。勅令通り、暫くは残党狩りを供して貰うが、良いな」
「はっ」
「うむ、では昼夜問わずの行軍で疲れたであろう。暫し休息を致せ」
「御意に。然らば」
礼と共に踵を返し、波才の遺骸を乗せた板を引き摺って馬超と共に暗闇へと向かう。
姿が見えなくなると、機とばかりに先程まで黙していた曹操が開口。
「然らば、曹操も失礼させて頂きます」
「うむ、曹騎都尉も暫しゆるりと休まれよ」
礼と共に部下とその場より去るが、曹操は自陣に戻るつもりは更々無い。
目的は神坂と、そして姜維。
部下の嫉妬に似た諫言は、どこ吹く風。
あの者達と言の葉を交わす為、奸雄 曹操は歩む。
「皇甫中郎将、兵馬の数が少ないって一瞬顔に出してましたね」
「しょーがないさ。万の軍勢に加わるのが二千じゃ、あんな反応も出るよ」
焼討された陣より出、野営地へ戻る姜維と馬超がそんなことを漏らしていた。
「それにしてもお姉さま、緊張してたね。変なこと言わないか、見てるこっちがはらはらするよ」
「うぐっ、し、仕方ないだろ。こういうの慣れてないんだから」
「愚痴を漏らしても、違うものを洩らさないでよ?」
「誰が洩らすかッ!」
拳骨を見舞い、非難をぶつける馬岱と顔を紅くして何かを叫ぶ馬超という図が出来上がり、姜維が苦笑する中。
先程から一言も発さない神坂を、高順が不審に思った。
「おい、主さんどうした」
「ん……いや、高順。さっきの場に金髪の女の子居たでしょ。アレ、誰か知ってる?」
「アタイが知る訳ないだろ。あのチビに何かあんのか」
「何か、というかね。誰を、というか」
「ンだよ、歯切れ悪ぃな。ハッキリ言っちまえ」
「いやまぁ。取り敢えず俺の第一印象なんだけどさ」
「おう」
彼にしては苦々しく、そして珍しい事に少し嫌そうな表情。
そして彼らしくもない言葉が、口から発せられる。
「俺、あの女の子あんま好きくないかも」
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